「あ、あの……!」
「なんや、また君か」
「好きです!わ、わわ私と付き合ってください!」
「うーん……」
この人に言われた通り、何度目かの告白をして恐らく今回も玉砕しようとしている。「うーん」と毎回悩んではくれるものの、いい返事を貰えたことは一度もなかった。
桐皇学園に通っている名前も知らない彼は私を見下ろし、困ったように笑う。
エキセントリック 1
彼と出会ったのは2週間程前の夕方だった。友達と学校の帰りに遊びに行き、帰宅するための電車を待つホームで、落としたイヤホンの片方を拾ってくれたのが彼だった。
「落としたで」
少しだけ人の増えてきたホームで、急に男性がしゃがみこんだのが見えた。立ち上がった男性の手には私のイヤホンが握られていて、先程の一言と一緒に差し出された。イヤホンは何かの拍子に落としてしまったらしく、鞄の中から配線が伸びていることに気付かないまま私は電車を待っていたらしい。鞄の中に適当にイヤホンを突っ込んだことを後悔した。
内容だけ聞けば特に珍しいやり取りでもない、親切な人との会話だ。物を拾って渡した、受け取った、ただそれだけのことなのに私にとっては衝撃的だった。
独特のイントネーションと共に紡ぎだされた一言はとても優しい響きだったし、反射的にお礼を言うと「どういたしまして」と笑顔を添えて返してくれて、大げさかもしれないけれど心臓が跳ねた。
ほぼ一目惚れ状態で、駅の階段を降りようとする彼の横顔をただ見送った。彼がホームと階段を隔てる壁で見えなくなった瞬間に、ようやく呼吸ができたような気がした。
咄嗟に考えたのは「今すぐ彼について調べなければ!」という少しストーカーチックなことで、すぐさま東京にある高校の制服を検索していた。ブレザーにネクタイというかなりスタンダードな制服だったけれど、恐らくここだと絞り込んだのは桐皇学園だった。
次の日、手当たり次第友達に桐皇学園に知り合いはいないかとあたってみたものの、知り合いのいる子は一人もいなかった。それでも諦めきれない私は、昨日と同じ時間に同じ駅の同じホームで彼を探してみることにした。1時間程粘ったものの結局彼は現れず、その次の日今度は学校帰りに直接桐皇学園へと出向いた。
無謀とも思えた作戦はまさかの結末を迎えることになった。彼と再会することができたのだ。幸運なことに一人で帰宅途中だと思われる彼を見つけて声をかけ、私はそのまま告白した。
「突然すみません!」
「?」
「あの……あなたのことが好きです!付き合ってください!」
「え?」
突然現れた他校生に告白されて、彼は少し驚いていたようだった。とりあえず怒っている様子がないことにほっとする。
「ああ、君この前のイヤホンの子か」
「そ、そうです!」
私のこと覚えていてくれたんだと舞い上がる気持ちを抑えつつ、返事を待つ。普通に話しかけたほうがよかったかもとか、もう少し様子を見るべきだったのではと考えたけれど、勢いで口にしてしまったものは仕方がない。
「うーん……」
「……」
「あ、ワシ急いどるんやったわ。すまんな」
初めて会った日と同じ笑顔ですまんなと微笑んだ彼は、そのまま目の前を通り過ぎて歩き出してしまった。嘘でしょ!?と思いつつも急いでいるらしい彼を足止めする気にもなれず、その日はそのまま帰宅した。その日は、だ。
それから毎日、正確に言えば学校のある平日は欠かさず桐皇学園に通った。定期範囲外なので出費がかさむものの、彼とは接点がないしここでしか会えない。さすがに学校内には入れないので校門の前までしか行ったことはないけれど、校門を出てすぐの場所や桐皇学園から駅までの通学路、他にも最寄駅のホームで彼に出会えることもあった。
ほぼ毎日通っても毎回会えるわけではないし、財布の中もどんどん寂しくなる。でも彼の顔が見たかったし、少しでも会話したかったし、本気だと伝えたかった。ただの一目惚れと思われても例え馬鹿にされても、本気で彼が好きなのだ。
* * *
