王様の仰せのままに 06


 仕事を死ぬ気で終わらせろと言い放った持田さんは満足気に花壇から立ち去った。我ながらとんでもない約束をしてしまった後悔と、どうしようという緊張で頭の中はごちゃごちゃだ。どうして私があの王様と夕飯を共にすることになったのか、さっぱりわからない。彼曰く「一人で食事に行くのが嫌」らしいけれど私では王様のお話相手なんて勤まると思えず、一緒に食事に行っても彼を楽しませる自信はなかった。
 だいたい男の人と食事なんて何年ぶりだろうか。男女複数でならよくあるけれど、二人きりでというのは両手で足りるくらいの回数しか経験がなかった。心なしか胃が痛み始めたところで、そもそも持田さんと二人でという前提に食い違いがあるのではと思い始める。他の方を数人誘ってくれている可能性を考えたものの、それはそれでものすごく緊張するので素直には喜べなかった。
 確かに、ここ最近持田さんの言うように名前の知らない選手に話しかけられることが増えた。でもその選手達とはほとんど会話はなく、あいさつ程度だ。ヴィクトリーの中で一番交流のある選手が持田さんで、その他の方は名前もほとんどわからない。そんな方々と一緒に食事となると何を話していいかわからないし、だいたい女1対男複数の食事会なんて未知の世界でしかなかった。
 みんな確かにいい人たちだと思う、フロントの方も選手の方もきさくでいい人たち、だからきっとこんな私の名前を覚えて挨拶してくれる。でもだからと言ってこれはこれ、相手がきさくな人たちだからと私もきさくに接することができるかはまた別だし、相手が多ければ多いほどコミュニケーションの難易度は上がる。
 とは言え、今更お誘いを断るようなことはできそうになかった。断るのならせめて事前に伝えなければ失礼だし、そうなると持田さんが事務室に来るわけがないので私が選手達の練習しているグラウンドに出向くことになる。仕事という正当な理由があるのならまだしも、私用でそんなことをする勇気があるはずなかった。

 「さん、ちーっす!」
 「お、おはようございます!」

 私が一人で頭を抱えていると、若そうな選手の方に挨拶された。名前を呼ばれて顔を上げないわけにもいかず、とりあえず振り向いて挨拶を返す。その選手はそのまま目の前を通り過ぎて行った。いくら不意打ちとは言え、挨拶されただけでもこんな状態だ。慣れていない人たちとの食事なんて、どんなことになってしまうのか見当もつかない。

 「朝から百面相だねー、さん」
 「えっ、あ……おはようございます」

 再び名前を呼ばれて振り返ると、そこには隣の席の同僚がいた。彼の登場に思わず安堵の溜め息が漏れる。それを見た同僚は少しだけ眉尻を下げて苦笑した。

 「朝から大人気だね」
 「人気じゃないです。ただみなさん私みたいなのが珍しいっていうか」
 「まあ確かに間違っちゃいないとは思うけど、そこまで言わなくたってさ」
 「さっき持田さんも言ってたので……」
 「持田さんもう来てるの!?珍しいこともあるもんだね」
 「珍しいんですか?私よく会ってお話ししますよ」
 「ふーん……。ねえ、今日あっちのグラウンドの方におつかいがあるんだけどさ」
 「はい」
 「さんも一緒に行かない?」
 「人手が必要ってことですか?」
 「ううん、全く」

 とんでもないことを言いだした彼の申し出に、私は全力で首を振った。

 「なんで嫌なの?」
 「選手がたくさんいる場所は緊張するので……」
 「選手の名前教えてあげるよ。最近よく話しかけられるんでしょ?相手の名前も覚えないとさ」
 「それはそうですけど……」
 「名前知らないのも失礼でしょ。よし、決まりね」

 「はやく事務室おいでよ」と言い残して彼は去って行く。確かに一方的に知られているだけで、相手の名前を知らないのは失礼だとは思っていたものの、なんだか強引に事を運ばれてしまった気がした。同僚の彼は持田さんとは違う意味で少々強引なようだ。

 とろとろとじょうろを片づけながらたまに挨拶をして、事務室に向かった。おつかいの事で再び気が滅入り始めていたところで、あることを思いついてしまう。このタイミングで仕事という正当な理由ができてしまったことに、世の中上手いことできているなと感心するしかなかった。


