言われてから全てが一致した。
クラブハウスから近かったのも地下駐車場もコンシェルジュも荷物もエレベーターも鍵も全部。
持田さんのニヤニヤの理由もやっと理解できて、ここまでこないと気付かない自分の鈍さに呆れるしかなかった。
彼が何を考えているのか全くわからないけどここは間違いなく持田さんの自宅だ。



*王様の仰せのままに 10*



さんの料理楽しみだなー」
「私の料理……?」
「俺の一番くつろげる場所で俺は初めての料理を食べるんだよ」
「えええええ……」
「言ったじゃん俺、外では酒飲まないって」
「言いましたけど……」
「冷蔵庫の中大したもの入ってないから必要なものとか欲しいものは買ってきて。すぐ近くにスーパーあるから」


ごそごそしてから持田さんが私に黒い物体を放り投げた。
投げられたものは持田さんの財布で、かなりぺらぺらだ。
念のため了承を得てから中を拝見するとカードが数枚と諭吉様が5人はいらっしゃるご様子。


「支払カードでいいし適当にサインしといて」
「……突っ込まれませんかね」
「じゃあ暗証番号教えようか?」
「いやいやいや!だめです!」


暗証番号を教えるだなんてまたぶっ飛んだことを言ってくれた。
もし私がカードを悪用したらとか普通は考えるし、だいたいこのカードの色が私の持ってるそれとは違う。上限とかないやつなのでは……?
そんなカードを持ち歩くのも恐ろしい。私がひったくりにでもあったら……持田さんの財産が危ういだけじゃすまない。私が殺られる。
持田さんに着いてきてほしいと遠回しにお願いしたらもうここから動きたくないと言われてしまった。
立ち上がる気配どころか死体のようなポージングのまま動かない。


「あの、いろいろと怖いし心配なので諭吉様一枚お預かりしますね……?あとできっちりお釣り返しますから」
「……」
「寝ちゃったかな……?まあいいや、財布は置いて行こう」
「寝てないし」
「わああああああ!!!!」


寝ていたと思った死体が急に顔を上げたのでものすごい勢いで後ずさりをしてしまう。
持田さんはそれを見てまた大笑いをした。


「支払は好きにしなよ。あ、酒は買わなくていいから」
「わかりました……」
「一人だと退屈だから早く帰ってきて」
「頑張ります」
「ん」


持田さんは軽く右手を上げた後、再びクッションに埋もれる。今度こそ寝たかもしれない。
仕方がないので拝借した諭吉様を私の財布に大切に入れて、鞄に財布と鍵を突っ込む。
玄関に適当に脱ぎ散らかしたパンプスをはいてもう一度リビングのほうを窺ってみた。
正直面積が広すぎて玄関からリビングなんて全く見えなかったけど、人がいるような気配すらなくしんとしている。
オートロックなのか悩んだもののこれで何かあったらやっぱり私が殺されるので鍵は一応施錠した。



* * *



なんとかスーパーまで辿り着き買い物を済ませて本日三度目のエレベーターに乗る。
料理が得意なわけでもないのに冷蔵庫の物は何でも使っていいです!足りないものはスーパーで調達!健康と栄養を考えた食事を提供!という無茶ぶりには本当に困り果てた。
残念ながら私はアスリートが普段何を食べて生きているのか知らないんです。絶対面倒な食事制限とかしてるはず。
買い物しながらアスリートの奥様たちのブログを拝見し、メニューのヒントにしようとしたもののやたら品数が多くて大変そうだな、としか思えなかった。

ご飯を作る→王様のお口に合わずご立腹→どうすることもできない→ご機嫌斜め→私刑

これから起こるであろう展開に絶望しているとチーンという音と共に持田さまのお住まいのある階に到着。
スーパーの袋を片手にゆっくりと鍵を開錠した。
きれいにパンプスを揃えてからそろそろとお邪魔する。
音を立てないようにリビングの扉を開けてソファをのぞきこむと……持田さんの姿はなかった。


