| マキシテンペスト
雨が弾丸のように激しく大地を叩く。右へ左へと容赦なく荒れ狂う強風は瓦礫を吹き飛ばし、軍旗のポールをへし折り、真っ直ぐ立っているのも困難だった。加えて、重苦しく垂れ込めた黒雲が不気味に明滅しては雷鳴を轟かせる。 その日のジャンクヤードは、未曾有の悪天候に見舞われていた。 ムラダーラのそこかしこで、断崖の縁から雨水が滝を作って流れ落ちている。最下層の地面は巨大な水溜りと化し、上層は上層で、もはや屋根などあってないようなものだった。 今更雨に濡れて困るというわけではないものの、嵐が過ぎ去るまで何もできそうにない。 そう、何も。 空は敵にも味方にも等しく万難を与え給うた。こちらから出撃できない代わりに、ブルーティッシュの尖兵やソリッドの残党、目障りなニュービー共も一斉に沈黙せざるを得なかった。悪魔に変身して突貫すればできないこともないのだろうが、結局のところ、行動の自由が大幅に制限される状況下でマグネタイトの無駄遣いをしたがるような愚か者もいなかった。 腹が減るのが先か、天候が回復するのが先か。むしろ危険な一時休戦は、ただ鬱々と時間だけが流れていった。 アジトの入口で外の暗澹たる景色を眺めながら、アルジラが物憂げにぼやいた。 「……まったく。何て日だろ。シエロが100人ぐらいいるんじゃないの。1人だけでも喧しいのに」 「うっわ、ひでぇ。言われたよ。俺のジオンガはもっとハートフルだっつーの」 名指しの八つ当たりに切り返したシエロは、アルジラとは対照的に至って上機嫌だった。そもそもが何事においてもプラス思考な気質の持ち主だが、むしろ空が荒れれば荒れるほどテンションが上がる仕様になっているようだ。 「攻撃魔法にハートフルもクソもあるか」 ヒートもどちらかと言えば機嫌が悪い。ただしヒートの場合は天候云々以前に、何事においても機嫌の良かったためしがない。「ここで待っていて」と告げられたきり待ちぼうけを食らわされていることも、シエロいわくの「すぐ沸騰するヤカン頭」を大いに苛立たせていた。 この暴風雨の中、一体サーフはどこへ行ってしまったのか。 突然、一際眩しい閃光がアジトの外を照らした。 「おいおい。デケェのが来るぞ」 ヒートが予告するまでもなくアルジラは反射的に耳を塞ぎ、シエロは待ってましたと言わんばかりにいそいそと外へ出た。焦れったいタイムラグを置いて引き裂かれた空が狂い叫ぶ。大爆発にも等しい轟音が、物理的な圧力を以ってアジトの外壁を震わせた。 「来たぁぁぁイヤッホォォォーッ!!」 「もう、最悪!」 「チッ、デカ過ぎだろ……」 シエロの浮かれっぷりはますます加速する一方で。呆れ顔の2人をよそに、小躍りしながら独り歓声を上げている。 「うははぁ、落ーちた落ちた! 今のはスゲェわ。完っ璧に落ちたね。めっちゃ近いよ!」 「はぁ……アンタね。どうして、雷が落ちてそんなにはしゃげるわけ? いっそのこと痺れ玉で静かにさせてやろうかしら」 アルジラが物騒な考えを起こし始めたところに、アジトの入り口に続く階段を駆け下りてサーフが戻ってきた。全身ずぶ濡れの泥まみれという、目下No.2トライブのボスらしからぬ有様で、脱いだジャケットを丸めて抱えていた。 「おかえりぃ兄貴。……って、どうしたの、そのカッコ」 「ただいま。でも、またすぐ行かなくちゃ。下層階で排水管が破裂してる」 淡々と答え、端正な顔にべったり貼り付いた髪をかき上げる。サーフの腕の中で、抱えたジャケットがもぞもぞと蠢いた。 ――にゃあ。 「あ、お前……」 ジャケットの中から、エンブリオンの愛すべき居候が頭を出した。サーフ同様、ご自慢(?)の艶やかな黒毛も今は泥水でバサバサに乱れ、シエロを見上げる顔も心なしか不機嫌そうだった。 「何だぁ? ひょっとして、水溜りで溺れたのかお前。しゃーねーな、後で俺がキレイにしてやっからさ」 「猫とじゃれてる場合じゃねぇ。下はどうなってんだ。説明しろ」 待ちくたびれたヒートが横から口を挟んだ。 