紹介された人とご飯を食べに行き、人生で初めての告白をされ、しかもそれを断り、友人にその結果を報告し……私の身体は疲れ切っていた。
それを理由にするのはよくないとわかっているけれど昨晩はなかなか寝付けず、布団の中でごそごそしていると鳥の鳴き声が聞こえてきて更に深く布団を被った。
結果1時間寝坊した。
駅を出てからは猛ダッシュ、選手も職員もいない東京ヴィクトリークラブハウス入口を走り、花壇に寄ることなく突っ込むような勢いで事務室の扉を押し開けた。



*王様の仰せのままに 21*



「おはようございます!」
「あーおはよう。なんだかいろいろとすごいことになってるね」
「すみません寝坊してしまって……」
「間に合ってるから問題ないよ」


扉を開けると事務室にいた全員が私のほうを振り向いた。
間に合ってはいると言ってもギリギリなので下を向きながら自分の机に鞄を置くと、隣の彼が興奮気味に私の名前を呼ぶ。
そういえばもうそろそろ仕事が始まる時間だっていうのに今日は何故かみんな自分の席にはいなくて、一つの机に固まって何やら熱心な視線を机の上に注いでいた。
彼ももちろん自分の席にはいなくて、少し遠くの席から私を手招きしている。


さんもこれ見て!」
「みなさん今日はどうしたんですか?」


一体机の上に何があるのかと興味をそそられ私も輪の中に入った。
机に置かれていたのは週刊誌、サタデー。
恋愛報道から不倫報道、不正や汚職まで載っているワイドショーお馴染みの雑誌だった。


「サタデーが何か?」
「今日はさんの遅刻といい熱愛報道といい、珍しいことが起こる日なんですかねぇ」
「……なんとかギリギリ間に合いました」
「ごめんごめん、まあこれ見て元気だして」


トントン、と彼が指差したところに何気なく目をやった私の心臓は止まりかける。
「元サッカー日本代表持田とモデルYのお泊り愛」、でかでかと書かれた文字に釘付けになった。


「……これって持田さんのことですか?」
「そりゃうちの持田さんのことでしょ」
「このモデルさんってこの前ここにきて持田さんにインタビューしてた子でしょ?怖いわよね~」
「どっちが怖いんですか」
「んー両方?」


パートさんが言うと事務所が笑いに包まれた。
持田さんに彼女。
もちろんこの日が来ることはわかっていたけれど、思っていたよりも早かったなと思う自分もいた。
かなりの頻度で持田さんの家には行っていたし泊まったりもしていたのに、このモデルさんはいつ家に出入りしてたんだろう。
普通に考えたら私と一緒にいない日に家に呼んでいるに決まっているし、持田さんは余程の寂しがりなのかもしれないな、とこの場で一人見当違いなことを考えた。
きっとこの女性は芸能人だから仕事も忙しいだろうし、そんなに持田さんに会ったりできないのかもしれない。
だとしたら私は暇つぶしだったわけだ。
持田さんとお付き合いしていたわけじゃないのに、考えてはいけないことを考えてしまった自分に一瞬苛立った。
別にそういう関係とかそういう約束で家に出入りしていたわけじゃないし、彼女のことだって私に話す義務はない。
始めて持田さんの車に乗せてもらったとき持田さんは彼女はいないって言っていたけど、それ以降そんなこと確認したりもしなかったんだから、彼に彼女ができていたとしても彼が嘘をついていることにだってならない。
最近プライベートで九州に行ったり仕事でも忙しくしていたりしたし、私のいない時間に彼らが急接近した可能性だってあった。

みんなが横で話し込んでいる声がとても遠くの音のような気がして、視覚からの情報と聴覚からの情報のギャップに気持ちが悪くなる。
耳を塞いでしまいたくなりながらも自分の中でたくさん言い訳を考えた。たくさんこれまでのことに理由をつけていった。
それでも空しさとか寂しさは消えてくれなくて泣きそうになる。
持田さんのことを好きなわけでもないし、持田さんにラブの意味で好きになってもらいたいわけでもなかった。
だったらこんな報道、なんとも思わないはずなのに心臓はものすごい勢いで脈打っていて、今の私の精神状態が正常ではないと示している。
この現状にいても私は持田さんにどういう感情を抱いているのか全くわからなかった。
いろいろ考えているうちに息子が結婚して他人の女のものになる感覚ってこんな感じなのかな?と一番しっくりくる結論が出て、私は妙に納得してしまう。
きっと彼と一緒に過ごす時間が長かったり、それが初めての経験だったり、一緒にいて楽しいとか嬉しいとかそういう感情のせいで母性本能が制御不能になっているんだと思った。


