季節が変わっても年が変わっても春千夜との関係は続いていた。
髪型が変わり少しだけ大人びた春千夜と高校受験を控えた。二人とも思春期真っただ中で心も身体も日々変化していたものの距離が近すぎたのか互いの変化を自覚することはなく、気が付けば春千夜は小学6年生、は中学3年生になっていた。
夢見るイプシロン 03
その日春千夜は学校からの家に直接向かう予定にしていたので、放課後少し時間を潰してから頃合いを見て彼女の家に向かった。中学生と小学生では帰宅時間が違うので、彼はこうして学校で時間を潰すか一度帰宅してから友達の家に遊びに行くと言って家を出ていた。
の家に到着した春千夜はいつものようにインターホンを押し彼女が出るのを待った。まず最初にインターホンで応答した後、いつも彼女が玄関扉を開けてくれる。今日もそのつもりで暫く玄関の前で彼女を待っていた。
「春千夜くん、いらっしゃい」
「……?」
玄関扉が開くとそこにはいつもと違う光景が広がっていた。普段なら帰宅して私服に着替えているはずのが今日は制服姿のままだ。もしかして帰宅して間もなかったのだろうかと春千夜が考えたのも束の間、彼女のすぐ後ろに恐らく彼女と同じ学校の制服を着た見知らぬ男子生徒が現れた。彼女の家に通うようになって2年経つか経たないかの間で彼女の他に誰かが一緒だったことは一度もなく、春千夜にとっては完全に予想外だった。
男子生徒もまた春千夜の存在を知らされていなかったらしく、の後ろから不思議そうに春千夜を見つめる。
「、この子は?」
「友達の春千夜くん。よく遊びに来てくれるの」
の説明に納得したようなしていないような微妙な表情のまま、男子学生は「へぇ」と相槌を打つ。その雰囲気に何か嫌な予感がした春千夜は早々に話を切り出そうと、ランドセルを開けて小さな袋を取り出した。
「これ、お姉ちゃんに」
「私に?」
「修学旅行のお土産」
「そっか、春千夜くん修学旅行だったね!わざわざ買ってきてくれたの?」
「うん」
「ありがとう!」
数日前に修学旅行から帰ってきた春千夜は学校帰りににお土産を渡すべく、ランドセルの中にこっそりそれを忍ばせていた。年上の兄弟のいるクラスメイトの女子が「キーホルダーに名前を入れてくれる店がある」と話していたのを密かに聞いていた彼はそれを彼女のお土産にしようと、彼女の部屋で事前に彼女のノートに書かれてある「」という漢字を覚えて帰ってメモに残した。
修学旅行にそのメモを持参し、自由行動の時間に実際にその店でメモを見せ無事にお土産を買うことができた。キーホルダーにはフロッキー素材のマスコットと一緒にネームプレートががついており、そこにはしっかりと「ちゃん」と印刷されている。大したことはないキーホルダーだが春千夜にとっては彼女の為に一生懸命だった。
「名前が入ってる!」
「お店の人に頼んで入れてもらった」
「私の名前で注文してくれたの?すごく嬉しい!」
「別にそんな難しいことしてないし……」
「本当にありがとう。大切にするね」
の掌の上でキーホルダーについている小さな鈴が鳴った。大事そうにキーホルダーを両手で包む彼女の姿に春千夜は胸を撫でおろす。
「今お兄さんと一緒に勉強してたんだけど、春千夜くんも一緒に宿題しよっか。お兄さん、私より算数得意だよ」
ランドセルを背負っているのを見て学校帰りなのを察したが続けて春千夜に声をかける。ただ、彼の心境はいつもとは全く違っていた。
「……いい。オレ帰るよ」
「春千夜くん?」
はいつもと全く変わらなかったし、後ろの男子生徒も優しそうに微笑んでいて春千夜を邪見に扱うような素振りは全くない。それでも子供心に自分がいると二人の邪魔をしてしまうと思った春千夜は、彼女の声が追いかけてくるのを無視してそのまま玄関を飛び出した。
二人の邪魔をしてしまわないように気を遣ったのはもちろんだったが内心はあの空間にいるのが苦痛だった。知らない男がのことを呼び捨てで読んだのを聞いた時は苛立ちすら感じた。しかし春千夜が一番嫌だったのは彼女が家で自分以外の誰か……それも男と二人きりで過ごしていたという事実だ。要するに後ろに立っていた男子生徒に嫉妬していた。
この時初めて春千夜はのことを母や姉の代わりではなく、いつの間にか女性として意識していたことを思い知った。ただそれに気付いたのは恐らく彼女の彼氏であろう男の存在を突きつけられたからであって、何もかも手遅れだという結論にも同時に辿り着く。
それからというもの春千夜は意識的に帰宅時間を早めたり、もしくは遅くしたりしてに会う事を避けた。それでも稀に帰宅時間が重なることがあり彼女が目の前を歩いているのに気付いた時は、道端で隠れてその場を乗り切った。彼女が後ろを歩いていた時は声を掛けられるので、そんな時はできるだけこれまで通りを装って学校の話をする。彼女が何気なく家に誘っても「今日はもう帰らないといけない」などと嘘を吐いた。最初はその嘘を信じていたであろう彼女も春千夜がそんな返事を繰り返すので次第に家には誘わなくなった。
春千夜がの家に遊びに行くことはおろか二人のやり取りはこれをきっかけにぱったり途絶えた。
小学生編終わりです。
2025/07/24