「簡単に言えば。古い排水管が破裂して、溢れた水に壁ごとぶち破られた。何年も使っていない場所だったから、かなり老朽化が進んでいたんだと思う。廊下の端から端まで水浸しだよ。ドアを開けたらいきなり泥シャワーぶっかけられて、酷い目に遭った」 「ちょっと。ヘタしたら上の階だって危ないじゃない。で、どうするつもり?」 「取り敢えず、壊れたパイプの交換だけは済ませておいた。後始末もみんなが頑張ってくれてる。だけど、あくまでも応急措置だ。1度どこかであのエリアに流れ込む水を止めないと……ゲイルはどこに行ったんだ?」 逆にサーフに尋ねられ、ヒートとアルジラは首を傾げた。 「変ね。さっきまでその辺にいたと思ったんだけど」 「作戦室にいなきゃ、部屋に帰ってんじゃねぇのか」 誰からともなく、サーフ達の視線はシエロに集中した。が、シエロも大げさに肩を竦めるばかりだった。 「どーだろ。俺、ゲイルを呼んでこよっか?」 「頼む。ああ、それから――」 唐突に、トランシーバーのコール音が会話を遮った。 「……すぐ行く!」 電波状況も芳しくない。酷いノイズ雑じりの通信にヤケクソ気味の大声で応答し、サーフは早々にスイッチを切った。 「何か、すっげぇ悪い予感がする……」 「今度は何だってんだ」 「『ボス、ヤバイですもう持ちません』って」 「あああ、やっぱり」 「チッ。『降れば土砂降り』ってヤツか。アルジラ、俺達も行くぞ。お前はさっさとアイツを呼んできやがれ!」 暗い空に何度目かの雷鳴が轟く。サーフ達は嵐の中へ駆け出し、シエロも慌てて回れ右でゲイルの部屋へ向かった。 ドアに鍵がかかっている。イコール、確実に室内にいるということ。 ゲイルが自室のドアに鍵をかけるのは、決まって“シエロも中にいる”か、“シエロを中に入れたくない”時だった。迂闊に邪魔をすると後が怖いが、非常事態ともなれば話は別だ。シエロはドアを叩きながらゲイルを呼んだ。 「ゲイルッ、大変だよ大変! 兄貴が呼んでっから、早く出てこいって!」 ドアはすぐに開いた。よほど邪魔されたくなかったのか、シエロを見下ろす目がいつも以上に冷ややかだった。 「何の騒ぎだ」 「だぁーから。下の階で排水管がブッ壊れて大変なことになってるんだってば。ヒートとアルジラも見に行ってる。っつーか、ゲイルこそ何やってんだよ。こんな時に兄貴と一緒にいなくてどーすんだ。ホラ、早く行こう!」 ところが、シエロの期待に反してゲイルは動こうとしなかった。 「サーフからの言づては、それだけか」 「……は?」 質問の意図が飲み込めず、シエロはぽかんとした顔でゲイルを見つめた。 「現場の詳細な位置。必要な物資。それらについて言及していなかったのかと、訊いているのだ」 「別に何も――あ、そっか。あの時、兄貴が『それから』って言いかけたんだ。ちょうどトランシーバーが鳴って、ヤバイって聞いてすぐ行っちゃったから、結局聞きそびれた」 「いい加減、伝令1つまともにこなせんようでは困るな」 ゲイルは言下にシエロを非難し、踵を返して部屋の奥へ引っ込んでしまった。 「ちょっ……待て待て。ソレって俺のせいかぁ!? だいたい、ボス放ったらかしで朝から引き篭もってた参謀はどこの誰……わぷっ!」 追いかけて部屋に入ろうとしたシエロの顔面に、ゲイルが投げて寄越したツールバッグが直撃した。 「それはお前が持っていろ。行くぞ」 クローゼットから古びた紙片を何枚かを取り出し、ゲイルはようやく部屋を出た。痛打した鼻を擦りつつシエロも後に続く。 「イテテ、鼻が潰れるかと思った。たまにわけわかんなくなるよな、ゲイルって。……なぁ、急がなくていーのかよ」 ゲイルの行動は、シエロには全く不可解だった。部屋を出たことには出たが、廊下をゆっくり歩きながら、視線は手許の紙片ばかり追っている。シエロの個人的な用事に付き合わされているならともかく、サーフからの緊急召集をおざなりにしていい理由などあるのだろうか。 