君の前では男でいたい

 ニア、ジェバンニ、それにの三人で、小休憩を挟んでいるときのことだった。
 コーヒーの入ったカップを傾けるジェバンニ。そんな彼の横顔をじっと見つめながら、はそれまでの会話の流れをひっくり返して、感心した物言いでつぶやいた。
「ジェバンニってかっこいいよね」
「え?」
 突然の賛辞に面食らったジェバンニだったが、ややあって言葉の意味を呑み込み、照れくさそうにどこかよそを向いた。
「そんなことないよ」
「えー、絶対かっこいいって。ちょっと童顔だけど、どことなく引き締まってて、少年と大人の魅力を併せ持ってる……そんな感じ」
 褒められて悪い気はしないらしく、ジェバンニはまんざらでもない様子で頬をぽりぽりと掻いた。のほうをちらと一瞥する。
もかわいいよ」
「え、本当? お世辞でしょ」
「お世辞なんかじゃない。かわいいよ」
 はっきりした口調で言い直されて、は盛大に舞い上がる。心底嬉しそうに満面の笑みを振りまきつつ、床に腹ばいになっているニアを見ろした。
「ニア! 私かわいいって!」
「……そうですか」
 どうでもよさそうな返答だ。しかしにとっては、ニアの反応こそどうでもいいらしかった。弾む声で問いかけてくる。
「ニアも嬉しいでしょ、かわいい彼女がいて!」
 ニアは何も答えない。が朗らかな声ではしゃぐたび、いちいち癇に障った。床の上のカップを覗きこむ。黒い水面に映る、白い顔が歪んでいた。波のせいではない。鼻には皺が浮かびあがり、眉間はうっすらと強ばっている。
 ニアは大きく息を吐きだしたが、苛立ちは腹の中でくすぶり続けた。上肢をむくりと起こす。カップを握る手に力をこめると、残ったコーヒーをまとめて飲み干した。

 ニアとは恋人同士だ。どちらもワイミーズハウスの出身者だった。
 Lの訃報を受けて出立を決めたニアに、かつてLの継承を夢見た者の一人としても随行した。
 は幼少のころからニアを見て「かわいい」「きれい」と褒めてくれた。自分の殻に閉じこもり、他者との関わりを拒もうとするニアに愛想をつかすことなく、辛抱強く語りかけてくれた。
 いつしか彼にとってのそばは、唯一安らげる場所になった。小さな頭を膝枕してもらい、まどろんでいるあいだは神経を尖らせなくて済む。
 けれど、はだれにでも優しかった。喧嘩がはじまると率先して仲裁に向かい、部屋の隅でうずくまって泣く子がいれば、何があったのかと理由をたずね、相手が何も話さなくても、打ち明けるよう強いるのではなく、ただいつまでもそばについていた。
 に恋したニアには、当然のように独占欲が芽吹く。自分のものにしたい。行動を制限するとまではいかなくても、自分の恋人なのだという、ほかのだれでもない自分が所有し、また相手に所有されているという感覚を求めた。
 ニアが好意を打ち明けると、は笑ってうなずき、交際を承諾してくれた。もっとも付き合ってからもお人好しなのは変わらなかったが、そんな彼女だからニアも恋人としての地位をえたいと願ったのだ。
 ニアは内心寂しく思いながらも、彼女がほかの異性と話すのを止めなかったし、自分以外のだれかのために心を砕くのを黙って見守った。
 彼としては最大限、理解を示してきたつもりだ。
 だがひとつだけ、どうしても承知しかねる事柄があった。
 ワイミーズハウスでいっしょだった、メロやマットには「かっこいい」と褒め言葉をおくっていたのに、ニアに向けられるのはいつも「きれい」か「かわいい」のどちらかだけ。どちらも賞賛には変わりないが、前者は男性的で、後者は女性的という決定的なちがいがある。
 ニアは空いた時間をめずらしく自室に引きこもって潰していた。それなりに広いベッドなのにも関わらず、隅で丸まって髪をいじっている。
「……私は別に、男であることにこだわってるわけじゃありません」
 そうひとりごとをもらす。
 彼は男尊女卑などバカげていると感じるし、女性が社会的地位を向上するのをしごく当然のことだと考えている。男は強く、女はしとやかであれとの定型句を撒き散らすつもりもない。その一方で、胸の片隅、奥まったところでは、まったく逆の願望が息づく。
