王様の仰せのままに 05


 俺がさんのことをみんなに話したことをきっかけに、彼女のことは瞬く間にチーム内に広まって「少し変わった若くて地味な新入事務員」としてちょっとした有名人になった。
 俺が最初に話した若手は次の日には彼女に会い、宣言通りに「さんおはよう」と名前付きで挨拶をして振り向いてもらったらしい。案の定オドオドされたとロッカールームで何故か自慢げに話をしていた。別にそんなことはどうでもいい。あいつが有名人になろうとちやほやされようと、どうでもよかった。

 実際はちやほやというより興味本位というか、下心があって彼女に話しかけているのではないということくらい理解しているつもりだ。ただ人の好みなんてのはわからないもので、彼女のことをちょっといいかもしれないなんていい始める奴も数人出てきたりする。いつも眼鏡だし、その眼鏡だってたまにずり落ちててそのままへらへら笑ってるし、と思えばめちゃくちゃ目線をきょろきょろさせてビビってることもあるのに?ああいうのが好きな奴もいるのかと内心思いながらも、そんなことは口に出さず聞こえないふりをした。確かに悪い奴じゃないとは思う。話しかけられてオドオドしている姿はここ数日目にするけど、怒ったり不機嫌な様子は見たことがなかった。
 俺が思うに小さい頃から目立つような存在ではなくて大人しくて、今みたいに男にからかわれたりすることもなかったのかもしれない。きっと女がたくさんいる職場だったらここまで有名人にもならなかったんだろう。でも、あまり人の出入りが激しい職場でない上に若い女が少ない職場だし、さんの扱いに関してはこうなっても仕方ない気もした。



 朝から何を考えているんだと自分に呆れながら、自宅からクラブハウスまでの道のりを車で走った。駐車場に車を停め、少し歩いてから車の中にスマホを忘れてきたのに気付いて、慌てて車まで引き返す。焦る必要はないし急ぐ理由もない。時間にはたっぷり余裕があった。

 今日はいつもより20分早く家を出た。今日は会えるかなんて何で俺までこんなこと期待してるのかわからないけれど、とりあえず自主トレをしたくて早めに家を出たわけではないのは事実だ。
 あんなにさんのことが噂になるのにはもう一つ理由があって、彼女はいつ出現するかわからないことで有名だった。決まった通勤ルートと通勤時間があるはずなのに、さんが花壇の前にいる時間には全く法則性がない。俺も少し寝坊する日もあれば予定通りに家をでる日だってあるけれど、寝坊して会える日もあればいつも通りにここに来て会える日だってあった。ロッカーに入ったら最近では専ら、さんに会えたか会えなかったかという話で特に若手は持ちきりだ。彼女がちょっとしたラッキーみたいな扱いになってるのが正直おかしい。

 「おはよ」

 そうこうしている間にクラブハウスの玄関に着いて、顔を上げると見慣れた後姿が花壇の前にあった。俺はいつも通りに挨拶をする。気分で話しかけたりそのままスルーすることもあるけど、今日は意識的にゆっくり歩いてみた。

 「……」

 それなのにさんから何も返事はなく、じょうろをわきに置いてじっと花壇を見つめるばかりだ。まさか俺のことシカトしてんの……?
 少し離れたところから見下ろしてみても何も反応はない。腹が立ってきて、俺はいつの日か彼女の肩を叩いた時のように、静かに背後に近付いた。トントンと軽く、怪しまれないように優しめに肩を叩く。

「!?」
「何でシカトするわけ?馬鹿なの?」

 さんは何の警戒もせず振り向いて、見事に俺が突き出していた人差し指が彼女の頬に刺さった。俺が背後にいて驚いたのか、頬に刺さった人差し指に驚いたのかはわからないけれど、とりあえず彼女は目をまん丸にしている。声も出せず口がぽかんと開いていて、なんとも言えないアホ面だ。

 「びっくりしました」
 「見たらわかるし」
 「……何なんですかいきなり」
 「俺挨拶したのにシカトしたじゃん」
 「えっ、私無視しましたか?」
 「うん」
 「すみません、聞こえてませんでした」

