『TV見仏記』のDVDを見ていたら、京都東山にも結構なブツスポットがあることを知りました。
しかも巨大仏が目白押し。地元だしこれは行くべしと思い、ゆみこに即メール。「ならプロ学会、秋の見ブツ盛りだくさん」の皮切りとして、
東山辺りを訪れることにしました。
今回も子連れ見ブツにつき、介助をお願いするため烏丸駅で待ち合わせ。モスバーガーでお昼を済ませて、循環バス207号系統に乗って、
まずは東福寺を目指しました。
「東福寺」停留所で下車し、珍しく用意した地図をたどりながら、まずは同聚院(どうじゅいん)を目指しました。
住宅地を抜け、角を曲がってゆくと、突然界隈は(目を覆いたくなるような落書きの被害に遭っている)土塀の続く寺っぽい雰囲気に。
東福寺の敷地内に入ると、両側に塔頭が色々と現れます。中には「尺八根本」なんてところも。そして左手に同聚院の門が見えてきました。
門をくぐって、受付へ。観光寺院ではないので、ベルで呼び出しです。御朱印と拝観をお願いすると、「拝観されるんですか」と聞かれました。
外からもご本尊を拝むことができるので、あんまり中まで入ってやろうなんて人は現れないんでしょう。でも我々はならプロ学会、
一般人と同じように外から拝むだけで満足するような性質ではありません。「お願いします」と告げると、入口を開けてくださいました。
私達がお堂内に上がりこんだ時、いつもお参りに来てらっしゃるのだろうおじさんが、お堂前にやってきた気配がありました。
私達の背中を拝ませる形になってしまうのがちょっと失礼な気もしたんですが、心の中でごめんなさいと思いつつも、ご本尊の前に進み出たのでした。
そして私達の目の前に、今まで見たことのないような巨大な丈六不動明王坐像(平安時代)が現れたのです!
とにかくでかい。丈六だからやたらにでかい。背中の炎なんか天井につっかえてて今にも延焼しそう。でも、実に優美。
貴族趣味な不動なんです。憤怒相ではあるものの、鎌倉期のような写実風味ではなく、牙も剥いてない。今まで見た不動とは明らかに印象が違う。
というか今まで不動明王ってそんなに興味なかったんですが、この不動はぐっと来ました。まさにトップオブ不動。
かの藤原道長が建立した法性寺の丈六五大明王の中尊だってんだからそりゃもうご利益も半端じゃないだろう。ゆみこ曰く「今まで
平安時代の貴族趣味な仏像をナメていた」とのこと。貴族趣味だって捨てたもんじゃないということを、この不動は身をもって我々に教えて下さったのです。
ありがたや。
でっかい木魚に気を引かれる娘に梃子摺りつつ、心行くまで不動を眺めた後、かなり後ろ髪を惹かれる思いでお堂を後にしました。(実は他に
十一面坐像と思われるブツと、もう1体普通サイズの不動がいたんですが、ご本尊のインパクトが強すぎて正直どうでもいい状態に(笑))
朱印帳を頂いてお礼を言ってから外に出て、門の外にあった立て札を読んだところ、「定朝の父親・康尚作」だと書いてありました。
名仏師の父はあんまり有名じゃないけど、こんな隠れた名ブツを作っていたのか…。京都もまだまだ捨てたもんじゃありませんね。
「泉涌寺→」という道しるべに沿って、民家の立ち並ぶ狭い道を歩いてゆきます。窯元がたくさんあったのが印象的。さすが、清水焼の地元という感じです。
しかし山沿いであるために多少坂が多いのが難儀な点で、ベビーカーを押すのは少々骨が折れました。
本当は泉涌寺を目指していたつもりだったんですが、期せずして門前の泉涌寺道に出てしまったらしく、目の前に即成院が現れたので、
じゃあもう先に入っちゃおうかということに。この即成院は立体極楽浄土としても有名なんですが、那須与一のお墓があることでも有名で、
