優等生失格 02



 初めて青峰とが言葉を交わしてから数日が経った。二人の距離は明らかに近づいたが、クラスメイトが気付くこともないような些細なやり取りが増えただけに留まる。
 例えば休み時間に席で読書をするに青峰が声をかけ、何の本を読んでいるのか覗き見したりした。その結果青峰は本に綴られる長文を前に眉間を指で押さえると、自分から聞いたのにも関わらず「もういいわ」とすごすごと席に戻り机に突っ伏することになった。
 青峰にとっては自分とかけ離れた頭脳を持つに少し興味があっただけの行為だったが、それすらもの心臓には刺激的だったのは言うまでもない。

 相変わらずどの授業でも青峰は眠気に襲われない限りは授業中をずっと観察していた。
 これだけ観察していれば青峰の頭に数学の公式の一つや二つ刻まれてもよそさそうなのに全くその気配がないのは、美しい数式や正確な解答を見てもその後すぐに性欲で全て上塗りされてしまうからだ。
 がどれだけ正解を導き出したとしても、青峰が最終的に辿り着くのは白い肌の柔らかさへの興味ばかり。気が付けばの唇と胸を視線が行き来していた。穴が開くほど見つめたところで青峰の性欲が満たされるわけではないが、それでも視線が自然とそちらを向いてしまうのはどうしようもない。

 どれだけ青峰が大胆にを観察しようと、一番後ろの席で起こっていることに他の生徒が気付くことはなかった。唯一隣で視線を感じているも、青峰の目線の先にあるものが何か知るはずもない。
 現在行われている化学の授業でもそれは変わらず、は真面目に青峰は不真面目に授業を受けていた。化学はが苦手とする科目だが、だからこそ彼女は他の授業よりも念入りに予習をして授業に備えている。既に予習の内容でびっしり埋まったノートを見て、青峰は口を半開きにさせながら声をかけた。


 「スゲーなこれ、いつ書いてんだよ」
 「……家で予習したから」


 は少し困った様子で青峰の顔を見ながら手短に答える。
 この授業は二人が初めて会話した数学と違って、教師が神経質なので教室の中はいつも静まり返っていた。あまりそのことを気にしていないのは現時点で青峰一人だけだ。
 数学の授業以来青峰のことを意識しているは青峰に声をかけられることがあれば彼のほうを向くし無視をすることもなくなった。しかし授業を真面目に受けることは当たり前のことであり、青峰と話したいからと言って授業をサボる気は少しもない。
 へーと声を上げる青峰には遠慮がちに言葉を続けた。


 「……青峰くん、静かにしなきゃ」
 「あー、はいはい」
 「そこの二人、何をしているんですか」


 は飛び上がりそうになりながら顔を上げ、青峰はいつもの様子で気だるそうにしながら教師の方に顔を向ける。
 今まで真面目に授業を受けてきたはこの時人生で初めて教師から口頭注意を受けた。緊張と恥ずかしさとショックでみるみる顔が熱くなる。


 「わかんねーから聞いてるだけだろ」
 「……やりとりをするなら静かにしなさい」
 「……すみません」


 勉強を教えてもらっていると言われればいい返しにくいのと、相手があの青峰なので教師も長々と説教をしてくることはなかった。青峰は謝罪の言葉を口にしたを睨みながらボリボリと頭を掻いて不満そうな声を上げる。


 「別に謝ることねーだろ」
 「……また先生に怒られちゃうから……」


 続きは言えなかったがその一言で意味を理解したのか、青峰は黙って机に突っ伏した。
 本当は好きな人相手にこんなことを言いたくはなかったしもっと話したかった。しかし他の生徒の迷惑になることをしてまでも自分勝手なことをするべきではないということをは理解している。
 嫌われてしまったかもしれないと思いながら青峰を見ても、表情を窺うことはできなかった。



