立海で勉強会をする話。






よく学びよく惑え



 『緊急連絡!緊急連絡!早速勉強についていけないであります!』

 真実には変わりありませんが、立海のみんなに構って欲しいという気持ちもありました。

 『いつになったら独り立ちできるんだい?』
 『たるんどる』
 『勉強を教えてくださいお願いします、とお前は言う』
 『俺に教えられる教科なんてあります?』
 『それでよく氷帝入れたな』
 『私でよければお教えしますよ』
 『そんなんでこの先やっていけるのかよ』
 『私でよければお教えしますよ』


 返信はほとんど予想した通りだった。幸村くんが思ったより優しい返事だったけど実物の口から発せられる言葉はこんなに温くはないと思っておくべきだ。そして真田くんの口癖は文字にするとただただ可愛くて迫力がまるでない。
 ストレートに優しい柳生くんと遠回しに心配してくれているジャッカルくんだけが私の癒しだということ、混乱させるために柳生くんのフリをして返信をしてくる雅治くんが一番悪質だということもよくわかった。赤也に送ってしまったのは単純にミス。さすがに後輩に勉強教えてもらうなんて恥ずかしすぎる。
 全員の返信に目を通した後、日曜は練習があっても午前だけだし会いに行くなら日曜だなと勝手にスケジュールを組んでみた。テニス漬けの彼らはオフの日ですらもテニス部の面子と一緒に遊んでいたりすることが多いから大丈夫なはずだ。それに緊急連絡メールを受け取った時点で彼らもこうなることは予想しているに違いない。



* * *



 久しぶりに立海の制服に袖を通し、電車に揺られて東京から神奈川へ。駅からバスに乗り、通い慣れた道を歩いて部室へと向かった。当たり前だけれど何も変わっていない。
 今日は午前のみの練習だと聞いているからきっとみんな揃っているだろう。……もしかしたら雅治くんは抜け出しているかもしれないけれど。


 転校してからみんなに会うのは初めてだった。メールのやりとりは幸村くんとしかしていなくて、この前のあの緊急連絡メールでのやり取りが他のみんなとの初めてのやり取りになる。
 驚くくらい誰も連絡をくれなかったので始めは少し寂しかった。毎日メールをくれるだろうと思っていた赤也ですら音沙汰がなく、嫌われてしまったかもしれないと落ち込んだりもした。
 そのうちに氷帝のマネージャーになってやることが増えて忙しくなって、寂しいと考える余裕がしばらくはなかった。氷帝のみんなは親切だけれど、親切にしてくれているうちに部に馴染むことや仕事を覚えることを怠らずに努力しなければならないということを教えてくれたのは他でもない立海テニス部のみんなだ。


 部室に到着したもののドアノブを握ったまましばらく固まった。みんなどんなふうに出迎えてくれるんだろう、もしかしたら入室して早々に真田くんにそこに正座しろと叱られるかもしれない。心の準備のために何度か深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。



 「ぁふんっ!」
 「おい、そんなエロい声出すなって」
 「ちょっ……気配なく近づいて膝かっくんとかやめてよ雅治くん!」
 「緊張してるみたいだったから優しくしてやったのに酷い言われ様じゃ」
 「タイミングってもんがあるでしょ!今の膝かっくんのせいでドアに膝ぶつけちゃったじゃん!」


 ゴンという鈍い音がしたので外にいる誰かの存在に部員も気付いただろう。その上仁王くんとぎゃあぎゃあ口論しているなんて最悪のスタートだ。
 私が雅治くんに文句を言っていると部室のドアが開いて中からそっとブン太が顔を覗かせた。そしてブン太にかなり睨まれる。


 「……お前ら何やってんだよ」
 「聞いてよブン太!雅治くんがいきなり膝かっくんしてきた!」
 「……はぁ、なんだそういうことかよ。仁王が何かやらかしてるのかと思ったじゃん」


 溜め息を吐いたブン太が扉を開くと中には勢ぞろいしたテニス部のメンバーがいた。ブン太を見て明らかなように全員テンションが低かったものの、私が顔を覗かせると赤也が目を輝かせながら近寄ってくる。今なら赤也のお尻にあるはずのない尻尾が見えそうだ。


 「先輩久しぶりっス!寂しかったんスよ!」
 「赤也久しぶり!相変わらず可愛いなぁもう」


 部室には普段には置かれていない勉強用のテーブルとイスが用意してあって、赤也以外のメンバーは全員着席していた。


 「みんなも久しぶり。練習後でお疲れのテンションだね」
 「疲れてると言うか、外から変な音と声が聞こえてきて部内の空気が最高潮に悪くなっただけだから気にするな」
 「ジャッカルくんのその言い方はものすごく気にするやつだよ」
 「仁王不在の部室の外から変な声聞こえてきたら誰だって勘違いするだろぃ」
 「真田くんがすかさず外の様子を見てくると言い出すものですから、ジャッカルくんが必死に取り押さえていたんですよ」
 「とりあえず雅治くんの女性関係の評判が相変わらず悪いのはよくわかった」


