雨、雷、時々ジェイソン



 大きな音と閃光にテニス部員は口を半開きにさせて窓の外を見つめた。風と雨水が絶え間なくガタガタと窓を揺らしている中、謙也さんが苛立った様子で立ち上がる。


 「何で今雨降るねん!もうちょい後でええやろ!」
 「落ち着きや謙也、そないなこと天気に言うたってしゃあないやろ」
 「そうよ~練習中にこんな天気になってたら、今頃誰か真っ黒焦げになっとったかもしれへんやないの!」


 いらちな謙也さんは早く家に帰りたくてしゃあないらしいけど流石にこの雷雨の中は走りたくないようで、落ち着きなく部室の中をぐるぐる歩きながら文句を垂れとった。動物園にいる熊みたいや。
 溜め息を吐く白石部長と物騒なことを言っているのにやたら楽しそうな小春先輩はこれからどうするべきかと考え込んどる。


 「とりあえず雷がなんとかなるまではここで待機やな」
 「えー!それって何分後なん白石ぃ~!ワイもうお腹ペコペコや!」
 「お腹ペコペコなんはみんな一緒やで金ちゃん。そやかて今外に出て黒焦げになりたくないやろ?」
 「い、いやや!」


 最悪の事態を想定したのか大人しくなった金太郎を見て白石部長が満足気に微笑んだ。ほんまにこの人は怖い人やで。
 正直俺も先輩らも本音は金太郎と同じで、腹は減ってるし疲れているしでさっさと帰宅したい。でも相変わらず外では雨がざーざー、雷がドンドン鳴っていてとてもじゃないけど部室を出られる状態やなかった。練習が終わるころにぽつぽつやった雨は今は滝のようになっとるし、天気が回復する気配は全くない。
 携帯で天気を調べてみても警報が出とるっていうのと各地の被害の様子が出てくるだけで、どこにもはっきりとしたこれからの天気は載ってへんかった。


 「俺らがここにおるって誰か知っとるんやろか」
 「どうやろな、オサムちゃんもう帰っとったらどうする?」
 「普通にあり得ますわそれ」
 「職員室に行くにしても部室の外に出る必要があるわけやし、助けも呼ばれへんっちゅーわけか」


 謙也さんの一言に一同言葉を失って溜め息を漏らすしかできんかった。わかっとったけど言葉にされるとキツい。
 全員がうなだれていると外でドン!と一際大きな音がして、下を向いていた部員が思わずおぉ!と声を上げながら肩をビクつかせた。金太郎なんか頭抱えてしゃがみこんどる。


 「今のは絶対落ちたやろ!」
 「近かったんちゃうか?」
 「雷が光ってから音が聞こえた時間を計算するとぉ……」
 「あーあー!小春やめやそれ!」
 ドンドンドンドン!!!!!
 「「「「!?」」」」


 騒がしくなり始めていた部室に明らかに雷の音ではない、別の音が響いて部室はまた静まり返った。相変わらず雨の音に包まれているせいではっきりと音の出所はわからんものの、全員の耳に確かに謎の音が聞こえたみたいや。
 ドンドンドンドン!!!!!
 先程と同じ音がまた聞こえて全員が顔を見合わせる中、金太郎がドアや!と叫んだ。誰もが助けが来たと思って、よっしゃー!という声が部室内に響く。白石部長が足早にドアへ近付き勢いよくドアを開けた。


 「よ、よかった……まだみんなおった……」
 「さん!?」
 「!?」


 ドアの向こうに立っていたのは頭のてっぺんから水を被ったようなさんで、お天気リポーターもびっくりな暴風雨を背景にして力なく笑っとる。今日は一緒に帰る約束もしてへんかったらさんの登場は俺にとって予想外で喜ぶべきことなんやけど、いくらなんでも俺に会いに来てくれたわけやないし、身体はいつもみたいな反応をせずにただただ立ち尽くすだけ。
 そんな中白石部長は自分の着とったジャージを脱いでさんの肩からかけ、肩を抱きながら大丈夫かと声を掛けて室内へと誘導した。
 はっとした俺は出遅れたことを恥じながらも、急いでさんの元へと駆け寄る。


