| ゲイルの逆転裁判 〜逆転の暴食〜 【前編】
【PM 9:38 エンブリオンアジト・作戦室にて】 「作戦を提示する。これを見ろ、サーフ」 ゲイルはホログラフ投影機のスイッチを操作した。ジャンクヤード全域図に光のラインが走り、スワディスターナ方面が拡大表示される。その上に、見慣れた元アサインメンツアジトの擬似模型が立体的に描き出された。 ゲイルとサーフは作戦会議の真っ最中だった。排除しても排除しても次々に現れ、隙あらば領地を乗っ取ろうと爪を研ぐニュービー共を迎撃するにあたって、2人の意見は微妙に割れていた。 「――以上の点を踏まえ、あえてスワディスターナの守りを緩める。ここに連中を誘い込めば、損害は最小限に食い止められるだろう」 「いや、守備部隊の再編制が先決だ。最小だろうが最大だろうが、犠牲を出していることに変わりはないよ」 「お前の主義を汲むに吝かではない。しかし――」 「待て、ゲイル」 ゲイルが言い終わらないうちに、サーフは手で制しながら入り口の方を見やった。 ドアの向こう側から、ぎゃあぎゃあ喚く声と荒々しい足音が聞こえてくる。その喧しさに反して全く緊張感のない、しかも嫌と言うほど聞き覚えのある騒音だった。 「……訊くまでもないと思うが、あれは何の騒ぎだ」 ゲイルは眉間を指先で押さえて尋ねた。 「……ああ、うん。今日もまた派手にやってるね」 サーフは軽く首を傾げて答えた。 廊下の喧騒はますます大きくなる。作戦室のドアを激しく連打して、トラブルメイカーズの一方が情けない悲鳴を上げた。 「開けてぇーっ助けてぇええ! ヒートに殺されるうぅう!!」 2人は思わず顔を見合わせた。仕方なく、ゲイルがロックを解除すると、スライドドアが開き切るのを待たずにシエロが文字通り転がり込んできた。廊下側には、これでもかと言わんばかりに威圧的な空気を撒き散らすヒートと、狭い場所にわらわら集まった見物人達。取りも直さず会議中断である。 ゲイルは当事者2人だけでなく、そこにいる全員をジロリと見回した。 「お前達、何をしている。会議中は邪魔をするなと言ったはずだが」 1歩前に出たヒートが舌打ちする。 「あぁ? ここに逃げてきたのはシエロで、俺ぁあいつに用があるから追っかけてきたんだ。ちょうどいい。お前にも一言言っときてえ」 ヒートは怒りの矛先をゲイルに転じると、その表情の乏しい顔に指先を突き付けて気炎を吐いた。 「シエロをちゃんと教育しとけ。人のいねぇ間に、人の獲物に勝手に手ぇ付けるなってな。これで3度目だぞ、3度目! あのバカを甘やかすのもいい加減にしやがれ!」 「何の話だ」 「こいつはなぁ。俺の部屋にちょくちょく忍び込んじゃあ、獲物を盗み喰いしてやがんだよ。俺が何のために、わざわざ取っといてると思ってんだ」 頭を庇ってしゃがみ込んでいたシエロがすかさず反論した。 「だーかーらー! 俺がやったのは1回だけ、それもちょっとつまみ喰いしただけだって! 今日は違うっ、俺じゃない!」 「お前が口を挟むと、纏まる話も纏まらん。少し黙っていろ、シエロ」 ゲイルにまで睨まれ、シエロは縋るようにサーフを見上げた。どうフォローしてやれば丸く収まるものかと思案するサーフだったが、すぐに「おや?」と怪訝そうに眉を顰め、シエロの顔を覗き込んだ。 「……これ、血じゃないか?」 サーフはシエロの柔らかな頬を摘んで確かめた。左頬から口元、顎にかけて、擦れて乾いた血の跡がこびり付いている。腕をどかせてよく見てみれば、グローブやトライブスーツの胸元にも同様の赤黒い染みがあった。 シエロはおろおろと慌てふためいて弁解した。 「あ、あの、兄貴。違う、違うの。