 すなわち、男として見てもらいたい、認めてもらいたいということだ。しかしこれは突き詰めていけば、どこかで必ず男女平等と衝突する。
「……やっぱり、こだわっているんでしょうか」
 正確にいえば、男は女性を守り、頼りにされるという役割を彼もまた演じたがっているということだ。
 も女性の一人だ。きっとおとなしい、論理を語るだけの男より、いざとなれば身を挺してかばってくれる、そんな心強い恋人を欲しているはずだ。
 ニアを男として認識していないとなれば、理想の相手を求めていつか離れてゆくかもしれない。そんな意識が刷り込まれているため、不安を覚え、そしてそれを拭い去るために男として認められたい。こうした考えに、ほぼ直感的にたどりつくのだ。
 彼の聡明さをもってしても、この問題を論理的に処理できずにいるのは、恋愛方面の発育が遅々として進まないせいに他ならない。
「……かっこいいって、そう言われたい、ただそれだけが、私には過ぎた望みなんでしょうか?」
 そうつぶやいた途端、脳裏にフラッシュバックが起こる。

 ニアはいま、ワイミーズハウスの庭のベンチに腰かけている。手元にはルービックキューブが転がっていた。
 少し離れたところで、メロ、マットにが笑いあっている。
「マットってホントかっこいいよね、モテるでしょ?」
「まあな。も俺に惚れそう?」
 謙遜という二文字が頭にない彼は、誇らしげに微笑んだ。
「メロもさー、成長するごとにかっこよくなってくんだろうね」
「おい、男ならだれでもいいのかよ」
 メロが意地悪そうに皮肉った。
 は笑い声をたてたあとで、ニアのいるベンチを指差した。
「失礼なこと言わないでよ。私にはほら、あんなにかわいい彼氏がいます」
 かっこいい。その言葉が彼女の口から出るのは、常にニアでないほかのだれかのためだった。そのたびに自分は認められていない気分になり、虚しさと寂しさに苛まれた。

 ニアが先日の一件をようやく忘れかけたころだった。
 彼の隣りにしゃがみこみ、膝にたてたノートパソコンでデータを参照しながら、がこっそりとささやいてきた。視線はレスターに向けられている。
「ニア、レスター指揮官ってかっこよくない?」
 ニアの髪を触る手が止まった。
 しかしまたしても彼の変化を見逃し、は話を続ける。
「あの精悍な顔つきに逞しいボディ。映画に出れそうじゃない? 主演間違いなしだよ」
 レスターを讃える言葉が通り過ぎるのを、ニアは黙ってこらえていた。頭の中にはさまざまな考えが浮かび上がり、うずまいて、ぶつかりあったところから、醜い感情が次々に噴出する。
 なぜは自分以外の男に、自分にはけして使わない賞賛を与えるのか。
 ニアはずっと耐えてきた。彼女がほかのだれかと話しても、笑い声を交わしていても、全部受け入れてきた。
 それなのに彼女はニアを苦しめるようなことばかりする。それはきっと、が自分を好きではないからだ。好きなんていうのは全部嘘だ。翻弄して楽しんでいるだけだ。感情的になり、理性を欠いたニアがはじき出した結論だった。
「ジェバンニとレスター指揮官で映画つくれそうじゃ……」
 の言葉はそこで途絶した。せざるをえなかった。彼女の頬に玩具がぶつけられたからだ。
 突然の仕打ちに見開いた目に彼女がとらえたのは、床に転がり落ちる日本製のロボットのプラモデルと、それをたったいま投げつけたニアの悲痛そうな顔つきだった。
「ニ……ニア?」
 呆然とつぶやく声にこたえず、完全に癇癪を起こしたニアは、近くのテーブルに積んであった書類をに向かってばらまけた。
 宙を舞い、規則的な運動を見せながら床へ振ってゆく紙の数々。
 その向こうで、ニアは悔しそうにくちびるを噛み締めていた。
「ね、ねえ、ニア、どうしたの?」
 とりあえずノートパソコンを閉じ、対話を試みようとするだったが、筆立てやらカップやらを投げつけられてなかなか近づけない。
 何事かと捜査員たちが集まってきた。
「ニア、何してるんです?」
 リドナーが駆けより、ニアから塩ビ製のフィギュアを取り上げようとした。
 しかしニアは腕を振り上げて抵抗し、リドナーの手を跳ね除けると、またしてもフィギュアをに向かって放り投げた。舞い上がった書類の最後の一枚が床へたどりつき、紙の音をたてた。ニアの震える声が重なる。
