『男子テニス部マネージャー無事採用されました。喜べ』


 この一文を読んだときになんとも言えない気分がした。



青春ワルツ! ミッションインポッシブル 03



 「ねぇ、これ見てみてよ」
 「……うっわぁあいつ馬鹿だろぃ」
 「ついに潜入に成功ですか!さんは一体どんな手を使ったんでしょうね」
 「……案外うきうきしてる柳生先輩が怖いっス」


 氷帝の奴らの考えていることはわからない。のことを全て調べ上げた上で入部を許可したのかそれとも他に入部を許可する理由があったのかは定かではないが、どちらにせよバレるのは時間の問題だろう。


 「蓮二、いつバレると思う?」
 「もって入部から1週間といったところじゃないか?」
 「えー先輩達もうバレたときのこと話してるんスか?」
 「そうだよ。初めからに期待なんてしてなかったからね」


 だから今回のことは悲しい誤算。俺の計画ミス。絶対に断られると思っていたのに。



* * *



 「うわぁマジで女子だCー!」


 跡部くんとは違うオーラに圧倒されて挨拶の言葉が頭から飛んだ。友達に連れられて立海の部室に初めて訪問したときは殺伐とした空気に怯んで挨拶の言葉が飛んだが、氷帝の部室に殺伐とした雰囲気はまるでない。それでも結局挨拶の言葉が頭から飛んだのは初めて氷帝に足を踏み入れた時と同じく、部室の雰囲気がキラキラとしていて自分の住んでいる世界とは違って見えたからだろう。


 「あの……大丈夫ですか?」
 「大丈夫です!申し遅れました、転校してきました3年のです」


 簡単に挨拶を済ませるとそれぞれ部員が自己紹介してくれた。跡部くんと忍足くんと向日くん以外は初対面なので顔と名前を憶えるのに必死だ。


 「あの俺、先輩と前にお会いしたことがあるような気がするんですけど……」
 「えっ、本当に?」
 「うーわー鳳!マジでそういうの引くって~!」
 「ち、違うんです向日先輩!先輩が思ってるようなことではなくって……!以前試合会場で先輩を見たことがあるような」
 「そ、そういうこともあるよね!私は思い出せないけどそういうことってあると思う!うん!あるある!……ということで私は早速仕事内容の確認に行って参ります!」
 「……何だあれ」



 氷帝テニス部との顔合わせをして早々に鳳くんが人懐っこいオーラを出しながらとんでもない爆弾発言をするので心臓が口から飛び出すかと思った。とりあえずあの場に残るのは危険だと判断し、かなり無理矢理話を遮って部室から逃亡することにはなんとか成功したが、今思い出しても冷や汗ものだ。自己紹介直後に「先輩って立海の人ですよね?」は流石に洒落にならない。鳳くんは誰にでもあんなこと言う人には見えないので本当にどこかで彼に見られていた可能性も捨てきれなかった。自分では全く思い出せないが試合会場なら可能性もゼロではない。
 仮に本当に鳳くんとは初対面ではなかったとして、潜入1日目で正体がバレるようなことだけは絶対に避けたかった。せっかく幸村くんにいい報告ができたのに私からの次の返信が「バレました」ではもう一生立海大付属の土地を踏める気がしない。とは言っても幸村くんからの返信は未だ届いておらず、そちらの意味でも内心かなり焦っていた。こんなところで幸村くんの本気の怒りを見るのは嫌だ。

 幸村くんからの返信が気になりつつもレギュラーの部室を飛び出してしまった私は適当な男子部員に声をかけて一通り仕事を教わることにした。声をかけると球拾いをしていた男子部員が振り返って挨拶をしてくれる。自分なりに気さくな感じを出しつつ馴れ馴れしくしすぎないように声をかけたつもりだったが、男子部員は一瞬顔を強張らせた後目線を泳がせた。
 ゆっくりと口を開いた男子部員は「先輩は日誌を書いてもらえれば……後は俺たちがするんで」とたどたどしく返してきて、今度は私が目線を泳がせる羽目になる。もっと雑務など押し付けてくれて構わないと食い下がると今度は「跡部部長から言われてるんでお願いします」と頭まで下げられてしまって、私はどうすることもできず後輩相手にかしこまりましたと敬語で返事をした。