ヒートの部屋にあったタオルで顔拭いたら、こんなになっちゃったんだよ!」 「まだンなこと言ってんのか。テメェが盗み食いしたって証拠だろうが。それ以外の何だってんだ!」 顎を突き出してシエロをなじるヒートへ、ゲイルは冷ややかに言い放った。 「たかが喰い残し如きでこの騒ぎか。下らんにもほどがある。理解不能だ。確かにシエロならやりかねんが、どうせお前の思い違いであろう、ヒート。繰り返す、会議の邪魔をするな」 「ほおーぅ……?」 わざとらしく語尾を延ばして、赤い眼がスッと細められた。 「そうかい。そりゃ悪かった。じゃあ、遠慮なくシエロを連れてくぜ。どっちにしても俺の部屋を勝手に弄りゃどうなるか、徹底的に教えてやるイイ機会だ。――直接、“体に”な」 「……え゛?」 最後に付け加えられた一言にシエロが凍りつく。ゲイルは、したり顔で脇を通り抜けようとするヒートの襟首を掴んだ。 「待て、そこの歩く危険物」 「あぁ? 何だ。そっちの言い分だと、俺とシエロがこっから出ていきさえすりゃいいってことじゃねぇか。好きなだけ会議でも何でも続けてろ。お前も俺の邪魔をすんな」 「シエロに危害を加えてもいいとは言っていない。要はシエロの無実を立証すれば、問題ないな」 2人は再び、真正面から対峙した。 「『無実』だと? ハッ。いい度胸だ。やれるもんなら、やってみやがれ。今夜中……そう、12時までだ。それまでにあいつの無実を証明できなきゃ、俺の好きにさせてもらうぜ」 「良かろう。その条件、しかと呑んだ」 「え、あ、ちょっ、待ってゲイル!? 『良かろう』じゃねぇぇーッ! ナニ変な約束してんだよ!!」 作戦室の外まで響き渡る、我に返ったシエロの半オクターブ高いブーイング。しかしゲイルはあくまでも冷静に、シエロを見据えながら告げるのだった。 「――お前は『やっていない』のだろう? なら、俺はお前の言葉を信じよう」 【PM 9:56 ヒートの私室にて】 シエロの身はひとまずサーフが預かることになった。 タイムリミットまであと2時間に迫っている。ヒートの部屋にやって来たゲイルは、さっそく現場検証を開始した。 部屋に足を踏み入れた瞬間から、嗅ぎ慣れてしまった感のある独特の鉄臭さを感じていた。この生々しい臭気の発生源は一目瞭然だ。隅の方の床が踏み荒らされた血で派手に汚れ、喰いかけの肉塊も転がっている。足跡はドアの辺りまで続いていた。 (オンモラキ、か。また単独でスワディスターナへ行ったな) 肉塊に辛うじて残った悪魔の特徴を認め、けしからん、と片眉を上げた。 ゲイルは屈み込み、床の血痕を観察した。まともに踏んだ足で歩き回られたせいで見た目こそ大仰だが、実質的にはそれほどの量というわけでもなさそうだった。 最も濃い部分はある一点を中心に血飛沫が拡散し、そこから擦れ伸びて、例の肉塊の真下で再び小さな血溜まりを作っている。 (まず、肉塊は高い位置から、ほぼ垂直に落下した。その後、あの位置までスライドした。おそらくは何者かが、躓いて蹴飛ばしでもしたのだろう) 肉塊が落下した場面を想定し、指で宙をなぞってシミュレートする。挙げた手をデスクの縁に引っ掛け、ゲイルは思考を巡らせた。 (……ここからではあり得ん。高さも足りんし、落下地点から離れ過ぎている) そうなると、やはり誰かの手から落ちたということになる。 次にゲイルは、足跡に目を向けた。当然ながら大小2種類存在する。念のため、比較的鮮明に残ったサンプルの隣に自分の足を並べて、おおよそのサイズを測ってみた。 大きい方は自分と同程度で、推定28センチ。ヒートのものだろうか。 小さい方は、推定24センチ。概算の誤差を考慮すると、シエロの靴のサイズと一致する。 