祭りの日はさんと解散した後そのまま帰宅した。同行していた隊員たちのことはすっかり頭から抜けていて、あいつらのことを思い出したのは家に着いて数件の着信履歴を見てからだった。
 連絡が来るか正直不安な面もあったものの、その日の夜中近くにさんからメールがあった。そのままメールのやり取りを続けて早々に約束を取り付け、数週間後に彼女の訪問が実現することになった。

夢見るイプシロン 05


 最寄駅でさんと待ち合わせ二人で家に向かう。この前話した時に当時の思いが清算できたのか、彼女は昔家に通っていた頃と変わらない様子だった。違和感やわだかまりのようなものは一切感じず、まるで小学生のオレに戻ったような感覚になる。

 「春千夜くん、すっかりお洒落な男の子になったね」
 「そうですか」
 「髪型も変わってるし、ピアスもいっぱい開いてる」
 「まぁ、やりたいようにやってるだけですけど」
 「すごく似合ってるよ」

 左を歩くさんがオレを見上げながら昔と変わらない調子でオレを褒めた。この前の祭りの日にも感じたこの視線に喜びよりもむず痒さのような感情が勝る。

 「当たり前だけど身長も伸びててびっくりしちゃった」
 「何年経ってると思ってるんですか」
 「そうだよね。昔はよく手繋いで歩いてたけど、もうそれもできないなぁ」

 さんが望むのならばオレは今すぐにでも彼女の手を取りたかった。しかし彼女は言葉とは裏腹にまだ当時と同じ場所にいて、恐らく当時のオレと今のオレを同一視している。彼女の抱える感情とオレの持つ感情はきっと違っているだろう。手を繋ぐこと一つとってもこんなにも意味が違ってしまうのがこれが夢ではなく現実なのだと思わせてくれた。


 * * *


 家に到着すればいつもの景色にさんがいて、オレの感情は彼女と出会ってから乱高下しっぱなしだった。

 「春千夜くん本当にここに住んでるの?」
 「住んでますけど。本当にここに住んでる、とは?」
 「あまり生活感がないから……」
 「掃除好きなだけです」
 「そっかぁ。私も見習わないとだね」
 「大袈裟ですよ。自由にしてるってだけなんで」

 それからはお互いに顔を合わせていなかった数年間の出来事を時間をかけてゆっくりと話した。想像していた通りさんは高校に進学し、現在は高校2年だが大学への進学を考えていると言う。怪我が原因で休部していた部活はブランクのこともありそのまま退部。高校では全く別の部活に入部したがもうじき引退の時期が迫っているそうだ。
 ある程度覚悟はしていたものの、意識してなのかただ彼氏がいないからなのかさんは恋愛の話題に触れなかった。ただなんとなく、祭りの時の彼女の発言を考えると付き合っている相手がいるのなら今目の前に彼女はいないような気がする。

 「春千夜くんは中学校どう?楽しい?」
 「……それなりです」

 さんも馬鹿ではないので今のオレを見てまともな学生生活を送れているとは考えていないだろう。濁す意味もないように思ったが喧嘩に明け暮れ、車や単車を無免許運転していつ警察の世話になるかわからない日常を送っているなどとわざわざ彼女に報告する必要性は感じなかった。

 「春千夜くんが楽しいならよかった。でも、怪我には気を付けてね」
 「もうあの程度で泣いたりする歳じゃないんで」

 やはりさんはオレの事情を察しているようだった。それでも出来るだけ優しくオレのことを心配しているのだと伝えたかったのだろう。
 出会った時にオレが泣いていたことや消毒のときにさんの服を掴んで耐えていたことなど彼女は当時のことを詳細に覚えていた。女々しい自分の過去話を平常心で聞けるはずもなく、照れ隠しの意味も込めて小さく咳払いをしておく。

 「本当に転んで泣いてた春千夜くんが嘘みたい。この前声かけられたとき『こんな格好いい人知り合いにいない!』って焦っちゃったもん」
 「……」

 心配するだけではなく年月が経ってもさんはオレのことを褒め、甘やかしてくれる。格好いい人なんて本当にそう思ったんだろうか。相変わらず彼女は優しかったが、こんな台詞をオレに直接言えるくらいにはよくも悪くもオレを見る目が当時と変わっていないのだと思うと悲しい気もした。

