| 死線
「伏せろ!」 前を走っていたゲイルが鋭く警告を発した。その場に踏み止まったゲイルの体が急速に悪魔化していく。シエロはゲイルの背中越しに、その向こう側から迫り来る閃光を見た。 「く……ッ!」 瞬間、耳を劈く轟音。凄まじい熱気が生肌を焦がす。在るもの全てを憎悪する衝撃波に身を屈めて堪えるのがやっとだった。 長い長い地獄の数秒間が通り過ぎた後、酷い耳鳴りを振り払ってシエロは目を開けた。 シエロのすぐ目の前に、ヴァーユの姿で背を向けて立つゲイルがいた。ゆっくりと閉じられた翅の傷付きように比べ、自分は特にこれといったダメージを受けていない。また、ゲイルに助けられたと知った。 (何やってんだよ俺……こんなんじゃダメだ) 小さく呟き、眉を曇らせる。シエロは、未熟な自分がいい加減苛立たしかった。 「ブービートラップか。迂闊だった。連中もそれなりに頭を使う」 他人事のように抑揚なく独りごち、ゲイルは右肩に手をやった。 「……! そんな……嘘だろ」 シエロは思わず息を呑んだ。 そこにあるはずの腕がなかった。ずたずたに裂かれた肉塊からとめどなく赤黒い血が垂れ落ちる。そんな状態にも拘らず、当のゲイルは至って冷静だった。 「うろたえるな。敵を斃すことのみに集中しろ」 爆発音を聞きつけて集まった敵兵が2人を取り囲んだ。シエロは焦燥に駆られる心を強引に捻じ伏せ、アートマの力を発動した。 一斉射撃で2人は別方向へ散り、銃弾の間隙を縫って敵兵の前に躍り出た。頭を失ったまま乱射し続ける死体を一方の集団へ蹴り飛ばし、悪魔に変じた残りの連中は、急旋回から手当たり次第に屠り、喰い散らかす。シエロはゲイルの腕を奪った敵が、何よりもその原因を作った自分自身が赦せなかった。 敵の第2陣を視認したゲイルが合図する。 「シエロ、一掃するぞ!」 ゲイルは逆巻く疾風を、シエロは空を震わす電撃を呼び寄せ、同時に放った。 「ザンダイン!」 「ジオダイン!」 ぶつかり合い相乗された2つのエネルギーが、更に強大な旋風と化して広範囲に襲い掛かる。暴威の風は無限の真空刃を生み出し、戦場の敵兵達を1人残らず呑み込み切り刻んだ。 「ハァッ……ハァッ……ゲイルの腕、吹っ飛ばしてくれたお返しだぜ……!」 シエロは空中で静止し、肩で息をしながら戦場を睥睨した。 屠るべき相手はもはやいない。 だが、戦闘の興奮が醒めかけたシエロが見たものは、数え切れない敵の屍に混じり、人形態で地面に倒れているゲイルの姿だった。 「ゲイル……ゲイルーッ!!」 驚愕が絶望感にすり替わっていく。シエロは着陸と同時に変身を解き、大慌てでゲイルの体を抱きかかえた。 「ゲイル! しっかりしてくれ……なぁ、ゲイルッ!」 大声で名前を呼び、頬を何度も叩く。 辛うじて息はあるものの、大量の血を失ったゲイルの顔は酷く蒼ざめ脂汗が滲んでいる。呼び掛けにも全く反応がない。このままでは時間の問題だった。 「ちくしょう……絶対、死なせねーからな……ッ!」 頼れるものは自分自身しかない。シエロはレッグバンドのストラップを外し、僅かばかり残ったゲイルの二の腕をきつく縛って止血すると、すぐさまゲイルを肩に担いで立ち上がった。 ――その時だった。 足元で動く何かの気配。体を強かに打ち付けられる衝撃を感じた。 斃したはずの敵兵が半身をもたげ、悪魔化した腕を翳している。その長い鉤爪の先は、シエロの腹に深く突き立てられていた。 (なっ……!?) 不吉な嗤いを残し、瀕死の敵兵は力尽きた。 シエロは呆然と死体を見下ろしながら、今しがた衝撃を受けた箇所を掌で押さえた。 指の隙間から生温かいものが染み出てくる。 途端に、焼け付くような痛みが押し寄せ、目の前がブラックアウトした。 「うぐッ……あ、あ……ッ!」 崩れ落ちそうになるのを必死で堪え、ずり下がったゲイルの体を引き寄せた。ここで膝をついている暇などない。