王様の仰せのままに 07


 絶対に仕事は終わらせろと言って別れたし、グラウンドに来たときは「忘れんなよ」と口パクで言ってやった。他の奴は俺とさんがそんなやり取りをしていたことなんて知るわけもなく、練習後の汗臭いロッカールームはグラウンドに現れた彼女の話で案の定盛り上がっている。

 「いつも花壇にいる人ってあの人だよな?」
 「やっぱ?」
 「俺顔初めてみたわ」
 「俺も俺も」
 「確かさん、だっけ?」

 こんな話で盛り上がってるこいつらは、まさか俺が今からそのさんと食事に行くなんて思っちゃいないだろう。当然だ、悪いけどどう考えても彼女は俺の好みじゃないし、ああいうタイプの人とはあまり話したこともなかった。
 さんを飯に誘ったのはここにいる奴らよりも彼女と関わりを持つためとか、そんなしょうもない優越感のためではない。ただなんとなく、さんのことが気になった。好きとかそういう意味じゃなくて、変だし、面白いからだ。後は何も咲いてないプランターの話を適当に切り上げようとしたときに、思ったより彼女が傷ついた顔をしたのにも少し罪悪感があった。あの後も普通に話してはくれたけど、一瞬さんが寂しそうに笑った顔が忘れられなかった。食事の半分はそのお詫び、あとの半分は面白いさんのネタを収集できたらいいかも、くらいの思いつきだ。
 さんのあの反応からして、俺をこういう風に仕向けている様子がないのも好感度が高かった。計算高い女は一緒にいても楽しくないけれど、きっとあの人はそういうことができるタイプではない。これで一緒に飯行って態度でも変われば即飽きるし、彼女のことなんてどうでもよくなるだろう。



 「待った?」
 「今来たところです」

 特に会話を続けることもなく、俺は人差し指でキーを回しながら一人で車へと向かった。その後ろをさんはそろそろと着いてくる。彼女が安心したように溜め息を漏らしながらゆっくりと息を整えているのがわかったけれど、あえてそこには突っ込まなかった。まだ待ち合わせ時間の5分前にも関わらず、この様子だと急いで走って来たに違いない。
 さんに時間を合わせたのでもう車はほとんど残っていなかった。知っている車は、俺の隣に駐車してある城西さんのくらいだ。そう言えばずっと前、今みたいに指でキーをくるくる回していたらキーがすっぽ抜けて、城西さんの車目掛けて飛んでったことがあった。そんな話をさんにすると、彼女は顔を強張らせて城西さんの車を何度も振り向いた。あれ、そこ笑うとこなんだけど?
 さんが車に辿り着いたのを見届けて、先に車に乗ってエンジンを回す。それなのにシートベルトを締めてもまださんが乗ってこず、窓越しに確認すると彼女は外で固まっていた。動き出す気配がまるでない。仕方なく助手席側の窓を開けながら突っ立ている彼女に声をかけた。

 「早く乗りなよ。置いてくよ?」
 「あの、私どこに乗ればいいですか?」
 「は?どこでもいいけど?空いてるし助手席乗れば?」
 「あー……助手席」

 数回頷いたさんは「失礼します」と言いながらドアを開け、遠慮がちにちょこんとシートに座る。シートベルトを締め、もぞもぞしながら先程よりも大きく息を吐いた。

 「まさか車酔うとか?」
 「いえ……男の人の車乗せてもらうの初めてで戸惑っちゃいました、すみません」
 「あ、そ」

 都会に住んでいれば車が必要なシーンは少ない。さんが今何歳かは知らないけれど、こんな線路だらけの場所に住んでいれば車を持ってる男と遊んだことがなくてもおかしくないかと、一人納得してから車を発進させた。


