滋賀県湖北の見ブツ記(2007.10.21 晴れ)

00 : 序

奥びわ湖浪漫紀行〜歴史と観音の里への誘い〜、というイベントがあります。 1日なら2000円、2日なら3000円で巡回バス乗り放題、木ノ本町、西浅井、余呉町、高月町の仏像を予約無しで見放題の、 お得過ぎるこの見ブツイベントに、是非三十路突入記念に参加しようと思い立ち、 相方に無理矢理有給を取ってもらい、有り得ないくらい分刻みのスケジュールを綿密に立て、突撃することになったのでありました。

01 : 渡岸寺観音堂 〜異形・ゴージャス・ビューティフル!

踏切事故で遅れたものの、無事高月駅に到着。一路渡岸寺観音堂を目指しました。
広がるのはのどかな風景、目印になるような建物もなかったのですが、適当に歩き出したら おそらくは渡岸寺におわす国宝ブツのために整えられたであろう美しい参道がすぐに見えてきました。
松の並木に沿って歩いてゆくと、その先に渡岸寺がありました。
これが収蔵庫。2重扉を開けて入ると、いきなり”彼女”の姿が目に飛び込んできます。 黒光りをする肢体。お腰を捻られた姿はお色気ムンムンで、実に肉感的。 お顔を見上げれば、何だかどうも頭が重そうに見えるのに、別段バランス悪くも見えないのが本当に不思議だなと思いつつ 後ろに回ってみたら、後頭部のど真ん中に暴悪大笑面が人面疽のごとく張り付いていました。 (*人面疽…人の顔の形をした腫れ物が、腕・肩・膝などにできる奇病。)
ちょうど団体客と鉢合わせたらしく、おばちゃん達に混じってお坊さんのお話を聞くことができました。 そこで、時間の許す限りおばちゃんたちに混じってお坊さんの話を聞くことにしました。 廃仏毀釈の話、浄土真宗は阿弥陀しか安置しちゃいけないからこの十一面は行くところがなくなりそうになったという話から始まり、 肝心の十一面観音のお話へ。 他の十一面は大概頭の上に十面乗っているんですが、こちらの方は頭に乗り切らなかった分が顔の横についているのです。 なるほどそれで異形感が増すのかと彼女を見つめつつ頷いていると、お坊さんは他のお寺の十一面の写真パネルを駆使して話を進めてゆかれます。 渡岸寺十一面は一木造で、顔の辺りまでくりぬかれているためお顔にもひび割れがほとんどありません、というお話でした。 たしかにお肌つやつや、トラブルゼロ。仏像美女コンテストがあったら間違いなくダントツで1位に輝かれるに違いない。 とにかくこの十一面が本当に自慢でならないのだということがよくわかりました(笑)。
これが本堂。こちらもお参りしてから渡岸寺を後にしました。
駅までの道を歩きながら、渡岸寺の十一面観音は確かにエキゾチックで美しく、まさにゴージャス。 しかしどこか、あの法華寺十一面に通じるところがある、と語り合いました。 プロ学会は法華寺と(一方的に)折り合いが悪いのです(笑)
しかし、ゆみこがそれを遮りました。 「あっち(法華寺)はケバいけど、こっち(渡岸寺)は素顔が既にゴージャスな感じ。その証拠にあっちは化粧が厚過ぎてひび割れてお肌トラブルを起こしてる」 「まさに化粧品トラブルか」
仏像も化粧品トラブルを抱えている、という新しい(?)説を掲げられたのでした。

02 : 石道寺 〜落ち着く…

こちらは石道寺へ向かう集落。静かです。側溝を流れる水がとても綺麗なのは、 琵琶湖の上(かみ)である湖北に住む人たちが、琵琶湖に汚れた水を流さないよう、 とても水を大切に扱っているから、だそうです。 この道を進んだ山裾に、石道寺があります。
木々に埋もれるように…というか山に埋もれるように、石道寺のこじんまりしたお堂は佇んでいました。 お堂に上がりこんで、案内テープを一通り聞いた後、十一面観音ににじり寄りました。 まず最初の印象が「十一面的に落ち着く」ということ。 先ほどの渡岸寺の彼女が異形で妖艶すぎてクラクラしていたのですが、 頭に十面が収まっているこの姿は、いつも見慣れている十一面観音の姿。 私の心に安穏をもたらしてくれたのでした。 一木造の優しい十一面。好みとしては、渡岸寺十一面よりよりこっちかな。 まさに村のお嬢さんといった素朴さは、彼女がナチュラルメイクである証。 お寺の雰囲気とあいまって、より一層の安らぎをもたらしているような、そんな感じでした。
あと、御朱印所がすっかり生活空間(テレビとかコタツとか置いてあった)になっていて、和みました(笑)
石道寺側の風景。左端に垣間見える石垣が石道寺。本当に埋もれているのです…。
尚、ここからハイキングコースを歩いて次の目的地である己高閣に行けるのですが、 バスガイドさんが「たまにクマが出る」とおっしゃったので、バスを待つことにしました…。

