エキセントリック 3



*木曜日 夕方*

 授業を終えたはいつものように桐皇学園に行き、数時間待った後校門から出てきた今吉と諏佐に声をかけた。水曜日と同じように諏佐に見守られながら今吉に告白をし、その後は何事もなかったかのように三人で駅に向かう。

 「じゃあ私反対側なので!お疲れ様でした!」
 「ん、ほな」

 違う方向の電車に乗るために、自分たちとは反対側のホームへと向かうに別れを告げ、男二人はゆっくりと階段を上り始めた。階段を無言で上りながら諏佐は、改めて今吉にのことについて尋ねるかどうかを迷っている。
 昨日突然他校生の女子が今吉に告白をしたときは、彼も忙しいなと他人事だった。しかし2日連続で同じことが起こると、主に今吉が何を企んでいるのかどうも気になってしまう。あまり根掘り葉掘り詮索するつもりはないにせよ、二人になると今吉がについて自ら話すことはないので、こちらから話を引き出すしかなかった。

 「さん、明日も来るのか」
 「来るやろなぁ」
 「……言い切るんだな」
 「そういう約束やからな」

 案の定多くは語らない今吉の「そういう約束」という意味深なワードに、諏佐は溜め息を吐く。今吉が下手なことをして相手を怒らせるようなことはしないとしても、きっとにとって有意義な時間にはならないだろうと彼女に同情した。

 「彼女誠凛だろう、毎日こんなところまで来ているのか?」
 「なんや諏佐、そんなにあの子のこと気になるん?」
 「そういう意味じゃ……」
 「せやったらワシの知っとること全部教えたろ」

 誠凛高校二年生で同じクラスに誠凛バスケ部の学生監督。部活は帰宅部、身長○センチ体重○キロ、誕生日は○月△日。家は○市の×丁目※番地で家族構成は……
 今吉がの個人情報をまるでメモでも読み上げるかのようにすらすらと暗唱する横で、諏佐は先程よりも深く深く溜め息を吐く。今吉との間に何があったかはわからないし、2人の間の約束の内容も知らない。でも、彼が面倒なことを考えているのだけはよくわかった。

 「……桃井に何をさせてるんだ」
 「させたんちゃう。お願いしたら桃井やってノリ気やったし」

 クスクス笑う今吉を見て、この会話でさえも誘導されたのかもしれないと考え始めた諏佐は、諦めて参考書を取り出す。桃井が何を思って協力したかはわからないけれど、個人情報と引き換えに彼女の好物を差し出す今吉を想像した諏佐は、に再び同情した。



* * *



 今吉に告白を終え帰宅したは、そわそわしながら桃井に電話をかけていた。「答えられることならなんでも答える」と言われたものの、土日のスケジュール以外に何を聞くか、本当は決まっていない。電話する時間が遅くなってはいけないからと、焦って電話したことを少しだけ後悔しつつも、は呼び出し音を聞いていた。

 『もしもーし、先輩ですか?』
 「そうです。桃井さん、忙しいのにごめんね」

 リコが予めこちらの番号を教えてくれていたことに感謝しながら、緊張でカラカラになった口をなんとか動かす。今吉に告白するときよりも緊張してる気がして、自室で一人苦笑いした。

 「早速ですが……リコちゃんにも聞いたと思うんですけど、土曜日と日曜日に部活の予定があるのか教えて欲しいです」
 『えーっと、明後日の土曜日は桐皇で練習試合がありますね』
 「練習試合ですか……体育館でやるんですよね?」
 『そうです。ただレギュラーの下の部員がメインの練習試合になるので、今吉先輩はほとんど出ないと思います』
 「そうなんですね」
 『サボったりするような人じゃないのでちゃんと部活には来るはずです。一応土曜日は全員参加の日なので』
 「あの……練習試合って私が体育館の中に入ると怪しまれる雰囲気ですか?」 
 『相手校の生徒も観に来たりするんで大丈夫ですよー。でも誠凛の制服は着てこないほうがいいと思います、目立ちますから』

 今吉の出番はほとんどないと言われたものの、にとっては初めて部活をしている彼の姿が見られるかもしれない期待の方が大きい。期待に胸を膨らませつつ、練習試合の開始時間や、他校生が体育館に出入りしても怪しまれない時間を確認して、スケジュール帳にメモした。
 続いて日曜日の予定を尋ねる。桃井の声のトーンが少しだけ低くなった。

