目が覚めた。風邪を引いたときのように、頭が重い。身体を起こして見回すと、いつものわたしの部屋だった。しかし、妙に暗いな、と思う。カーテンがしまっていることに気がついて、カーテンを開けたら外は夜だった。  枕もとの時計を見ると、時刻は午後9時4分。妙な時間だった。なんでこんな時間に起きたんだろう。まず、家に帰って来た。ママに引っ張られて椅子に座らされ、お茶を飲ませてくれた。そこから先はよく覚えていない。きっと、お茶を飲んだ後寝てしまったのだろう。でも、なんでそんなことになったのだろう。  剣だ。  記憶が溢れ出した。  木造校舎に差し込む夕日。ヴァルキリーの紋章。私はナイフを取り出した。剣戟。天使の翼が煌めく。血のしぶき。剣を抱えて路地をかけていく私――おもわず枕に顔をうずめた。目を瞑っても消えない幻覚。頭の芯が痛み出した。  どれだけそうしていただろうか。唐突に、胃の中が空っぽだと気がついた。そういえば、昼に弁当を食べてから何も食べていない。身体は正直だ。わたしは自分の体が健全であったことに感謝した。  下の階に降りると、ママは電話中だった。 「ええ――はい、アレはこちらから向こうに送れるように手配します――大丈夫です、『魔女』は見た目以上に横のつながりが強いんですよ」  例の剣の話らしい。わたしは邪魔をしないようにリビングに入った。テーブルの上には、布巾のかかった皿が乗っていた。中にはおにぎりが二つ置いてあった。ほおばると、塩の味が心地よかった。具は何も無い。わたしにはこれで十分だった。 「ふう」  溜息をついた。剣はどうやらママがどうにかしてくれるらしい。眠ったおかげもあって、身体は大分楽になっていた。そういえば、あのときわたしを守ってくれたブラウニーはどうしたのだろう。頭をめぐらせて見ると、ソファの上でうつぶせになって眠っていた。彼も疲れていたらしい。考えてみれば当然で、不慮の事故で剣と一緒に梱包され、ようやく出てこれたと思ったらそこが戦場だったとくれば、疲れないほうがおかしい。わたしは彼を起こさないことにした。 「セーラ、起きたの?」  電話を終えたらしいママが入ってきた。 「うん……あ、このおにぎり、食べてよかった?」 「ええ、あなたのよ」  ママは笑ってそう言ってくれた。ママは二人分の紅茶を用意して、わたしの向かい側の椅子に座った。お茶請けは昼間に焼いたというクッキーだった。 「話はそこに寝ている子から聞いたわ。あなたにはあまり危ない橋を渡って欲しく無かったんだけど……よくやったわね」 「ううん、良くないよ……多分」  結局あの時、わたしは話の最後を見届けずに逃げてしまった。もしかしたら焔くんと高村さんはまだ戦いを続けていたのかも知れないし、第一、焔くんはわたしを守ってくれたのに、わたしは何もして上げられていない。 「いいえ、さっきの電話、お礼の電話だったのよ。あなたが剣を持ち出してくれたおかげで無駄な血が流れなくてすんだって」 「……本当?」 「ええ。あなたが剣を持ち出した後、『争う理由が無くなってしまっては仕方がない』って、戦うのをやめてしまったそうなのよ。例の『組織』の人が言っていたけれど、もしあなたがいなければ、今ごろどちらかが冷たくなっていただろうって……だから、あなたはいいことをしたのよ。二人を傷つけたくなかったのでしょう?」  肩の力が抜けた。そうか、二人とも無事なんだ。わたしはママにありがとうと言って、クッキーをつまんだ。甘い。ああ、味覚は正常だ。当たり前のことがたまらなく嬉しい。 「でもね、聖羅。あなたには知っておかなくてはいけないことがあるの」  紅茶に手を伸ばそうとしたとき、ママがそう言った。手が止まる。ママがこう言う声をする時は、本当にわたしを心配してくれている時だ。今までたくさん迷惑をかけているから、よくわかる。 「魔女でいるということは、時として大きな敵を作ることになるわ。そしてそのために死んでいった魔女も数知れない。もう、何千年もそういうことが続いているの……わたしは幸いそういう局面に立ったことは無かったわ。でもあなたは違う。すでにあなたは『教会』という敵を作ってしまった」  わたしはママの目から、視線をそらすことが出来なかった。 