「おかえり」
「ヒィッ!」


突然後ろに現れた持田さんは珍しく私の反応を見ても大笑いしない。
パーカーにスウェット生地のズボン姿で登場した彼は眠たそうな顔をしていて、まだ寝ぼけているのかなと思った。


「遅かったじゃん」
「メニューに迷ったんです……持田さんが普段何食べてるかわからなかったので」
「別にいつも普通のもん食べてるじゃん」


そういう意味じゃないと突っ込みたかったけどははは、と笑ってごまかす。
この人食生活極端そうだなーと思いながらもそれを口にする勇気はなかった。


「ねーお腹すいたー」
「作ります!今から作りますから!」
「あ、そーだ服着替える?その服じゃダラダラできないじゃん?」


相変わらず急なことを言う持田さんが私の腕を掴んで歩き出したので私は素直について行く。
スーツが汚れたり皺になると困るからありがたい申し出ではあるんだけど私は断じてダラダラしたいわけではないし、ちゃっかり食事を用意させている持田さんの所為でダラダラできそうにもないと思った。
もちろん連れて行かれたのはクローゼットで、主にモノトーンの服で溢れかえっていた。後いろんなメーカーのジャージ。
持田さんは引き出しから適当にTシャツを引っ張り出して私に突き出した。


「これでかくなさそうだから着れば?」
「うわ、アルマーニですか!アルマーニ部屋着にしてるんですか!?」
「気にしないよそんなの」
「私は気になるんですけど……」
さん足短いからな、下あるかなー」
「持田さん聞こえてます」
「ぶはっ!ウケるー!」


私は結局アルマーニのTシャツとスウェットのズボンをお借りし、この家でくつろぐために存在してる人みたいな格好になる。
無防備と言われればそうかもしれないけど持田さんはそんなことは全く気にしてなさそうだった。
さっきから5分ごとに「ご飯まだー?」と聞いてくるだけで、後は静かにお笑い番組を見ている。
その光景がまた奇妙で、あんなによく笑う持田さんがお笑い番組を見て声ひとつあげないのが怖すぎた。
部屋にはお笑い芸人の笑い声と私が夕飯を準備する音だけがしていて、声を出すのも気まずい。
そんな持田さんを横目に超リラックスした服装の私が食卓に料理を並べ終え、恐る恐る彼に声をかけた。


「ご飯、できましたけど……」
「お腹すいた」
「お待たせしてすみません」
「お、和食じゃーん」
「あ、はい」
「なんかいっぱい種類あるね」
「まぁ品数は。お口にあうかわかりませんけど」


アスリートの奥様のブログを手本にしたとは言えず曖昧に笑っておいた。
得意なわけじゃないけど和食だったら栄養面はなんとなく間違いがないような気がして、もうこれしか思いつかなかったから許してほしい。
問題は、持田さんが和食が好きじゃなさそうっていうことだった。


「いただきます」
「ど、どうぞ」
「和食食うの久しぶりー」
「和食はお嫌いでしたか?」
「別に?フツー」
「そうですか……」
「……」
「どうですか?」
「まあフツーだね」
「よかったです」


今日一番緊張したけど自分の中の合格ラインはまずくなければオッケーだったので、とりあえず自分を褒めたい。
私もいただきますをして目の前の里芋の煮物を食べてみた。
自分は本番に強いタイプだったのか、と微妙な気持ちになる。
目の前で持田さんは部活帰りの男子みたいにご飯を口に詰め込んでいった。
食べている間は何もしゃべらない(しゃべれない)ので部屋の中は相変わらず静かだ。


「そんなに詰め込んで大丈夫ですか?」
「?」
「すみません、いいです。どうぞ食べてください」


何か?という顔をされたので大人しく引き下がった。
私もお腹が空いていたので久しぶりに自分のちゃんとした手料理を堪能する。
普段はもっと手抜きなのでここまで時間をかけて料理をしないし、一度にこんなにたくさんの品数を作ったのも初めてだった。
自分一人のために料理は面倒くさいけれど、こうして作ったものを食べてくれる人がいると作った甲斐もある。