* * *



 化学が最後の授業だったので生徒は各々部活や帰宅のために教室を出て行った。教室に残るのは青峰とと数人の生徒のみで、相変わらず青峰は眠っている。
 部活に行かなくてもいいのかなと青峰に声を掛けるか迷ったの動作はいつもより自然とゆっくりとしていて、先程のことも謝ったほうがいいのかといろんなことを考えながら帰り支度を進めた。


 「オイ」
 「!?な、何?」


 いつの間にか目を覚ましていた青峰は自分の視線に気付く気配なくぼんやりしているを心配して堪らずに声を掛ける。残っていたクラスメイト数人が二人を振り返ったが、二人の様子は寝起きで機嫌の悪い青峰くんとそれに絡まれている真面目で可哀想なさんにしか見えず、とばっちりを避けたかったのか何も言わずにそそくさと教室を出て行った。
 二人きりになった教室は再び静まり返る。


 「大丈夫かよ、目ぇ死んでんぞ」
 「……ごめん、ぼーっとしてた。……それよりも青峰くんは部活、行かなくて大丈夫?」
 「……今日は行かねぇ」
 「そ、うなんだ」


 ほんの少しだけ目を伏せた青峰に余計なことを聞いてしまったのだと焦りながらも、先程のことを謝るべきかは葛藤を続けていた。
 本当に部活に行くつもりのない青峰は再び席に着いて雑誌とペンケースと財布だけが入った鞄を取り出して、今日はどこへ行こうかと考えを膨らませている。今日は先輩の女子生徒と遊びに行く予定もない。だからと言って自分から誰かを呼び出すほど面倒なこともしたくなかった。


 「お前は帰って勉強?」
 「う、うん。毎日してるから……」
 「毎日ィ?……信じらんねぇわ」


 基本的に勉強をするというスケジュールが存在していない青峰は純粋にの言葉に感心した。感心したと同時に深い溜め息を吐いた後教室を見渡した青峰は誰もいないのを今更知って、オレもそろそろ帰るかと重い腰を上げる。
 「じゃあな、頑張れよ」だなんて青峰の成績を知る人間が聞いたら何様なんだと思うような台詞を言いながら、の頭に大きな手をぽんと載せて彼女を一人残し教室を去ろうとした。


 「あ、青峰くん!」
 「!?っんだよビビんだろ……」


 部活のことや化学の授業のことをどう謝るかなんて、頭に触れられただけで全て吹っ飛んでしまったは大声で青峰を呼び止める。
 今までが大声を出すのを聞いたことがなかった青峰は、飛び上がりながらも教室を出る寸前で振り返った。は小走りで近付き、自分よりもずっと大きな青峰の顔を見上げ息を呑む。


 「あの、えっと」
 「んだよ、さっさと言えよ」
 「……私、青峰くんのことが好きです」
 「はぁ?」
 「あと化学のときは……ごめんなさい。授業止めちゃったから、クラスのみんなに謝罪は必要だと思って……でも私、青峰くんとおしゃべりしたくないわけじゃなくて、その……」
 「いや、フツー話す順番逆じゃね?」


 青峰はここ数日間のとのやり取りを振り返って何故急に自分に告白なんてしてきたのかと首を捻った。
 頭良いよなと褒めたり授業中に凄まじいものを感じて暇があればしょっちゅう観察していたが、性的な興味の目で見ていたことも事実なのでどれを理由にされたとしても多少の罪悪感はある。


 「あー……あれか、オレと付き合いてぇの?」
 「ち、違う!そんなおこがましいこと考えてないから安心してください!」
 「……ハ?」
 「青峰くん年上の人が好きだって、クラスの子が言ってたから……青峰くんとお付き合いできるとは思ってないし……」


 「おこがましい」という言葉の意味もわからなければ言っていることもよくわからない、青峰は改めて頭の良い人間の思考は理解できないと思ったが、の表情は真剣そのものでとても冗談を言っているようには見えなかった。
 付き合いたいとも思わないのに告白をする意図や、そもそもまだ自分は何も言っていないのに既にの中で決定的な決断が下されていることに青峰は混乱しながらも、隣の席の名前も思い出せない女を見下ろす。