「広報の人大変だろうなこれ」
「広報もだけどクラブ側もねぇ……恋愛は悪いことじゃないけど、持田さんのグッズの収益が……」
さんそのへんどう思う?」
「え?あ、あー……そうですね、どうなんでしょう」
「結婚とかすると途端に女性ファン離れちゃうあたり日本のファンって怖いよねー」


おじさんの放った言葉に自分もファンになってる場合じゃない、と少し落ち着きを取り戻す。
私は東京ヴィクトリーの職員として彼を支える立場にあるわけで、こんな母性本能丸出しの個人的な感情を優先している場合じゃない。
もう持田さんのお家にお邪魔することはなくなるけど彼とお別れをするわけではないし、朝花壇で会ったときに会話するくらい彼女さんだって許してくれるはず。
その時に彼とたくさん話して、彼とたくさん笑えばいい。
持田さんは我が儘を言ったり強引なところもあるけれど、手がかかる子のほうがこんなとき余計寂しくなるんだろうなぁと心底思った。


「でもこの写真なんか変よね」
「どこが?」
「モデルさんの変装って言っても、普通帽子にサングラスなんじゃないの?スーツに眼鏡ってねぇ?」
さんじゃあるまいし」
「私のこれは変装してませんよ」
「……でも言われてみればこの人ちょっとさんに似てるかも」
「後ろ姿は似てるかもね」
「これさんだったらもっと大事になってるんでしょうね」
「あり得ないですよ」


当たり前だけどそう突っ込んでおく。
正確に言えばあり得ないわけじゃなかった。でも99%これは私じゃない。
この写真の持田さんの服装には見覚えがあるけど、この服は着ている頻度が高いから見覚えがあって当然なだけ。
本人がここにいればもっと盛り上がる話題だったのかもしれない。
いつ、どこで、どんなふうにして二人が出会い今日に至るのか、みんなが芸能リポーターの如くインタビューするに決まっていた。
私はきっとそれには参加せず、遠くからそれを見つめてなんとなくみんなに同調するしかない。
考えれば考えるほど憂鬱だった。
この場で何があっても私は彼に今までの行動の意味を問いただすことも許されず、曖昧な顔でひたすら話を聞くことしかできないんだから。
事務所にいる誰一人として私と持田さんのなんとも言えない関係を知らないんだからそうする他にない。
でも生憎持田さんは今練習中だし、もともとこの部屋に持田さんが来ることなんてほぼなかった。
私の妄想は現実になることはなく、自然と集まりは解散していってそれぞれ自分の席に座る。


席に着いてから携帯を見るとチカチカとランプが光っていた。
何も考えずに送り主を確認してみたら持田蓮になっていて思わず声が出そうになる。
こんな時に何事かと思ってメールを開いてみると『今日来て』とだけ書かれてあった。
ここ最近は呼び出しもなかったのにこのタイミングでの呼び出しに私は狼狽えながらも『今日はちょっと……』とだけ返信する。
もう少しましな返しができなかったのかと送ってから後悔したけど、繁忙期もほぼ終わったと言っていたので残業作戦も使えなかった。

しばらく返信は来ないまま、昼休みに携帯を確認すると新着メールを知らせる点滅が視界に飛び込んでくる。
嫌な予感しかしなかった。

『絶対来て』

こんなところでいつもの我が儘を発揮されてどうしようかと返信に悩んだけれど、よく考えてみれば持田さんの家から私の痕跡を消すにはきっと今日が最後のチャンスになるだろう。
私の私物がいつまでも持田さんの家にあるのは迷惑だし、彼女さんが何か勘違いをするかもしれない。
今このタイミングで私が彼の家に行くのもマズい気がするものの、頭の中には証拠隠滅の文字しかなかった。


『それでは仕事後に伺います』


仕事の打ち合わせに行くかのような文章、でもこれくらいが私と彼には丁度いい。




























2017/01/13