一緒に風呂に入る話。いやらしさは全くなし。






あわあわ



 唐突に週末合宿が決まった。大切な試合を控えているわけでもないのに突然のスケジュール発表で、部員の誰もが怪訝な顔をして跡部くんを見ていた。
 合宿となればいつも専用の施設だったり資金を投じて人を雇うので私の出番はなく、学校に残って残りの部員の部活をサポートをするのが私の役割だ。今回もそうなることが当たり前だと思っていた私はみんなが疲れた表情を滲ませる中、一人部室の掃除を終えて鞄を握る。
 そんな私を呼び止めたのは他でもない跡部くんで、振り返るといつもより三割増しで嬉しそうに微笑む日向くんと目が合った。






 合宿当日、私は集合場所であるテニス部部室前にレギュラーメンバーと一緒に立っていた。合宿に参加したくないわけではないが何か嫌な予感がするというか、どうしても気乗りさせない何かを感じているのが本音だ。
 点呼を終えた私達はぞろぞろとバスに向かって歩き始めた。部員はこんなことはある程度慣れっこなので合宿が発表されたときのような重苦しい雰囲気はほとんど感じられず、宍戸くんや慈郎くんはむしろテンションが高いくらいだ。一人テンションが上がりきらない私を見て忍足くんが「跡部がおるからえぇとこ泊まれるで」とフォローをしてくれる。
 忍足くんの言葉を信じて3時間程バスに揺られて到着したのは、どう見てもごくごく普通の外観の、むしろ少し古さの目立つ建物だった。
 バスを降りた瞬間小さな声で忍足くんが「おかしいなぁ」と呟いたのが聞こえて、今回私が合宿に同行することになった理由や、何故か気乗りしなかった理由が飲み込むことができた。同時に、今回の合宿が私にとってそれなりにハードなものになるであろうことも。

 それぞれ部屋に荷物を運んでからは部員はいつも通り練習、私はそれぞれの部員の部屋の準備や練習のサポートなど、考えることが増えててんやわんやだった。食事のことだけは何も考えなくてよかったのが唯一の救いだ。
 部員が練習を終えたころには当たり前に私もへとへとで、みんなの荷物があちこちに転がっている大部屋の和室の一角で横になった。


 「オイ、大丈夫か?」
 「……なんとか」
 「今のうちにお前も風呂に入っておけよ」


 テニスをしていない私は畳の上で死にかけているのに跡部くんが普段と変わらない様子で声をかけてくる。体力やその他諸々の違いを痛感しつつ、バキバキの身体を起こしながら彼が仁王立ちする部屋の入口の奥を覗いた。


 「あれ、みんなは?」
 「大浴場に行った」
 「大浴場?」
 「そやで、大浴場や」


 跡部くん以外誰もいないと思っていたところにひょっこりと顔を覗かせたのは忍足くんだ。彼もいつもと変わらない様子で自分の鞄を何やら漁っている。


 「まさか大浴場しかないってことはないよね?」
 「そんなことないやろけど広い風呂のがえぇやん」
 「でもみんながいつ入り終わるかわからないし……」
 「混浴するわけにもいかんしな」


 ハハハと忍足くんの笑い声だけが部屋に響いた。私も跡部くんも無表情で忍足くんを見つめるものだから、いたたまれなくなったのか彼は着替えやタオルを準備し終えると逃げるように部屋を後にする。


 「とりあえず風呂には入っとけ。ここの部屋に備え付けのがある」
 「よかった、じゃあ私はそこ使うね」


 跡部くんの背中を見送ってから鞄の中からジャージやタオルなど必要なものを準備した。女子一人一緒の大部屋を使うわけにもいかないので私は隣の小部屋を使うことになってはいるものの、その部屋の鍵がまだ渡されていないらしくとりあえず荷物は一緒に大部屋に置いてある。本来ならお風呂もそっちの小部屋に備え付けられてあるものを使うべきだけど、他のみんなは大浴場を使っているしその辺りは跡部くんが気を利かせてくれているだろう。
 時間を気にするならシャワーで済ませたほうがいい、けれども疲れをとるために温かいお湯にゆっくり浸かりたい気持ちが勝った。湯船にお湯をはるべく風呂場へと向かった私は、そこで不思議なものを目にする。