 呆れながら雅治くんを横目で見ると本人は全く気にしていないようで余裕の表情だった。中学生でこれか……。
 私はいきなりの膝かっくん奇襲の経緯を説明して何もいかがわしいことはないと猛アピールしたけど、みんなどうでもよさそうな反応だった。


 「転校してまだ一か月も経っていないけれどおかえり
 「よく跡部も入部を認めたものだな。の成績のことを知っているのか」
 「あああ聞きたくない二人ともやめてください」


 早速謎の笑顔を張り付けた幸村くんと柳くんから先制パンチを食らう。特に幸村くんが怖い。でもこんなのまだ可愛いものだ。


 「まあいいよ、赤也が毎日騒がしくしてたのがこれで少しは落ち着くだろう」
 「そうなの!?赤也私がいなくて寂しかった?」
 「さっきも言いましたけどめちゃくちゃ寂しかったっスよぉ!」
 「可愛いなぁ~。でもさ、じゃあ何でメールくれなかったの?」
 「え、そ、それは……」
 「俺が禁止してたんだ。が氷帝で成果を出すまではを甘やかすのは禁止ってね」
 「こわ……で、でももういいよね?私頑張ってテニス部入ったもんね?」
 「予想外だったけどそういうことになるね」


 はっきりと明言しない幸村くんは「納得いかない」と言わんばかりの冷たい表情で、言っていることと表情が全く噛み合っていない。
 ここであまり調子に乗りすぎるとまた幸村くんが甘やかすの禁止令を出しかねないので曖昧に笑っていると、カラカラと何処からともなく柳くんがホワイトボードを運んできた。これは勉強会のときに使うやつで普段予定が書かれてあるホワイトボードとはまた別だ。
 今日は勉強を教えてもらいに来たんだと現実に引き戻されてげんなりとした気持ちになったけれど、教科書とノートを手に私の隣の席に座った赤也を見てこの子も同類だったなと思い出した。


 「さて、どれから始めましょうか」
 「優しい先生が教えてくれるやつからお願いします」
 「では歴史だな。日本史からやるとするか」
 「担当真田くんのやつだよねそれ!本当に柳くん意地悪だな!」


 怒鳴られるやつからか……とがっくり肩を落として臨んだものの、思っていたよりも日本史は授業についていけているようだ。真田くんが声を荒げる必要もなく日本史は終了。真田くんは意地悪じゃないので、思っていたより出来が良かったことをストレートに褒めてくれた。これが柳くんや雅治くんだと残念そうな顔するから意地悪だとしか言えない。
 私の隣で赤也は柳生くんとマンツーマンで勉強をしていた。柳生くんは同じ問題を5回くらい間違えたりしない限りは不機嫌にならないし怒ったりもしない。ただその代り可哀想なものを見る目はされるけれど。一番優しい先生とマンツーマンな赤也がずるい。


 「うむ、やはり問題は英語と数学か」
 「そのようだな。英語と数学が得意な幸村、英語が得意なジャッカル、数学が得意な仁王……さて、どうする?」
 「選択制じゃなくていいってば!気まずいから!」


 本当は幸村くんを極力避けたい。避けたところで全て見られているからどうせ怒られるけれど、目の前に立ってじっと見下ろされるのが辛いのだ。
 英語はジャッカルくんが一番ネイティブに近いものの、ネイティブに近すぎて全くジャッカルくんの英語を聞き取ることができないという別の問題があるので大抵幸村くんの担当になる。ジャッカルくんはリスニング対策係だ。
 一人が二つの教科を担当することはほぼないので幸村くんが英語担当になると数学は雅治くんに決まる。これがまた厄介で、たまに雅治くんによくわからない悪戯をされるのでそうなると勉強どころではなかった。他のメンバーに怒られるところまでが1セットだ。
 ここに柳生くんが加わるとそれぞれの担当教科も変わるし、正直言うとほとんど全員苦手なんてないのだから誰に教わったって同じだと思う。


 「じゃあさっさと数学終わらせるとするか」
 「よろしくお願いします」


 仁王くんが私の隣の椅子を引いて、よっこらせとおじいさんのような一言と共に席に着いた。
 立海と氷帝では教科書が違うので仁王くんに教科書とノートを見せると、目の前で見ていた幸村くんに「ここ寝てただろう」と字の汚い部分を指摘される。数学は寝ている余裕はないので時間がなかったから汚くなっただけだと真実を伝えると、幸村くんは優しい笑顔のまま溜め息を吐いた。