 「さん……!さん、大丈夫なん……?めっちゃ濡れとる」
 「びしょ濡れやけど元気。びっくりさせてごめんね」
 「みんなまだ使えそうなタオル集めてくれへんか」


 こんな時でも白石部長は無駄なく手際よく指示を出して部員からタオルを集める。俺も自分の鞄からまだ使っていない綺麗なタオルを持ってきてさんの頭から被せた。
 ああもう俺格好悪い、こんなときは俺が一番しっかりせなあかんのに、結局白石部長に頼りっぱなしや。タオル越しにさんを抱きしめるとあーもう光くん!と怒るさんの声がして、こんなことしとる場合やないけど嬉しくなってしまう。


 「さんの髪の毛、俺が拭いてもええっすか」
 「ありがとう光くん」


 制服のスカートを絞っていたさんがちらりと上目遣いで俺を見て、その姿が今まで見たことのないさんで心臓が跳ねた。
 ほんまに最悪やーと能天気な声で言うさんを椅子に座らせて、向い合せになってわしゃわしゃとタオルを動かす。お風呂上りの甥っ子をたまにパスされることはあっても女の人の髪の毛なんて今まで拭いたことがないし、髪の毛が絡まってしまわんように甥っ子の時よりもかなり力は優しめや。


 「ちゅーかが一人で帰るとか珍しないか?」
 「今日私委員会やってん。光くん待たせたら悪いし今日は別々に帰ろって言ってて」


 ユウジ先輩が話しかけたけど俺に髪の毛を拭かれてるからさんの目の前におるのは俺で、俺の目を見てさんがユウジ先輩の質問に答えるんは変な感じやった。
 ふーんと言いながらさんの後ろのユウジ先輩がにやにやと笑う。言うときますけどさんは浮気しとるんとちゃうからな。ほんまは今日やって一緒に帰りたかったけど委員会が早く終わるか遅くなるか全くわからんて言うし、前にも一度同じようなことがあった日に先輩を2時間近く待たせてしまったことがあったから、また同じことになったら悪いと思て俺が先に折れたんや。
 ええの?って聞いてくれるさんにほんまは嫌やけどって言い訳するのは格好悪いから、その時だけは背伸びをして何でもないように返事をした。


 「校門出るときにぽつぽつ来たなーとは思ったんやけど、なんとかなるやろって思ってしまったんよね」
 「そしたらものすごい雷雨になったっちゅー話やな」
 「そうそう。そしたら丁度部室が見えて、みんな帰ってたらどうしよって思ったけど一か罰か賭けてみた」
 「ほんまにみんなおってよかったわ。でもドア叩く音した時はほんまにビビったんやで」
 「あの瞬間部室めちゃくちゃシーンってしたな、ネタがスベったときより静かやったわ」
 「白石がドア開けたときはジェイソンおると思ったしな」
 「後ろにぴかーっと稲光が見えてなぁ」
 「阿呆、今日は13日でも金曜日でもないやろ」


 先輩達のリズムのいい会話を聞いているときも俺はさんの顔を見たまま、懸命に濡れた髪の毛と戦っとった。水分を含んだタオルを新しいタオルに取り換えて何度も優しくわしゃわしゃを繰り返す。ドライヤーなんてあるはずのない部室で少しでも髪の毛を乾かすには俺が頑張るしかなかった。


 「くしゅんっ!」
 「寒いよなさん。そのままの格好でおるよりも着替えたほうがええんやけど……」
 「ここにある着替えなんて汗臭いジャージくらいしかないしねぇ……」


 白石部長がさんの肩にかけたジャージは少しずつ水分を含んで色が変わってきとる。このジャージは寒さ対策と透け対策なんやろうけど、このままやったらジャージもびしょびしょになるだけやった。
 さんが着てる制服はジャージよりももっと水分を含んどって重たそうで、先輩の座ってる椅子の下には小さな水溜りができてるくらいや。
 一番ええのは先輩らが言うように着替えることなんやけど、何を着るかやって問題やのにこんな男だらけのところで着替えろなんて嫌やと思う。っていうか俺も嫌やし。


 「さん寒い?」
 「ちょっとだけね」
 「やったら俺の体温で……」
 「……」
 「……冗談っすわ。さん俺の制服着ません?」
 「光くんの?でもそしたら光くんは何着て帰るん?」
 「俺はジャージで帰りますわ」
 「でも練習の時に来てたやつやろ?また着替えてもらうのも申し訳ないし……」