 「……慈郎くん?」
 「んー?」


 風呂場にいたのは慈郎くんだった。服を着たまま浴槽を覗いていた慈郎くんがにこにこ顔でこちらを振り返る。


 「何してるの?」
 「お湯加減みてるんだよー」
 「……何で?」
 「俺、ここで遊ぶから!」


 慈郎くんの手には入浴剤みたいなものが握られていた。私の視線に気付いたのか家から持ってきたんだよと、慈郎くんは続ける。


 「大浴場は?」
 「泡のお風呂で遊ぶから今日はいいや」


 どうにか言って説得しようと思った瞬間、慈郎くんは勢いよく入浴剤を湯船に流しいれた。シャワーを手に取ると手慣れた様子で出力を最大にして入浴剤の入った湯船に向ける。もこもこの泡が姿を現したのを見て慈郎くんは目を輝かせた。あんな表情の彼を見ると何も言うことができず、私がシャワーで済ませれば事は全て納まるんだと自分に言い聞かせる。


 「ちゃんは何してるの?」
 「え、私?」
 「大浴場は?」


 当たり前のように聞かれたけれども男だらけの大浴場を想像して血の気が引いた。同時に慈郎くんは私があの面子と一緒に大浴場を利用することに何の疑問も抱かないのか不思議だ。
 入浴剤を使ってしまったのだから慈郎くんがこのお風呂を使うのは仕方がないとして、私が大浴場を利用するわけにもいかないので、彼には申し訳ないけれど先に風呂場を使わせてもらえないか交渉してみることにした。シャワーを使ってなるべくはやく終わらせるから、と控えめにお願いすれば慈郎くんも話のわからない人ではないはずだ。


 「ふーん。じゃ、ちゃんも一緒にお風呂入ろうよ」
 「今何て!?」
 「一緒に入ろうよ!あわあわ楽しーよ!」


 にっこりと微笑まれながらの予想の斜め上を行く回答に変な声が出た。下心があるように見えない相手なのでなんとなく断りにくいというか、断るのが可哀想な気持ちになってしまう。上機嫌で浴槽の中にアヒル入れ始めた慈郎くんは間違いなくお風呂を楽しもうとしていた。


 「でも……慈郎くんの邪魔じゃない?」
 「全然!ちゃんと一緒がいい!」
 「え、うん……」
 「やった!あともう少しで準備終わるからねー」


 こんな可愛い男の子にちゃんと一緒がいい!だなんて言われて、思わずうんと返事をしてしまった私を見ても慈郎くんは相変わらずにこにこしている。とうとう断れない雰囲気になってしまった。
 これはもういろんな意味で覚悟を決めるしかないと自分を奮い立たせ大きめのタオルを探しに風呂場を出る。風呂場から出たとき、俺先に入ってるねーと叫ぶ慈郎くんの声が聞こえた。



* * *



 「慈郎くん……」
 「うんー」


 正直言うと声をかけるのをかなり迷ったのが本音だ。中に入ってしまえばもう引き返すことは難しくなると思うし、状況的な意味だけではなく私と慈郎くんとの関係性も引き返せなくなると思った。普通に考えて恋人同士でもなんでもない中学生の男女が一緒に入浴するだなんて、理解されるとは考えにくい。
 慈郎くんに声をかけてはみたものの続く言葉が出てこなかった。胸元のタオルを握りしめて立ち尽くす。


 「ちゃん?」
 「……うん」
 「早く入らないと風邪ひくよ?」
 「……そうだね」


 完全に慈郎くんに負けた。純粋無垢な慈郎くんの雰囲気とか押しとか優しさとか、そういったもの全てに負けた私は喉元まで出かかっていた謝罪の言葉を飲み込んで同意を伝える。
 意を決して風呂場の扉を開けると湯船の中には既に慈郎くんがいて、アヒルを泡風呂の中に沈ませている最中だった。彼がこちらを気にする素振りすらないことに安心したような落胆したような複雑な気持ちになる自分がよくわからない。
 その後風呂場に一歩足を踏み入れた私の気配を察してかアヒルで遊んでいた彼が一瞬私を見たものの、特に何の反応もないまま視線はアヒルに戻った。
 一歩一歩床を踏みしめるようにして湯船に近付いてからかけ湯をする。女は度胸だ!とばかりに、湯船の中に足を入れた。