 「ふーん……そんなにやってることは変わらんな。じゃあとりあえずこれとこれ、解いてみんしゃい」
 「はーい……」


 真剣にやらないと四方から怒られるので、気合いを入れてシャーペンを握り直し教科書の例題を解こうとノートに式を書く。
 これ金曜日の授業でやったやつだな、先生にあてられそうになって気が気じゃなかったけれど結局後ろの席の子があたってほっとしたってことしか憶えてないや、と心の中で呟きながら問題を解いていた。

 式を間違えている気がして手が止まっていると鞄の中からブーンと携帯のバイブ音が聞こえてきて、若干気まずい空気が流れる。勉強中に携帯チェックなど許されるはずもないので電源を切っておくべきだったと後悔しながらも、普段私の携帯なんてここにいる人たち以外に鳴らす人はほとんどいないのでそんなところまで気が回らなかった。
 ようやくバイブ音が止んだと思えば数秒後にまたバイブ音がして、これはきっとスルーしてもらえないだろうなと嫌な汗が背中を伝う。


 「……言っておくけど彼氏じゃないからね!」
 「そんな心配なんてしとらん」
 「が氷帝に転校したところで彼氏ができる可能性は5%もない、安心しろ」
 「安心はしたくないけど!……こんな時に誰だろう」


 あまりにもバイブが鳴り続けるので私がたまらず携帯に手を伸ばしても誰も咎める人はいなかった。このまま電源を切れば何の問題もない。


 「!?どどどどどどうしよう」
 「誰なんだよ?」


 ディスプレイに表示されている跡部景吾の名前に動揺を隠せないでいるとジャッカルくんが携帯を覗きこんだ。
 いくら氷帝のマネージャーをしてて面識がある人だからとは言え、全員に見つめられる中この人の名前を口にするのはなかなかにハードルが高い。というか今まで連絡なんてしてきたことないのに何でこのタイミングで電話してくるんだ跡部くんは……!


 「跡部?「ノー!ジャッカルくんノー!」
 「電話、跡部から?」
 「普段電話なんてしてこないんだよ!むしろこれが初めてなのに何で今電話が来てるのか全然理解できないっていうか……!」
 「ただの電話だろ、落ち着けよ」


 ジャッカルくんに言われて今自分が尋常じゃないくらい焦っていることに気付いた。当たり前だけどやましい関係ではなく部の連絡だっていうのに何をこんなに焦る必要があるのか、下手に焦ればバレてはいけなことがバレてしまいかねない。


 「……お前、何か隠してるんじゃなか?」
 「へっ!?な、何を言うんですか雅治くん」
 「まさか……」
 「「「まさか?」」」
 「まさか5%の可能性が跡部君だなんてことはないですか?」
 「いや、ないな」
 「それはねーっスよ!」
 「あー、ないないないない」
 「そんなに全力で否定されると悔しい……!」


 柳生くんの推理に笑いながら首を横に振る立海メンバー、私がいくらモテと縁がないとは言えネタに使うのはやめていただきたい。

 こんなやりとりをしている間もディスプレイに表示される跡部景吾の名前は表示されては消えてを繰り返している。電話が切れたときに着信履歴を確認すると既に跡部景吾からの着信が20件は超えていた。どうしたの跡部くん。
 確かに今日立海に行くことは氷帝のみんなには伝えていないけれど、立海に行く目的は勉強であってテニスは全く関係ない。スパイだと思っているのは立海のみんなだけで本当はスパイですらないしその事実は彼らに隠したままだ。
 あまり大声で立海に遊びに行ってくる!(勉強だけど)と言うのもどうかと思いここはプライバシーということで……と自分に言い聞かせて今日のことは誰にも言ってこなかったけれど、まさかそんなことで跡部くんが怒っているとでもいうのだろうか。そもそも私が立海にいると知っているはずもないのに?
 とりあえずこのままにしていても電話が鳴り続ける気がするので電源を切ろうとすると、幸村くんに携帯ごと手を掴まれた。


 「待って」
 「勉強の邪魔になるし電源切るだけだよ」
 「電話、出なよ」
 「え?」
 「跡部から電話なんて珍しいんだろう?こんなに電話してくるなんて急用かもしれないじゃないか」
 「え、いや、どうかな……」


 できることなら電話には出たくない。いつもなら何があろうと電源を切れと言いそうな幸村くんがライバル校の部長の事情を考慮するなんて考えられなくて、裏がありそうで余計に出たくなかった。
 雅治くんも私のことを何か疑ってるみたいだし、幸村くんにも何か怪しまれているのかもしれない。