 申し訳なさそうに彼女が眉尻を下げる。嘘を吐いているわけではなさそうだ。おはようございますといつものように丁寧に返され、俺もおはようともう一度挨拶した。

 「で、何してんの」
 「いえ、相変わらずこのプランターだけ芽が出てこないなって……」

 さんが指差した先には土しか入っていないプランターがあった。俺にとってはそんなプランターはどうでもいい。でもとりあえず話しを合わせるために「あー」と適当に相槌は打っておく。

 「何も植わってないんでしょうか」
 「さーね、俺が知るわけないじゃん」
 「ですよね」

 そういえば前にさんが話しかけていた花、あれは厳密に言うと花ではなくてこのプランターだったんだと今更ながら納得した。なんとなく彼女が寂しそうに笑ったように見えて、どう返そうかと考えてみる。

 「とりあえず水だけでもやっとけば?そんなに時間かからないんでしょ」
 「そうですよね」
 「もしかしたら芽がでるかもしれないし」
 「はい!」

 初めて嬉しそうにさんが笑ったのを見た気がした。笑っても特に可愛いとも感じない。ぎこちなく感じるしやっぱり地味だった。それでもこういう話は他の奴とはしないんだろうなと考え始めると、これも悪くないような気がしてくる。

 「最近いろんな人に話しかけられてるみたいじゃん」
 「誰がですか?」
 「君だよ馬鹿」

 私!?と驚いたように自分を指差しながら考え込んでいるさんを見て、さんなら許してくれそうだと俺は白状することにした。

 「この前急に持田さんじゃない選手の方に『さんおはよう』って言われてちょっとびっくりしました」
 「ふーん」
 「その後くらいから名前呼ばれたり、何してるのって聞かれることが増えて……見たまんまのことしかしてないんですけど」
 「あーそれね、この前ロッカーでさんのことが話題になっててさ」
 「えっ」
 「それでさ、いろいろ話しちゃった」
 「いろいろって何をですか……?」
 「新しくここに入った事務の人だとか、いろいろ」
 「なるほど……」

 花に話しかけていたこともバラしてしまったことだけは伏せておいた。城西さんがみんなに「そのことだけは触れてやるな」と注意していたのを、俺も守ったわけだ。

 「あんまりここさんみたいに若い人入ってこないからさ、みんな珍しいんだよ」
 「あー……」

 思い当たるところがあるのか、さんは納得した様子で頷いた。意味深な反応だけどそこにはあえて触れず、俺はちょっとした冒険に出てみる。

 「さん、いつ暇?」
 「暇?え?どういう意味ですか?」
 「そのまんまじゃん。時間とか曜日とかさ」
 「だったらいつも暇です。仕事してる時間以外ですけど」
 「あっそ。じゃあ今日は?」
 「今日?仕事終わった後は暇です」
 「何時に仕事終わんの?」
 「定時だったら18時です。残業があったら伸びますけど」
 「ふーん。じゃあ今日は残業しないでよ」
 「何でですか?」
 「飯行きたいから」
 「ご飯?」
 「そ、ご飯」
 「持田さんが?」
 「さんも一緒に」
 「私も?一緒に?」
 「そう。一緒に飯行こ」
 「……いいですけど」

 さっきとは違って煮え切らない表情でさんは頷いた。理由がないと一緒に行きたくないってか。

 「一人で飯食いに行くの嫌だから、付き合ってよ」
 「私が一緒に行って大丈夫なんですか?」
 「大丈夫じゃなかったら誘わないじゃん」
 「あ、そっか」

 そこでようやく納得したのか、やっといつもの表情に戻った。先程のやり取りもだけど、少しは察したりできないのだろうか。なんとなく予想はしていたものの、まさかここまで鈍いとは思わなかった。

 「18時15分に駐車場ね」
 「わかりました」
 「絶対残業すんなよ。残業になりそうになったら死ぬ気で仕事終わらせなよ」
 「は、はい」




























持田さんに「飯行こ」を言わせたかった話。
2016/08/23
2023/06/03 加筆修正