*純愛タワー 04*
私は何食わぬ顔で椿くんと一緒にその場から立ち去る権利を得た。
猛くん何か気が付いたのかな、表情がいつもよりも寂しそうだった気がする。
椿は俺のライバルだなんて言い出すから、一瞬私たちのことを知っているのかと思った。
でも実際は連絡を取り合う関係だということに少しヤキモチをやいていただけみたいで…私はこんなにも猛くんに大切にされているのに、どうしてそれだけで満足できなかったんだろう。
しかも全く猛くんに関係のない人じゃなくて、私が選んでしまった相手は椿くん…椿くんのことは本当に好き。
でも、好きだからこそ、猛くんの共通の知り合いだからこそ…巻き込んではいけなかったんじゃないだろうか。
「何か猛くんに聞かれた?」
「いえ、何も…」
みんなから少し離れたところで椿くんに話しかけると、椿くんは小さな声でそう言った。
椿くんが不安な思いをしているのが嫌でも伝わってくる、私はこれからどうするべきなんだろう。
「そっか…。猛くん、気が付いてるかな?」
「俺には分かりません…。そんな素振りを監督は見せないけど、監督すごく勘がいいから…」
「もしかしたら気付いてるかもしれないね」
「ど、どうしてさんはそんなにも…普通でいられるんですか」
椿くんの声がクラブハウスの中に響く。
それまで外に散っていた私たちの会話は建物の中で反響し、先ほどよりもはっきりとお互いの耳に届いてきた。
椿くんは声が思っていたよりも大きく響いたことに驚いたのか、咄嗟に両手で自分の口を塞ぐ。
その行動が可愛くておかしくて、私は思わず笑ってしまった。
「椿くん、もう出てしまったものは戻せないよ」
「わ、わかってます」
私が笑いながら言うと、椿くんは顔を赤くしながら塞いでいた手を下した。
「俺は不思議です…どうして、さんは笑ってられるんっすか…」
俺はどうなってもいい、でもこのことが監督に気付かれてしまったらさんはどうなるんですかと、椿くんが真剣は表情で聞いてくる。
正直に言うと、私は私自身のことはどうでもよかった。
猛くんが許してくれるのなら、私はこのことが気付かれた後も猛くんの傍にいたい。
猛くんのことは愛しているし、傍にいてほしい存在だから。
許さないと言われたのなら、その時は私は猛くんの元を去るしかない。
でも椿くんはそうはいかない。
試合にも影響が出てくるだろうし、チームメイトとの関係もある。猛くんとの関係だけでは終わらない。
椿くんには失うものが多すぎる。
「ごめんね、椿くんのこと…巻き込むべきじゃなかった」
「さんはずるいっす…!そうやってまた一人で抱え込むんすか!」
言ってからクラブハウスの中だということを思い出して、椿くんは目を泳がせた。
でもその後私に向けられた視線は真剣なもので、私は言いたかった言葉を飲み込んでしまう。
「さん俺に言いましたよね、隙間を埋めてほしいって。俺、俺ができることならなんでもしたいって、思いました。だからこの前だって…。その後も不安で不安でたまりませんでした。でもさんは何もなかったみたいに、そのままで…。なかったことにしたかったんスか!だから謝るんスか!」
「違うよ…なかったことになんてできない…椿くんの気持ちを知ってしまったから」
「だったら…」
「でも、じゃあ猛くんに気付かれないように怯えればいいの!?怯えていればずっとこの関係は続くの!?」
「…ッ!」
「ごめんね椿くん、大人げないよね私…」
もう後戻りはできない。だから、前に進むしかない。
この前のことは紛れもない事実で、椿くんと私はそういう関係になってしまった。
きっとこれから先はあんな風に身体を重ねることはないけれど、一度の行為をなかったことにすることはできない。
だから、私たちはそれを事実と認めたうえで隠して生きていくしかない。
椿くんは私の心の隙間を埋めてくれると言った。私はそれが嬉しくて彼に縋った。
私は椿くんに心の浮気をしている…猛くんの妻である事実があるにも関わらず、椿くんと恋人のような関係で彼に縋ろうとしている。
私の一方通行ならすぐに終わらせることができた。でも、椿くんは私のことを好きだと言ってくれた。
今ここでこの関係を終わりにさせたら、私は椿くんの好意を踏みにじることになるだろう。
あくまでこれは、お互いのための不倫。
心の隙間を埋めたい私と、私のことを好きだと言ってくれる椿くんのための不倫。
「こうなるって、わかってたのにね」
誰も幸せになんてなれない。
私も椿くんも、この事実を知っても知らなくても猛くんだって…。
帰ろうと私はクラブハウスの玄関へと向かう。
こんな気持ちのまま椿くんを一人猛くんのところへ返すのは気が引けたけど、これだけはどうしても避けられない。
私が椿くんにさよならを言おうと振り返ると、腕を引っ張られて抱き寄せられた。
「不安になったりして、すみませんでした」
「椿くん?」
「さんが寂しくないように…寂しくなくなるまでは俺、さんと一緒にいます。だから」
それまでの時間を俺に下さい。
椿くんに言われて涙が頬を伝うのがわかった。
「さんのことがもし好きじゃなくても、俺同じことしてると思うっス」
「え…?」
「さんの寂しげな顔、見てられない、ですから…」
ぎゅっと腕に力を籠められて、私はここがクラブハウスの玄関だということを忘れてしまうくらいだった。
私が寂しくなくなるまで。
いつになるかわからないけれど、椿くんが定めた期限。
その期限のことを考えながら、私は椿くんと別れた。
まるで別れを惜しむ恋人のように、何度も振り返りながらゆっくりと、クラブハウスを後にした。
あとがき
タッツミーもかわいそうだけど、同じくらい椿くんもかわいそう。
2012.03.13