果てしない矛盾の中で

「――あーあ。俺、まーた閉じ込められてるよ」
 薄暗い室内にポツンと置かれたカウチに寝転がって、シエロは投げやりに嘆いた。ニルヴァーナに行けると信じて頑張ったのに、こんな目に遭うなんて。
 ジャンクヤードを崩壊させた光の渦に呑み込まれ、辿り着いた見知らぬ場所で、シエロは囚われの身となっていた。警戒と猜疑に目を血走らせた男達をなだめるのは一苦労だった。彼らが言うところの“カルマ協会”から来たスパイなんかじゃないと主張すれば、やれまがい物だの、人喰いの化け物だのと罵られる。そのくせ、ちょっと大きな声で脅かすふり(いい加減頭に来ていたので、半分本気だったが)をしただけで、途端に怯えて後退りするのだ。
 ロアルドとかいう男とだけは、比較的まともな会話が成立した。とは言え、彼もほとんど一方的にシエロの話を聞くだけ聞いた後は、他の連中と一緒に逃げるように部屋から出て行ってしまった。
 部屋は密室。外には見張り。おまけにこういう時頼りになる相棒猫は、今はいないと来ている。
「はぁ……。兄貴、ゲイル……みんな。どこにいるんだよぅ」
 情けないやら悔しいやら、心細いやらで、シエロは無性に気が立っていた。
 いや、この苛立ちの原因は腹が空いているせいかもしれない。ここに来てから、まだ何も口にしていなかった。このままずっと喰らうことができなかったら――と思うと、みぞおちの辺りに嫌な疼きを感じる。ジナーナやルーパのように完全に悪魔化して、自分が自分ではなくなって、ここの連中に罵られた通り本物の化け物になるのか。
 それだけは絶対、絶対に勘弁してほしい。
 シエロはカウチから飛び起き、ドアの前で仁王立ちになった。
「おい、誰かいるんだろ?  聞こえるだろ? 腹減った! お前らなんか要らねーから、他のもんよこせっ!」
 外の見張りに向かって声を張り上げる。だが、返ってきたのはドアを蹴る音だけだった。
「……っざけるなよ、この!」
 こうなったら、ディアウスに変身してでも――と意を決しかけたところで。シエロの切なる願いが通じたのか、錆びついた音を立てながらドアが開いた。
「すまない。キミの腹具合のことを、すっかり忘れていたよ」
「あ。お前は」
 やって来たのはロアルドだった。半開きのドアの隙間から体を滑り込ませ、後ろ手に閉めた。
「ヒトや悪魔以外で、キミ達が何を食べるのかわからなかったから。間に合わせで悪いが、好きなものを選んでくれ」
 そう言うと、いくつかの高級レーションをシエロに渡した。
「何だよ何だよ。さっきはびびって逃げやがったくせに。てか、レーション? これじゃ腹一杯にならねーっつの」
 シエロは不平を並べつつも、さっそく差し入れに手を付けた。まんざらでもない顔でぱくつく姿に、少し離れた壁に背をもたれたロアルドは、「やっぱり作り物には見えないな……」と溜息を吐いた。
「そのままで聞いてくれ。今さっき、サーフ君がローカパーラに来た。他に2人。ゲイル君と、アルジラ君も一緒だ」
「えっ、兄貴達いるの!?」
 食べる手を休めて思わず腰を浮かせたシエロを手で制し、ロアルドは続けた。
「彼らには先にカルマシティへ向かってもらった。キミの身の安全を保証する代わりに、我々の作戦に協力してもらうという名目で」
「……俺は人質、ってわけ」
「この件に関して、私に弁解の余地はない。既に彼らと、フレッドから散々非難されてきたところだ」
 ロアルドはサーフ達との交渉の顛末をかいつまんで話した。今度は、悪魔化実験の人身御供となった仲間を殺した事実も隠さずに。ロアルドの予想に反して、シエロは最後までおとなしく耳を傾けていた。
「なるほどねぇ。そりゃ、誰だって怒るよ。ちょっとでも懲りたんなら、そーゆー後ろ向きな姿勢を改めるこった」
「キミは、私を責めないのかい?」
「さっきまでそのつもりだったけど、やめとく。アルジラはともかく、あのゲイルがブチキレたんだろ。そのフレッドって子もさ。そんなにしょげてるあんたをこれ以上イジメたって、面白くも何ともねーよ。ま、俺が本気で怒ってたら、あんたなんかとっくにブッ飛ばされてるね」
 シエロは拳を振る真似をした。
「……そうか」
 覇気のなさは相変わらずだが、ロアルドは初めて会った時と比べてずいぶん落ち着いた様子でシエロと向かい合っている。よほど心境の変化を促すような何かがあったのだろうと、シエロは少しだけ胸がすく思いだった。
「シエロ君。こんなことをキミに訊くのは残酷極まりないと承知の上で、あえて質問させてほしい」
 改まった顔で、ロアルドが尋ねてくる。
「“喰らう”というのは、どんな気分なんだろうか」
「――は?」
 あまりに唐突な、それも安易に触れてほしくない話題にドキリとした。これでロアルドが真剣に訊いているのでなければ、本気で1発お見舞いしていたかもしれない。シエロはしどろもどろになって答えに窮した。
「どんな、って訊かれてもなぁ……別に好き好んで喰ってるわけじゃねーけど、喰わなきゃ腹が減るし、減ったら減ったで、こう、どうしようもなくガリッて行きたくなるっつーか……あああ、もう! 説明できっかそんなの。自分で悪魔になってみなきゃ、わかんねーって!」
「いや、それで十分だ。答えてくれてありがとう」
 ロアルドは礼を述べたが、どこかうわの空だ。興奮冷めやらぬシエロは更に突っ込んだ。
「あのなぁ、オッサン。反省したかと思ってちょっと大目に見りゃ、すぐそれかよ。何考えてんのかサッパリわかんねぇ。ニルヴァーナの人間なんか――」
「申し訳ない。頭を整理するので手一杯だった。私は、キミ達を怒らせてばかりだな」
「……う」
 項垂れるように頭を下げたロアルドに、急に毒気を抜かれたシエロは黙り込むしかなかった。
「……ずっと、考えていた。生き残るために誰かを殺し、その手でまた誰かを生かそうとする。そんな果てしない矛盾の中で、キミ達はどうして『誇り』を貫けるのだろうかと。どうして、そんなに真っ直ぐ前を向いて歩けるのだろう」
 耳の奥で、いまだ鳴り止まぬ銃声。自分を生かすために死んでいった親友の面影がちらつき、ロアルドは苦悩の色を滲ませた。
「そのように定義されたAIプログラムだからと言い切ってしまうのは簡単だが、ただのプログラムなら、決定的な矛盾が生じた時点で必ずハングアップする。なら、キミ達の胸にある想いは、我々以上に本物と言わざるを得ない」
「――俺なんか、ゲイルや兄貴みたいに頭良くねぇから。難しいことはわかんないけど」
 シエロは顔を上げ、とつとつと言葉を紡いだ。
「ぶっちゃけ、俺達ってマジで大バカヤローだと思う。自分のことだって怪しいのに、誰かのためとか、みんなのために必死こいて。たまに『あれっ、これひょっとして意味なくね?』って悩む時もあるけどさ。……ただ、やっぱ何もしないで後悔するぐらいなら、自分が正しいと思ったこと、とことんやりたいんだよ」
 ひたむきな空色の瞳が、ロアルドを見つめる。
「無駄とか、意味がないとか、そんなのやってみなきゃわかんないだろ」
 ロアルドは、目を伏せて苦笑した。
「キミ達を見ていると、本当に……自分の汚さや愚かさを、イヤというほど思い知らされる」
「はは、背負ってる覚悟が違ぇーよ」
「そうか。でも、これでようやく決心がついた」
「決心?」
 シエロの問いには答えず、ロアルドはドアノブに手を掛けた。
 その顔からはもはや、臆病者の影は消え失せていた。
「ここからキミを解放する。手間を掛けさせて悪かった。手間ついでと言っては何だが、キミとフレッドに、僕なりの“覚悟”ってヤツを見届けてもらいたくてね。構わないかな」

