誘い文句

 ブン太に呼ばれて、彼女は読みかけの本を伏せた。たが見返してもなかなか話を始めようとしないので、妙に思って口を開いた。
「どうかしたの?」
「……いや」
 いまふたりがいるのは、彼女の借りるワンルームだった。
 彼女はベッドの上に、ブン太はひとりがけのソファの上に、それぞれ腰かけている。
 ブン太はふいに前髪の一筋をつまみ、額から引き離した。落ち着かない様子でいじりはじめる。
「なんか変だよ。どうしたの、ブン太」
「いや、なんでもない」
「……ふうん」
 よくわからないので、彼女は取りあえずそっとしておくことにした。
 しかし、ブン太はやはり何か用があるらしく、彼女が本に視線を戻した後も、見つめるのをやめなかった。テーブルにあったチョコレートをつかむと、神経質そうにちびちびと囓る。端から味わう気などないらしく、すぐに放り投げた。
「……なあ」
「何?」
 また呼ばれて、聞き返す。
 彼女はまるでわけがわからないといったふうな表情を浮かべた。
 ブン太はさんざん押し黙ったあと、出し抜けに立ち上がると、大股でベッドに接近した。びっくりして背を反らす彼女を、怯まずに直視した。意を決して口を切る。
「やろうぜ」
 気まずさを帯びた沈黙が流れる。
 ブン太はあわてて撤回しようとしたが、そうしてしまうと、今度は目的が果たせなくなる。かといって、このまま成り行きに身を投じるのでは、あまりにカッコ悪かった。
「いや、その、だからさ」
 ブン太が弁解の言葉を並べかけたのを遮って、けたたましい笑い声があがった。
 彼女はおかしくてたまらない様子で、腹を抱えている。
 ブン太は軽くヘソを曲げて、横を向いた。内心、恥ずかしさで顔から火が出そうだった。
「もっと別の言いかたはないの? ちっともその気になれないよ」
「わ、悪かったな……。女は待つ側だからわからないだろうけどな、こういうとき、男は緊張してうまく言葉が出ないもんなんだよ」
「男の子は大変だね」
 そんなブン太を横目にしながら、まんざらでもなさそうにほほ笑み、彼女は再び本に視線を落とした。しかし、すでに字を追っていない。ページをめくる手も止まりっ放しだ。
 焦らされているのだと察して、ブン太は薄い筋肉に覆われた腕を伸ばした。ふたりしてベッドに倒れこむ。


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