一方的に別れを告げてドアを閉めた後はチェーンもしておいた。
きっともうあの女に会うことはない。



*王様の仰せのままに 16*



リビングに戻るとさんが夕食の支度を始めているところだった。
ダイニングテーブルの上にはさっき返してもらった鍵が置かれている。


さんなんで着替えてないの」
「持田さんがお腹が空いて死にそうって言っていたので……」
「馬鹿、死ぬわけないじゃん。早く着替えてきなよ」
「そ、そうですか?」


さんは何か言いたそうな顔をしていたけど特に何も言わず、リビングを出て行った。
俺はその隙にテーブルの上に置いてあった鍵を掴んで彼女の鞄の中に入れる。
その後何食わぬ顔でソファに寝転がりながらテレビの電源を入れた。


「持田さん、脱衣所あんなことになってていいんですか?」
「何が?」
「毎回部屋着用意してくれているのはすごく有難いんですけど、脱衣所の一角に私の物が増えていってる気が……」
さんが置いて帰るからじゃん」
「持田さんが面倒だし置いて帰ればって言うから……」
「俺がいいって言ったならいいんじゃない?」
「……」


脱衣所の一角は確かにさん専用スペースみたいになっている。
さんに貸してる部屋着は洗ったらいつもそこに置いてるし、そこに彼女の洗顔やら風呂上りに使う化粧水が一緒にまとめて置いてあった。
大した量でもないし場所もとらないし俺は気にしていないけど、誰かが遊びに来てあれを見つけたら何か言われそうではある。
でもさんが何も言ってこないからそれ以上は俺も何もいわなかった。



* * *



テレビを見ながら腹減ったを10回くらい唱えてたら「我慢してください」「そんなにすぐ準備できないです」って毎回さんが違う返事をくれるから、見ているバラエティーよりもそっちのほうが面白くて何回か笑った。
30分くらいしたら食卓にリクエストした中華が並んで、本当に腹が減っていた俺は何も言わずにひたすら食べ物を口の中に入れていく。
さんはいつもみたいにテレビを見ながらゆっくり口を動かしていた。


「そういえば持田さん、ここに鍵置いてたの気付いてくれましたか?」
「ああ、あれね。ちゃんと片付けた」
「ならいいです」
「なくしたらころすから」
「どういう意味ですか?」
「別に?」


俺はちゃんと片付けた。さんの鞄の中に。
あの場では黙って鍵を受け取ってくれたけど、そのまま彼女がそれを自分の手元に置いておくとは思ってなかった。
鍵を突き返されることも予想してたけど今の反応を見る限り、俺の言った言葉の意味も案の定わかってもらえなかったみたい。
鍵が彼女の手に渡ればそれでいいんだけど、このまま引き下がるのは何か嫌だった。
さんに鍵を渡すってことの意味を分かって欲しくて何かいい方法がないか考えていたら、彼女がまた箸を止めて俺の顔を見る。


「持田さんも知ってると思いますけど、そろそろ残業増えるみたいです」
「えー何それ」
「何それって持田さんも知ってる通り、試合で忙しくなるんです。Jリーグ意外も試合が重なるみたいで」
「まあ知ってるけど」
「知らなかったら大問題ですけどね……」
「でもあれって経理関係なくない?」
「繁忙期はあっちのお仕事も手伝ってもらえたらって言われていたので手伝えることは手伝おうと思ってます。それに私こういうお手伝いは今回が初めてなんですけど、いつもよりヴィクトリーの運営に関わっているみたいでちょっと楽しみなんです」
「ふーん」
「普段は経理のお仕事が中心だしそれも大切な業務ですけど、試合に向けてのお手伝いって普段よりも持田さんと近いお仕事じゃないですか?」
「……まあね」


てっきり俺の飯なんて作りたくないって言いたいのかと思った。
最終的に俺と近い仕事ができるって言われるとそこんとこを突っ込む気も失せる。
でもそれを理由に今みたいな時間が減るのは喜べなかった。


「来てくれたサポーターに配ってる冊子、次の表紙は持田さんなんですよ」
「へー」
「真っ直ぐ前を見て走ってる写真です」
「撮られてる方は何もわかんないけどね」
「表紙はすごく真剣な表情なのに、中の写真で持田さん微笑してるんです。練習中に撮った写真で確かミドルシュート?決めたときのなんですよ」
「ふーん、よく知ってるね」
「私その撮影のときに偶然近くで見てたんです。練習とはいえシュート決めたあと微笑する持田さんってすごく風格があると言うか……。冊子を作るときに意見を聞かれたのでその写真が好きって言ったら採用されちゃって」


自分がどんな顔をしてプレーしているかなんて自覚はない。
撮影とかならともかく、練習や試合中を望遠レンズで撮ってるやつなんて尚更気付くはずもなかった。
でも俺が知らない間に練習見られてたこととか、その時に撮られた一枚をさんが気に入ってくれたとか、それ聞くだけですごく優越感。
できれば写真じゃなくて、被写体のほうを好きって言って欲しいんだけど。