しかし、どちらもおおよそのサイズが一致するというだけで、確実に彼らのものだという保証はない。支給された靴の、ましてや靴底など――所有者が後から特殊な仕様を施していない限り――誰のものも同じデザインである以上、この中に他の人間の足跡が混ざっていない、とは言い切れなかった。 何より、シエロ本人がこの部屋に侵入したと、最初から認めているのだ。 (足跡は参考にしかならんな……) 心許ない気分を振り払うように、ゲイルは立ち上がった。 デスクの上には、血に染まってまだら模様になったタオルが丸めて置かれていた。ほとんど乾いていたが、まだ多少湿っぽい部分に触れた指が赤く色付いた。 シエロがこの部屋にいた時刻には、今よりもっと血が付きやすい状態だったはずだ。 だが、いくらシエロが細かい事柄に神経を使うタイプではないと言っても、こんなあからさまに血にまみれたタオルで顔を拭きたがるほど無頓着だとは思えない。 (シエロの口ぶりでは、実際に使うまでタオルが汚れていたとは知らなかったらしいな。……何故だ?) 部屋中をざっと見回してみたが、他に該当する品物は見当たらなかった。 ゲイルは1つ、今日初めて気付いたことがあった。この部屋は“あの”ヒートの私室に係わらず、意外と整理整頓がなされている。部屋全体がこざっぱりとしている分、床の血糊や肉塊が一際異様に映った。 おそろしく使用感の薄いサーフの私室には遠く及ばないが、私室だか廃棄物集積場だかわからない様相を呈するシエロの部屋や、そのシエロに侵蝕されつつある自分の部屋と比べれば、かなり望ましい生活環境と評価できる。 「……ふむ。俺の忠告を無視してたびたびここへ訪れるなら、少しはヒートを見習ったらどうだ」 つい、いつもの調子で小言が口を衝いて出た。 中途半端に開いていたデスクの引き出しを何の気なしに閉めようとして、直前で思い止まった。案の定、この引き出しだけ血の付いた手で触った形跡がある。鼻先を突っ込むように覗き込み、中身を確認した。銃器の細かな予備パーツと工具類が乱雑に入っていた。六角レンチがつっかえ棒よろしく斜めに引っ掛かっているのが見える。そのせいで、引き出しは押しても引いても動かなかった。 ゲイルは一旦デスクから離れ、足元の血痕を凝視しながら、後ろ向きで部屋の中央まで戻った。 (現時点では大きくシエロに不利な状況だ。覆すには、“シエロには盗み喰いを実行するのが不可能”だったという、決定的な証拠を見つけ出さねばなるまい。あの2人を直接問い質してからでは、時間的に間に合わんだろう。今ここで可能な限りの情報を集めておきたいが……俺の見落としていることはないか) その時、熟考するゲイルの背後――部屋の入り口から、誰かがひょいと顔を覗かせた。 【PM 10:25 同所にて】 「――あら。本当にやってる。シエロのことになると、ホント熱心よね」 さり気なくゲイルを揶揄する声。アルジラだ。 「見ない方がいいわよ、セラ。部屋の中、物凄いことになってるんだから」 邪魔が入られては困るのだが、2人を追い返すために使う僅かな時間すら惜しい。ゲイルは無視を決め込んでいた。 「ねぇ、ゲイル。忙しいとこ悪いんだけど、ちょっといいかしら。――さっきの停電のことで」 「……停電、だと?」 「そうよ。まさか、知らなかったなんて言わないでしょうね。一度ちゃんと点検しておかないと、イザって時に危ないんじゃない?」 その、まさかだ。突然反応を示したゲイルは、アルジラが驚いて思わず後ずさりするほど距離を詰めて問い返した。 「停電はいつ起こった」 「な、何よ……ええっと。9時頃じゃなかった?」 「9時半、だったと思う」 横からセラが訂正した。 