 「狭くない?」
 「大丈夫」


 備え付けの湯船は見た目よりも大きさがあったらしく、お互いの身体がぶつからない程度には距離をとれる大きさだ。泡が水面を覆っているので慈郎くんがどんな格好で座っているのかはわからないけれど、私はとにかく身体がぶつからないようにと、足を折り曲げてできるだけ小さくなることに努める。


 「ちゃんにも貸してあげるね」
 「ありがとう」
 「ちゃんと一緒にお風呂なんて嬉しいなぁ~、女の子と一緒にお風呂なんて初めてだし!」
 「……そうだよね」


 私にアヒルを一つ手渡しながら話す慈郎くんは本当に嬉しそうに見えた。女子とお風呂に入るのは初めてであるという台詞は少し意味深だけれど、そう頻繁に経験されていても返す言葉に困るのでひとまず安心する。
 しばらくアヒルで一緒に遊んでお互いに顔がびしょ濡れになったところで、私は身体を洗いたい旨を伝えた。


 「先に慈郎くん洗う?」
 「俺はまだいいや。ちゃん先に洗っていいよ」


 できれば先に洗ってそのまま風呂場から出て欲しかったけれどそう上手くはいかないようで、慈郎くんはアヒルを両手に洗い場とは反対の方を向く。アヒルの頭上にホイップのようにした泡を乗せながら慈郎くんは続けた。


 「俺絶対そっち見ないからね!」
 「……本当に?信じるよ?」
 「信じて!でも喋るのはいいよね?」


 先程の台詞といい今回の台詞といい慈郎くんは立派に私のことを女子として認識している。と言うことは自分の性別も異性であるということもちゃんと理解しているということで、呆気にとられたような気持ちと羞恥心が今更込み上げてきた。慈郎くんだけは違うと彼のことを特別視していたけれど、当たり前のように彼は中学生だったし男の子だった。

 髪の毛を洗いながら慈郎くんが話す今日の出来事に耳を傾ける。
 鳳くんがランニング中に転倒しそうになったこと、宍戸くんが忘れ物をして怒られたこと、久しぶりに跡部くんと試合ができて嬉しかったこと、無邪気に笑いながら慈郎くんがいろいろな報告をしてくれた。
 湿気を含んで普段よりも少し長くなった髪の毛をつまみながら、慈郎くんが小さく息をつく。


 「いつもこうだといいのにな」
 「合宿?」
 「うん。ちゃんも一緒だといいのにね」


 後ろを向いている慈郎くんの表情は見えなかった。



 こちらの準備が整ったら声を掛けると言い残してから脱衣所に出た私は、身体を拭いて服を身に着け髪の毛を拭きながら扉の向こう側で身体を洗っているであろう慈郎くんのことを考えていた。
 人懐っこくて子供っぽいところがある彼だけど、勢いや思いつきなんかで考えなしに混浴に誘ったのではない気がする。だからと言って計画的だったとか悪意のある方向で彼を疑うわけではなく、とてつもなく気を遣われたというか優しく接してもらったように感じた。


 「?」
 「うん?」
 「おーいたいた、開けるぜ?」


 控えめなノックの後に声をかけてきた宍戸くんは脱衣所の扉を少しだけ開けて様子を伺う。ジャージ姿で髪の毛を拭いていた私と目があうと、溜め息を吐きながら一気に扉を全開にした。


 「ジロー知らねぇか?アイツ、こっちで見あたらなくてよ」
 「探したんですけど見つからなくて。迷子になってないといいんですけど……」


 宍戸くんの後ろから長身の鳳くんが心配そうな顔を覗かせる。まずい、と思った。すぐにでも風呂場の慈郎くんに声をかけに行きたかったけれど、宍戸くんと鳳くんの目の前で声をかけるわけにもいかない。かと言って後で私と一緒にお風呂に入ったと慈郎くんに口にされると変な誤解を生んでしまいそうでそれも困る。