 跡部くんの考えていることがわからないまま、仕方がないので施設の観察がてら球拾いをすることにした。私にどのような日誌を書かせるつもりなのか見当もつかないが練習メニューや部員の状況、その他連絡事項等しっかり日誌を書こうと思えばそれなりに部活内容の観察は必須になる。スパイ活動をするには丁度いい役割ではあるもののそれでは氷帝側が私を部員にするメリットが感じられないので疑問は残るが、私がそれについて考えても答えが出るわけでもなかった。

 球拾いをしながらゆるく部活見学をしていても誰かが声を掛けてくる気配もなく、淡々と練習は続いている。幸村くんに氷帝の練習メニューも報告したほうが喜ばれるのかなと本来の目的を思い出しながら拾ったボールをカゴに戻していると名前を呼ばれたので、意気込みながら部室へと戻った。

 
 部室には先程顔合わせしたレギュラーメンバーが再び勢揃いしていて、今更ながら感じたプレッシャーに心臓がばくばし始める。


 「お呼びでしょうか!」
 「そこの椅子に座れ」
 「?」
 「ちゃん、ごめんやで」
 「な、え、ちょっ……!」


 有無を言わさず椅子に座らされた私はそのまま縄でぐるぐる巻きにされ、瞬く間に人質スタイルになった。みんなが私を見下ろしている顔を見ていると何かがフラッシュバックしてくる。……ああ、幸村くんがたまにする憐れむ人間を見る目に似ているんだ。
 映画やドラマの世界だとこの後所謂拷問が始まる。そして拷問を受けるからには何かしらの理由がある。登場人物が無実の罪で拷問されることも稀にあるが、残念ながら私には思い当たることがいろいろとありすぎた。
 この計画は立海テニス部のみんなと私しか知らないのにどうしてバレてしまったんだろう。情報が漏れた出所が思いつかないうえにまだ入部1日目でこれは早すぎやしないか。


 「……逃げたりしないから縄解いてくれませんか」
 「いや、逃げるからっていう理由ちゃうねん。これには別の理由があるから堪忍な」


 抵抗するつもりもないので素直に頼んでみるものの忍足くんにやんわりと拒否された。


 「俺、思い出したんです。先輩と前にどこでお会いしたのか……」
 「……」
 「先輩、半年くらい前の大会で他校のビデオ撮ってましたよね?偶然通りかかったときに機械の調子が悪いってお困りのようだったので見てみましょうかって声をかけたんですけど……憶えてないですか?」 
 「……そう言えばそんなことあったような」


 試合が始まる直前に急にビデオが動かなくなり困り果てていると、どこぞの優しい他校の男の子が声をかけてくれたのを思い出した。優しさに感動したことは確かに憶えているけれどあれが鳳くんだったとは本人を前にした今でも思い出せない。


 「俺の記憶ではあの時先輩立海のジャージ着て」
 「あああ!それは違います!違うの!」
 「何も違わねぇだろ。証拠はあがってんだよ!」


 椅子をガタガタさせながら必死に鳳くんに言い訳をしていると跡部くんが迫力のある台詞付きで書類を突き出してきた。私の生い立ちから両親のことまで詳細に書かれた紙の束をパラパラと見せつけるように捲りながら彼は鼻を鳴らす。これがかの有名な身辺調査かと息を呑んだ。
 跡部くんがどのような権力を使って全てを調べ上げたのかはわからない。しかし私の陳腐な言い訳とこの身辺調査報告書ならば軍配が上がるのは確実に後者だ。


 「中学の話になった途端わかりやすく焦りやがって。あんな焦り方する奴は何か自分の過去に隠したいことがある人間に決まってんだよ」
 「跡部はちゃんのマネージャー経歴を疑ってただけなんやけどな」
 「念のために調べてみたらマネージャー歴云々なんてどうでもよくなるような事実が発覚したってことですか」