「今持田さん、私が選んだ写真と同じ顔してますよ」
「ふーん」
「何か企んでるみたいで怖いのでやめてください」
「おい」


好きって言ったりやめろって言ったりどっちなんだよ。
無意識にそんなこと言うのやめろって言いたいけど、きっとさんにどういう意味ですか?って突っ込まれるからこれ以上は言わなかった。
何も言い返せない変わりにまた食べ物を黙々と口に詰め込んだら「そんなにお腹空いてるんですか」って笑われる。
何もわかってないって幸せな人だよね、本当に。


「それと、残業とは別で来週私連休いただきます」
「また急だね」
「連絡いただいても来れないので今言っておきますね」
「どっか行くの?」
「結婚式です」
「はぁ!?」
「友人の結婚式です、そんなに驚くようなことですか?」


さんの口から「結婚式」ってワードが出てきて思わず反応してしまった。
友達の結婚式なら最初からそう言えばいいじゃん、紛らわしい。
でも当たり前だけどさんの結婚式じゃないと知って少しほっとしたことも事実で……俺はもうちょっと冷静になったほうがいい。
彼女は俺のグラスにお茶を注ぎながら不思議そうな顔をしていた。


「繁忙期に連休なんて申し訳ないんですけど、会場が九州なんです」
「まあ仕方ないじゃん」
「戻ってきたら頑張って働きます」
「お土産買ってきてよ」
「もちろんです」


帰りは迎えに行けそうだけど行きはどうだろ、練習してる時間な気がする。
休みの日だったらいいけどあのへんオフないよなーなんて考えながらご馳走様をした。



20時少し前になって見ていたバラエティが終わったと同時にさんは片付けを始めた。
俺は席を立ってからさんの鞄をこっそり漁ってさっき自分で入れた鍵を探し出す。
鍵を見つけた後キッチンで食器を洗っているさんの背後に立った。
さんは俺に気付いてるのか気付いていないのか何も言ってこない。


さん、前向いてて」
「!?ちょっと、びっくりするじゃないですか!」
「馬鹿、前向いてろって言った瞬間後ろ向くなよ」
「す、すみません」


反射的に俺を振り向いたさんの顔を両手で挟んで前に向かせると肩が少し上がっていて緊張しているのがよくわかった。


「手止まってるよ」
「あの、今から何が起こるのか怖いんですけど」
「ぶはっ、大丈夫だって」


さんの反応を見てやっぱりまだ本心は言えないなと改めて思う。
普通の女ならこの状況絶対期待するだろ、それなのに何が起こるか怖いなんて本当にビビった声で言われたら告白どころじゃない。
さんの脚に俺の手が触れた瞬間、彼女はぴくりと体を動かした。
俺は鍵をスウェットの右ポケットに滑り込ませた後に大人しく手を引っ込める。


「何ですか?何入れたんですか?」
「さあね」
「変な生き物とかじゃないですよね?」
「ぶはっ!何言ってんの」


彼女は泡だらけの手を洗い、まずはポケットを上から恐る恐る触った。
それだけではわからなかったのか、ポケットに手を入れる。
ほぼ同時くらいに俺は両手でさんの両肩を握った。
またさんの身体が跳ねて、俺は彼女の身長に合わせるように少し体を屈ませる。


「びっくりした?」
「いろいろびっくりしすぎて、どこから突っ込んだらいいのかわかりません」
「とりあえずそれ、なくしたらころすから」
「……まさか、これ!」


言ってからさんは勢いよく振り向いたけど振り向いた先にすぐ俺の顔があって、目を見開いて驚いた彼女はまたすぐに前を向いた。


「あの、さすがに鍵を預かるのはちょっと……」
「何で?別にいいじゃん」
「連絡取れなくなったら私が確認しにこなきゃいけないんですよね?要するに、死体の第一発見者が私になるってことですよね?」
「……何言ってんの」


流石にこれには笑えない。
そのままさんの身体を回転させてこっちを向かせると俺が死んでるところを想像してるのか、どうしようと不安そうに口元を抑えていた。
……鈍感すぎる。
また両肩を掴んで目線を合わせて、俺はとりあえず言葉を選ぶことから始めた。


「俺がいつ死ぬって言ったの」
「そういう意味じゃないですけど、もしもの話です」
「だから違うんだって。俺の安否確認のために鍵渡すんじゃないし」
「違うんですか?」
「まあもしものときはそのために使ってもらってもいいけど。鍵渡すって好きな時に出入りしていいよって意味じゃん」
「好きな時に出入り?私家ありますよ?」
「あーもー!とにかく俺が家にいないときでも出入りしていいって言ってんの」
「は、はぁ」


これだけはっきり言ってもさんにピンときた様子はない。
言いたいことは言った、反応も見た。さんは何も察していないみたいだから、もうこれ以上は諦めることにする。


この日はさんが帰ると言ったので片付けを終えた彼女を自宅に送った。
一人で帰宅して洗濯機を回そうと思ったら彼女の着ていたスウェットのポケットに家の鍵が入ったままで、俺は怒っていいのか呆れていいのかわからなくなりつつもすぐにまた彼女に電話するハメになる。
明日渡すから何時に花壇にいて、と言うと彼女は謝りっぱなしだったからわざとじゃないんだと思うことにした。
本当に面倒くさい。けど、嫌いになれないからもっと面倒くさい。






















2016/10/20