抱き枕ライフ

 きれいな男の子だと思った。艶を帯びた赤毛と意志の強そうな瞳が印象的だった。テニスラケットの入ったバッグを抱えていた。
 はあわてて会計をすませて喫茶店を出ると、雑踏をかきわけて少年へ近づいた。
「ねえ、そこのきみ」
 周囲の何人かもあわせて振り向く。少年の連れらしき人物も同様だった。スキンヘッドの少年だ。
 は目当ての少年にだけ視線を向けた。
「年、いくつ?」
「……十五だけど」
 不審そうな目でを見つめる。かたわらの人物も警戒心をあらわにした。
 はくすりと笑みを漏らした。
「そんなに怖がらないでよ。あのね……」
「あの」横から、少年の連れが口を挟んだ。
「俺たちに何か用でしょうか?」
「用があるのは」とは視線を冷たくした。
「きみじゃなくて、きみのお友達。ねえ、きみ、お金欲しくない?」
 後半は赤毛の少年に向けて問いかけた。
「……は?」
「あのね、少し私に付き合ってくれたら、五千円……ううん、きみ、顔がいいから奮発して、一万円。それだけ、きみに渡すよ」
 怪しい流れを見せはじめた話の展開に、さきほどのスキンヘッドの友人が再び割り込んだ。
 と会話しても埒があかないと踏んだのだろう、赤毛の少年に訴える。
「ブン太、もう行こうぜ。このひと変わってるよ」
 赤毛の少年はブン太というのだ。
「変わってる、じゃなくて変人だって言いたいんでしょ」
 の攻撃的な物言いに、スキンヘッドの少年の眉間に浅い皺が浮かんだ。
「正しくは変質者、なんですけど」
「かわいくなーい。彼女できないわよ?」
「あなたに心配してもらうことじゃありません」
 冷たく言い放たれ、しかしはまるで気にする様子を見せない。
「むきになっちゃって。でもきみはだめ。その頭、おっかないんだもん」
 そう言って再びブン太に目を向けた。
「ね、私と遊ぼう?」
 ブン太は特に悩むそぶりを見せなかった。
「別に、いいけど」
「そうこなくっちゃ」
「ブン太!」
 の歓声に、スキンヘッドの少年のあげた叱責が重なった。
「うるさいなぁ。えーっと、ブン太くん、ブン太くんよね?」
 そこで一度言葉を切り、ブン太を見やる。うなずいたのを確認してから、話を続けた。
「ブン太くんがいいって言ってるんだから、問題ないじゃない」
「どう考えたっておかしいだろ、こんなの!」
「……ジャッカル、大丈夫だってば。これ、知り合いなんだよ」
 スキンヘッドの少年はジャッカルという名前らしい。
「知り合い?」
 ブン太の口から出た意外な言葉に、ジャッカルは戸惑いを見せた。
「ああ。俺の親戚で、こういうくだらない遊びが好きなひとなんだよ」
「くだらないなんてひどーい、おねえちゃん泣いちゃーう」
 の不満げな声に、ブン太はわざと口調を真似て返した。
「こんなバカな親戚持って、ブン太悲しーい」
 しばらく無言でブン太と見交わしたのち、は自信にあふれた眼差しをジャッカルに向けた。
「というわけで。ごめんなさい、少し悪ふざけが過ぎたみたい。親戚の者だから、心配しないで」
「……そうですか」
 ジャッカルの目に平静が戻った。
「こちらこそ、すみません。言い過ぎました」
「いいって、いいって。こんないい友達に恵まれて、ブン太くんしっあわせー」
「恥ずかしいからやめてくれる、おばさん」
「おばさんはないでしょ」
 笑いを噛み殺しながらやりとりを聞いていたジャッカルだったが、きりのいいところで別れの挨拶を切り出した。
「じゃ、俺はこれで」
「おう、またな、ジャッカル」
 立ち去る彼のうしろ姿を見送ったのち、ふたりはあらためて見交わした。
「なかなか演技派ね、ブン太くん。助かっちゃった」
「別にいいけどよ。それよりあんた、一万も出して俺をレンタルして、いったい何やらせたいわけ?」
「なかなかの日当でしょ?」
 は軽快に声をたてて笑った。しかしブン太の疑わしげな視線を受け、やむなく笑顔を引っ込める。
「あのね、私の部屋で一緒に過ごして欲しいの。一日」
「……それって」
「あ、やらしいこと考えないでね」
 ブン太は図星を突かれて黙り込んだ。わずかに頬を染めている。