04 : 己高閣、世代閣 〜仏像を凌駕する「みっちゃん」

バスに乗って己高閣・世代閣へ。
写真は與志漏神社。この鳥居をくぐり、ずんずん歩いていくと大日堂や薬師堂があり、 その奥に己高閣と世代閣があります。己高閣前の「いこいの家」で拝観をお願いすると、 案内係のおじさんが己高閣の扉を開けて下さいました。
これが己高閣。ここでもやはり解説テープ使用です。
こちらには鶏足寺の本尊だったどっしりとした十一面観音や薬師如来などが安置されています。 写真のみでしたが、珍しい十社権現神像なども。日吉権現がお猿でかわいかったです。
ここで私達に付いてくれた案内係のおっちゃんが実におしゃべり好きで面白い人でした。 そしてこのおっちゃんが居なかったら多分適当にスルーしていたに違いないものが一つ。 それが「石田三成のお母さんのお墓」です。 仏像が陳列してある台のその横に、三成の母御前の墓に据えられてあっただろう五輪塔っぽいものが置いてあるのです。 そこから始まったおっちゃんの怒涛の三成話のお陰で、己高閣の仏像の印象はほとんど吹っ飛びました(笑)
・関が原の戦いに敗れた三成は、母のいるこの地へ落ち延びて来た。
・そして山の中へ入り、洞窟に隠れて過ごしていた。
・そのうち、近くの橋に三成を見つけて差し出した者には金をやる、と書かれた立て札が立てられ、三成は密告によって捕えられた
・立て札が立った橋は現在「金屋橋(かなやばし)」という名前だけど、「金やる橋」から派生したものである
・「あっとり」という地名が残っているのだが、その辺りで三成が捕まったから「あっ、捕まった」的な言葉から派生したものである
・三成が隠れ住んだという洞穴が山の中に残っていて、それを聞きつけたコアな三成ファンがたまーにやって来る
恐るべし、仏像を凌駕する「みっちゃん」…!
それにしても、私達が割りと戦国時代好きであったことが幸いし、とても興味深く聞くことができましたが、 戦国時代などどうてもいい人には、きっと辛い時間になったに違いない(笑)。
続いて真新しい世代閣に案内してもらしました。ここでも案内テープが終わると、おっちゃんの話が続きました。 今度はさすがに仏像関係の話でした。仏像泥棒の話とか。でも、湖北の仏像は地域の人が本当に大切に守っているのだということが、 よくよくわかった気がしました。世代閣も、地域の人たちが協力し合って建てられたものだそうです。 元が取れるかどうかはわからないけれど、とおっしゃってましたが、たくさんの素晴らしい文化財を自身の手で守っている、 そんな誇りが感じられました。
あ、仏像の話ですね。えぇと、十二神将がずらっと並んでいて圧巻です。あと、何と言っても 修復に出したら手の向きが変わって帰ってきたという曰くつきの魚籃観音。 子供がモデルかと思っていたんですが、女性だったんですね…!だとすると半裸形なのがちょっとドキドキです。 思っていたより大きい像で驚きました。他ではあまり見ない像なので、やっぱり脳裏に焼きついています。
おっちゃんと一緒に世代閣を後にし、御朱印をもらうべく「いこいの家」に向かっていたら、 「●●さん!三成の洞穴行きたいって人が来てるんやけど、ちょっと説明したって!」 …おっちゃん、大変だなぁ。仏像見に来た人の相手に、三成ファンの相手まで…。
それにしても、ここ己高閣・世代閣ではとってもいい出会いをしたような、そんな気がしました。 おっちゃん、どうもありがとう!また会いたいです!

04 : 医王寺 〜質屋からいらした本尊

続いて向かいましたるは医王寺。医王寺のあるのは山の中、そこから先は「野生の王国」らしいです。 残念ながら野生動物には出会えませんでしたが…。
谷川を渡る橋の手前でバスを降り、橋を渡っていると、その向こうにスポーツ公園のようなものがあるらしく、 テニスボールを打ち合う音が聞こえていました。その公園に沿うように歩いていくと、医王寺にたどり着きます。 観音堂は、その奥にありました。
お堂に居たのは、等身大(150センチ程度)の十一面観音像。一目見て鎌倉ブツとわかる美麗さ。 装飾具も細かくてとても凝っています。海龍王寺の十一面像に少し似ていました。 金箔も見事に残っていて、これまでの木造仏とはまた違った味わい。
そして面白いことに、この素晴らしい本尊が、元は質屋にあったというのです。 こんなスゴイのを質屋に入れるって…どんな時代だったんでしょうか; それを見つけた住職が、医王寺の本尊として勧進したそうなんですが、勧進されてよかったです本当に。
本当に仏像の目の前まで近寄って見仏できるのも湖北の仏像のいいところだな、と思いますが、ここも例外ではありません。 隔てる物がないのをいいことに、至近距離で眺めましたよ。
そういえばここではおばちゃんが朱印の日付を間違ってしまわれたんですが、嫌な気分一つせず、「記念に」とそのまま貰えたのは、 一重に湖北の和みブツパワーと、そこを守る方々の人間性ゆえだと思われます。洗われた…!