大河ドラマ『義経』放映を記念してか、境内にガシャポンが設置してあるのです。(もちろんソースはTV見仏記。)
手洗い場の横に箱が設置してあり、扉を開けるとガシャポンが現れます。200円入れて回して出てくるのは、扇形の紙石鹸とその使い方を記した説明書、
「願いが的へ」と書かれたオリジナルステッカー、それからおみくじ。実に新しい手法です。寺グッズの新境地を開拓した物だと思いますこれは。
紙石鹸を半分ずつにして手を洗ってから(ケチった。)、本堂へ上がりました。
「どうぞ前まで」というお寺の方の言葉に従って、内陣のすぐ近くに据えてある柵の前まで進むと、立体曼荼羅ならぬ立体極楽浄土が目の前に展開されていました。
阿弥陀を中心に、二十五菩薩がずらりと並んで「ようこそ浄土へ!」と合唱しているのです。すごいね、などと話していると、
「お時間があったら那須与一さんのお墓も見てきてください」と言われたので、興味は微妙なれど折角なので行ってみることに。
本堂の右手奥からサンダルを履いて坂を上ってゆくと、「でかっ!!」。那須与一のお墓(石塔)は、まるで覆い屋の中の石室に見えました。
周りには、絵馬の代わりに願い事(主に合格祈願)が書かれた扇がたくさん奉納してありました。なかなかオシャレです。
北野天神に対抗する、新しい合格祈願スポットだと思われます。決して学問の人ではないけれど。(どっちか言うと武門の人だよね(笑))
さて、即成院のお楽しみはここからが本番。500円払えばなんと内陣の中へ入れるのです。これが入らずにいられようか、
我々は泣く子も黙るならプロ学会だぞ!というわけで、「内陣特別拝観」を体験することにしました。
ここでもやはり拝観されるんですか的な反応がありました。わざわざ「何が特別かと申しますと、内陣に入っていただいて、私が
説明をさせていただくということなんですが、よろしいですか」と丁寧に説明してくださいました。是非にとお願いすると、
お寺のパンフレット(カラー、1部100円)と、散華を1枚下さいました。特別拝観の記念品の模様です。「ささやかですが」とおっしゃっていましたが、
こういうものこそ寺好きブツ好きの心をくすぐるというものです。ありがたく頂戴して、内陣へと向かいました。
「つい最近まで一般の拝観を許可していなかったお寺なので、立派な拝観通路なんてものがないのです」とおっしゃるお寺の方にくっついて
ご住職が読経を上げに行かれるという廊下を歩いて内陣に入ると、表情豊かな菩薩が視界に飛び込んできました。
極楽浄土を立体であらわしているお寺は日本でもここだけだということや、那須与一が屋島の合戦に向かう途中で病に倒れた時、
ここの阿弥陀さまに祈願して平癒したこと、また、彼がこのお寺で出家得度し、この地で亡くなったことなど、色んなお話をしてくださいます。
その間、娘はじっとしていずに床に寝転がったり横から口を挟んできたりで大変だったのですが、「いいですよ」と許してくださいました。ありがたや。
尚、一般に拝観を許可されるまでは、仏師を目指してる方や美術学校に通う方にのみ拝観を許されていたらしいんですが、
スケッチをすると、十中八九、阿弥陀の向かって右側にいる観音菩薩を描かれていたそうです。この観音菩薩(平安時代)が実に美しいんです。
プロのカメラマンに撮ってもらったという彼(彼女?)のパネルがいくつも飾ってありました。ビューティー担当のようでした(笑)。
で、この阿弥陀と二十五菩薩なんですが、恵心僧都源信作と伝わってたそうなんです。
しかしじっくり調べてみたところ、定朝とその弟子による作と判明したそうです。
また、相次ぐ戦火等から逃れているうちにブツたちはボロボロになっていったようで、一部に江戸中期、後期の後補ブツが混じっています。