 『今週の日曜日は部活お休みなんです』
 「部活がないとなると、予定はわからないですよね……」
 『それとなく今吉先輩に聞いてみましょうか?先輩鋭いのではぐらかされちゃうかもしれませんけど……』

 日曜日のことは自分から今吉に直接聞いてみることをが提案すると、桃井は苦笑しながら同意した。今吉のことだからそう簡単に有利な情報を教えると思えないものの、それをに伝えたとして、代わりに自分が何とかしてあげられる確率もかなり低い。
 その後今吉の誕生日や好物など、話題に出来そうな情報を少しだけ話し、は何度も桃井にお礼を言ってから電話を切った。



*金曜日*

 「金曜日は部活の日です」と事前に聞いていたの足取りは軽い。桐皇学園に向かう前にコンビニでお菓子と飲み物を買って張り込み対策をしてから、校門から少し離れた定位置についた。
 数時間後、一人で学校から出てきた部活終わりの今吉の背中を追い、が声をかける。

 「今吉先輩、お疲れ様です!」
 「おぅ、お疲れさん」

 この流れに慣れてしまったのか、今吉も驚くことなく振り向き挨拶を返した。いつもならこのまま告白の流れになって、が走り去るか駅まで一緒に歩くことになるのに、今吉を見つめたまま彼女は次の言葉を発することなく固まっている。

 「どないしたん?」
 「明日、もしちゃんと今吉先輩に会えたとして、声をかけられない状況だったらどうしたらいいですか?」
 「どんな状況やねん」
 「……例えば私が割りこめないようなことを先輩がしているとか」

 具体的な内容は言わなかったものの、今吉は今の一言で、が明日の練習試合のことを知っているのだと察しがついた。桃井と既に繋がったのか、もしくは他の知り合いから練習試合の存在を聞いたのか。顔に出さないまま、どうすれば彼女が困るのか考えを巡らせる。

 「やったらめっちゃ大きい声で叫んだらええんちゃう?周りも聞いとったらワシも後日言い逃れできひんやろ」
 「な、なんて叫ぶんですか!」
 「それはさんにお任せするわ」
 「……」

 が顔を真っ赤にしているのを見て、今吉は満足気に笑った。恐らく明日桐皇の体育館で、大声で告白しているところでも想像しているであろうは、目の前に今吉しかいないのに「これは恥ずかしい!」と両手で顔を隠している。
 でも実際にそんなことをされては今吉としても非常に困るので、明日そうなる前にどうやって彼女を止めるのか、彼に今晩の課題ができた。



*土曜日*

 はいつも通りの時間に起きて朝食を食べた後、昨晩予め決めていた服に着替えた。あまり目立たないようにと選んだワンピースは、桐皇の制服の色に少し似ている。相手校の制服の色もわからないので、ならば桐皇の生徒に紛れ込んでやろうという作戦だ。
 丁寧に身支度を整えた後、忘れ物はないかチェックして家を出た。誠凛からの寄り道ではなく、自宅から桐皇に行くのはこれが初めてになる。
 電車に揺られる中、話を切り出すイメージトレーニングをした。今吉と話す機会はあるのか、そこだけが心配だった。

 毎日毎日通っているのに、初めて桐皇の校門を通るときは何だか落ち着かなかった。は他校生を見つけてすぐに後ろを追いかけて行く。無事に目的地と思われる体育館が見えてきて、他校生と同じように何食わぬ顔で体育館の中へと入った。持参した上履きを出し、靴を袋に入れてから階段を上る。体育館の2階には既にそれなりの人数の桐皇生と他校生……主に女子がいた。
 端の方を陣取ったは、1階で練習している男子生徒たちを見下ろす。今吉の姿はなかったけれど、ユニフォームに大きく「桐皇」と書かれてあるのはわかった。ユニフォームからして強そうな色をしているなぁと、対戦選手でもないのに怖気づきながら、彼の登場を待つことにする。

 「先輩、ですよね?」

 なんとなくのルールしかわからないまま試合を眺めていると後ろから聞き覚えのある声がして、は振り返った。声の主は全く見覚えのない女子生徒だ。でも、こんなところで声をかけてくる可能性のある人は一人しかいない。