「ヒートとアルジラがついている。排水管の損壊ごとき、本来は俺が現場に行かずとも十分足りた」 「どうしてさ」 「俺に要求されているのは、論理的思考に基づく的確な判断……つまり抜本的な打開策だ。どの排水管を閉めれば、水の流れを遮ることなく、被害を食い止めることができるか。こんなところでムラダーラの図面が役立つとはな」 そう言って、古びた紙片を指先で叩いた。 「回答を弾き出した後の力仕事は、ヒートにでも任せておけばいい。現場に行かずとも足りるとは、そういう意味だ。しかし、この状況ではろくにトランシーバーも使えないのだろう。直接現場に赴き、口頭で指示を出すほかあるまい。煩瑣(はんさ)なことだ」 「……お前の話、半分ぐらいしかわかんねぇんだけど。お前が行くのすっげぇ嫌がってるってのだけは、よーくわかったわ」 「気が散る。俺に急がせたいなら、少し静かにしろ」 ああ言えば、こう言う。まともに相手にされている気がサッパリしない。さすがにだんだん腹が立ってきたシエロだが、ここまで堂々と言い切られると、間違ってるのは自分の方かと錯覚しそうになる。 「文句言われんのがイヤだったら、マジで急げっつーの。ねぇ、わかってんの? 兄貴が呼んでんだぞ、兄貴がっ!」 終いにはわざとらしく無視するゲイルを強引に引っ張り、シエロはやっとの思いでアジトの入口まで戻ってきた。 先ほどと変わらず、外は悪夢のような荒れ模様だった。一旦足を止めたゲイルに、シエロは向かい側の建物を指差して言った。 「兄貴達はあっちの昇降機から下に行ったと思う。場所は、行ってみればすぐわかるんじゃね? きっとみんなで大騒ぎになってっから」 「…………」 「ホラ気合入れて突っ走るぞ。お前が風に吹っ飛ばされちゃ、いろんな意味でシャレになんねーし」 「…………」 ゲイルは腕組みで正面を睨んだまま、返事すらしようとしなかった。 「ゲイル。いー加減にしろよ。さっきからナニ怒ってんだよ」 振り向いた瞬間、シエロは見てしまった。 2発、3発と立て続けに鳴り響いた轟雷に、真顔で1歩後ろへ退いたゲイルを。 最初は「まさかぁ」と思った。偶然そう見えただけだろう、と。しかしそれも、立ち尽くすゲイルと目が合うまでだった。シエロは恐る恐るゲイルに尋ねた。 「……あのさ。ひょっとしてお前さん、雷が怖い……とか、言わねーよな?」 ゲイルの片眉がぴくりと跳ね上がった。 「『怖い』? 俺が、雷を恐れている、と?」 「……違ってた方がジャンクヤードの平和のためにいいような気がするけど」 「理解不能だ」 素っ気なく一蹴し、ゲイルはシエロを押し退けてアジトの外に出た。 途端に、不吉な光を放つ黒雲。今日のゲイルはとことん運に見放されている。シエロの目の前でピタッと踏み止まり、また後ろ歩きで元の場所へ戻ってきた。 今度こそ見間違えようがない。依然として無表情なのが、ごまかそうとしているようで却って気の毒だった。 「……ぶっ」 なお悪いことに、シエロの我慢も限界だった。 「うははははは! えええーマジかよゲイル! 逃げた、ぜってー逃げてたぞ今!」 笑っちゃいけないと思えば思うほどおかしさがこみ上げてくる。シエロは壁に突っ伏してひたすら笑い転げた。 「うひゃひゃ、やべ、腹イテェ! ……くっくっく……た、助けて、笑い死ぬっ。あはは、あはははは……!」 通りがかりの構成員達が「ああ、またやってる」と面白半分に2人の様子を眺めていたが、ゲイルはあくまでも大真面目に、かつ冷淡に口を開いた。 「重ねて断言するが、理解不能だ。何をそんなに興奮している」 涙を拭き拭き、シエロは笑い過ぎで紅潮した顔を上げた。 「……ひぃ、はぁ……風で吹っ飛ばされる前に、ゲイルで笑い死ぬかと思った。――クールで無敵で超強気なお前さんでも、やっぱ“雷”は怖いかぁ。わかりやすいっつーか、何つーか。そりゃ確かに外出る気になんねーわ」 「俺は俺自身がアートマの力を得て以来、肉体的に電撃系攻撃によるダメージに対して著しく耐性が低下した、という事実を認識したまでだ。