しかしその仏師たちもどうやら定朝の流れを汲む人たちだったようで、丁寧に直してあるそうですよ。
定朝と言うと、カタにハマった大量生産型、と記憶していたので、画一的なブツが揃ってるのかと思いきや、ここの二十五菩薩は
みんなそれぞれに微妙にポーズが違い、中には足の裏とか見えるブツもいます。ちょっと定朝に対する見方が変わりました。
それから、実際は二十五菩薩+αで二十六菩薩になっています。二十六番目は如意輪観音で、この人は二十五菩薩には入ってないんですが、
阿弥陀を挟んで半分に分けた時、左12体、右13体じゃバランスが悪いってことで、その辺を考えて如意輪さんに入っていただいたそうです。
昔の人も、美しく見える方法を考えていたのですね…だって極楽浄土ですもんね。
お寺の方が説明を終えられた後も、内陣にとどまることができるので、菩薩達をじっくり見ブツしました。実に表情豊かなホトケたち。
中でも口をあけて歌っているかのような獅子吼(ししく)菩薩が気に入りました。お寺の方の説明で、「極楽というのは実に楽しい場所なので、その楽しさを表現するために、
色んな楽器や、おもちゃのようなものを持っているのです」というものがありました。「一生懸命生きてきて、お疲れ様」と言って、阿弥陀さまたちは迎えてくださるのだそうです。
ああ、その時には、是非ここの方々に迎えに来てもらいたい。そう思いました。
内陣を後にして、今度は「お練りグッズ」の展示を見に行きました。そう、このお寺、あのブツコスをした人たちが練り練りと練り歩く「お練り供養」があるんです(10月21日)!
その時に使われるお面や持物が展示してあり、仏像好きの心をさらにくすぐってくれます。被ってみたいのなんのって!!(みうら氏は被らせてもらってた…いいなぁ)
当麻寺まで行かなくてもここで見られることがわかって幸せです。今年は無理だけど、いつか見てみたい。
受付まで戻ってお願いしていた御朱印を受け取った時、ふと、絵葉書が2枚だけ置いてあることに気づきました。あの観音と、ラブリーな獅子吼菩薩のものです。
これは買いだ、と思って1枚ずつ下さいとお願いしました。それにしてもなんでこの2枚だけなんだろうかと思ってたら、こちらのご住職がなかなか厳しい方で、
「信仰の対象であるものを(絵はがき等にするのは)よくない」と言って、要望があるにも関わらず許可されないんだそうです。
で、何故この2体の分だけ絵はがきがあるかと言うと、今年の春に「道長展」というのが京都国立博物館で催されたんですが、
その時に即成院の仏像も出張されたらしく、その展示品グッズとして製作されたものなんだそうです。(チラシを見たら同聚院の不動も出展されてたっぽかったです)
もしもその展覧会がなかったら、この絵はがきも作られてなかったのかと思うと、尚一層貴重な出会いを果たしたような気がしました。
帰り際、子供に靴を履かせていると、「小さい頃に仏縁を結んでおかれるのはとてもいいことなんですって」とお寺の方がおっしゃいました。
練り供養の時にお稚児さんとして参加すると、一生の記念になるんだとか。うちの子は既に仏縁結びまくりですが、これからもガンガン仏縁を結ばせよう、そう思いました。
続いて戒光寺を目指しました。泉涌寺へと続く参道沿いにあります。ベビーカーを畳んで石段を登ると、境内は工事中。大きな穴が空いてました。
本堂に入ると、なんとまあ、仏像がでか過ぎてお膝の辺りしか見えないではありませんか。仏像のまん前まで行かないと、そのご尊顔は見えません。
拝観料代わりに蝋燭とお線香をお供えし(各50円)、意を決して顔を上げると、「でかっ!」再び。丈六の釈迦如来立像(鎌倉時代)が。
運慶、湛慶父子の合作だというこの釈迦如来、身代わり仏として御利益があるそうで、なんと首元には血の跡が…!