「もう限界です。あなたは私を愛してなんていません。あなたは私を嫌って、それだからあてつけて、苦しめるようなことばかりするんです。そうやって、私が一人耐えている様を見て喜んでるんですよね」
「そんなこと」
 ニアはに弁解する暇さえ与えない。
「議論するつもりなどありません」
 すばやくきびすを返し、玩具や書類の散乱するその場をあとにする。
 途中唖然としているレスターを瞥見した。
「レスター指揮官、今日収集したデータを私の部屋に」
 厳しい声で指示する。レスターが了解するのを待たず、機械的な足取りで立ち去っていった。
 残された面々は自然と視線を重ねあわせた。
 ニアがもう遠くへいっているのを確認してから、口々に疑問の声をあげた。
「いったいニアはどうしたというんだ」
「ジェバンニ何かしたんじゃない?」
「なぜ僕なんだ。リドナーこそニアのおもちゃを踏みつけて壊したとか」
「いや、原因はあきらかにだろう」
「私も心あたりありませんよ!? いきなり逆上してあれこれ投げつけて拗ねて行っちゃったんだから」
 リドナーは沈痛な面持ちで腕を組み、やや睫毛を伏せた。
「何もなかったわけないわ。よく思い出して。直前、何か話してたんじゃない?」
 そう言われて、も記憶を手繰り寄せる。ちょっと前のことなので、時を要さずに思い出せた。
「ああ……っと、レスター指揮官とジェバンニなら映画に出られるという話を」
「明らかにちがうわ。そのさらに前!」
「えーと、レスター指揮官ってかっこいいよね、という話を」
 途端、全員が異口同音に「それか」と納得した。
 はひとり状況を把握できず、三人の顔をみまわしている。
 なぜニアが怒ったのか、それを彼女にわからせるのは骨の折れる作業になりそうだった。

 ニアの部屋の前に立ち、ノックで呼び出す。の手にはレスターに預けられたUSBメモリがあった。
「レスター指揮官ですか?」
「……です。あの、レスター指揮官の代わりに」
「お引取り下さい」
 すかさず入室を拒否される。
「はやっ! ……ねえ、ニア。私が悪かったからさ、開けてよ」
 あれからリドナーに思春期の男の子についてレクチャーされ、いかにのしたふるまいが残酷かをしらしめられた上で、ここをたずねていた。
「……何が悪かったんですか? 五十字以内で述べてください」
「ほかの男の人にかっこいいって言ってしまってごめんなさい」
「帰ってください」
「え! ちがうの!? リドナーはそう言ってたよ!」
「なんかもういろいろダメです。リドナーに言われてここにきたこと暴露してますし。話になりません。お引取りを」
「ちがうよ!」
 は強い口調で否定する。
「確かに何が悪かったかリドナーから教わったよ? でも話を聞いて、本当に悪かったと思ってるからここにきたんだよ。リドナーに行けって言われたからじゃない。誤解しないで」
 沈黙が続く。
 しばらくして、内側から鍵のはずれる音がした。ドアノブがゆっくりとまわり、ニアが姿を見せた。まだ機嫌を損ねている様子だ。
「ええっと、お邪魔します」
 ニアの部屋はやけに広々としていた。空間に対して物が少ないせいだ。
 あるのはベッドと、部屋の隅に投げやられているノートパソコン、それに小さなタンスがひとつ。
「あいかわらず何もないね」
 いきなり本題に入るのは気まずい。クッションとして世間話を挟もうとするが、そんな彼女の意向をニアは冷たく突き返した。
「あなたが不要なものを持ちすぎなんです」
「いや、でも、本とかさ」
「一度読んだ本をなぜとっておく必要があるんです。その頭は飾りですか」
 丸暗記しろと言っているらしい。は思わず苦笑した。
「そんなのできるのニアとLくらいだよ。メロやマットも多分無理なんじゃないかな」
「またメロとマットですか」
 ニアは口端に嘲笑をにじませ、小バカにした感じで鼻を鳴らした。
「そんなに過去が愛しいなら、ワイミーズハウスにしがみついていてはどうですか? あそこにはあなたの大切な思い出がいくつも眠っていますよ」
「過去をしがみついたら、前に歩けなくなる」
「悟ったようなことを言いますね。大したご卓論です」
 うなじを反らしてを見下ろし、冷徹に一蹴する。
