めまいのせいにして 
 まるで幼い子供を相手にしているようだ、と思った。
「い…いや」
「駄々こねてんじゃねえよ。ほら、とっとと飲め」
 カプセルの解熱剤を数錠差し出すと、はもう何度目にのぼるかわからない拒否の言葉を呟く。
 火照った顔を背けながらふるふると首を振るその様子をじっと睨んでみるが、受け入れる様子は全く見られず、下手をすると今にも逃げられてしまいそうだ。怯えた小動物のような目に戸惑いつつもずいと顔を近づけると、彼女はさらに背後へと身を引いた。だが所詮は狭いベッドの上、既に背中が壁についてしまっている。
「あのな。飲まねェと治るもんも治らねえんだよ」
「飲まなくたって治るよ…」
「なら気合いで治してみろよ。出来んのか?」
「……」
 口を噤み、布団の中へいそいそと潜り込むこいつは本当に子供のようだ。
「無理ならさっさと飲んじまうんだな」
「やだ、ねえ神田…一生のお願い」
 もう何度目の「一生のお願い」だよ。俺はこの一時間だけでも十数回に及ぶであろう舌打ちをまたひとつ繰り返す。
 が望まないことであるのなら無理強いはしたくないし、極力避けるつもりだった。けれど、彼女の健康と身体に関わることなら話は別だ。多少無理を強いる結果になろうとも―そもそも俺からしたら、こんなことは無理にも値しないことだったが―、一日でも早く治ってもらわねばならない。

 も俺も強い意志を滲ませた目線を交し合うだけで、こぢんまりとした部屋は静寂に支配されている。秒単位でかちかちと音を立てる秒針の音でさえ耳につく静けさだ。時間だけが刻々と流れていく。幸運なことに今日は俺も非番なので、ゆっくりこいつを看てやることができる。本来ならば今日からが就くはずだった任務には、代わりのエクソシストとして自ら名乗り出たリナリーが今朝方早くに向かったそうだ。
「神田は…風邪引いたら、どうやって、治すの?」
 ゆっくりと、でもしっかりと聞き取れる程度の声量で発せられた言葉を聞き、俺は「愚問だな」、と鼻で笑い飛ばす。
「俺は風邪なんざ引かない」
「……」
 ばかは、かぜをひかないのよ。そう小さく呟いたのを見逃しはしなかったが、いつもの威勢のよさのかけらも見えないその疲弊ぶりに免じて見逃してやることにする。
「大体な、お前どうせまた湯冷めするような格好して寝てんだろ。いい加減学習しやがれ、もう何度目だと思ってる」
「が、学習って…神田に言われたく、ない…」
「ンなことほざくのはこの口だよな?上等じゃねえか、薬全部突っ込んでやるよ」
「…ごめんなさい」
 途端に大人しく謝るを見、内心首を傾げる。
 そんなにも嫌なものなのだろうか。俺には彼女が何故こんなにも薬を拒むのかが理解できず、いまいち釈然としない。こんなに苦しそうに息を上がらせて高熱に喘いでいるのだから、一刻も早い快復を望んでいるだろうに。
 と、そんな俺の疑問を見透かしたかのようなタイミングで、が口を開く。
「薬、苦いし、気持ち悪くなるから、嫌…」
 苦みならまだしも、彼女のいう気持ち悪さとやらが理解できないので、結局俺にはどうすることもできない。
 このままでは埒があかないので、医務室にでも連れて行くかと迷い始めていると、自分の我侭で俺が辟易しかねないとでも思ったのか、がゆっくりと俺の指を引っ張り、薬、とだけ呟く。ここは大人しく従ったほうが賢明だと判断したらしい。もしくは、こいつの言う「一生のお願い」とやらが通じ得る相手ではないことに気付いたのか。
 よろめきながら身体を起こそうとする彼女の背中を素早く支え、水の注がれたコップとカプセル錠剤を手渡す。
「飲めるか」
「うん、平気…」
 苦い顔のままきつく目を瞑って薬を口内に放り、すかさず水で流し込む。それを呼吸を置く暇もないくらいのスピードで何回か繰り返した。用の済んだコップを俺に差し出したはやはり苦い顔のまま、不味い、と呻く。そりゃあ薬なのだから、美味いわけもないだろう。
 再び横になった彼女の赤い顔に目を落としたとき、かち合った視線は先ほどよりも幾分か穏やかなものだった。散々渋っていたことを嫌々ながらも終わらせて、気が楽になったのだろう。とことん子供のような奴だ。
 そんな様子が可笑しくて思わずふっと笑みを零すと、つられたようにの口元が緩やかに弧を描く。熱で弱っているせいか、いつもよりもしおらしい雰囲気の優しい笑顔だ。俺は不覚にも心拍数が上がるのを感じ、露骨に顔を背ける。
 ちらりと横目で彼女を一瞥する。不思議そうな表情と潤んだ眼差しに、更に心を揺さぶられた。勘弁しろよ、よりにもよってこんな女に。しかしその“こんな女”が俺の意中の相手であることは、隠しようもない事実である。
 そもそも、こいつの風邪ならうつされても構わない、そう思ってしまうこと自体、既に自分はどうしようもない病に侵されているとしか考えられなかった。



めまいのせいにして
(081024/神田)
title by シュロ