*ちゃぴ 05*



今日も屋上で私と「ちゃぴ」は昼ごはんを食べていた。

空は少し曇っていて快晴とは言えないものの、じりじりと太陽に照り付けられるよりはずっといいと思う。

私達は前のことがあってからあの場所には上らなくなり、屋上にはベンチもないので2人して地面に座ることにした。

「ちゃぴ」は何度も上ろうと私を誘ったけど、私はもうあの場所に上らないと誓った。

それでも毎回毎回「ちゃぴ」は私を上に連れて行こうとしたし、毎回毎回私は断った。

ある日上りたいなら「ちゃぴ」一人で上ればいいと、私は下で待っているからと言うとそれ以来「ちゃぴ」は上に行こうとは言わなくなった。



私はいつもの通りお弁当を、「ちゃぴ」は購買で買ってきたパンを一つ持ってきていて、目の前の「ちゃぴ」はそのパンをゆっくりと咀嚼しているところだった。

お互いが食べ物を口の中に入れている間に会話はないものの、それでも「ちゃぴ」はこっちをじっくりと観察している。

時々目は伏せられることもあって、その姿がとても綺麗で見とれてしまうけれど、それ以外の間視線は常にこっちに注がれているように思う。

正直なところ目があうのが恥ずかしくて、私は「ちゃぴ」の顔を見ることができない。

どうにかして恥ずかしさを紛らわそうと、私は必死に脳みそを使って話題をひねり出した。



「今日も放課後は部活?」


必死で搾り出した質問に、「ちゃぴ」は相変わらず私の目を見つめながら無言で頷いた。

何か返事がかえってくるのだと思っていた私は、そこからまた何か言葉を探すのに頭を使うしかなかった。



「テニス、楽しい?」

「ああ、まあな」

「レギュラーなんだもんね、やっぱり上手いんだろうなあ」


私は一人で納得してから、口の中にハンバーグを放り込んでもぐもぐとしつつ「ちゃぴ」を見た。

「ちゃぴ」は何故か珍しくすごく驚いた顔をしていて、ぱちぱちと数回瞬きをしたあとに持っていたパンを落としてしまった。

パンはギリギリ袋に包まれていてまだ食べられそうだったけど、様子が少しおかしい「ちゃぴ」に私はどうしたのかと思いながらも拾ったパンを差し出した。



「まさか、俺がテニスしてるの見たことないんじゃなかろう?」

「え、ないけど……」

「……あり得ん」


ぼそりと呟いた言葉は、明らかに溜息交じりの驚きと呆れを含んだものだった。

そういえばテニス部といえば校内で一番人気のある部活だし、その人気の秘密はテニスの強さだけでなく選手たちにあるということを私は知っている。

友達はみんなテニス部の話題が大好きで、その話題でもちきりになることもよくある。

でも私にとってテニスはルールーもいまいちわかっていないし、好きでも嫌いでもないスポーツというほどの位置づけでしかなかった。

それにテニスコートの周りを取り囲むギャラリーを見て、あの熱狂具合にはいつも圧倒されていているばかりだ。

友達に誘われたことはあるけれど、自分もあの中で一緒にきゃーきゃーはしゃぐ(応援する)という気にはなれなかった。

だから当然「ちゃぴ」がテニスをしているところなんて見たことがない。

もちろんクラスメイトの柳生くんがテニスをしているところも見たことがない。



「ごめんね、いつもテニスコートの周りって人がいっぱいだから」

「人ごみは嫌いか?」

「好きではないかも」


すっかり下を向いてしまった「ちゃぴ」の様子を見て、尚更テニスやテニス部に興味がないからとは言えなかった。

私のような例外もこの学校には存在しているけれど、この学校ではテニス部に憧れを抱いている女子が大半だし、それがまかり通っているこの立海において私の発言は女子であることを否定しているのにも近いものがある。