己の弱点を把握し常日頃からフォローに努めるのは至極当然。よって、今のは単なる緊急回避行動に過ぎん」 お得意の詭弁もここまで来ると、そこはかとなく必死さが漂い出す。意地でも認めない気らしい。 シエロはすかさず首と手を左右に振った。 「いやいやいやいや。フツーは雷に緊急回避とかねーよ。こっからあそこまで走って通り抜けた方が早ぇよ、どー考えたって。電撃ストロンガつけてんだろ?」 「当然だ」 「じゃあいいじゃねーか。大丈夫、大丈夫。第一、ゲイルには絶対落ちてこねーから」 なだめすかしながらゲイルの後ろに回って背中を押すが、しっかり床に踏ん張った足は1ミリたりとも動かなかった。 「大丈夫だって。10秒もかかんねーからさぁ。雷が怖くても怖くなくても、お前は行かなくちゃいけないんだぞ」 「お前のその、『大丈夫』という主張には、いつも根拠がない」 「はぁ? まだそんなこと言って――ん。“根拠”? 根拠、ねぇ……」 シエロは何事か考え込み、ゲイルから手を放した。 「よっし、わかった。要は、雷なんかそうそう滅多に当たるモンじゃねーって、わかればいいんだよな?」 念を押すなり、シエロはその場で颯爽とディアウスに変身した。そしてゲイルの肩越しにひょいと長い首を屈め、フードの上から頬を摺り寄せた(傍目には頭をグリグリ押し付けたと言うべきか。ゲイルが少々痛そうだ。悪魔の姿でじゃれつく際は要注意である)。 「……何のつもりだ」 「まぁ見てなって」 シエロはゲイルを置いて、嵐が逆巻くムラダーラの上空へ勢い良く飛び立っていった。閃光が瞬くたびに浮かぶ群青色のシルエット。横殴りの雨に危なっかしく煽られつつも暗い空を大きく旋回し、シエロは得意げに声を張り上げた。 「なっ、ゲイル! 大丈夫だったろ!? こんな高いトコにいたって当たらねーんだから、下にいりゃ全然へい――」 惜しいことに、『全然平気』ではなかった。次に間近で空が光ったと同時に、鈍い破裂音が頭上に響き渡った。 「んぎゃあッ!?」 飛んでいたシエロが悲鳴を上げた。雷の直撃を食らい、糸が切れたようにゆっくりと墜落する。よりにもよって、ゲイルの目の前で。 「お、落ちたーッ!?」 それまで呑気に眺めていた構成員達が慌てて駆け寄った。シエロは階段の下で仰向けにひっくり返っていた。 「……アイタタタぁ……びっくりした〜。なぁんで、こんな時に限って当たるかなぁ」 軽口を叩けるだけ、ある意味シエロの主張通り「大丈夫」ではあるが。 構成員達はがっくり肩を落とした。 「アンタ、意外とタフですね……」 「ゲイルさんの苦労がちょっとわかったような気がする……」 はからずも同情されてしまったゲイルは、これ以上なく憂鬱な顰め面で立ち尽くすのだった。 それから数時間後には嵐も収まり、排水管の補修も、幸い皆の協力で被害が拡大する前に完了した。 「――なるほど。それで、来られなかった」 作戦室でゲイルとシエロの弁解を聞いていたサーフは、タオルで髪を拭きながら溜息を吐いた。 「……すまん」 「ごめん……」 2人揃って素直に詫びると、静かなるボスの口元に笑みが浮かんだ。 「しょうがないか。過ぎたことをあれこれ言っても始まらない。次は手を貸してくれ」 「あ、うんうん! それは俺も、もちろんゲイルもわかって――」 「――ただし」 助かった、とシエロが思ったのもつかの間。サーフはおもむろに身を乗り出した。 「アジトの掃除、よろしく。雨は吹き込むし、そこら中足跡だらけだし。特に出入り口付近は重点的に。ついでに浸水した場所もやっておいてくれると、嬉しいんだけどな」 「……はぁい」 「……了解した」 (やべ。やっぱ怒ってる、むちゃくちゃ怒ってるよ……) 拒否権、なし。まだストレートに叱られた方がマシだったかもしれない。どんな嵐よりも恐ろしいのは、ボスの爽やかな笑顔だった。 足元で顔を洗っていた黒猫の鈴が、ちりーんと鳴った。 <終> 【後記】 |