05 : 西野薬師堂 〜おにぎりがマツケンに

駅前の平和堂内のマクドナルドでおよそ20分の駆け足昼ごはんを終えた後、続いては西野薬師堂を目指しました。 途中、いくつかのお寺を素通りしたのですが、折角お堂を開けて待ってて下さっているのに、「ここで降りる人は居ません」の合図を、 ガイドの方が送るのがとても心苦しかったです。去年はもっと参加者が居たらしいんですが…。みなさん、是非参加して下さい!本当に楽しい イベントですから…!

さて西野薬師堂です。お堂に上がらせてもらうと、堂守りの方が「南無阿弥陀仏」と言って仏像の前に引かれていたカーテンを開けて下さいました。 そこには薬師如来像と十一面観音像が立っていらっしゃいました。漆のいい色をした仏像です。 ぱっと見、顔がおにぎり型に見えたので、おにぎりブツ、なんて思ってたのですが、 だんだん誰かに似ている気がしてきたのです。するとゆみこが小さな声で、「これ、松平健に似てない?」と囁いてきました。
…似ている!!マツケンだ!!
おにぎりブツは一気にマツケンブツへと格上げ(?)されたのでした(プロ学会は暴れん坊将軍の上様のファンである)。
それはさておき、こちらの仏像はじっと見ていてもちっとも飽きません。「もういいや」という気が全然しないのです。 できることなら一日中だって眺めていたいくらい、実に離れがたいのです。特にどうといったことはないのですが(マツケンに似ている以外)…。 「飽きないね」と漏らすと、寺番の方が「みなさんそうおっしゃいますよ、身近に感じられるんでしょうか」と教えてくださいました。 この湖北の旅で、一番気に入ったのはこの仏像だったりします。
薬師堂では寺番はPHS完備で24時間体制で待機されているそうです。PHSを呼び出せば、何時何時でも駆けつけて、お堂を開けてくださるそうです。 3年交替で担当するため、学校のように「入学」と「卒業」があるのだとか。是非私も加わりたいと本気で思いました。将来はこの辺に移り住んで、 寺番を職業(ボランティアだけど)にしたいくらいです。
お寺を後にする時、境内で生っていたという柿をいただきました。小さな柿だったんですが、帰ってから食したところ、とっても甘くて美味しかったです!

06 : 正妙寺 〜千手千足、ほとんどカニ

西野薬師堂から次へが、今回の旅で一番「時間との勝負」どころだったのですが、 意外と時間が余ったので、近くにある正妙寺に行くことにしました。 そう、例の「千手千足観音」が居るところです。
集落を縫うように進むと、写真のような階段のあるお宮さんに出ます。この階段の上かと思いきや、違うんですね; この左手から山の上に伸びる階段を登らねばなりません。
階段を上り切ると、千手千足の棲み処の小さなお堂があります。ほとんど伸びて擦り切れかかった説明テープを聞き終え、 お厨子を覗き込むと、居ました居ました!ヤツです!千手千足です!!
もうなんだか有り得なさ過ぎて、その小ささから仏像というよりフィギュアにしか見えません。 観音なのに憤怒形、カニの如く生え揃っている無数の足足足足足足…!腰の真横に生えている足など、もはやマンガの世界です。 この仏像考えついた人は天才だと思いました。ありがたいとかそういう気持ちは一切湧いてきません。 ただ、変ですごいです。なんだこれ、このセンス…!

07 : 黒田観音堂 〜なまめかしや千手観音

再びバスに乗り込み、本日ラストのお寺・黒田観音堂に行きました。 お堂に入ると、中央の厨子に伝・行基作だという千手観音(如意輪観音とも)がおわします。 この千手がまたなんとも言えずなまめかしいのです。 少し異国風のお顔立ちもそうなのですが、何と言ってもやはり腕、腕ですこの方は。 ふっくらして実にやわらかそうな腕なのです。指先までふっくらしんなり。 そしてその無数の腕が、まるでうねうねと動いているように見えるのです。 静止しているはずなのに、流れが見える造形。見ているととても不思議な感覚に陥りました。 ある種異形なのですが、木目の優しい色合いが、それを軽減しているようにも思えます。 旅の締めくくりがこのブツでよかった、と心底思ってました。

この観音のお厨子の中を覗き込むと、焼けて朽ちた仏像(らしきもの)が横たわっていました… 諸行無常を感じました…

08 : 終わりに

徐々に日の暮れ始めた中、バスに乗って高月駅に戻り、帰路に付きました。
実のところ、湖北の仏像を少々侮っていたというゆみこが、本当に良かった、また来たいと言ってくれたのが なんだか非常に嬉しかったです。 人もやさしい、仏像もやさしい、そして風景もやさしい。本当に心が満たされる旅となりました。 できれば毎年でも行きたいブツゾーンです、湖北。みなさまも、是非!