いつもと同じように「あの!」と声をかける。名前を知らないのだからそうするしかなかった。始めのうちは「あぁ」とか「どうも」とか返してくれていた彼は今日初めて「また君か」と笑ってくれた。バリエーションが一つ増えたことが嬉しい。
私が伝えることは変わらないので、今日も「あなたが好き」だということを伝えた。これだけは何度言っても慣れないし恥ずかしいしでどもってしまったり、噛んでしまうこともある。一応彼は笑っていてくれるのでもう気にしていない。
彼はいつも「うーん……」と言ったあとに、予定があるとか忙しいからとか気を付けて帰りやとか何か言葉をくれるけれど、関係の発展に繋がるようなことは決して言わなかった。それが彼なりの答えなのかもしれない。でも私ははっきりと彼の口から「ノー」と言われない限りは諦めたくなかった。時間がかかったとしても「ノー」以外の返事が欲しい。
「うーん……」
「……」
「そやなぁ」
「!?」
「君、明日の夕方は時間あるん?」
今日は「うーん……」の後にいつもとは違うニュアンスの続きがあって、思わず背筋が伸びた。彼から質問されるのは初めてだ。しかも今の私にはかなり前向きな質問に思えてならない。
「あります!全然ありますたくさんあります!学校も休みます!」
「そこまでしてくれんてえぇねんけど」
「とりあえず何時でも大丈夫です!」
私の返事に彼はまた苦笑した。その後少しだけ考える素振りを見せ、携帯を取り出して時間を確認する。
「明日のこの時間、桐皇の最寄駅来れるか?」
「来れます!」
「じゃあその時間によろしゅう」
明日何かが起こる!明日の約束をしたときは、ただただ嬉しくてどうにかなってしまいそうだった。わざわざ時間を作ってくれるんだから悪い返事なわけがない。こんなに勿体ぶっておいて「君のこと好きちゃうねん」みたいなこと言うわけがない!と帰宅途中の思考は前向きだった。
ところが家に帰って、夕飯を食べて、お風呂に入って、理不尽な恋愛模様のドラマを見てしまった後は、前向きな気持ちはどこか彼方へと消えていた。どうしてこのタイミングなんだろうと考えたとき、一番始めに浮かんだのは、もしかしていい加減鬱陶しいと言われるのでは?という当たり前の結論だった。
* * *
ついに当日、楽しみなのに胃が痛かった。もしかしたら今日でもう彼に会うのは最後かもしれない。考えさせて欲しいとか友達ならみたいな返事ならまだしも、ストーカー認定されて警察に行くとか、もう付きまとうなと言われたって不思議ではないよなと、頭の中は冷静だった。昨日あの場でできない話なのだとしたら、もしかしたら彼女を連れて来るのかもしれない。
朝から溜め息ばかりで友達は心配そうにしていたけれど、私がしている事も今日これから起ころうとしていることも、相談する気にはなれなかった。恋は盲目と言うものの、本当に冷静になって考えてみたら、好きになった男性について調べようとしたりその人の通う学校で待ち伏せしたりなんて、気持ち悪いと言われてもおかしくない。彼と同時に友達も失いたくなかった。
今日彼に会ったら謝ろう。この気持ちに偽りはないけれど、ちょっとおかしなことをしてしまっていたと謝れば考えを変えてくれるかもしれない。……結局私は自己中だ。
授業を終えて電車に乗って、通学路でもないのに何も考えなくても桐皇学園の最寄駅に着くことができた。彼に謝らなくてはいけないのに、会うのを意識し始めた瞬間から、心臓が強く震えているのがわかる。何かよくないことが起こる恐怖よりも、彼の顔が見られるのが嬉しい気持ちが勝っているなんて、本当に私はどうかしているんだと思った。
「おう、お待たせ」
「今着いたばっかりなので!」
「ほんまかぁ?」
彼は一人で待ち合わせ場所に来た。彼女がどこかから見ているのでは?と気になったけれど、周りにそれらしき女性の姿はない。
私の言葉を疑っているのか、彼は私の顔を少しだけ覗き込んでくすくす笑っていた。今まで見たことのない可愛らしい一面が見られて、一瞬、今日フラれても悔いはないと思ってしまう。