なんでも、御水尾天皇が何者かに寝首をかかれそうになった時、このブツが身代わりに立ってついたんだとか。なんともすごい逸話の持ち主です。
そのデカさもさることながら、今まで見てきたどこか落ち着いた雰囲気のブツと違い、極彩色で派手で輝いてらっしゃるんです。
ちょっと当てられました(笑)。なかなか面白いブツだとは思うんですが、学会的には好みの部類ではない様相…どことなく中華っぽいんですよね。
一見の価値はありますが、一見したらもういいかな…失礼ながらそう思いました。ごめんなさい。
戒光寺を出て、最後の目的地・泉涌寺を目指しました。歴代天皇のご位牌がある寺、としてしか認識してなかったこの泉涌寺、
人気の楊貴妃観音目当てなのか、観光バスが来ていました。さすが観光シーズンの京都は人が多いです。拝観料を払ってまずは楊貴妃観音堂へ。
土足で入れるので、よーく土を落としてからお邪魔しましと、いきなりいらっしゃいます、羅漢を従えた楊貴妃が。
一言で申し上げますなら「美人!」。すっと通った鼻筋など、仏像は思えないほど細くってキレイ!こりゃ確かに美人だわ。ははー参りました。
冠の豪華さとか筆舌につくしがたし!!(これは悪いことに使う表現だったか?)さすが時の皇帝玄宗が愛妃を偲んで造っただけのことはありますわ…。
ゴージャスだけどけばけばしさはない、異国情緒感は溢れてますが、法華寺の彼女ほど違和感は感じませんでした。で、お堂の壁に
彼女をモデルにしたポスターなんかも飾ってあるんですが、角度が違ってどうも微妙。ちょっとでも斜めから見ると途端に印象が変わります。私は、自分の目線で、真正面から見た彼女の顔が一番きれいだと思いました。
あと、「口元の線はおひげではありません」て書いてあるのが笑えました。確かに、仏像知らない人が見たら、ひげにしか見えないよね、あの線。
結構くっきりとわかるから楊貴妃もおつらいと思います(笑)。
ところでここでは世にも珍しいお守りを授与してらっしゃいます。「美人祈願」なんですが、なんと楊貴妃観音のお顔が…!!
是非その目でお確かめください。
じゃじゃーん!
TV見仏記でで見てから狙ってました(笑)
観音堂の隣に新しく建てられたという宝物殿をさらっと流して(失礼)、続いては仏殿に向かいました。
実に広い…というか天井の高い仏殿に、実にこじんまりと見える三世仏(阿弥陀、釈迦、弥勒)がおわしました。この三体、
なんと運慶作。また運慶に出会いましたが、少々遠いのでじっくり観察というわけには行きませんでした。過去現在未来をあらわす三世仏は
三尊像とは違って、全て同じ大きさで作られているそうです。若干、真ん中の釈迦が大きく見えるのは、台座が微妙に高いから、だそうです。
じーっと見ブツをしていたら、お寺のおじさんが寄ってきて、「かわいい子(=うちの子。決して私やゆみこではない)がいるからいいものを見せてあげよう」と、
手にしていた懐中電灯ではるか高みの天井を照らしてくださいました。するとそこには、龍が描かれているではありませんか!
なんと京間で八畳分の巨大な天井画だそうです。何か色々と巨大だと思ってたら、涅槃会には更に巨大な涅槃図が飾られるとか。
天井、正面、床まで延びる涅槃図…これもまた見てみたいなと思いました。ゆみこが「そのためにこんなに大きなお堂なんですか」と尋ねたところ、
お寺の行事のために大きいんだ、というお答えでした。お坊さんがぐるぐる歩き回ったりするためのスペース、なんだそうです。
最後に、本坊に回って御朱院を頂いて、本日の見ブツは全ておしまい。時を同じくして、疲れ切った娘が少々遅いお昼寝タイムに入りました。
眠りこける娘を乗せたベビーカーを押しつつ、曇りのために早々と薄暗くなった参道をバス停へと降りてゆきました。
今回の見ブツはなかなかよかったけれども、後になるにつれて少々がっかりだったかな、という感想が。
同聚院や即成院はかなりよかったし気に入ったけど、その後は「俺はすごいぞオーラ」が出てましたね。
仏像は優れているんですが、お寺自体の持つオーラが強すぎて負けた感が。
さすが「み寺、泉涌寺」。美しいけどプライドが高くて鼻につく美女のようなお寺でした。
「泉涌寺道」からバスに乗って、再び四条界隈に戻り、お茶して解散となりました。でも、学会の秋は始まったばかり、です!
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