*ちゃぴ 02*



という女と別れてから、俺は誰とも話すことなく自分の席に座って外を眺めていた。

自分でも何であんな嘘をついたのかよくわからず、何が起こったのかと今朝校門での出来事を思い出す。



登校途中、校門の近くでしゃがみこむ見慣れたワカメ頭が見えて、すぐに赤也がいるということがわかった。

朝の登校ラッシュ、こんな時間に生徒でごった返す校門で何をしとるんじゃと赤也に近づくと、赤也は女の前にしゃがみこみながらその女に必死に声をかけていた。

どういう状況なのかわからずに俺は赤也に声をかけた。

赤也は女とぶつかってしまったと言うし、その女はずっと下を向いたまましゃがみこんでいたから少し心配になって女に声をかけ、手を差し出した。

問題はその後からじゃ。

女がいきなり俺を見て「ちゃぴ」と声をかけてきた。

どういうことなのか全く理解できないまま赤也を見たら、赤也も同じように首を傾げていた。

それから女は何度も何度も「ちゃぴ」という言葉を繰り返した。

女の中で俺は既に「ちゃぴ」だという前提に成り立っていて、俺が黙っていると女は泣きそうな顔をした。

そんな女に赤也が咄嗟に俺の名前を教えようとしたとき、俺は思わず嘘をついた。

俺が「ちゃぴ」だということにしておくことが彼女にとって一番喜ばしいことであり、俺自身そうしてやりたいと思った。

とりあえず「ちゃぴ」が誰なのかわからなかったので、俺は「ちゃぴ」だったものであるということにしておいた。

すると女は今まで死んだような表情をしていたのが、それが嘘だったかのように笑顔になった。

少し面倒なことに首を突っ込んでしまったかと思いつつ、俺は「ちゃぴ」が何であるのかを探ることにした。

女と2人で話していてわかったのが、女の名前は

携帯で連絡先を交換したときに送られてきた名前だった。

あと「ちゃぴ」は一ヶ月前に死んだ愛犬だということも知った。

の質問を適当に受け流しながら俺は「ちゃぴ」についてその場で出来る限りの探りを入れた。

その探りにも笑顔で答えるは本当に「ちゃぴ」を愛していたんだと思う。

俺が「ちゃぴ」になれば、少しでもその愛は俺に注がれることになるんだろうか。

もちろんそれは俺ではなく「ちゃぴ」に対しての愛に違いないけれども。



* * *



授業中、ずっとそのことを考えているとあっという間に放課後になった。

これからどんな風にして辻褄をあわせようかとか、どういう風にと親密になっていけばいいかとか……俺の頭の中にはを騙すことしかない。

俺は何のために嘘をついたのか、今になって理解したのはそれはきっと自分自身のエゴだということだ。

のためだとかそんな風に自分に思い込ませるのは、俺は悪くないと自分に言い聞かせたいだけ。

本当は自分がただ楽しみたくて、がどんな風に救われるのか……もしくは壊れていくのかに興味があるんだろう。

全てはのための行いではなく、自分が楽しんだあとに彼女がどうなるかであってそこは結果論でいい。

どういう結果であろうと俺はその結果を認めるし、例えそれでがどうなろうともその頃には彼女に興味はなくなっているんじゃないだろうか。

愛犬が死んで日常に支障をきたすほど落ちている……そんな可哀想な女が唯一見つけた光である「ちゃぴ」と言う名の俺。

歪んでいて珍しくて、最高にレアなおもちゃを拾った気分だった。







「ちゃぴ!」


部活に行こうと歩いとると、突然あの呼び名で呼ばれて俺は振り返った。

そこには今朝であったばかりの女、がいて嬉しそうに俺に近寄ってくる。



「ちゃぴは今から帰るの?」

「いや、俺は今から部活に行くぜよ」

「部活をしているの?」

「テニス部じゃ」

「テニス部……」


は俺の情報を頭の中にインプットすべく、俺の言葉を繰り返した。

にとって今の「ちゃぴ」は全てが未知。

今までの「ちゃぴ」とは違っていて、また同時に今までの「ちゃぴ」と同じでもある。

どこからどこまでが今までと同じでどこからが違うのか、はそれを見極めようとしているに違いない。



「俺は部活に行かんといけんからのう、今日はこれでもうさよならじゃ」

「そっか……」

「気をつけて帰りんしゃい」

「うん。ちゃぴ、頑張ってね」


ばいばいと手を振るは明らかに落ち込んだ様子を見せた。

気持ちが顔に出る人間は考えていることがすぐにわかってしまって面白くないが、はデリケートだからそれくらいのほうが俺も地雷を踏まないですむ。

ゆっくりじわじわ、の中に侵食していけば大丈夫じゃと俺は自分に言い聞かせた。







俺はその足でテニス部部室まで向かい、ロッカーに荷物を置いた。



「仁王先輩!」

「おー、赤也か」

「今朝のあれ、大丈夫だったんスか……?」


俺が部室に入ってすぐに赤也も入ってきて、赤也は足早に俺に近づいてきた。

ネタにして楽しんでると言うより、本気で心配しているみたいだ。



「大丈夫じゃ。全く問題ナシ」

「あの子、何なんスか……?俺、ちょっと怖かったっス」

「お前をストーカー並みに追い回してるイカレたファンなんかに比べれば、可愛いもんじゃき」