 確かに練習を終えた後の俺らは全員もう既に制服に着替えとった。でもそんなことはどうでもいい、とにかくさんが風邪を引いたりせんように何か着替えを提供できたらそれが一番や。
 俺が制服を脱ごうとするとさんは俺の手に触れて、ええから!と困り顔で俺に訴えてきた。自分の眉間にぐっと皺が寄るのを自覚しつつ、ちょっと拗ねとるのも事実や。


 「明日も学校あるんやし私が制服着て帰ったら困るやろ?」
 「そんなんは別にどうでも……」
 「あー!!ワイめっちゃええこと思いついた!」
 「急になんやねん金太郎!」
 「ねーちゃんワイの体操服着たらええねん!」


 急に金太郎がロッカーまで走り出し、当たり前のように畳まれていない脱ぎっぱなしの体操服と思われる塊を抱えて戻ってきた。
 謙也さんの顔に体操服を押し付けながら、少しだけ小さな声でニオイの感想を求める。意外とデリケートな金太郎の一面を知って先輩らはいい意味で驚いとった。


 「……まぁギリギリセーフやな」
 「ねーちゃん、謙也がセーフやって!」
 「金太郎くんええの?もしかしたら伸びちゃうかも……」
 「ワイもうすぐ千歳くらい大きくなるから気にせんてええでー!」
 「金ちゃん格好ええこと言うなぁ。そういうことやし、さんもここは金ちゃんに甘え」
 「ありがとう金太郎くん……!洗って明日には返すね」


 金太郎の頭をぽんぽんと撫でるさん、嬉しそうにへらへらしやがって金太郎……。ほんまはそれ俺のポジションやねんぞ、1年やからってすぐ甘やかされるんは反対や!
 俺も制服貸すって言うたのにとさっきよりも更に拗ねていると、さんが光くんもありがとうと言って金太郎にしたのと同じように頭をぽんぽんしてくれた。……これでもう全部チャラや、俺はもう何も気にしてへん!これが2年の余裕っちゅーやつや!


 「決まったんならはよ着替え!はよ!」
 「んも~せっかちなんやからぁ」
 「俺が先輩ら見張っときますから、その間にさんは着替えてください」
 「う、うん、ありがとう……」
 「一番覗きそうなんは財前やろ」


 さんの着替えを覗かせまいと先輩らを一か所に集めるように誘導すると、ユウジ先輩以外は全員黙って俺の指示に従った。なんやねん俺が一番覗きそうって!確かに見たいけどな!けど今はその時とちゃうやろ!
 全員に後ろを向かせてその姿を一歩下がった俺が見張る。まあ先輩らはそういうことせんとは思うけど、何があるわからんからな。
 全員が背を向けたことを確認したのか、背後で人が動く気配がした。間違いなくさんや。ごそごそと布が擦れる音、きっと濡れて肌に張り付いた制服と格闘しとるんやなと頭の中で妄想がぐるぐると巡る。
 しばらくしてべちゃっと音がした。さんが水分をたっぷり含んだ制服を椅子の上にでも置いたんやろう、ということは今さんは下着姿……!?あかんあかんと思いながら脳内ではどんどん妄想が膨らんでいくから、とりあえずその場で屈伸をして気を逸らすことにした。


 「ざ、財前?大丈夫か?」
 「……なんとか」
 「着替え終わりました!もう大丈夫ですみんなありがとう!」


 白石部長がおかしな気配に気付いたのか俺に声をかけてきたとほぼ同時にさんから声がかかって全員が振り向く。
 金太郎の体操服を着たさんが困ったように笑っていて、先輩らも少しよそよそしかった。金太郎の体操服は違和感なくさんに馴染んでるしサイズも丁度よさそうや。




 「そうや、みんなお腹空いたやろ?大した物ちゃうけど」


 なんとなく漂っていた微妙な空気を壊したのはさんで、鞄の中から何かの袋を取り出す。テーブルの上に置かれた袋には苺の絵が描かれていて一目見てそれが飴の袋だとわかった。


 「飴ちゃんやー!」
 「コンビニで買った新商品が今ほど役に立つことはないやろね」
 「さんええんか?」
 「みんなで食べよう、甘い物食べたら少しは満たされるかもやし」
 「はんからの恵みに感謝やな」