 「昔はこうしてよく向かい合って一緒に宿題したり、おやつ食べながら話したりしたね」
 「今思えば結構な頻度で遊びに行ってましたよね」
 「部活を休部してからは友達と遊びに行くよりも春千夜くんと過ごす放課後の方が多かったかも」
 
 さんは目を細めて笑った。かなりの頻度で顔を合わせていたし当時は彼女のことを本当に姉のように慕っていたのを思い出す。……あの出来事があって、自分の気持ちに気付くまでは。
 
 「……そうだった」
 「?」

 どのタイミングで話そうか迷っていたが話の流れ的に今だと立ち上がり引き出しから小さな袋を取り出した。元の位置に座りなおしてからさんの目の前に袋を差し出す。

 「これ」
 「……なぁに?」
 「この家の鍵です」
 「鍵……?」

 袋に手を伸ばしたさんは静かに小さな金属を掌に落とした。それはどこからどう見てもただの鍵で、彼女は鍵とオレの顔の交互に視線をやる。

 「今日渡そうと思ってたんです」
 「えっと……私に?」
 「はい」

 僅かに目を見開いたさんは鍵を袋の中に戻しながら言葉を探しているようだった。彼女が想定していた以上に動揺しているのが見て取れて、まさかオレに「保護者になってくれ」なんて頼まれるとでも思っていないことを祈りつつ話を続ける。

 「これは……どういう?」
 「いつでも使いたいときに使ってください」
 「使いたいとき!?春千夜くんの家の鍵なんだよね!?」
 「オレの家の鍵ですね」

 鍵の入った袋を凝視してからさんは危険物でも扱うような手つきで袋をオレの目の前に置いた。

 「鍵なんてそんなホイホイ渡すような物じゃないよ!?」
 「わかってます。それにオレの保護者になって欲しいとか、いざという時の保証人になれってわけじゃないですよ?」
 「それは……だとしたらどうして私に?」
 「オレがさんに出会ったとき、幼いながらに追い詰められてたと思うんです。怪我したときのことではなくて、もっと日常的に」

 兄は厳しく妹は我儘、だからと言って祖母が特別オレの味方をする訳でもなくそんな状況から逃げたいと思うこともよくあった。そんな時に偶然出会ったさんがとても優しくしてくれて、オレは勝手に彼女に護られているかのような気になっていたのだと思う。彼女と一緒にいる間は家のことも全部忘れ、普通の小学生「春千夜くん」でいられた。
 さんとの繋がりを絶ちたくないという気持ちは確かに大きい。しかしそれ以上に今度はオレが彼女を護る存在になりたい。

 「家庭環境がアレなオレと違ってさんには必要ないかもしれないですけど、この家がさんにとってそういう場所になればと思って」
 「……」
 「別に何もなくても、一人になりたいとか誰にも邪魔されずに勉強したいとか……その気になればオレは何日でも家空けられるので」
 「春千夜くんの家なのにそんなお願いするわけない!」

 突き返された鍵を再びさんの目の前に置く。彼女が小さく唾を飲み込んだ。それでもどこか納得のいっていない様子の彼女にオレはあともう一押しと畳みかける。

 「言っておきますけど、誰にでもホイホイ渡さないですよ。鍵持ってるのはオレ以外はさんだけです」 
 「じゃあここで誰かと鉢合わせるなんてことは……?」
 「あり得ません。さっき掃除好きだなんてごまかしたけど、オレ潔癖なんで」
 「潔癖……」
 「さんは気にしないでください。前にも言った通り来られるのが嫌だったら家に誘いません。さんのこと汚いとか思ってませんから」

 家に入れたことがあるのはさんを除いてマイキーと隊長だけだ。家の場所は知られていても同じ隊の人間も含め人を招いたりはしない。「誰かと鉢合わせる」が誰を指しているかは不明だが、男だろうが女だろうがその心配はない。

 「受け取ってもらえますよね?」

 迷いを見せるさんの手を掴み掌に袋を置いた。彼女の手を包み込むようにして袋を握らせる。彼女の手の柔らかさや体温を感じて長時間こうしているのは危険だと思ったオレは、一度だけ視線を合わせてから手を引いた。
 目を伏せたさんは黙って小さく頷く。そんな彼女が今まで見たことのない程魅惑的で、鼓動が一度大きく脈打った。




























2025/07/28