 クラブハウスを出て最近舗装された道を会話もなく走る。途中横目でさんを見てみても、彼女は真っ直ぐ前を見つめたまま、相変わらず緊張した様子で自分の鞄を抱きしめていた。そんな彼女を見ていると頭の中に急に懐かしいドナドナの音楽が流れてきて、失礼にも子牛とさんを重ねてしまった俺は静かな車内で吹き出した。たまに公共の場で見かける騒いでる人を怪訝な目で確認するお姉さんみたいな、少し怖めの形相で無言のまま彼女は俺の顔を窺う。

 「ギャハハ!俺さんをドナドナしたいわけじゃないんだけど!」
 「ど、ドナドナ?」
 「ドナドナ知らない?」
 「童謡、ですよね?」
 「そうそうあの子牛が……ヒャハハ!だめだ、あー……ドナドナはもういーや。あのさぁ、普通にリラックスしてくれたらいいから」
 「は、はぁ……」
 「なんなの?車乗ったことはあるよね?」
 「流石にありますよ!」
 「じゃあもっと普通にしなよ。別に寝てたっていいんだし」
 「寝る!?寝るなんてそんな」

 ここで信号が赤に変わって目の前のアウディが停車した。俺はチャンスとばかりにさんを肩を掴んで、無理矢理身体をシートに押し付ける。無防備だった彼女は軽く押しただけで先程よりも深くシートに沈み、ぎょっとした様子で俺を見た。勘違いすんな、変なことしねぇよ。

 「あんなガチガチだと俺が気になるじゃん」
 「だって、こんな高級車?乗ったことないですし……」
 「なんで高級車って思うの?」
 「……バンパーについてたのが、見たこともないロゴだったので」
 「ぶはっ!発想が面白すぎ!」
 「違うんですか?」
 「さぁねー、多分違わないんじゃない?」
 「緊張するなって言うほうが無理ですよ」
 「大丈夫だって、そこ座って化粧する奴とかもいるから」

 言ってからマズかったかと、目を泳がせてしまった。さんにそういう存在がバレようがバレまいがどうでもいいし、そもそも彼女には俺のプライベートなんて関係ない。でもこういう話題の冗談は彼女に通じない気がした。そしてきっと、上手くスルーすることもできず別の意味で心配を始める。

 「……本当に私と食事行って大丈夫なんですか?」

 概ね予想通りの返答に俺は左手で額を抑えた。どうしてこんなにも真面目なんだろう。城西さんと張るくらいには真面目で優等生だ。彼女は怒ってるとかそういうわけじゃなくて、ただ心配している。自分がこの車に乗ってもいいのか、俺の周囲にそれを嫌がる奴がいないのかを真剣に。こういう雰囲気になりたかったわけではない、俺の言葉選びが下手くそだった。

 信号がようやく青に変わって前のアウディがとろとろ発進する。普段は静かなエンジン音が車内でやけに大きく聞こえるのは、この沈黙が重すぎるせいだった。こんな時いつもなら適当にごまかす。ちょっと睨むなり笑うなりなんとでもなった。でもきっとそんな手はさんには通用しない。下手な嘘や冗談はまた今みたいに、彼女を心配させることになる。

 「あー……」
 「どうかしましたか?」
 「本当に気にしないでいいから。さんがそこに忘れ物したって気にする奴なんて誰もいないし」
 「持田さんが回収するからですか?」
 「ぶはっ!そーゆー流れ!?」

 真剣なさんの問いに俺はまた吹き出した。彼女がこの問題にどうしても白黒つけたいのだけはわかった。天然なのか馬鹿なのか、雰囲気も読まずに質問してくるのが可笑しい。

 「違いましたか?」
 「誰もこの車には乗せてないってことじゃん!今はそこで化粧する奴もいねぇし、あんまりチームのやつらも俺の車乗りたがらないし」

 「まあ乗せねーけど」と付け足すと、さんが高速で頷いて、それを見てまた吹き出した。




























この回でご飯が食べ終わる予定だったのですが、思いのほか車内で盛り上がった。
2016/08/25
2023/06/04 加筆修正