「これからきっと、魔女にとって、そしてあなたにとって辛い時代が訪れるわ。あなたはまだどんな生き方でも選べる年齢。普通の女の子として生きる道もあるのよ」  わたしは、ママの不安の意味がよく分かった。血を流す痛み、命を失う恐怖。両方とも、経験済みだった。 「ママ、わたしはもう魔女なのよ」  答えは決まった。 「これからもきっと魔女。わたしは誰も傷つかないようにするために、戦うつもりよ。魔女ってそういうものでしょ?」  ママはしばらく黙ってから、口を開いた。 「そうね……あなたはそういう子ですものね」  それだけ言って、ママはわたしの手を両手で包んだ。ママの手は、暖かかった。 「とにかく、今日はゆっくり休みなさい。あなたは、流れる血を最小に抑える事が出来た」  わたしはありがとう、といって、自分の部屋に戻った。でも、ひとつだけ言い残した事があった。 「ママ、わたしは魔女だけど、普通の女の子なんだからね!」  手のひら大の紙を一枚、香油を少々、羽ペンにインク、そして私独自の流儀としてクッキーを一枚用意すれば、ピクシーの召喚の準備が整う。略式のやり方、つまりナイフで印を切るだけの方法もあるのだが、わたしは小さい頃に習ったこちらの方法が好きだ。時間はかかるが、こちらの方が『お招きしている』という気がするのだ。魔法円を書いて、中央に香油を垂らし、呪文を唱える。この方法はほとんどの妖精や精霊に呼びかけるときの儀式に共通している。違いは魔法円の規模や香油の種類の違いくらいのもので、わたし自身、いくつかの種類をマスターしている。  わたしは呼び出されたピクシーに、伝言を頼んだ。相手は夕刻に刃は交えた相手、高村さんだ。 「明日からもクラスメートでいてくれますか、って伝えてね」  そのピクシーはうなずいた後、窓から風を切る音を残して飛び立っていった。  思ったより時間がかかったが、ピクシーはちゃんと帰って来た。しかし、なぜか水仙の花を重そうに抱えていた。 「どうしたの、その水仙」 「えーっとね、『天使喰らい・焔』って人からもらったの。今日は世話になった、報酬は半分セーラにあげるって」 「え、焔くんが?」  思わず目を見開いた。ピクシーが焔に会ってきたことも驚きではあったが、焔の方から感謝の言葉がくるとは思いも寄らなかった。恨まれることはあっても、喜ばれることはないと思ってたのだ。盗むようにして逃げてきてしまったから、何を言われても良いように身構えていたのだが。 「あ、そうだ。本題の方だ」  ピクシーはポンと手を打ち、高村さんからの返事を言い始めた。 「あなた自身はわたしの大事なクラスメート。だけど、『教会』の敵である限り、敵には違いない――そんな感じだったよ」  やっぱり、と思う気持ちと、こんな返事聞きたくない、という気持ちがちょうど半分ずつだった。いつの間にか、ピクシーが、私の顔を覗き込んでいた。 「セーラ、おなかでも痛いの?」 「ううん、大丈夫。おなかは丈夫なんだ」  顔がちょっと引きつったかもしれないと思いながら、ピクシーに返した。正直言って、お腹の調子まで悪くなりそうだった。  ピクシーにクッキーを与え、彼女の世界に帰した後、わたしはベッドにもぐりこんだ。今日起ったことを整理するため、そして、明日笑って高村さんと焔くんに「おはよう」と言えるように。  わたしは、あまりキリスト教というものが好きではない。魔女、信仰を貫こうとした人、自分の信念に従った人、さらにはキリスト教を心から信じた人――そういった、様々な人々を殺してしまった宗教なのだと、わたしは知っている。わたしは魔女で、魔女の血を引いている。知っているというよりも、体にしみこんでしまっているのだ。それでもわたしは、キリスト教を信じ、世界を良くして行こうとしている人々のことを尊敬しているし、またそういう人々が好きだ。例えば、駅の向かい側にある教会の牧師さん。行きつけの古本屋さんがその方向にあるからよく会うのだが、よく道端の掃除をしている。わたしはそんな人が好きだ。だから、そういう宗教があっても別にいいと思っている。しかし今日、初めて『主』と表現される存在を恨んだ。  あなたは、友人同士を傷つけ合わせて、平気なのですか?  きっと平気なのだろうが、わたしはそんなことを納得したくは無かった。