 「別に年上が好きとか思ったことねぇし、あいつらが寄ってくんだから仕方ねぇっつか……んなことどうでもいいか」
 「そんなことないよ!今度教えてくれたクラスの子に、青峰くんは年上がタイプなんじゃないみたいって訂正しておくね」
 「だからそういう話じゃねぇって!」


 と話しているとペースを乱されてしまって、そもそも何の話をしていたんだっけと青峰は頭を抱えた。
 至近距離で自分のことを見上げているは相変わらず真面目な顔をして青峰の話を聞いていて、今まで自分に言い寄ってきた女達とは全く違うタイプに戸惑いを隠せない。


 「……お前何のために告白したんだよ」
 「何のためって……さっき青峰くんに頑張れって言ってもらったから、私もつい言いたくなっちゃった、っていうか……」
 「オレの言った頑張れはそういう後押しじゃねぇ」
 「勉強を頑張れ、だよね?わかってる、ちゃんと今日も頑張って勉強するよ」


 見返りを求めない行為の純粋さに青峰は眩暈がしそうになった。
 は青峰と付き合えると思っていないし自分への好意はないこともなんとなくわかっている。それでいて告白することによって今後気まずくなるだとか今までの関係が壊れるとか、そんなことを考えもせずにただ突っ込んできたことになる。
 今まで自分が勉強のできるを少なくとも尊敬していた気持ちは何だったんだろうと青峰は思ったものの、いろんな意味で圧倒され始めている現状に気付いてやっぱり彼女は頭が良いのだという結論になった。


 「オレが付き合ってやるっつったらどうする?」
 「嬉しい、けど……同情されてるのかなと、思っちゃう……かも」
 「同情じゃなくて興味つったら?」
 「……嬉しい、よ?」


 顔を赤く染めたを見て本当に自分のことを恋愛対象と見ているのだと再確認した青峰はどうしたものかと考える。同情……そのような気持ちは全くない。可哀想だから相手してやるだなんて今までどの女にも思ったことがないしのことも例外ではなかった。
 真面目な優等生タイプのは恋人どころか今まで遊んできたタイプの女とも違うし、愛してやまない巨乳の持ち主というわけでもないのだから、いくら彼女のことを性的な目で見ていたからとは言え付き合うメリットは少ないように思えた。
 は青峰との交際をどうしても望んでいるわけではないし、今ここで結論を出さなければいけないわけでもない。帰るわとこの場を後にしても青峰には何の問題もなかったが、尻すぼみに「嬉しい」と言いながら視線を泳がせるを見て、この現状を何か利用できないかと悪巧みを始める。


 「どーっすかな」
 「?」
 「迷ってんだよ。さっきお前に興味あるっつったら嬉しいって言っただろ」
 「えっと、あれは例え話……だよね?」
 「なんだよ、嫌か?」
 「嫌だなんて、そんなことは全然……!だけど私本当に、お付き合いしたいけどお付き合いできると思ってないからお付き合いしたいわけじゃないんだよ」
 「お付き合い言い過ぎて意味わかんねぇよ」


 付き合って欲しくて告白したのではないとはっきり口にされたものの、こちらから適当に言い包めればが簡単に首を縦に振るのは想像できた。しかし青峰の目的はの心ではなくあくまで身体であり、付き合ってまでどうこうしたいわけでもない。
 付き合うという形は青峰にとっては拘りのないものでも恋愛経験の少なそうながどんな理想を抱いているかなんてわかるはずもなく、とにかく面倒事だけはごめんだった。


 「告白したくせにって思われるかもしれないけれど、私は青峰くんには相応しくないって、思ってる、から……」
 「だからなんだよ。つかそれ決めんのはお前じゃなくてオレなんじゃねぇの?」
 「……」