その辺のカフェでいいかと、彼は駅前のチェーン店を指差した。
特に何も話すことのないまま二人でカフェまで移動し入店、さらっと注文するメニューを聞かれたのでさらっと答えると、当たり前のように彼は自分のコーヒーと一緒に私の飲み物も注文する。申し訳ないとお金を返そうとしたら「ここまで来させたからそのお礼」だと言って受け取ってもらえなかった。そういう大人な対応にまたキュンとする。彼の年齢は知らないけれども。
「よっこいしょ。で、何やっけ?」
「えっと……」
「ああそやそや、君ワシと付き合いたいんやっけ?」
「そ、うです……」
店内の少し奥まった席に場所を陣取ると、すぐに本題が切り出された。ものすごいことを挨拶のように切り出した彼に驚きつつ、何度も頷く。君オレと付き合いたいの?なんて、そこらへんの男性に言われれば失笑ものだ。でも彼が言うのなら話は別で、むしろそんな大胆な台詞を言えてしまう彼にまたときめいた。
期待と不安の表れか「そうです、付き合ってください!」といつものように振る舞えず、声は尻すぼみになっていく。その返事にふぅん、と他人事のような反応をしながら、彼はコーヒーを口にした。
「あんな、まず最初に言いたいことがあるんやけど」
「……何ですか?」
彼の表情は穏やかなままだったけれど、急に結論を言い渡されるような流れに動揺を隠せなかった。昨日の夜に考えていたことが次々と頭の中を過る。通報か?それともウザイんですだろうか?そもそもまずってことは、これのもう一つ次があるってことなのか?
「こういうんは情報収集もっとしたほうがえぇ」
「は、はぁ……」
「君、ワシの名前知っとるんか?」
「知りません」
「じゃあ学年はどうや?」
「なんとなく年上なのかなぁ、ってことくらいしか……」
「そらあかんわ」
何がいけないのか一瞬わからなかった。確かに情報を仕入れたほうがいいのはごもっともだけど、そうなると彼は顔しか知らない人間に、根ほり葉ほり自分のことを探られることになる。それをご本人様に勧められるとは一体どういうことなんだろう。
「プロフィールもやけどどんな生活しとるんかとか、周りの人間のこととか、知ってて損することはないやろ」
「まぁ確かに……」
「そういうんはちゃんと調べて上手く利用せな」
「なるほど……?」
「学校は何でわかったん?偶然知ってたんか?」
「い、いえ。高校の制服で検索しました」
「なるほどなぁ」
あなたのことを調べましたと言葉にするのは恥ずかしかった。本当はそのことも、毎日しつこく学校に通っていたことも謝ろうと思っていたのに、それを本人から許可されるどころかもっとやれと言われるとは思わず、謝るタイミングを完全に失った。
どうして私は彼からアドバイスを貰っているんだろう。次の恋に繋げよという暗示?モヤモヤした気持ちはありながらも彼との会話は楽しくて、ずっと会話のペースを握られているのも嫌な気はしなかった。
「そもそも君、ワシのこと何も知らん状態で何でワシと付き合いたいん?」
「理由はたくさんありますけど……」
「一緒におったら嫌なところめっちゃ出てくると思うで?こんなん知らんかった、そんなん聞いてないってなるんちゃうか?」
「今はイメージできないです」
「ポジティブなんはええことやけど、ワシ面倒くさいでー?マメちゃうし適当やし、嘘つきやし性格悪いし」
彼は自分のことをとても悪い人みたいに言うけれど、それを自覚していて尚且つあらかじめ伝えておいてくれるなんて、逆にいい人なんじゃないかと思う。盲目的だと言われるかもしれない、でも自分で確かめてもいないのに好きな人にそんなことを言われても、何とも思わなかった。
素直にその気持ちを伝えると「そうか」と呟いて呆れたように笑われた。ガキだなぁと思われたかもしれない。
「で、そう言えば君、名前は?」
「!、です」
「さんか。いくつ?」
「高2です」
「ふぅん」
「あの、私も名前聞いてもいいですか?」
