甘い接触

 澄ました顔つきでラケットを振る赤也が憎らしかった。試合を控えていて、忙しいのはわかってる。でも、練習を見にくることでしか恋人に会えないなんて、そんなの寂しいじゃない。しかも、一緒にいられるのは食事のときだけ。
 ひとときいっしょに過ごしたら、王子様はコートの中へ帰ってゆく。夢の世界にいられるのがたった一時間ぽっきりだなんて、これじゃシンデレラ以下だよ。
 でも、これは、私のわがまま。好きだからなんて理由で、安易に相手を束縛しちゃいけないってわかってる。
 だからなにも言わない。言えないんじゃなくて、言わない。私の意思でそうしてるの。けど、赤也ともっとたくさん話したいって思うのも、やっぱり私の気持ちなんだよ。

、どうしたんだよ?」
 そうたずねながら、赤也が私の顔をのぞきこんできたのは帰り道のこと。
 赤也の練習が終わるのを待ってふたりで帰ろうとすれば、どうしたってこんな時間になる。
 空にはもう少しの青さもない。……青空どころか、夕焼けすら残ってないじゃん。黒。真っ黒ってわけでもないけど、でも夕方よりは夜に近いよ。夕闇っていうのかな、こういうの。
「別に」
 私は極力明るい声をかえした。そのあとで、もう一度空を仰ぐ。
「ただ、暗いなあと思って」
「冬だからな。夏ならまだ夕焼けだろうけど」
 赤也のくちびるが動いた。そこから発せられる声よりも、くちびるばかりが気になって、話に集中できない。冬なのに表皮のめくれもなく、きれいな色のくちびるだった。……私、もう何日赤也とキスしてないんだろ。
「聞いてんの?」
「えっ、あ、うん。もちろん」
 私はあわてて顔をあげた。
 やばっ、赤也、なんて言ってたのかな? えーっと……そうだ、夕焼けの話?
「じゃ、俺なんて言った?」
 赤也が私を試してくる。性格悪いなあ……。
「夕焼けの話でしょ? 夏ならいまごろは、まだ夕焼けだって」
 私は自信を持って答えた……んだけど?
 赤也は見るからにあきれた様子でそっぽを向いてしまった。
 まさか……はずれ!?
「もういい」
 声まで低い……。なんとかこの場で赤也の不満をとりのぞかないと、後が大変。
「ごめん、怒らないで。ちょっと考えごとしてたの。赤也のことだよ」
「俺がすぐそばにいるのに考え込む?」
 赤也の目つきは友好的じゃない。私を疑ってる感じ。
 嘘なんかついてないのにもう。
「本当だってば。赤也のくちびる見てたの」
「くちびる?」
 赤也は不思議そうに聞き返したあとで、にっとくちびるの端をあげた。
 わー。なんかたくらんでそうな笑顔。
「へえ、なんでまた?」
 だいたい予想つくでしょ、普通。
「……なににらんでんの」
「え!?」
 わ、私、赤也のことそんなふうに見てたの!?
 私はあわてて微笑んだ。
「に、にらんでなんかないよ」
 なんか私、さっきから弁解ばっかりしてる。赤也の視線がなんとなく気まずくて、前のほうを向いた。
 次の瞬間、私の耳に吐息が覆い被さってきた。赤也が顔を近づけてきたのだ。
「もしかして、欲求不満?」
 ちがうってば、と照れた顔して振り向こうと思ったそのとき、赤也はすっと首を伸ばして、キスしてきた。
 ……こ、こんな道のどまんなかで。だれもいないからいいんだけどね。実は、ほんの少しだけ、嬉しかったりもするし。久しぶりのキスだ。
「もう、赤也ったら……」
 お約束というやつで、力はこめずにばしばしと赤也をたたいた。
 赤也は「ははっ」と笑った。
「満足した?」
 こんどはにっこり微笑んだ。
 ……なに!? やだ怖い! なんか起きそう! 悪い予感は的中。
 すばやく動いた赤也の腕が二の腕にからみついてきて、身動きがとれなくなる。
「ちょ、赤也、やりすぎ……」
 キスくらいがちょうどいいの! それ以上はこんなとこでするのやだ! でも私の胸中の叫びは赤也に伝わらない。
 突然、首に何かが触れた。冷たくて、柔らかい。くちびるだ、赤也の。そのまま舌を押しつけてくる。
「俺も欲求不満だし、いいじゃん」
 私は動けない。抵抗しても、赤也は放してくれなかった。
「こういうの、一回はじめると」と、赤也はささやいた。
「止まらなくなる」
 赤也が言葉を発するたびに、私の肌で吐息がはじける。
 だれかに見られるかもしれないって、頭ではわかってるのに、ここちよく感じてしまう。お母さん、はしたない娘でごめんね……。
「……ん?」
 私はふと我に返った。制服の下で、何かもぞもぞ動いてる。……ってこれ赤也の手!? ちょっと待ってー!
「なに考えてるの!」
 勢いに任せて、赤也のワカメ頭をはったおした。さすがにいまのは限度を超えてる。一端私から離れた赤也は、殴られた箇所をさすりながら、上目づかいでにらみつけてきた。
「いいじゃん別に。ちょっと触るくらい」
「こんなとこでするんじゃない! 立海テニス部の名前が泣くよ」
 赤也は「ちぇっ」と舌打ちしてそっぽを向いた。面白くなさそうだ。
 私の冷たい視線をものともせず、赤也はふと顔を下向けた。ズボンのあたりをじっと見つめる。
「あーあ。せっかく反応してきたのに」
 私は思いっきり振り上げた手で、再び赤也の頭をはたいた。セクハラ反対!

▲Index ▲Noveltop