 青峰の隣を歩く自分なんて想像ができなくて、本気で彼との交際だなんて身の程知らずだと思っていたからこそ出た言葉はあっさりと正論で返されてしまう。
 青峰は手の届かないところにいる存在だと思っていたのは事実で、本当にはそれ以上の関係を望むために告白したわけではなかった。だからこそ青峰に下手に食い下がられては変な期待をしてしまいそうで、そんな自分がまた嫌になる。
 そんなの純粋な思いを知りもしない青峰は普段ほとんど活用しない脳みそで、どうすればといい関係を築くことができるかを一生懸命考えていた。打算的な考え方はほとんどせずに、来る者拒まず去る者追わずな青峰にしてみればこれほどまでに面倒な女は相手にしたことがなかったが、ここ一週間ほど女子生徒と遊んでいなかった青峰にとっては都合のいいタイミングで現れた救世主にも思えた。


 「言ったよな、決めんのはお前じゃなくてオレだって」
 「う、うん……」
 「だったらお前がオレに相応しいと思ったら付き合ってやるよ」
 「……うん?」
 「なんだよ、もっと喜べよ」
 「えっと、それはどういう……?」


 普通の女なら何様なのよ!と怒り出しそうな場面でも、は怒るどころか数回瞬きをしたあと青峰の顔を覗きこむ。ある意味予想通りの反応に青峰は口の端を釣り上げたが、にはその表情の意味もわからなかった。


 「なんつーか……」
 「恋人未満友達以上……みたいな関係になってくれるっていうこと?」
 「まぁ、そういうことになんのか」


 先程まで俯いて今にも泣き出しそうだったは、椅子から立ち上がり青峰の両肩を掴んだ。


 「私のこと、嫌いじゃないってこと……?」
 「まぁ、嫌ってはいねぇな」
 「……あの、本当に青峰くんはそれでいいの?」
 「しつけーな。いいっつってんだろ」


 今まで見たこともないような嬉しそうな表情でが口元を抑えるのを見て、こいつもこんな顔するんだなと青峰は一人冷静だった。
 恋人未満友達以上だなんてこんな場面で上手いこと言うもんだと感心する。青峰の言葉の意味をどこまで正しく理解しているかは別として、でしゃばったりしてくるようなことがなければそれでよかった。
 もし面倒くさいことや重いことを言うのなら関係を切ればいいと簡単に捉えていたし、こちらの気が変わってもにはそこまでの執着心はないだろうと青峰は軽くしか考えていない。


 「そーいや丁度いいし、課題も頼むわ」
 「青峰くんもしかして……」
 「それくらいでごちゃごちゃ言うんじゃねぇ。オレの家で課題やりゃいいだろ」
 「う、うん?青峰くんもちゃんと一緒にやろうね」


 掴んでいた両手にぐっと力を入れて勉強頑張ろう!と笑顔で言うは教師のようで、青峰は余計なことを言ってしまったかと頭を掻く。正直言えば頭の片隅でと仲良くなれば課題をやってもらえるかも、という邪な気持ちはあったしそれくらいいいだろうという横暴な考えもあった。
 がもっと嫌な顔をして青峰を突っぱねるかと思いきや、青峰への気持ちによる甘さと勢いに押されて勉強のことも簡単に承諾してしまうんだから、半分予想通りだったにせよ内心チョロいなと思わずにはいられない。
 とりあえずこれで課題に苦しんだり教師にガミガミ言われることは減るだろうと下衆なことを考えたが、もっと下衆なことで頭の中はいっぱいだった。
 青峰が手を伸ばして親指の腹での唇をなぞると、目を見開いた彼女は数歩下がってから自分の席へと走って逃げていく。手を出せば抵抗される可能性はあるものの、最終的には了承するだろう。自分に好意を持っているんだから気に入れば継続しようだなんて、自分勝手なことを考えた。

 青峰が立ち上がりのろのろと教室を出て行くのを先程触れられた唇を噛みしめながら見送っただったが、またすぐに彼はひょっこりと顔を出す。
 さっさとしねぇと置いて行くぞと言い残してから顔を引っ込めた青峰を見て、は走って彼を追いかけた。


























「オレと付き合いてぇの?」を言わせたかった……

2018/06/25