 師範がテーブルの上の飴の袋に向かって手を合わせたから周りの先輩らも師範を真似て目を閉じて飴を拝んだ。どんな光景やねん。
 飴を拝み終えるとさんが部員一人一人に飴を2個ずつ手渡していった。


 「金太郎くんは体操服貸してくれたから3つね」
 「よっしゃー!ねーちゃんおおきに!」
 「謙也さん、絶対に飴は噛まんといてくださいよ。感謝の気持ちを込めてゆっくり味わって食べてください」
 「財前に言われんてもわかっとるわ!」


 さんから貰ったものは全部大切やけどもちろんさんが一つ一つ袋から取り出して俺らに分け与えてくれてる飴の一つにやってその気持ちは変わりない。もったいないな、食べずにそのまま部屋に飾っておきたいなと思いながら飴をポケットに仕舞おうとしたらさんがこっちを見てにっこり微笑んどったから、いろんなことを察した俺は仕方なく飴を食べることにした。

 
 「なーなー、ねーちゃんは飴ちゃん食べへんの?」
 「みんなにお世話になったから私はええの」
 「えーっ!?ちゃんのぶんは!?」
 「ええからええから!私雨降ってくる前に一つ食べたし!」


 まだ二つ目の飴を食べていない先輩らがさんに飴を渡そうとするけどさんはそれを受け取ろうとはせん。ダメ元で俺も残りの飴をさんに差し出してみたけれど、光くんが食べてとあっさり断られてしまった。


 「ほんまは光くんにも3つあげたかったんやけど、光くんはお兄ちゃんやから我慢してね」
 「お兄ちゃんって……っていうか俺そんなことで拗ねたりしませんけど」
 「ごめんごめん」
 「(ほんまは正直めっちゃ拗ねとる)」


 会話をしながら残りの一つの飴をさんに渡したけれど、受け取ってもらえたと思った飴は制服の胸ポケットに返却される。
 さんが飴を受け取らんからって何もないし有難くもらっておけばええんかもしれへん、でも先輩らからは受け取らんかった飴を俺からは受け取って欲しいっていうしょうもない気持ちが芽生え始めて俺はどうしたもんかと考えた。こうなったさんを説得するのは大変やし、相当の理由がないとさんを納得させられへん。
 ……やとしたらもう説得する理由とかそんなことは抜きにして、飴を受け取ってもらうのが一番早いんちゃうやろか。


 「さん」
 「ん?」
 「なんかついとる」
 「何かってなに?」
 「じっとしてください」


 ほんまは何もついてへん。一歩さんに近付いて顔を覗きこんだ。完全に油断した顔。後は簡単なもんで、そのままさんの唇にがっつく。
 途端にさんの表情が険しくなって耳まで赤くなって身体を仰け反らせようとしたけど、両腕を掴んで逃げられんようにした。口を開けさせるように舌で探って、少しだけ開いた隙間から既に融けて半分以下のサイズになった飴をねじこむ。
息苦しさからか恥ずかしさからかさんの瞳にはうっすら涙が浮かんでいて、申し訳ないけどそんな姿にまたそそられてしまった。
 飴を口移ししてからもさんの唇を堪能した後、最後に小さな音を立ててからゆっくり唇を離す。自分でいうのもアレやけど、今までさんと経験したキスの中では一番濃厚やったと思う。
 怒られるかなと思いながらさんの表情を窺うとさんは口元に手を当てたまま固まっていて、この光景を見ていたであろう先輩らもみんな固まっとった。


 「この飴めっちゃ美味しいっすよ」
 「……」
 「ああ、でも正確には『美味しかった』やな」
 「……」
 「あかん、の意識が朦朧としとる!」
 「財前……」
 「さん助けてください、白石部長がいじめる!」
 「「「(こいつほんまええ加減にせえよ……!)」」」


 もう外の雷雨は収まったかもしれへん。さっきから雨の音も風の音も聞こえなくなっとった。今度は部室の中で俺に雷が落とされて先輩達の怒号が嵐みたいに飛び交うことやろう。
 怒る先輩らを目の前にしてさんの後ろに隠れるように、背後からさんの身体を抱きしめた。






















2018/05/16