「しませんからね!マネージャーもやらないしスパイなんてもっとしません!」


 そんなことを言っていた時期が私にもありました。



青春ワルツ! さようならとはじめましての繋ぎ目 02



 幸村くんに頭は上がらない。「スパイなんてできるわけないよ、だって私だよ?」なんて自分を下げて交渉してみたものの案の定スルーされた。最終的に「ずっと立海のマネージャーなんだよね?」と笑顔で言われてしまえばぐうの音も出ない。スポーツマンシップとは?と詰め寄りたくなったけど、相手の五感を奪うとか、モードチェンジで相手をボコボコにしてしまうような人達には何を言っても無駄だと言葉を飲み込んだ。


 あれよあれよと言う間にお別れの日当日。涙も感動もないままに私は立海を去った。
 クラスのみんなにお別れの挨拶をした時、同じクラスのブン太と雅治くんはこっちを見てくれようともしなかった。転校を事前に知っていたとしても少し悲しい。
 最後の部活も驚くほどにあっけなく終わった。幸村くんなんか明日の予定を言うかの如く「例の件よろしくね」と言い残して部室を去って行った。冗談ではなく、本気で私の転校後の使い道はスパイしかないと思われている。
 納得がいかなかったので、帰宅してからブン太に電話で愚痴った。
「私氷帝に行ったらもっと女の子する!彼氏作って女子としての余生を満喫するから!」と言ったら『わかったわかった、お腹空いたからもう切るぜ』と一方的に電話を切られた。私の存在は彼にとって、お腹を満たすことよりも優先順位が低いのだと思うと切ない。
 翌日、私は神奈川県某所から都内某所へと無事に引っ越しを終え、新居のクローゼットには氷帝の制服がかけられた。



* * *



 氷帝学園中等部への初登校の日、正直まだ私は拗ねていた。あまりにも苛立った様子で足音を立てながら階段を上ったので、周りにいたお嬢様達が何事かと怪訝な目をしていた。
 氷帝は男女共にお上品な人が多い。学校全体の雰囲気がキラキラしている。立海はもう少し厳格な雰囲気と言うか、かなり一部を除いて浮ついていない雰囲気みたいなのが感じられた。真面目に振る舞っていればなんとなく立海には馴染めていたけれど、氷帝には馴染めなさそうだなとここでまた落ち込んだ。どう頑張っても庶民オーラが自分から溢れだしていて恥ずかしさしかない。馴染む、馴染めない、という次元で躓いている私がテニス部のスパイだなんて、そんなの無理だと弱気になった。


 私のクラスは3年D組で、初老の男性の担任に軽く紹介されてから席についた。自分が視線を集めているという緊張感の中、クラスメイトの顔を見る余裕もない。立海のみんなが心配していたイケメンチェック、そんなことしてる余裕ももちろんなかった。
 ガチガチで挨拶を終えたものの、みなさん転校生に興味なさげだ。既に打ち解けているクラスに合流させられる難しさを痛感する。女子なんか特にグループが出来上がってしまっているだろう。私が入り込む隙間なんかほとんど残されていなさそうだった。廊下側のドアに一番近い席でクラス全体を見渡しながら、こんなことならやっぱり……といつまでもくよくよしている自分がいる。

 昼休みになると数人の女子が声をかけてくれて、一緒にお昼を食べてくれることになった。何気ない会話の内容はテレビのこと服やコスメ、好きな人の話題……この辺はどこの学校も共通だ。


 「さんって前は神奈川にいたんだよね?」
 「うん、そうだよ」
 「前の中学はどこだったの?」
 「りっ……それは……えーっと……」
 「?」
 「……それはその……トップシークレットっていうか……とにかく神奈川の某中学校です」
 「何それ~、通ってた中学校がトップシークレットなの?」

 
 話の流れで立海に通っていたことを軽々しく話しそうになって、咄嗟にとぼける。氷帝テニス部の誰かの耳に入ってはいけないので、立海のことを口にするのは危険行為以外の何物でもなかった。
 しどろもどろの私の反応を見た輪の中の女子たちはしばしお互い顔を見合わせる。興味はすぐに最近流行っているアイドルの話へと移った。私も適当に相槌を打って話を盛り上げる。
 安心したのもつかの間、少し周囲が賑やかすぎる気がした。特に女子のテンションがなんだかおかしい。


 「お邪魔するで、岳人おるか?」
 「向日くんならさっき購買行くって言ってたよー!」
 「ほな後で出直すわ。おおきに」
 「どういたしまして!」
 「忍足くんがD組くるの久しぶりだね!」
 「岳人が大人しくしとったら俺の出番ないからな」
 「そんなことないよぉ!」


 私の後方に位置するドアの辺りから、何とも言えない低音が聞こえてきた。一緒にご飯を食べていたみんなは一斉に顔を上げて、私の頭上を見つめ始める。みんなわかりやすく声がワントーン高くなったし、笑顔の質が違う。クラスの他の女子の目線も私の頭上に釘付けだ。
 事の重大さに気付いた私が遅れて振り向くと、眼鏡をかけた男子生徒が教室を覗いていた。これはイケメン……!