「ちゃぴ」にとって私が「ちゃぴ」のプレーを見たことがないのは予想外すぎたんだろう。



「におーせんぱーい!」

「あ、あの子」


黙って何か考えている「ちゃぴ」をよそに屋上の扉から飛び出してきたのは、この前私にぶつかってきたあの男の子だった。

購買で買ったであろうパンを腕に抱えて走ってきたその子は、私の姿を見つけるとツンと一層目を吊り上げて、少し走るスピードを緩めた。

前この子の前でやらかしてしまったことが脳裏を過ぎる。

きっとこの子はすごく私を警戒しているし、変な人間だと思っているんだろう。

それでも正しいのはこの子の考え方であって、私のことを変人のように思うのも仕方のないことだと思った。



「どうもっス」

「こんにちは」

「この前はすみませんっした」

「ううん、私のほうこそごめんなさい」


探り探り話しかけてくるこの子は、鼻の下を少し擦ってからじっと私を見つめた。

どうしたらいいのかと「ちゃぴ」を見ると、まだ「ちゃぴ」は先ほどのショックを引きずっているみたいで、後輩がいるのに一言もまだ話していない。

いつもよりも少し小さくなりながら、私から受け取ったパンを口につめてひたすら咀嚼しているだけだった。



「えっーと、先輩っスよね?」

「あ、はい。3年のです」


見下ろされているせいもあるかもしれないけれど、後輩だとわかっていてもどこかその子に威圧感があって敬語を使ってしまった。

座ったまま、まるで旅館の仲居さんがするような丁寧なお辞儀までしてしまって、そこで私はこの子に私達の秘密がバレるのを恐れているのだと気がついた。

むしろ秘密を握られていると言ったほうが正しいかもしれないけれど、とにかく私は心の奥でその子を恐れていた。



「!?俺、2年でテニス部の切原赤也っス。赤也でいいっス!」

「赤也くんね」


私の行動に面食らったような赤也くんが今度は釣り目を大きく見開いて、それから歯を見せてにっこりと笑った。



「よかったー、俺先輩ってもっと変な人かと思ってたんスけど!」

「へ、変?」

「そうっスよ!……仁王先輩のこと「ちゃぴ」とか呼び出すし」


笑顔で話す赤也くんの言葉に、背筋が凍るような気がした。

赤也くんはあの日の出来事を完璧に覚えている、そして何故だかそれを知っていてこうして笑顔で話しかけてくる。



「あのね赤也くん、そのことなんだけど……」

「あ、スミマセン!大丈夫っス、俺誰にも言わないし」

「え?」


赤也くんは持って来たパンの中から一つ選んで袋を開け、豪快にパンに噛み付きながら軽い口調で答えた。

ずっと赤也くんを見ているとちらりと目があって、赤也くんはヘヘっと優しく笑う。



先輩が常識全く通じないような人だったらどうしようかと思ったけど、そんなことなさそうだし」

「……」

「さすがに最初はビビったけど、にお」

「おー、赤也。お前さん何しとるんじゃ?」


パンを全て食べ終わった「ちゃぴ」が私の肩に顎を乗せて、赤也くんを見ていた。

赤也くんは今まで気付いてなかったんスか!?と大声をあげて「ちゃぴ」に抗議を始める。

私も今は赤也くんと同じ気持ちで、「ちゃぴ」のマイペースさに驚かされた。



「言い忘れとったが、赤也にはもう全部話してあるんじゃ。あそこまで聞かれては、言い逃れできんからのう」

「そうだったんだ。ごめんね赤也くん、この前びっくりさせちゃったよね?」

「あー……まあ!でも、本当に気にしてないんで!つーか仁王先輩マジで「ちゃぴ」に激似っスよね!」


「ちゃぴ」のほうを見ると写真を見せたんだと教えてくれた。

赤也くんに向き直ってそうでしょと相づちをうちながらも、似てるじゃなくて「ちゃぴ」なんだけどなと思っている自分がいた。

「ちゃぴ」がどこまで赤也くんに話したのかはわからないけど、赤也くんはそれを理解しているのかそれとも理解しようとしていないのか、今の私には判断できなかった。






* * *