 ロアルドはアディルや仲間達の制止を振り切り、自らの体に悪魔化ウィルスを浴びた。
 ポッドの中から漏れる悲鳴とも雄叫びともつかぬロアルドの声に、フレッドが堪りかねて目を逸らす。シエロは、フレッドの頭を抱えるようにそっと引き寄せ、「ロアルドは覚悟を決めたんだ、ちゃんと見届けてやろうぜ」と優しく諭した。
 アートマの光がロアルドの左手から肩、全身へと次々に侵蝕し、そこに“ライトニングボルト”の悪魔――インドラが姿を現した時、フレッドはシエロを見上げ、不安げな顔で懇願した。
「シエロ……俺、ロアルドに散々酷いこと言ったけど、本当に嫌いになったわけじゃないんだよ。だから、頼むよ。ロアルドに……力を貸してやって」
 シエロは満面の笑みを浮かべて、親指を立てた。
「あったりまえだろ。任せとけ、ブラザー」
 1歩1歩の感触を確かめるように地面を踏み締めながら、インドラがゆっくりと2人の許に近付いてくる。
「どーよ、自分で悪魔になってみた感想は?」
「確かに……これは言葉では形容し切れないな。慣れが必要だが、必ずキミ達に追いついてみせるさ」
 くぐもり声の返事に、シエロは頷いた。
「っしゃ。それじゃ、行こうぜ。俺の――いーや。“俺達”の仲間のところに」

<終>


【後記】
当初の予定ではもっと放課後の高校生みたいなこっぱづかしい(本人達が)会話に終始するところでした。
ギャグ部分をバッサリ切り落としたハーリーな自分に大冷界。