気まずい場面に遭遇してしまう夢主のお話。






さっきのアレ



 静まり返った事務室にはキーボードを打つ音と時計の秒針の音だけが響いている。あともう少しと思い続けてもう2時間が経った。他の人にお疲れ様でしたと何度挨拶を返しただろうと考えたけど、途中で数えるのも面倒くさくなったのはもっと2時間よりももっと前だ。
 後藤さんが無理するなよと一言添えて入れてくれたコーヒーの最後の一口を飲み干し、それと同時くらいにエンターキーを押す。その音がやたらと部屋に響いたような気がして、誰もいないのに私は後ろを振り返った。やっぱり誰もいない。
 時計を見ると夜11時になろうとしていて、どれだけ集中してたんだと驚いた。お腹がすいたしはやくお風呂に入りたい。パソコンの電源を落とし少しデスクの上を整理してから荷物をまとめた。
 事務室の電気を消して廊下に出ると事務室の中よりしんとしていて私は自然と唾を飲み込む。こういうシュチュエーションは苦手だ。ヒールの音がカツカツうるさいし、何もいないのに何かの気配を感じる気もするし、頭がおかしくなりそうになる。

 さっさとクラブハウスから出てしまおうと意気込みながら歩いていたところでふと一つの部屋から光が漏れてるのが見えた。それは照明の明かりではなくテレビが放っているであろう鈍い光の類で、そこでようやく私はこのクラブハウスに達海さんが住んでいることを思い出す。あの光を見るまで私はすっかり達海さんの存在を忘れていたのに、ここに人間がまだいるのだと思うとそれだけで気分が楽になった。
 テレビを見ているのか敵の試合のDVDを見ているのか何をしているのかわかるはずもなかったけど、声をかけて帰るべきか迷う。邪魔するのは悪いとしてもあんなにヒールの音が響いてたら部屋で一人でいる達海さんにバレていてもおかしくなかった。存在がバレているのに黙って帰るのも失礼だと思いながら、ヒールの音をたてないようにそろそろと歩く。
 どうしようかと悩んでいるともう達海さんの部屋の前まで来てしまって、私はとうとう部屋の前で立ち止まった。相変わらずちらちらと光が揺らめいている。達海さんのことだし邪魔するななんて怒ったりはしないだろうと、挨拶をすることに決めた私はドアノブを握った。


 「達海さんお疲れ様です!」
 「へ?」


 挨拶をすることに頭がいっぱいでノックするの忘れたまま勢いよくドアを開けてしまったことを後悔したもののもう遅い。少し声が裏返りながらも挨拶をすると、ノックをしなかったせいか達海さんはすごく気の抜けた声を出した。
 しかしその後すぐに達海さんの反応の理由はノックを忘れてたのだけが原因ではないことを知る。
 達海さんを通り越して視界に入ってきたのはテレビ番組でも敵の試合でもDVDでもなく、何やら怪しげな場面が映し出されたテレビ画面。直後に聞こえたのは鼻にかかったような甲高い女性の声で、一瞬で空気が凍ったような気がした。


 「あ、あの……」
 「……」


 流れるような動作で停止ボタンを押した達海さんのおかげで部屋は静寂に包まれる。女性の声が響き渡るよりは沈黙のほうが何倍もマシだとはわかっていても、こうなってしまった原因は全て私にあるので現在進行形で気まずさはかなりあった。


 「す、すすすすみません」
 「邪魔すんなよー。せっかくいいトコだったのに」
 「別に悪気はなかったんですけど」
 「悪気があったら酷い話だよ」
 「私、帰ります!本当に邪魔してすみませんでした!」
 「ちょい待ち」


 達海さんの第一声はいつもと変わりなく、怒っているのか呆れているのか何とも思っていないのかわからない。
 私は平謝りするしかできないのでとにかく頭を下げ続け、気まずさから帰宅する旨を伝えてみるものの達海さんに待ったをかけられてしまった。


 「ちょっと反省会しようか」
 「!」


 反省会という言葉が重くのしかかる。達海さんが現状怒っているように見えないのが余計に怖かった。
 「中おいでよ」と言われて入口に立ち尽くしていた私は仕方なく部屋の中に入る。真っ暗だったので電気もつけた。


 「ごめん、ちょっと後ろ向いてて」
 「ほ、本当に申し訳ありません!」
 「今こっち振り向いたら罪が重くなるぞー」


 何となく達海さんの状況を把握したので再び謝りながら大人しく後ろを向いて指示を待つ。入室を許可された私はおずおずとパンプスを脱いでから身体を小さくさせるしかなかった。


 「適当に座りなよ」
 「はい……」


 部屋の中は如何にも男性の部屋っぽく適度に荒れている。いつも着ているジャケットはハンガーに掛けられていたものの衣類やその他の物が散乱していて、そんなこと考えている場合ではないのに視界に入ってきた。