「えー、何で教えなあかんの?」
「!?」
話の流れでそのままあっさり名前を教えてもらえるのかと思えば、少し意地悪な顔で質問を返された。先程のアドバイスから察するに、自分で調べろってことだろうか。恐らく、彼にも伝わるほどにがっくりと肩を落としてしまった。
「すまんすまん、冗談やって」
「……?」
「今吉翔一や。3年やからワシのほうが年上やな」
「今吉先輩……」
今吉先輩、今吉先輩、今吉先輩……!脳内で反芻しているだけで幸せな気持ちになれるような呪文みたいだ。なんて響きのいい名前だろう、いつか翔一先輩って呼びたい。
「私やっぱり今吉先輩のことが好きです」
「ふぅん」
「どうしたら私、今吉先輩と付き合えますか?」
今日一番大胆な台詞が言えたのは、今ここで引いてしまえば、今吉先輩とはこのままの関係で終わるような気がしてならなかったからだ。拒否されているわけではないと思うけれど、きっと先輩に私の気持ちは届ききっていない。たくさん今吉先輩と話せて新しい先輩が知れてもっと好きになったこと、それを先輩に分かって欲しかった。
少しの沈黙の後、先輩はとても爽やかな笑顔で「せやったら」と切り出す。
「あと一週間頑張れるか?」
「頑張ります!むしろ嬉しいです!」
「即答かいな!情熱的やなぁ」
ハハハと先輩は笑っているけれど私は本気だ。それに本人自ら会いに来いと言ってくれるなんて、私にとっては嬉しい申し出以外の何物でもない。
「明日からの一週間、来週の月曜日まで……毎日ワシに会いに来てくれたらさんと付き合うたる」
「本当ですか!?」
「ほんまや、嘘ちゃう。ただし」
「ただし……?」
「もしワシに会えんかったら、そん時は諦め」
今吉先輩を諦めるなんて言葉は私の辞書にはない。提案を蹴る理由は一つもなかった。
「絶対にやりきってみせます!」
「わかったわかった。せやったらちゃんと制限時間決めよか。夜遅くに娘が外うろついとったら、親御さん心配しはるやろしな」
「私の家、門限21時なんですけど……」
「やったら余裕見て19時にしよか、2時間あったら帰れるやろ。19時までにワシに会いに来る、それだけや。朝は何時でもええけど早朝4時とかは危ないしやめときや、常識の範囲内でな」
先輩に一週間会いに行くだけで先輩の彼女になれる……夢のような話だ。ここ2週間くらい続けてきたことをあと1週間続けるだけ、毎日本人公認で顔を見に行けるなんて何の苦でもない。
それから私と今吉先輩は他愛ない会話を続けた。先輩は全く隙を見せるつもりはないらしく、名前と学年以外の情報は全く教えてもらえなかった。確かに今吉先輩が言うように私はもっと先輩について知るべきだと思う。そうすればもっと先輩のことを好きになるんだから好都合でしかない。先輩が何も教えてくれないことが、私にとっては更に燃える材料になった。
「ちゃんとルールは守るんやで、きっちり一週間や」
「大丈夫です、頑張ります!」
「まぁ頑張り」
カフェで1時間程話した後、私達は店を出て駅に向かった。昨日の私がこの事を知ればさぞかし驚くことだろう。あれだけネガティブになって落ち込んでいたのに、結局自分が今までしてきたことを謝るどころか咎められることもなく、良い意味の進展しかしなかったことは今日の私でも驚いている。
駅に着くと先輩は「ほな」と軽く右手を上げてから一人階段を上って行った。私とは逆方向に住んでいるようだ。ここでこっそり先輩の後をつけて自宅を特定して、毎日そこで待ち伏せるのもありかと考えたものの、それは常識の範囲内の行動ではないと判断してやめた。
階段を上りきったところで逆方向に進む電車が発車し、ホームには既に先輩の姿はなかった。少し残念だけれど気を取り直して鞄からスケジュール帳を取り出す。今日が月曜日なので明日火曜日から一週間。きっちり一週間……あれ……土日どうしよう!?
黒バスの世界にワイヤレスイヤホンが存在しているか微妙なので、若干修正しました。
2020/06/05
2022/11/16(修正)