 とんとんと忍足くんが書類を指で叩いたところに『○○年 立海大付属中学校男子テニス部入部(マネージャー)』と書かれてありその一文がご丁寧に蛍光ペンでなぞってあった。
 少なくともこの部屋にいる全員は今の情報は共有済みということになる。鳳くんの反応を見る限り、顔合わせの段階では聞かされていなかったことを私が呑気に球拾いをしている十数分の間に知り今に至る、といったところだろうか。きっと跡部くんのことだから鳳くんの証言がなくても身辺調査資料で私を追い詰めていただろう。
 どこから情報が漏れたかはわからないがこうなってしまえばスパイとかそんなことを言っている場合ではなかった。今から間違いなくこの部屋で拷問だか尋問が行われようとしている。拷問の締めとして彼らがすみませんでした許してくださいと懇願する私を動画に収めているところまで勝手に想像して血の気が引くのがわかった。


 「ちゃん元気出して~」
 「そうだぞ、元気出せって」


 悪いのは私(立海)なのにも関わらず慰められているのは疑問だが、この後の落差のことを考えると喜んでいる場合ではない。


 「顔はやめといたほうがいいよ、顔は」
 「アーン?」
 「顔殴ったらすぐにバレるでしょ。部活動停止になるかもしれないし……」
 「は?お前何の話してんの?」
 「え?これから起こる制裁に関するアドバイスを……」
 「何か俺たちめちゃくちゃ悪い奴らみたいなことになってるCー」
 「いやいや、この中で一番悪いのはどう考えたって私だからね」
 「悪いも何も俺はまだお前の口からお前がここにいる目的を聞いてねぇよ」


 確信は持てないものの少なくとも芥川くんからは私に拷問や尋問をしてやろうという雰囲気は感じられなかった。しかし跡部くんはこんな時でも冷静に私の口から自白をさせようとしてくる。
 私はまだ彼らに目的を話していないはずだ。だとしても恐らく頭のいい彼らのことだから私から説明しなくてもだいたいのことはお見通しのような気がする。


 「立海のテニス部マネージャーが引っ越しを理由に氷帝に転校。それを知った立海テニス部員に俺たちのことを探ってこいとか言われたんでしょう、どうせ」
 「全部バレている……」
 「余程の馬鹿じゃない限り簡単に予想できるでしょう」
 「ですよね……」


 予想とはいえ日吉くんにあそこまで見事に事の計画を言い当てられた私は隠すことをやめて洗いざらい氷帝のみなさんに経緯を話した。幸村くんにボロクソに言われようともブン太たちに馬鹿にされようとも仕方ない。人には適正があり私にスパイの適正は皆無だった、それだけのことだ。


 「鳳が偶然と前に会ってたことと、跡部の慎重さが立海の部長さんには誤算だったってわけか」
 「ちょっと俺らナメられすぎてるよね~」
 「幸村くんのことだから単純に私を困らせたかっただけだと思うよ……」


 お怒りモードの芥川くんのフォローをすると全員が黙り込んでしまった。沈黙が痛かったが跡部くんも神妙な面持で顎に手をあてて考え込んでいるので下手に話しかけられる雰囲気ですらない。


 「この計画、提案したんはちゃんちゃうんやろ?」
 「それは誓って違います。でも……言いだしっぺじゃないけど共犯だから」
 「じゃあ言いだしっぺってのを呼び出してやろうじゃねぇの」


 次の瞬間焚かれたフラッシュに思い切り目を閉じてしまった。聞き慣れたシャッター音にゆっくりと目を開けると私の携帯を持った跡部くんが満足そうに画面を見つめている。「ほらよ」と置かれた携帯の画面には送信完了の文字が表示されていた。


 「今撮った写真まさか幸村くんに送っちゃったの……?」
 「さぁな」
 「う、嘘でしょ!?ダメだよ幸村くんは……!」
 「幸村って奴そんなに怖いのか?」
 「計画の参加を断れる相手だったら私今こんなことになってないよ!」
 「……それもそうか」


 氷帝のみなさんに計画については説明したけれど幸村くんに今の状況がバレてしまうのはまた別の話だ。潜入1日目にしてこの失態、敵である氷帝テニス部に捕まって拷問画像(実際には何もされていない)まで幸村くんに送られたなんて言い訳すらできない始末。