 「もしかして桃井さん……?」
 「はい!」
 「うっそ!?こんな可愛いの!?」

 思わず本音が漏れたと同時に、桐皇のレベルの高さに溜め息が出た。誠凛にここまで可愛い女子がいるだろうかと思い返してみるものの、それらしき人は思い浮かばない。

 「わざわざ探してくれたの?」
 「先輩に会ってみたかったので」
 「嬉しいこと言ってくれるなぁ。時間は大丈夫?」
 「先輩に許可取って抜け出してきました」

 「先輩に会ってみたかった」だなんて、言うことまで可愛いんだなとは感心する。この瞬間だけは今吉のことは頭になかった。

 「今吉先輩と会えましたか?」
 「……今日はまだ姿も見てないです」

 桃井から今吉の名前を聞いて本来の目的を思い出したは、1階を見下ろす。練習試合が始まって1時間も経っていなかったものの、試合に出る今吉はおろか、ユニフォーム姿すらまだ目にしていなかった。
 の隣に立ち、同じように1階の選手を見下ろしてから、桃井は少し真剣な面持ちで彼女を見つめる。

 「明日のことなんですけど」
 「はい」
 「今吉先輩相手に、偶然っていうのはないと思うんですよね」
 「……と言うと?」
 「明日、先輩が何も知らされていない状況で、どこかで今吉先輩に会うことができたとしたら、それは偶然じゃなくて今吉先輩が仕組んだ必然です。……もし会えなかった場合も」
 「うん……?」

 は今吉先輩って一体何者なんだろうという疑問を飲み込みながら、桃井の言葉に相槌を打った。
 今吉は特殊能力や、それに類するものを使っているわけではない。しかし桃井曰く、その気になれば二人が顔を合わせるように仕向けることもできるしその逆だってできる、らしい。それは偶然ではなくて全て彼の計算の内なのだと言われても、何故だかには疑う余地がなかった。
 少し躊躇するような、そんな表情をした桃井は続ける。

 「私は先輩のこと応援してますけど、私がお手伝いできるのはここまでです。酷い言い方かもしれませんが、結局は全て今吉先輩次第なんです」

 桃井はに傷ついて欲しくなかった。ものすごく純粋に今吉を想っているのはわかるのだが、彼はそんなに純粋でもなければ、純粋なものを純粋でいるように扱うとも考えられない。

 数週間前、桃井は今吉に一枚の写真を見せられた。携帯で撮られた写真に写る誠凛の制服を着た女子は、カメラの方を全く見ていない。「犯罪ですよ」と言うと「この子がワシのこと好きやって言うから、この子のこと知りたいんや」と珍しい頼まれ方をしたので、経緯を聞いてから協力した。この時点で彼は彼女のことをどう思っているか言わなかったけれど、まさか今のような条件を突き付けているだなんて思いもしなかった。
 話を聞いている限り悪い方に転ぶ可能性は低そうだとしても、今吉のことだからわからない。下手にに期待させてはいけないという思いと、深く考えずに彼に協力してしまった罪悪感、複雑な気持ちが桃井の中で交差する。

 「じゃあどうなっても今吉先輩の気持ちってことだね。先輩が私に会わずに1日を過ごすとしたら、それは付き合いたくないって意味として捉える、と」
 「……そういうことになりますかね」
 「先輩何でそんなまどろっこしいことするんですかね?嫌なら嫌って言えばいいのに」
 「さぁ、私にも……」
 「ですよね。桃井さん本当にありがとう。ふられてもきっと今吉先輩のこと好きだろうけど、桃井さんに出会えてよかったです」

 こんなに純粋な人なのにと思うと、桃井は言葉が返せなかった。精いっぱい笑顔を作ってから、それじゃあと挨拶をしての元を去る。
 階段を下りて1階へ向かう途中、今吉が階段を上ってくるのが見えて彼に詰め寄った。

 「今吉先輩!」
 「おー、何や?」
 「何や、じゃないですよ!先輩のこと、あんまりいじめないでください!」
 「桃井はもうさんの味方かいな」
 「当たり前です!」
 「心配せんても悪いようにはせぇへん」
 「先輩泣かせたら、私怒りますからね!」

 桃井は「悪いようにはしないって、今吉先輩にとってですよね?」と、階段を上る今吉の背中に問いかける。今吉が彼女の声に気付くことはなかった。



* * *



 桃井がいなくなってから再び1階を見渡してみるものの、相変わらずは今吉を見つけられないでいた。その頃既に彼が階段を上っていることを、彼女は知るはずもない。
 食い入るように1階を見つめる。誰かに肩を叩かれ、桃井さん?と振り向いた。先程桃井の顔があった場所には「桐皇」と大きく書かれたあの強そうなユニフォーム……ではなく、黒い布地がある。目線を少し上げると首から下だけがいつもと違う今吉の姿があって、驚きと興奮で彼女は素早く口を手で塞いだ。おかしな声が出てしまいそうな気がしたからだ。