 「ん?自分ここのクラスの人?」
 「……え、私?」
 「転校生のさんだよー!神奈川から転校してきたんだって!」
 「へぇ、こないな時期に転校生なんて珍しいやん」
 「そうだよね!私達がいろいろ教えてあげてるところだよ!」
 「はよ馴染めたらええなぁ」


 周りの子が全てフォローしてくれたので、私はただにこにこしているだけでよかった。第一印象は大事だと、とにかく口角を上げ続ける。早く馴染めたらいいねと、薄く笑顔を作っておっしゃったイケメンの言葉は私に向けてだろう。無性に彼を拝みたくなった。正直言うと私は彼にドキドキしっぱなしだ。彼が教室を去った今も動悸が……これは周りの女子が色めき立ってしまうのも納得する。
 物腰の柔らかい関西弁に整ったお顔。あんな優しそうな王子様立海にはいなかった……自分の顔が赤くないか心配だ。


 「さっきの関西弁の人すごく格好よかったね……!」
 「忍足くんだよ。さんめちゃくちゃ顔赤くてわかりやすいね」
 「えっ、いや、関西弁が新鮮でドキドキしてしまいました」
 「正直でよろしい。忍足くんイケメンだしあんな感じだからファンも多いけど頑張ってね」
 「頑張るってそんな……!みんなは忍足くんのこと好きじゃないの?」
 「好きっていうかファン心理みたいなのはあるかな」


 なるほどと私がひたすらに頷いていると、みんなは急に冷めた顔になって昼食が再開される。きっと夢から覚めたんだな。


 「まあそんなに気にしないで。うちのテニス部ってアイドルグループみたいなもんだから」
 「テニス部?」
 「そっかさん知らないのかー。氷帝の男子テニス部イケメンが多いから半分アイドル化してるんだよね。忍足くんもテニス部だよ」
 「そ、そうなんだ……」


 氷帝のイケメンに現を抜かすんじゃねぇぞ!特にテニス部な!と数日前に言われて、イケメン狙いで転校するみたいに言うのはやめてよね!って威勢よく言い返しときながら、言われた通りになるところだった。忍足くんの情報も集めて立海に密告しないといけないなんて、へらへら彼にときめいていたら幸村くんからの特大パンチが飛んできそうだ。


 「忍足くんは違うクラスだけどうちのクラスにもテニス部いるよ」
 「どの子?」
 「噂をすれば……ほらあの子、向日くん」


 目の前の女の子が控えめに指差した先には小柄なおかっぱ男子がいた。丁度両手にパンを抱えながら教室に入ってくる。全く忍足くんとジャンルは違う可愛い系男子。同級生でこんなに可愛い男子が存在していいのかと思うと神に拝みたくなる。
 あまりにもまじまじと向日くんを見ていたので彼と目が合ってしまった。やっぱり顔には見覚えがない。


 「お前転校してきた?だっけ」
 「は、はい」
 「俺向日、よろしくな!」


 にこりと元気よく笑った向日くんがこれまた可愛い。クラスメイトの女の子も優しくしてくれるし向日くんは可愛いし、氷帝学園での滑り出しは順調に見えた。


 お昼を一緒に食べた子達と連絡先を交換するために携帯を取り出す。1件メールが届いていた。表示された「幸村精市」という名前に思わず息が止まりそうになる。


 「さん大丈夫?汗すごいよ?」
 「だ、大丈夫私汗っかきなの!気にしないで!」
 「う、うん」


 幸村くんからのメールの内容は『どう?順調?』それだけだった。無機質な文章から伝わる異様な程のプレッシャー、少ない文字数で私にこれだけの汗をかかせる幸村くんはやはりすごいし怖い。
 このメールの文章を訳すと『スパイ活動は上手く行っていますか?新しい友達ができても浮かれたりせずにしっかりやれよ』だと思う。私の一瞬の喜びでさえも奪っていく幸村くん……こんなに遠くにいても五感を奪えるんだな彼は。氷帝テニス部の人はこんなことしない人達だといいなと思いつつ、静かにメール画面を閉じた。



















2017/11/23