次の授業は移動教室だからと言っては俺たちより早く、屋上を去って行った。

横で赤也がにこやかに手を振りながらを見送っていて、こんな赤也を見ていると気持ちが悪いし何か裏があるんじゃないかという気持ちでいっぱいになる。

が屋上から姿を消すと、赤也は先ほどと変わない様子でパンに噛み付いた。



「先輩、本当に俺が来たとき気付いてなかったんスか?」

「半分気付いとった。でも、があまりに驚くようなことを言ったき」


どうしたんスかと聞いてくる赤也に先ほどの話をすると、赤也もパンを食べる手を止めて俺の方を信じられないという目でみてきた。



「マジっスか!?自慢じゃないっスけど、俺たちに興味ないとか珍しいっスね」

「じゃろ」

「仁王先輩のこと知らない時点でちょっと珍しい人だなとは思ってたっスけど!そこまでくるとはなー……」


赤也はまたパンに噛み付き始めた。

それを見ていると満腹の俺は気持ちが悪くなるような思いがして、赤也から目を背ける。

赤也の言うように、別に自分達が学校で有名だとかそういうことに対して俺たちは(少なくとも俺は)自慢でもないし自信にもならんし、どうでもいいことだと思っていた。

でもにあんな反応をされるとそうでもなかったのかもしれないと、少し自分の心の狭さのようなものを感じずにはいられなかった。

たかが女子一人、俺に興味がないと言っただけであんなにもモヤモヤすると言うか、空しい気持ちになるとは正直自分でも思わなかった。

じわじわとに忍び寄る俺の独占欲、にこんなことを思っているということは絶対に悟られてはいけないし、悟られたくない。



「赤也」

「何スか?」


パンを食べ終わって寝転んだ赤也が気だるそうに返事をした。



、どうにかしてコートに連れてこれんかのう」

「本人があの様子じゃあ微妙じゃないっスか?まーでも俺としては、先輩にテニス見に来てほしいっスけど!」


またしてもにこにこ話始める赤也に、俺はどんな顔をしたんだろうか。

俺は軽く赤也を鼻で笑いながらも、理由を尋ねた。



「ほんっと、先輩ってもっとヤバい感じの人だと思ってたんっスよ」

「さっきもに言っとったのう」

「でもなんかすげー丁寧だったし優しかったし、なんつーか……ギャップっスかね?」


おいお前さん、それはに惚れたとでも言いたいんか?

俺はそんな言葉を飲み込みながら適当に相づちを打った。

言い終わってぼーっと空を眺める赤也は何を思い、何を考えているんだろうか。

もしかしたらのことでも考えているのかもしれないと思うと赤也をどうにかせんと、という気持ちまで生まれてきた。

でも赤也のほうがのことを女として評価しているポイントは高いだろう。

俺はのことをどう思っているのかわからなくなってきた。

赤也がのことを最初ほど怖がっていなかったりすることに関しては安心したし、そうしてやってほしいと思った。

勘違いされているのは俺だけで、誰にも迷惑などかかってはいないからそっとしといてやってほしい。

それにこれはと俺の問題で、この先どうなるかは俺が決めることだから他人にはこの舞台に登場してほしくない。



「あーでもあんまり無理に先輩を呼んでも、後々先輩が面倒なことになりません?女の嫉妬は怖いっスよ~」

「確かに」

「他の女にバレないようになんて無理っしょ?まあ、ペテン師仁王先輩ならできるかもしんねーっスけど!」


いきなり話しかけられて俺は適当に相づちを打ってしまった。

赤也なりに、をコートに連れて来ることを考えていたのだということに気がつくのに少し時間がかかった。

そうしている間に赤也は教室に戻ると言って挨拶をした後に去って行った。

俺以外誰もいなくなった屋上は静かで、さっきまで赤也がいたのが嘘みたいだ。

次の授業のことも少し頭の片隅で考えつつ、俺の頭の中は別のことでいっぱいだった。




舞台袖から
(お前さんみたいなのを世間ではお邪魔虫と呼ぶ)















あとがき

赤也と絡ませたかったという。

2011.11.24