「いやいや仁王先輩のファンのほうが!……って、そういう話がしたいんじゃないんスよ!」


赤也は少し癇癪を起こしそうになっていた。

ああだこうだと赤也が説明していると、今度は柳生が部室に入ってきた。

柳生は俺の顔を見ると、いつもより少し早足で俺に近づいてくる。



「仁王君、先ほどのことなんですが」

「さっき?」

「ええ、先ほど私と同じクラスのさんと話していませんでしたか?」

「ああ……」

「あの子さんっていうんスか……」

「おや、切原君はさんとお知り合いでしたか?」

「いやまあ、知り合いと言うか……」


赤也がどう説明しようかと唸っている。

柳生はロッカーの中に荷物を入れてから俺の目の前に腕を組んで立った。

先ほど部屋に入ってきた柳生と雰囲気が違っていて、赤也が唸るのをやめて柳生を見る。

柳生は眼鏡を押し上げながらいつもよりももっと真剣な表情で俺に言った。



「仁王君、貴方先ほどさんに「ちゃぴ」と呼ばれていませんでしたか?」

「……」

「そう、それっスよ!」


赤也が柳生に訴えるが柳生は赤也の言葉を無視して俺を見ている。

これは素直に認めるべきなのかはぐらかすべきなのか、迷うところじゃな。

まさか柳生もあのレアなおもちゃに興味を示しているとは思えないし、ここは柳生から情報をもらっているほうが賢いかもしれない。



「呼ばれとうよ。俺はの中で「ちゃぴ」ってことになっとるからのう」

「……仁王君はその話の詳細をご存知なのですか?」

「今朝出会ったときに少し本人から聞いた。「ちゃぴ」は一ヶ月前に死んだ犬なんじゃろ?」

「はぁ?犬?」


横で話を聞いていた赤也が大声を出した。

犬の名前で俺が呼ばれとると知れば当然の反応かもしれない。



「そこまでご存知なのですね……。実はここ最近さんは目に見えるほど落ち込んでいらっしゃって……噂では愛犬が亡くなったのだとお聞きしたのですが」

「多分あっとうよ。かなり「ちゃぴ」に依存しとったみたいじゃ」

「で、仁王先輩が何で「ちゃぴ」って呼ばれてんスか?」


俺は携帯を取り出して2人に犬の「ちゃぴ」の写真を見せた。

途端に赤也は爆笑して、地面に跪きながらのた打ち回っている。

柳生も笑いを堪えきれなかったのか、口元を押さえていた。

そんなに面白い写真だったか不思議に思って俺はもう一度写真を見たが、画面に写っているのは普通の犬の写真だった。



「ヤベぇ、先輩「ちゃぴ」に激似!」

「……そうか?」

「毛の色も一緒ですし、目の周りの毛を赤色のゴムで束ねてあげていたようですね。なるほど、納得しました」

「色が似とるだけじゃろ?」

「いや、でも何より犬の目つきがそのまま仁王先輩っスよ!」

「なかなかに悪そうな顔をしていますしね。しかも大型犬となると正に仁王君は「ちゃぴ」にそっくりですよ」

先輩、そこまで犬のことで落ち込んでたなら「ちゃぴ」と仁王先輩を重ねたくなるのかも……」

「これだけ似ているのでしたら」


自分では全くわからんかったが、俺のヴィジュアルはかなり「ちゃぴ」そっくりらしい。

今でも笑いが収まらない2人を横目に、俺は溜息をついた。

でもどれだけヴィジュアルが「ちゃぴ」に似ていても中身は俺であり「ちゃぴ」ではない。

普通に考えて死んだ犬の精神が人間の中に入り込んだなんて馬鹿げた話じゃ。

それをまともに信じているは赤也の言うように「怖い女」なのかもしれない。

そう話すと先ほどまで笑いっぱなしだった2人が急に黙り込んだ。



「……とりあえず、さんは今日は以前のように元気に過ごしておいででしたよ」

「本当に信じてるんスね、先輩……」

「気がついたら人間になってたってことにしとるからのう。まあ俺から話さん限り、が真実に気付くことはないじゃろ」

「いつまで嘘をつく気なんですか?」

「俺の気が済むまで」

「それで終わりっスか?」

「終わりぜよ」

「……それに関しては仁王君の自由ですし私は何も言いません。ですが……今のうちに「ちゃぴ」として愛されてくださいね、とだけ言っておきましょうか」


柳生が少し意味を含んだように笑ったのを確かに俺は見た。

柳生はあのことを知っているからこそ、こうして俺に皮肉を言っているに違いない。

俺は人に愛されんし、人も愛さん。

だから「ちゃぴ」として偽りの愛をからもらって、少しでもそれをあの時の慰めにしろとでも言いたいんだろうか。

もしかしらたらは俺の都合のいいおもちゃなのではなく、俺がの都合のいいおもちゃなのかもしれないと、俺は柳生の一言で立場が一瞬にして逆になる感覚に陥った。

こうやって疑い始めると俺は余計に人を信じられなくなってくる。

信じる必要なんて俺にはないけれど。






嘘と誠
(頭の中がぐちゃぐちゃじゃ)


















あとがき

ちょっとシリアス……話急すぎますかね……?
少しいくまではシリアスかな……私自身もはやくこの重い部分から脱出したいです。

すみません、最初柳生ではなくブン太だったんですが後で仁王とブン太が同じクラスだということに気付きました……。
公式設定に基づいて少し修正しました。
申し訳ありませんでした。

2011.11.06