* * *


 「じゃあ行こうか」
 「はい」

 同僚が私を連れ出すのを見ても他の職員は嫌な顔一つせず、むしろ「いってらっしゃい、よろしく」と明るく送り出してくれる。彼の手にはファイルが握られていて、それこそが今回のおつかいの中身だった。不明な領収書や使用用途のわからない備品などのチェックを定期的に行っているらしく、たまにこうしてグラウンドに出向いて聞き取り調査するのだと説明を受ける。仕事内容の紹介なんてあてにならないもので、初日におじさんがにこやかに「ほとんどグラウンドのほうに行くような仕事なんてない」ようなことを言っていたけれど、何事にも例外はあるものだ。いずれ私にもこの仕事が回ってくるのかと思うと憂鬱な気分になった。



 「お疲れ様でーす!」
 「……お疲れ様です」

 元気よくグラウンドに入って行く同僚とは逆に、私は俯き加減で後に続いた。こんな調子で持田さんに話しかけることができるのか心配だ。とりあえず同僚にくっついて一緒にコーチ陣のところまで向かう。
 私たちの姿を見て選手達に休憩の号令をかけたコーチやその他のスタッフさんが出迎えてくれた。先程まで練習に集中していた選手達も少しだけ気を緩めている。そしてそんな彼らから痛い程視線を感じた。

 「紹介します、新しく入った経理事務担当のさんです」
 「はじめまして、です」
 「選手達がよく話題にしてるよ。朝花壇にいる子だよね?」
 「は、はい」
 「はっは、人気者だねぇ。まだ慣れないだろうけど仕事頑張ってね」
 「ありがとう、ございます」

 ははは、とその場で笑いが起こったものの、私は一緒に笑うどころかむしろ泣きそうになった。持田さんはみなさんに一体何の話をしたのか。恥ずかしくて黙り込んでていると、背後で足音がした。

 「監督、新しい経理事務の方です」
 「平泉だ、よろしく頼む」
 「はじめまして、と申します……!」

 監督と呼ばれたダンディな方が片手を出してくれて、そのまま流れで握手する。監督と言えば偉い人というイメージしかなく、緊張がピークに達した。おつかいと軽く言われていたので、まさか監督に挨拶することになるとは思わなかった。

 「忙しい時期になると、俺らも運営スタッフとして駆り出されるからね。みんなの顔を覚えてるほうがなにかとやりやすいよ」
 「……そうですよね」

 同僚がこっそり耳打ちしてきた言葉に、大きく頷く。面接や募集要項に載っていた「休日出勤あり」はこの事なのだろうなと今更理解した。初めての業界とは言え、知らないことばかりで発見が多い。

 「今度忙しいときはさんも連れて行くんで、よろしくお願いします」
 「よろしくお願い致します……!」
 「こちらこそよろしく頼むよ」
 「では俺たちはこれで。お邪魔してすみませんでした」
 「いやいや、こっちこそありがとうね、いつも来てもらって」

 終始和やかなムードのまま、監督、コーチ陣との顔合わせを兼ねたおつかいは無事に終えることができた。その一方で邪な気持ちがあったわけじゃないけれど、案の定持田さんに話しかけるタイミングはなかった。仮にタイミングがあったとしても、話しかける雰囲気ではなかっただろう。間違いを犯す前に気付けてよかった。

 グラウンドを去る前、改めて一礼してから一度だけ選手達を振り向くと持田さんがこっちを見ていて、どういうわけか目が合った。気付かなかったふりをしようかと迷ったものの、持田さんは視線を逸らしてくれない。明らかに目が合った状態のまま、私に向かって彼が何やら口パクしているのを目を細めて読み取ろうとする。

 あ う え ? あ お?

 口の形から母音を予想することしかできず、何が言いたいのかはさっぱりだ。私が小さく会釈すると持田さんは満足そうに笑ってから練習に戻って行った。



 「いい人たちだったでしょ?」
 「はい、とても」
 「みんないい歳だからしょうもないギャグ言ったり、持ちネタ披露してくるけど笑ってあげてね」
 「もちろんです」
 「…心配だなぁ。そう言えば、フィジカルコーチが新しく作って広めたがってるやつがあってさ」
 「どんなのですか?」
 「ウインクしながら『忘れんなよ!』って相手を指差す、意味わからないやつなんだけど」
 「!?あの、今のもう一回ゆっくりお願いします!」
 「え、もう一回?……『忘れんなよ!』」
 「これだ!」

 事務室への帰り道、コーチ陣の話で盛り上がっていたところに急にヒントが転がってきた。隣で彼の発した「忘れんなよ」の口の形が、先程の持田さんのとそっくりだったのだ。
 本当に持田さんが私に「忘れんなよ」と伝えようとしたのなら、今日の約束以外に心当たりはない。これはもう絶対に行かなければならないと、私は覚悟を決めた。




























同僚とコーチしか名前を呼んでくれない…
2016/08/24
2023/06/04 加筆修正