*王様の仰せのままに 15*



昼休みに携帯を見ると持田さんから一言、「中華食べたい」とメールがあった。
今日は残業もなさそうなので「わかりました」と返信しておく。
この人昼間からもう夕飯のことを考えているのかなと思うとなんだか学生みたいでくすっと笑ってしまうけど、本人の前でこれを言うのは絶対にやめておこうと自分に言い聞かせた。



* * *



スーパーで夕飯の買い物を済ませた私は慣れた道を歩いて持田さんの家に向かった。
マンションに入るとコンシェルジュの方が私を見るけど、もう顔見知りみたいなものなので笑顔で会釈してくれる。
私も会釈してから持田さんの住む階のボタンを押した。


ちーんという音がしてエレベーターを降りると、普段は静かなフロアに人の声が響いていることに気付く。
このマンションに住んでいる人はみなさん品の良い方ばかりなので(そこに持田さんが含まれるかは別)、マンションで誰かが騒いでいるなんて場面には遭遇したことがなかった。
どこのお家なんだろう、ちょっと気まずいと思いながら持田さんの部屋に向かっていると、丁度持田さんの家の玄関の前に人が立っているのが見える。
この騒音の主が持田さんのお知り合いだなんて少し頭を抱えたくなりつつ、私は反射的に廊下の影に隠れて顔だけを出してこっそりと様子を伺った。
お前誰だよ、持田の知り合いか?なんて怖い絡まれ方をするのは御免なので、お客さんが帰るまでここで待つすることにする。
何を話しているのかははっきり聞こえないけれど、お客さんは怒っているようでだんだんと声のボリュームが大きくなっているような気がしてきた。
嫌だなぁ、と思って溜め息をついたその時、お客さんが「蓮!」と大声を上げたので反射的に私は顔をひっこめる。
廊下が暗くてよく見えなかったけど、相手が女性だということはよくわかった。
今出て行くと完全に修羅場に巻き込まれるので、私はこっそりと元来た道を戻ってエレベーターで下のエントランスへと向かう。


「あの、すみません」
「何か御用でしょうか?」
「持田さんちょっとお客さんが来ているようなので……あそこのソファで待たせてもらっても構いませんか?」
「もちろんです。どうぞ」


コンシェルジュの方が快く了承してくれたので、スーパーの袋を提げたこのマンションに似合わない風貌の私はソファで時間を潰させてもらうことにした。
ご丁寧にコーヒーが出てきて、なんだか声をかけたことでそれを催促したような形になってしまったような気がしてすみませんと何度も謝る。
コンシェルジュの方は頭を下げたあとその場を立ち去った。

持田さんのことを名前で呼ぶくらいだから、少なくともあのお客さんは持田さんと友達以上の関係だと思う。
何も考えず家まで行って玄関の前で女性と鉢合わせ、なんてことにならなくてよかったとコーヒーで一息つきながら胸を撫で下ろした。



* * *



しばらくしてから持田さんから電話が来て、私は迷いながらも通話ボタンを押す。


「もしもし?」
『今どこにいんの』
「えーと……」
『さっきさ、誰か俺の部屋の階で降りたんだけどまたすぐエレベーター乗ったみたいなんだよねぇ』
「うっ……」
『誰だったんだろうねー?小柄だったし女だと思うんだけど』
「……」
『あれ、さんでしょ』


完全にバレている……!
上手な言い訳も思いつかないのですみませんと白状するしかなかった。


『今どこいんの』
「下のエントランスです」
『じゃあ上がってきて』
「お客さんまだ帰ってないですよね?」
『俺腹減ってんだけど』
「持田さんのお客さんが帰った後じゃダメですか?」
『腹減りすぎて死んじゃってもいいの?さんの所為で俺死んじゃったら大変なことになるよ?』
「多分死なないので大丈夫だと思うんですけど……」
『いいからはやく上がってきて』


一方的に電話は切られて、私は途方に暮れるしかなかった。
これは非常にマズイことになった……でも、このまま帰るわけにもいかない。
私はコンシェルジュの方にご馳走様でしたと声をかけてから、渋々エレベーターのボタンを押した。



* * *



ちーんと音がして扉が開くと目の前に腕を組んで仁王立ちする持田さんが待ち構えていた。
私はそのまま「閉」ボタンを連打したい気持ちになったけど、持田さんの目が「はやく出てこい」と言っているのでそろりとエレベーターから降りる。
フロアは先ほどと違って静かだった。
でも持田さんの部屋の前に明らかに人影が見えて私の気持ちはげんなりする。


「私、知りませんよ……」
「何が」
「修羅場だったじゃないですか……!私の所為で持田さんの立場が悪くなっても……」
「いいからお腹空いた」
「ハイ」


持田さんがいつもの調子で言うもんだから返す言葉も見つからなかった。
私はとろとろと持田さんに着いて行き、徐々に彼女との距離が縮まっていく。
玄関の扉の前に着いたとき、ひしひしと視線を感じたけどあまり彼女のことを見ないようにしながら会釈するしかできなかった。


「入って」
「し、失礼します……」


私が彼女に「私たちそういう関係じゃないです」って言ったところで彼女は信じてくれないだろう。
だから最初から彼女に説明や弁解をするつもりはなかった。
私は促されるままに家に入り、靴を脱いで揃える。


「鍵返して」
「蓮……」
「このままだったらストーカー?不法侵入?とかで訴えるよ?」
「もう、わかったから!」
さーん」


私はさっさとリビングに引っ込みたかったのに持田さんが呼び止めるもんだから、無視するわけにもいかず既に半ばまでさしかかっていた廊下をUターンして仕方なく玄関に戻る羽目になった。


「なんですか?」
「コレあげる」
「え?」
さんにあげるって言ってんの」


私の手に落とされたのは彼女から返してもらいたてほやほやのこの家の鍵。
意味がよくわからないけれど私がここに来るまでに持田さんと彼女との間で何か取引があったのかもしれない。
私がここで変に首を突っ込んでまたごちゃごちゃするより、この場は黙って受け取って後で返したほうが話が早い気がした。
とりあえず礼を言って鍵を受け取り、私は夕飯の調理に取り掛かるべくその場を後にする。


「これでわかったでしょ。そういうことだから」
「……」
「じゃーね、さよーなら」


























高層マンションのあれこれを知らない人間だということがバレバレである。

2016/10/18