 「場所変えよか」
 「え?」
 「ワシは別にここでもええけど」

 今吉につられてが横を見る。2階にいる女子の大半がこちらを見ていた。明らかにバスケ部員の格好をしている人間が2階にいるのはとても目立つ上に、2階で応援している女子の1人に声なんてかけようものなら、コソコソ言われてもおかしくない。
 は無言で何度も頷き、足早に今吉の後を追って階段を下りた。



 「ぷはぁ!」
 「息止めんてもええやろ」
 「止めたかったんじゃないんです、止まっちゃったんです!」
 「さよか」

 今吉に手招きされついて行った先は、体育館とプールの間に作られた謎のスペースだった。誰もいないかわりにベンチだけがあり、時折体育館の中から聞こえてくる選手の声以外は何の音もしない。

 「試合はいいんですか?」
 「見てわかるやろ、ワシ今日は出番なしや」
 「そうなんですか……」
 「そんなあからさまに落ち込まんても」

 桃井から聞いていたので期待しすぎないようにはしていたものの、残念なことには変わりなく、は肩を落とした。それでも目の前に立っているのは、大きめの黒いTシャツに黒いハーフパンツ姿の今吉で、いつもの制服姿とは違う雰囲気に心揺さぶられている。

 「制服姿もとっても好きなんですけど、今日の今吉先輩も好きです!」
 「そらおおきに」
 「本当はユニフォーム姿が見たかったですけど、そんなところも好きです!」
 「わはは、それはすまんのー」
 「いいんです!どんな格好でも私にとって今吉先輩は唯一無二なんです」

 「今日来られてよかったです」と言ってから、は少しだけ笑顔を見せた。本当は話の続きとして明日のことを聞かなければならないのに、肝心の台詞が出てこない。今吉は部活に戻らなければならない上に、このまま話が終わってしまえば連絡を取る手段がないのもわかっていた。しかし、頭に浮かぶのは先程の桃井の言葉だった。

 「……ほな、ワシそろそろ戻るわ。ワシがおってもおらんても特に意味なんてないんやけどな」
 「時間作っていただいてありがとうございました」
 「こちらこそ。わざわざ土曜日にこんなとこまで」

 明日のことに触れる様子のないまま、来た道を戻ろうとする今吉を目の前にしても、は何も言えなかった。会う時間がない、予定があると言われてしまえば月曜日を待たずして結果が出るようなもので、彼を呼び止めて明日のことを切り出す勇気が出ない。
 いい意味での偶然を待つしかないのかもしれないと、は静かに今吉の後を追った。すると体育館へと通じる扉の前で彼が振り向き、何か思い出したような顔をする。

 「あぁ、そやさん。明日部活ないから、ワシはココにはおらんで」
 「……わかりました」
 「間違えて来たらあかんで」

 言ってからくすくすと笑う今吉に、は泣きそうになった。「今吉先輩がいないのに来ません」と返したくても泣く寸前なのに気付かれそうで、視線を落として言葉を飲み込む。

 「それで、や。ワシ明日予定もないねん」
 「そう、なんですか」
 「1日家におってもええんやけど、明日ワシに会えんかったらさんは困るやろ?」
 「……そうですね」
 「せやから、どっか出かけよかと思って」
 「……」
 「何処がええ?」

 は少しだけ涙の出かかった顔を上げた。彼が明日の行先を教えようとしてくれていることに、一筋の希望が見えた気がする。

 「何処、と言いますと?」
 「場所やん。何処がええ?」
 「私が追いかけやすい場所だと嬉しいです……!」
 「追いかけるって何やねん。一緒に行かんのか?」
 「!?」
 「ワシの聞き方が悪かったわ。さんは何処に行きたいですか、やな」

 みるみる笑顔の広がるを見て、今吉はすまんすまんと笑いながら彼女の頭に手をやった。落ち込んだと思えば真面目に告白してくるし、不安な顔をしたり泣いたり、思っていることがダダ漏れだけれども、そこが彼女のいいところだと思う。いろんな一面が見たくて、ついやりすぎてしまったかもしれない。でも、最終的に彼女は大興奮しているのでこれでよかったのだと自分に言い聞かせた。

 「どないしたん、泣いてたんか?」
 「さっき欠伸しただけです……!」

 大喜びのの目には少量の水分が残っていて、今吉が目ざとくそれを見つける。大きな手で顔を包み込むようにして涙を拭う彼の行動に、の心臓が一瞬だけ止まった。




















2020/06/25
2022/11/21(修正)