「9時半か。その時間は、俺とサーフは作戦室で会議の最中だった。しかし、停電など1度も起こらなかった」 「そう言えば、そうだったわね。それじゃ気が付かなくても仕方ないか」 アルジラは口に手を当てて、困惑気味に答えた。 「停電したの、こっちの居住エリアだけだったみたい」 「なるほど。作戦室があるメインエリアは、こことは別の電力系統で稼動していたな」 「もう、非常電源まで落ちるなんて思わなかった。どこも真っ暗だし、ドアも開かないのよ。私達は悪魔に変身すればいいかもしれないけど。セラが変な場所に閉じ込められたんじゃなくて、ホント良かった」 単純な話だけに盲点だった。電気が通っていなければ、アジト内は目の前で悪魔に口を開かれてもわからぬほどの暗闇に包まれてしまう。その上、大半のドアは重い金属の塊と化す。完全に閉まった状態のドアを人が手動で抉じ開けるのは、容易なことではないだろう。 ゲイルは眉を顰めた。アルジラの言葉に、何か重要な手掛かりを掴んだような気がした。 「停電が発生してから復帰するまで、どれくらいの時間を要した」 「さぁ……セラ、覚えてる?」 急に話を振られたセラは、まごつきながらも2度、3度と頷いた。 「う、うん……あんまり自信ないけど、思い出してみる。あの時は、シャワールームにいたの。9時に部屋を出て……お湯を止めた途端にいきなり真っ暗になっちゃったから……停電したのは9時20分か、25分ね。中でじっとしてたら、アルジラが声を掛けてくれて。それからすぐ灯りが点いたわ。そんなに長い時間じゃなかった。10分間ぐらいかな」 「だそうよ、ゲイル」 ゲイルは顎に指先を置いた。 シエロとヒートが作戦室に駆け込んできたのが、9時40分頃。 停電が発生したのが、9時20分ないし25分頃。 復帰まで、およそ10分間。 シエロがタオルの血に気付かなかったのは、まず室内が真っ暗だったせいだ。 停電の最中、シエロは何らかの目的でここに侵入した。荒らされた引き出しから推測して、シエロは階下の配電室に行くために、工具や照明を探していたのではないか? すぐ隣にある俺やシエロの部屋ではなく、ヒートの部屋を選んだのは、おそらく……。 やがて電力が回復する。ヒートがどのタイミングで戻ってきたにしろ、室内の惨状と、そこにいた前科持ちのシエロを直結させたことは想像に難くない。当然、2人は口論となる。 直情的なヒートとシエロの口論は瞬く間にこじれ、そして、あの騒ぎとなった。 「……ちょっと、ゲイル。自分の世界に入り込んでないで、何とか言いなさいよね」 「ア、アルジラってば。迷惑になっちゃうから、もう帰ろうよ」 今日はよく邪魔の入る日だ。ゲイルは女性陣に背を向け、床の足跡を見やった。 小さい方の足跡が、血溜まりから部屋を横切って廊下側へと向かっている。逃げるシエロと、追うヒート。激昂するヒートに迫られ、シエロは相当焦っていたことだろう。 ……“逃げる”? ゲイルはハッとなって顔を上げた。 踵を返し、ドア付近の天井に近い壁を見上げた。ドア枠に深く刻まれた真新しい傷を発見した瞬間、ゲイルの仮説は確信へと変わっていった。 「――そうか。逆だ。『不可能』ではなく、『可能』なことを考えるべきだったのか」 決定打となり得る物的証拠が存在しないのなら、矛盾に満ちたロジックから人的証拠を引き出してやれば良い。 エンブリオンの参謀たる俺を欺けると思うな。 「アルジラ。それから、セラもだ。今から俺と一緒に作戦室へ行って、停電が発生した当時の話を、もう一度皆の前で話せ。いいな」 呆気に取られている2人に向かって、ゲイルは毅然と命令した。 【後編】に続く→ 【後記】 |