食後は持田さんが有料チャンネルでブンデスリーグなるものを楽しんでいる間に私が後片付けをした。
最早私の扱いが客なのか家政婦なのかよくわからないけど、もうどうでもいいです。
サッカーを見ている持田さんは真剣な表情だけど、たまに「あー!」とか「それだよそれ!」とか「くっそ!」とか叫ぶから笑いそうになる。
お笑い見てたときとは大違いだった。
真剣に見ているからこそ声がかけられず、片づけが終わったあとは食卓テーブルのほうからソファに座っている持田さんを眺めているしかない。
ルールはよくわからないものの、この距離からでもそれなりの迫力を感じる大きさのテレビに今更ながら感動した。
あれでお笑い番組見るなんて贅沢すぎる。


「何してんの?」
「何ってほどでも……」


試合の途中なのに急に持田さんが立ち上がったので私も反射的に席を立つと、持田さんが眉間に皺を寄せながら尋ねてきた。
本当に理由はなくて、ただ私だけ座ってるのはおかしい気がしたから立ち上がっただけなので返答に困る。


「あー……片付けありがと」
「いえいえ……サッカー、面白いですか?」
「他に面白いテレビないし。さんもそんなとこいないでこっち座れば?」


断る理由もないのでソファに座ると彼はそのままキッチンへと消えて、一人そわそわしていたら手にグラスとお高そうなボトルを持って持田さんが戻ってきた。


「飲むの一か月ぶりくらいだわ」
「本当に飲まれないんですね」
「次の日がオフじゃないと嫌なんだよね、練習のときにボール蹴る感覚が違う気がするし」


この人プロだ!と当たり前のことにちょっと感動しつつ、私も用意しておいたおつまみをとりにいったんキッチンへ行く。
持田さんは機嫌がよさそうで、さっきまであんなにサッカーに熱中していたのに今は眼中にもなさそうだった。


「それはシャンパン……ですか?」
「そ。さんが下から運んできた段ボールの中身はコレ」


割れてなくてよかったねぇ?と持田さんは悪魔の笑みを浮かべる。


「持田さんと一緒にいると舌が肥えそうです」
「ぶふっ!別に俺舌肥えてないし。ただ好きなもん食ってるだけ」


持田さんは慣れた手つきでシャンパンをあけて、ダバダバと適当にグラスに注いでいった。
きっとこのシャンパンもお高いんだろうけどそんなことを微塵も感じさせない豪快な注ぎっぷり。


「今日飲むって前から決めてたけど、このタイミングで芽がでてよかったじゃん」
「め?」
「ばーか、さんずっと楽しみにしてたんじゃないの?」
「……あ!」
「はい、乾杯」


固まる私を尻目に持田さんは一方的にグラスをあててからさっさとお酒を飲み始めた。
私の手は震える。
芽は確かに今日でた。しかも今日に限って持田さんとそれを確認した。どれも偶然に過ぎない。
なのにそれを今話題に出すってそれ、持田さんずるくないですか?
内容はしょぼいかもしれないけどお祝いとか記念日とかそういう意味だよね?
持田さんに確認するなんてことはしなかった。彼は怒らないだろうけど、そんなのは私が恥ずかしくてできそうにない。
それでも嬉しかった。私だけが喜んでいるんじゃなくて持田さんがそれを覚えていてくれて、こうやって一緒に「よかったね」って言ってくれることがとても嬉しい。
ふふふ、と思わずはにかんでしまった。口にはできないけれど何だか幸せだなと思う。
ただ私たちがスウェット姿なことだけが全ての雰囲気をぶち壊していた。
























持田さんにアルマーニを部屋着にしてほしかっただけです


2016/08/28