 「さてと。反省会始めようか」
 「はい……」
 「早速だけど最近さ、頑張りすぎじゃない?」
 「え?」


 私のマナーだとか勤務態度に関する厳しいお言葉を覚悟していただけに思わず聞き返してしまう。
 正座をしている私の前に胡坐をかいた達海さんは人差し指でビシっとこちらを差した。


 「ほらー、クマできてる!」
 「うっ……」
 「ちゃんと寝てんのかー?」
 「寝てます、多分……」
 「そんなんじゃ可愛い顔が台無しだぞ」


 私を指差していた右手がそのまま伸びてきて私の頭に乗せられる。自然と下を向く形になったので仕方なく視線だけで達海さんを見るといつも選手を見守っているときのような表情で私を見下ろしていた。 
 その後も達海さんが怒っている様子は全くなく、監督のことを支えなければいけない側なのにも関わらず逆に心配されていたり気にかけてくれていることが伝わってきて感動と申し訳なさが押し寄せてくる。


 「すみません……気をつけます」
 「仕事熱心なのは悪いことじゃないよ。でも今日もさっきまで仕事してたんだろ?」
 「してました……」
 「たまには息抜きもしろよー?」
 「はい……」


 何て優しい人なんだろう。ものすごい立場の人なのに壁を作らずに気さくで、それでいて直接そこまで関わることのない私みたいな人間のことも気にかけてくれているだなんて、達海さんがみんなから愛される理由がわかった気がした。


 「あ、それともう一つ」
 「……なんでしょうか」
 「俺がさっき見てたアレだけどさー」


 達海さんに感動と尊敬の気持ちを抱いていたところで現実に引き戻されて再び背筋が伸びる。
 私が普段いくら頑張っていようとそれを認めてくれていようと今回の件は全くの別件なので、これに関しては平謝りを再開するしかなかった。


 「ちゃんとノックしてくれたら消したのに」
 「ハイ、私が悪いです」
 「びっくりした?」
 「正直驚きました……本物は見たことなかったので」
 「じゃあ今から一緒に見ようか」
 「え?」


 咄嗟にリモコンを持って再生ボタンを押そうとしている達海さんの手を掴む。


 「ちょ、達海さんどういうつもりですか!」
 「どういうつもりって……息抜き?」
 「これでですか!?」
 「そう固いこと言わずにさ。一緒に見ようよー」
 「私もう帰るんでお一人でゆっくりどうぞ!」
 「えーつまんないー」


 先程の頼れる上司オーラ全開だった達海さんからは信じられない一緒にAV見ようという謎の勧誘。冗談だと思いたいけれど、もしかして私は達海さんに女だと思われていない……?


 「反省会のシメってことでさ。ニヒー」
 「いやいやいやシメれてないですから!」
 「じゃあが相手してくれんの?俺いろんな意味でもう我慢できないんだけど」
 「!?か、帰ります!お疲れ様です!」


 数秒前の疑問は即座に撤回されたもののどこからどこまでが本気なのか全くわからなかった。
 選手を見守るような達海さんはここにはおらず、男の顔をした達海さんが後ろにいる。それをプレッシャーに感じつつ魅力として感じてしまった自分もいて、とにかくこの場からは退散したほうが良さそうだと入口に向かった。


 「さっきのアレさー」
 「……」
 「だけにはあの場面見られたくなかったよ」
 「えっ」


 振り向いた瞬間腕を掴まれて至近距離で見つめあう形になる。先程の反省会の時も同じくらいの距離で話していたのに二人を取り巻く雰囲気はまるで違っていた。


 「もう12時近いしさ、一人で帰らすの嫌だからここいろよ」
 「でも……」
 「何もしないよ。ちゃんと我慢するからさ」


 達海さんはゆっくりと手を離してからDVDデッキをいじりだし、新しいDVDと取り替えてからリモコンの再生ボタンを押す。テレビ画面に映ったのは東京ヴィクトリーの試合の映像で、達海さんはテレビの前に座ってそのまま動かなくなった。


 「……今度達海さんおすすめのやつ一緒に観ましょう。ああいうやつじゃなくて……映画とか」
 「!……うん、わかった」
 「今日は私も一緒に試合見ます……!」


 回れ右をしてテレビ前の達海さんの横に座る。達海さんが優しく頭を撫でてくるのでゆっくり彼に視線を向けてみるものの、彼は決して試合の映像から目を離そうとはしなかった。達海さんはどうかわからないけど、私はこんな状態で試合に集中できるわけがない。













あとがき

このDVDを丹波さん辺りから借りてたら面白いのになっていうのは完璧な妄想

2022/02/06 大幅加筆修正