 「慈郎くんなら今お風呂入ってるよ」
 「ここでか?」
 「そう、丁度入れ違いみたいな感じになって……」


 咄嗟に嘘を吐いた。慈郎くんへの口止めは後でなんとかするしかない。
 どうして大浴場に来なかったんでしょうねと特に気にしていない様子の鳳くんとは対照的に、宍戸くんは腑に落ちないのか何か考える素振りで黙り込んでしまった。


 「お前らそこで何してんだ?」
 「芥川先輩を探してたんです。こっちのお風呂使ってるみたいですよ」


 跡部くんと忍足くん、跡部くんについてきた樺地くんも増えて急に賑やかになる脱衣所。なるべく今は慈郎くんと顔を合わせて欲しくないので、こんなところに溜まられると困るとみんなをせっついて脱衣所から追い出そうと試みる。


 「ちゃん俺もう出るよーっていうかもう出てるけど!」
 「慈郎くん!?」
 「ジロー……」


 あまりにも急な慈郎くんの登場だったけれど反射的に目を背けた。みんなが呆れたような反応をしているので嫌な予想は的中してるようだ。私以外の全員が私を通り越して全裸で立っているであろう慈郎くんを見てからかっている。


 「なんでジロー大浴場来んかったん?広くてまぁまぁよかったで」
 「俺泡風呂したかったし」
 「そーかよ」
 「それにちゃんも一緒だったし!お風呂超楽しかったねー!また一緒に入ろーね!」
 「「「は???」」」


 お風呂上がりだというのにダラダラと嫌な汗が噴き出た。慈郎くんの爆弾発言をみんなが聞き逃すはずがなく、彼に向けられていた視線は一瞬にして私に集中する。


 「オイ、お前今何て言った?」
 「えー?お風呂楽しかったね?」


 跡部の問いに慈郎くんはけろりとした表情で答え、パンツ一枚の格好で豪快に髪の毛を拭き始めた。少量の水気が飛び散るのが不快なのか、跡部くんが顔を顰めながら腕を突き出して慈郎くんを遠ざける。


 「お前大丈夫だったのかよ?」
 「みんなが思ってるようなことは何も……」
 「芥川先輩に限ってそんなこと……ですよね?」
 「ジロー、お前本当に何もしてねぇだろーな?」


 本気で心配してくれている宍戸くんが相変わらず髪の毛を拭いている慈郎くんを覗き込むようにして言うと、慈郎くんは先程とは違って少し拗ねているような、怒ったような表情で顔を背けた。


 「俺ちゃんが嫌がるようなことしないよ」
 「嫌がるっつーかなんつーか」
 「ちゃんは女の子だってちゃんとわかってるよ?」


 タオルと髪の毛の隙間から片目だけ覗かせた慈郎くんがまっすぐ宍戸くんを見据えて答える。宍戸くんは面食らったのか小さく言い返しはしたものの、だんだんと尻すぼみになっていく言葉は慈郎くんが髪の毛をわしゃわしゃとする音にかき消された。それ以降黙り込んでしまった二人に脱衣所の外で話し込んでいた他のみんなが気付くことはない。


 「言い忘れていたが夕食の前にミーティングだ。お前のせいで予定が大幅に狂っただろうが」


 髪の毛を拭いてジャージに袖を通したばかりの慈郎くんに跡部くんがデコピンをお見舞いした。額を抑えながら苦しむ慈郎くんをよそに他のみんなはぞろぞろと部屋から出て行く。跡部くんが慈郎くんの首根っこを掴んで部屋から出ていくと数分前が嘘のように部屋の中が静まり返った。


 「また後でね」
 「!」


 跡部くんに引きずられていった慈郎くんが一瞬だけ顔を覗かせてウインクしたのもつかの間、廊下から痛ぇ!と叫ぶ慈郎くんの声と跡部くんが叱る声、笑うみんなの声が聞こえて、私は呼吸するのを忘れていたかのように大きく息を吐きだす。心臓がうるさいのは急に慈郎くんが戻ってきて声をかけてきたのに驚いたからに違いない。













あとがき

修正前と修正後でストーリーも慈郎のキャラもごっそり変わりました。
慈郎独特の語尾の「C」はややこしくなるので封印しました…。
2021.12.28 大幅加筆修正