ゲイルに比べればこんなもの、と歯を食い縛った。 「――……シエロ」 微かに意識が戻ったゲイルの声が聞こえる。 「……お前1人で、行け」 「イヤ、だッ。そんな……勝手な命令、知るか!」 ゲイルは担がれた腕を引っ込めようとしていた。シエロは首を振り、血塗れの手で固くゲイルの腕を握った。 「いつも、いつも、ゲイルに護られて……今度は、俺がゲイルを護るんだぁッ!!」 シエロは天を仰いで吼えた。力を振り絞ってもう一度ディアウスに変身し、戦場からふらりと飛び立った。 一刻も早く縄張りに戻りたかったが、力なく背中にしなだれるゲイルの体は、これ以上速度を上げれば今にも落ちてしまいそうだった。その上、気が狂いそうな激痛に心が削り取られていく。頭も翼も、体全体が痺れて重かった。 (……血、いっぱい出たんだろうな……やっぱダメなのかな、俺……) 自分が死ぬことよりも、ゲイルを死なせてしまうかもしれないことの方が恐ろしかった。 せめて仲間の誰かに気付いてもらえる場所まで。「必ずゲイルを連れて帰る」、その一心でシエロは飛び続けた。 やがて、シエロは縄張りの上空に辿り着いた。エンブリオンの旗が見えて、一気に力が抜けていく。変身を解かれながら、霞む意識の中でシエロは両腕を伸ばし、ゲイルの頭をかき抱いた。 (……ってきた……ゲイル、着いた……よ――) 地面に激突する寸前。空から滑り落ちた2人を、駆け込んだヴァルナが受け止めた。 シエロは自室のベッドで目を覚ました。 「――気が付いたか。ずいぶん長く眠っていた」 ぼんやりした頭に静かな声が届く。ベッド脇の壁にもたれかかったゲイルが、いつも通り“腕を組んで”自分を見下ろしていた。 「ゲイル……『長く』って、どれくらい……?」 「丸2日、およそ53時間だ。……俺の言うことは理解できているようだな、シエロ」 時間よりもっと重要なことを思い出し、シエロはあたふたと毛布から這い出した。 「あ、そ、そうじゃなくて! ゲイル、腕ッ、あと――」 ゲイルは右肩をぐるりと回してみせた。ちゃんと腕が生えている。体のどこにも異常はなさそうだった。 「見ての通りだ。ほぼゼロの状態から完全再生させるために、サーフ達の手をだいぶ煩わせたようだが」 「……あ、あぁ、ははは」 笑いたいような、泣きたいような。複雑な気持ちが入り混じった顔に手を当てて、シエロはベッドに突っ伏した。 「はは……良かったぁ……ほんとに……!」 枕を抱えて脱力するシエロに、ゲイルは「そもそもの鍛え方が違う」と、にべもなく言い放った。 ひとしきり安堵を味わった後、シエロはやにわに神妙な顔つきになってゲイルを見上げた。 「……ごめん、ゲイル」 「何故、謝る」 「だって。俺のせいで、あんな大ケガして。無理して戦って、死にそうになって。俺がもっとちゃんとしてれば、ゲイルをあんな目に遭わせなくて済んだのにさ……」 100万回謝っても足りないくらいだった。謝って済む問題ではないことも、よくわかっているつもりだ。 意気消沈するシエロを冷静に見つめながら、ゲイルは淡々と述べた。 「そうだな。緊急事態に遭遇した際の著しい判断力低下が、お前の弱点だ。戦場において、集中力の欠如は未知への適応を鈍らせ、次の行動を妨げる。以前にも言ったはずだが、お前の失敗を俺が必ずフォローできるとは限らん」 「うん……ほんとに、ごめん」 「――しかしながら。困難を乗り越えんとする意志の強さが、それを補って余りある」 「……えっ?」 ぎし、とベッドを軋ませて、シエロの隣に座る。 「お前は自分で宣言した通り、最後まで俺を護り抜いた。だから、俺は生きてここにいる。……お前と一緒に」 「……うん……」 本人は大真面目に言っている分、なおさらタチが悪い。シエロは照れ臭くて仕方がなかった。心の内を知ってか知らずか、ゲイルはシエロのほどけた髪を撫で、「よくやった」と付け足したのだった。 <終> 【後記】 |