 「はやく出なよ」
 「ハイ……」


 幸村くんの言葉は電話にでてあげれば?ではなく電話に出ろに変わっていて、修羅場の予感しかしなかった。こうなるともう大人しく従うしかない。周りのみんなもただやり取りを見ているだけで誰も口を挟もうとしてこないのは、みんなに十分空気を読むスキルがあるからだ。


 「……も、もしもし」
 『もしもし?か?』
 「……あれ?忍足くん?」
 『何でずっと電話無視しとったん?全然繋がらんから逆に心配しとったんやで』
 「え、えっと……」


 一瞬耳を離してディスプレイを確認するとやはり着信相手は跡部景吾になっている。私は首を傾げながらも再び電話を耳にあてた。


 「これ跡部くんの携帯だよね?」
 『せやで、最初は本人が電話しとったんやけど全然電話に出ないとか言ってご立腹なままどっか行ってしもうたわ』
 「で、跡部くんの用件は?」
 『それがよぉわからんねん。俺は電話かけとけ言われて引き継いだだけで何も聞いてへんし、本人も近くにおらんしで繋がったはえぇものの正直俺も今どないしようかと思っとる最中や」


 電話越しに忍足くんの困り果てた声が聞こえてきて私もうーんと悩んでしまう。
 その横で漏れている会話を聞いている柳くんがノートに軽快にペンを走らせているのが見えて、また変なデータを取っているのかと頭を抱えたくなった。このデータは絶対テニスの役には立たない。


 『おっ侑士!繋がったのかよ!』
 『せやで、繋がったから静かにしといてくれへんか』
 『おーいちゃん聞こえてる~?』
 『ジロー、今俺が何て言ったか聞いてたんか?』
 「何だか今日は賑やかだね」
 『なんやよぉわからんけど盛り上がっとるわ。誰か跡部から何や聞いとる奴おらんのか?』
 『跡部もう帰ったんじゃね?』
 『アホ、この携帯跡部のやっちゅーねん。……なんやすまんな、電話しといてこれやったら意味わからんな』


 とりあえず切ると言って忍足くんは電話を切った。
 跡部くんの用件も気になるけどこの数分は一体何だったんだろうとよくわからないまま携帯を片づけると、立海のみんなが拍子抜けしたみたいな顔でお互いを見あっている。


 「電話の持ち主不在で用件もわかんねぇって今の何だったんだ?」
 「私も意味わからないけど跡部くんってそういう滅茶苦茶なところがある人なんだよ」
 「それ全然褒めてねぇっスよね」
 「うん、格好いいしお金持ちだしカリスマ性があるのも認めるけど跡部くんってそんな感じ」
 「ある意味幸村と似てるような」


 雅治くんの一言は柳生くんによる大きな咳払いでほとんどかき消されてしまったけどそれでよかったと思った。


 私達は気を取り直して勉強を再開、雅治くんに数学の続きを教えてもらった。
 雅治くんは意地悪だけれども教え方は基本的に優しい。面倒くさがりなところがあるから日によって教え方にかなりムラがあって、あまりに適当な時は途中で誰か他の人にチェンジさせられることもあるくらいだけれど今日はやたらと丁寧だった。
 数学の後は幸村くんの英語。途中勉強会が中断されてしまったせいか不機嫌な幸村くんに、単語を憶えていないとかまず字が汚いとか英語に関係あることもないことも指摘され、復習だけに留まらず予習もさせられてしまうという見事なしごかれっぷりに私の身体は悲鳴を上げる。
 日が暮れてしまいそうな時間になってからなんとか幸村くんに言い渡された部分の英訳を終えて荷物をまとめ、また今度ねと部室を出た。



 「柳ー、忍足ってどんな奴?」
 「忍足侑士、氷帝学園3年。関西出身のオールラウンダー、178cm、血液型はA型」
 「テニスの情報じゃ全然どんな奴かわかんねぇな」
 「そこは丸井の想像力で補ってくれ」
 「さんの様子を見るに関係は良好そうでしたが」
 「だよなー。の『忍足くん?』って声が弾んでたよな」
 「跡部のことも格好いいと言っていたな」
 「聞いてる感じ他の奴らともそれなりに仲良さそうだったスよね。はぁ……」
 「絶対スパイ楽しんでるぜあいつ」
 「……そもそもスパイなんてしとるんかねぇ」
 「まじそれっスよ仁王先輩!あ~も~!今度氷帝乗り込んでやりましょうよ!」
 「何を考えとる赤也!やめんか!」
 「いっって!叩かなくたって……」
 「……まぁどうするかは考えておくよ」
















2017/12/13