 「ハッ、お前、誰が幸村に写真を送っただと?」
 「……え?」
 「俺様だ!」
 「えええほらやっぱり!」
 「と言いたいところだが写真の送信先は幸村じゃなく俺だ」
 「……じゃあ幸村くんには何も送ってないの?」
 「送ってねぇよ。だが時期がきたら送る」
 「何それ酷い!結局送るなら一緒じゃん!」
 「ほんまに一緒やろか」
 「……どういうこと?」


 「ちゃん次第やけど」と笑った忍足くんは前に見た笑顔よりもずっと悪い顔をしていた。本当の悪い人間のする顔ではない、いたずらっ子のような表情をしているのは忍足くんだけではない。


 「どういうこと、私と取引しようって魂胆?」 
 「それができたら一番かもしれないけどさ~、絶対にちゃん取引してくれないC~」
 「取引して私が立海を売ろうもんならそれがバレたときに倍返しじゃすまないんだよ!だから自分のためにも立海のみんなは売りません!」
 「そう言うと思ってもっといい条件を用意してやったんじゃん」


 身動きができない私の肩を抱いて満足そうに笑う向日くんは可愛いではなく格好いいだった。こんな不敵な笑顔は教室では見せないので場違いながらときめく。


 「お前はいつも通りにしてろ。バレたも何も言わずに適当に幸村とメールしとけ。それだけでいい」
 「それだけでいいの?」
 「後は幸村とのやり取りはこっちにも報告しろ」
 「報告!?」
 「向こうにバラすタイミングがあるからな、それくらい我慢しろ」
 「結局バラすって私やっぱりフルボッコじゃ……」
 「大丈夫やって、ちゃんとその辺は上手いことしたるやん」
 「……そんなうまい話があるんでしょうか」
 「お前にデメリットはねーだろ?幸村にバレるまでは平和に過ごせるんだし、幸村にバレてからも平穏に過ごせるって」
 「その自信はどこから来るの……!っていうかそれじゃみんなにとってメリットって何かあるの?私はこうなった以上氷帝の情報は立海に出さないって約束するけど、向こうの情報も出さないんだよ?」
 「メリットなんざ関係ねぇんだよ」
 「は、はぁ……」
 「こっちとしてはお前がどう答えるかによっちゃ追放も考えてたが……『氷帝の情報は立海に出さないって約束する』んだろ?俺らにとって使えるもんは使わせてもらうってだけだ」
 「でも何回も言うけど立海の情報は渡さないよ?」
 「アーン、そんなもん最初から欲しくもねぇよ」


 立海の情報なんかどうでもいいと言い切った跡部くんが文句なしで今日一番格好よかった。


 「私嘘吐いてるかもしれないよ?」
 「……嘘を……吐いているようには……見えません……」
 「とりあえず俺らはお前が思ってるほどお前に対して怒ってねぇし気にすんなって」


 本当に写真を撮る目的だけのために私を椅子に縛り付けたらしくあっさりと縄は解かれた。「手荒なことをしてすみません」と鳳くんが縛られていた手首を擦ってくれたが手荒なことをされるだけの原因が私にもあると思っているので謝るべきは私の方だ。
 椅子から立ち上がると鞄を渡されて「もう帰って休めよ」「それじゃーな!」と明るく部室から追い出されてしまった。文字通り有無を言わさず追い出され後戻りもできなくなり、仕方なく校門を目指して歩きはじめる。

 今日一日を振り返ると様々なことがありすぎて今の自分の状況がわからなくなってきたが、あの取引に私が応じなければ先程跡部くんに撮られた写真は幸村くんに即送られて今日のうちに立海のみなさんによる大バッシングが確定するだろう。今日を生き残るか否かの選択を迫られていた訳だ。
 取引は立海のみんなを裏切ることには変わりないかもしれない。何たって自分可愛さで氷帝のマネージャーをすることになってしまった。『私はずっと立海のマネージャー』なんて大嘘だ。
 絶対にみんなのことは売らない。いろんな意味で売れない。でも、だからこそ今写真を送られるのも阻止したい。いずれバレたことがバレる日がくるだろうけれど私はもう少し生きていたい。立海のみんなのこと大好きだよ……!




















長く長くなってしまいましたが「さようならとはじめましての繋ぎ目」と「ミッションインポッシブル」で序章は以上です。
次のお話から打ち解けた後の日常編スタートです。



2017/11/29
2022/02/09 大幅加筆修正