「……それで話は?」
 促がされて、ようやくは本題に入った。
「さっきも言ったけど。……ニアの気持ちを考えずに、レスター指揮官や、ジェバンニのことをかっこいいなんて言って、悪かったなと思ってる。ごめん」
「それだけですか」
 ニアは眉を逆立てて詰問する。
 質問の意味を把握できず、小首をかしげるは、恐る恐る返事を口にした。
「いや、だから、申し訳なかったなと」
「だからそれだけですかと聞いてるんです!」
 ニアは再び感情を剥きだしにした。あたりに手に取るものがなかったのが幸いだろう。
 首をすくめるを前に、ニアは低い声で次々と恨み言を並べ立てた。
「あなたはまったくわかってない。私がずっと昔から、ずっと、どんな思いで過ごしてきたか。あなたはよく言いますよね、あの人がかっこいい、この人がかっこいい。……でも、私にはただの一度もそう言ってくれたことはなかった。ほかにどう思われようが構わない。でも、あなたには、あなただけには、生きている人間として、いまここで生きて、呼吸して、動いている人間として見てもらいたい。ただそれだけのことが、私には得られない。それどころかあなたは、私の苦悩を助長させるような言動ばかり取る」
「……え、えーと、つまりニアは、私にかっこいいって言って欲しかったってこと?」
 そう問いかけられた途端、ニアは不満そうに横を向き、全力を傾けて否定しにかかった。
「なぜそうなるんですか。曲解しないで下さい。私はただ……」
 しかし、そのあとが続かない。図星を突かれたせいで、うまく言い返せない。水を浴びせられた焚き火のように、急速に勢いをそがれた。すっかりうつむいてしまい、言葉を捻り出そうとすればするほど、何を言えばいいかわからなくなった。
「……ちがう。かっこいいなんて言って欲しくありません」
「ニアはかわいいよ」
 その言葉を聞いた途端、再びニアの目の中に怒りが燃え上がった。
 しかしは間をおかず続ける。
「ねえ、ニア。私がこの言葉をニア以外の人に使ったこと、あった?」
 ニアはしばらく考え込んでいたが、思い当たる記憶が見つからないのに困惑して、くちびるを固く結んだ。の次の言葉を待つ。
「ね? ないでしょ。私のこの言葉はニアのためだけにあるんだよ。それじゃ不満?」
「……でも、かっこいいのほうが、聞こえがいいじゃないですか」
「わかってないなあ」
 わざとらしく肩をすくめてみせる。一方的に責め立てられる状況を脱したという安心感からくるしぐさだ。
「ニア。あのね、かっこいい男なんてそれこそ五万といるの。テレビ見てたらさ、ジョニーズなんてそれこそみんなかっこいいでしょ」
「ジョニーズってなんですか」
 日本のアイドル事情には詳しくないらしい。説明するのも面倒なので、は話を先へ進めた。
「でもかわいい男はそういない。自信持っていいんだよ。ニアはかわいくて、かわいいニアを、私は好きなんだから」
「……かわいいのは」
 ニアがぽつりとつぶやいた。顔を上げる。白い頬がうっすら赤味がかっている。
「あなたのほうですよ」
 おそるおそる伸ばしてきた手を、のほうでつかんで自分のほうへ引き寄せた。
 ニアが半ば倒れこむようにしてもたれかかってくる。そんな彼の耳元にそっとくちびるを近づけた。
「ねえ」
「……なんですか」
「かっこよく決めてよ」
「……かわいいのが私の長所です」
「情けない……」
 ニアはさっと顔を上げた。には失望されたくない。だから勇気をかき集め、必要以上に力のこもる指先で彼女のあご先をとらえた。もう一方の腕は背にまわす。
 そのまま自分の胸板へ抱き寄せ、くちびるの距離を縮めた。まもなく、ゼロになる。
 やわらかく暖かい、それでいて胸に震わす不思議な感覚が、二人のあいだを行き交った。
「痛かったでしょう?」
 ニアはの頬に手を添えた。
「……平気だよ」
 謝ろうとする口を、こんどはのほうからふさいだ。
 殺風景な部屋に、くちびるを求め合う湿った音が響く。
 彼らの足元には、いつのまにかの手から抜け落ちたUSBメモリが、所在無さげに転がっていた。

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