「添い寝して欲しいの。ちょっと高価なぬいぐるみってとこかな」
「あるいは抱き枕?」
「正解、正解!」
 が再び笑い声をあげる。
 彼女の口が閉じるのを待って、ブン太はつぶやいた。
「別に、いいけど」
「じゃあ、早速行きましょ?」
 はブン太の手を引いて歩きだした。まもなく彼女の住むマンションに到着した。セキュリティを外し、エレベータへ乗り込む。
 上昇中、二人はどちらも口をきかなかった。ただ黙って互いを見つめあう。指定した階へつくと、エレベータを降りて部屋へ向かった。
「高そうなマンション」
 雑談が息を吹き返す。建築からまもない様子だった。ブン太は感心してつぶやいた。
「そうでもないんだけどね。売れ残ってて、賃貸マンションにしようかって販売員が迷ってたくらいだから」
「値下がりしてたんだ」
「そう。ちょうど買い時だったの」
 白いドアの前での足が止まった。ブン太も自然と立ち止まる。
「ここ?」
「そうよ」
 は少し気取ったしぐさで扉を開けた。脱ぎ捨てられた靴でいっぱいの玄関が広がる。
「ようこそ、私のかわいい抱き枕くん」
「かわいいは余計だろぃ」
 そう吐き捨ててから、ブン太はドアをくぐった。
 も後に続き、玄関でブン太を追い越した。
「適当に座ってて」とリビングに転がるクッションを指差した。キッチンへ向かう。
 まもなく戻ってきた彼女の手には、コーヒーとクッキーの載った皿があった。
「コーラとかないの?」
「コンビニ、近くにあるよ」
 一蹴され、しかたなくカップに手をつける。砂糖もミルクも入っていない。たちまち苦みが口内に広がった。
「苦っ」
 ブン太の渋面を見て問いかける。
「なにか入れる?」
 は満足そうにコーヒーをすすっていた。
「ミルクかなんかちょうだい」
「残念。あるのはせいぜいグラニューじゃない砂糖くらい」
「……最悪」
「あ、名案。薄めようよ、お湯で。アメリカンにしちゃおう」
「余計まずくなんねえ?」
「じゃ、我慢して飲むしかないね。もしくは砂糖入れたら」
 ブン太は再びコーヒーを口に運んだが、やはり耐えられない。飲み物をあきらめ、クッキーに手を伸ばした。
「それね、私が焼いたの」
「うそ。うまいじゃん」
 感心した様子で、二枚目に手を伸ばす。
「うそ」
「真剣にバカだな、あんた」
 だがおいしいのは事実だ。ミルクをふんだんに使い、その自然な甘さを活かした味だった。
 気がつけば半分ほどに減っていた。はまだ一枚も食べていない。
「食べないの?」
 クッキーをつまみあげ、のくちもとへ持っていく。
 しかしくちびるは開かない。わずかに歪むだけだ。
「いらない。寝る前に食べると太るし」
 ブン太は手を引っ込めた。
「……ああ、そういえば寝るんだったな」
「そう、かわいいブン太くんを抱きまくらにしてね」
 からかうような口ぶりだ。
 なかなか抗弁できずにいるブン太を置いて、はバスルームへ向かった。
「シャワー浴びてくる」
 十分ほどしてシャワーから戻った彼女は、淡い桃色のキャミソールを着ていた。
 むきだしの肩は湯上り直後のため、かすかに赤く染まっている。
「お待たせ」
 異性の素肌を前にして、ブン太もさすがに意識しないわけにはいかなくなる。自身の心音が徐々に早まり、身体が熱を帯びはじめるのを感じた。
 は何やらタンスを探り始めた。ブン太の変化には気づかず、黙って手を動かす。
「見つけた」とにわかに声をあげ、男物のパジャマをブン太に差しだした。
「……何それ?」
 ブン太はなるたけ平静を装い、たずねごとを口にする。見たところはひとり暮らしだ。男物のパジャマがあるのは不自然だった。新品というわけでもなさそうだ。
「パジャマ以外の何かに見える? ブレザーじゃ眠れないでしょ」
「着替えて、着替えて」と急かされ、しかたなくボタンに指を伸ばす。しかし途中で思いとどまり、を見上げた。
「どこで着替えんの?」
「面倒だしそこで脱げば?」
 クッションの上に座る彼女と見交わすべく、視線を下げる。
「ここで脱げって?」
「別にきみの裸見たって何も思わないよ」
 返ってきた答えの淡然さにくちびるをゆがめつつ、ブン太は必死で考えをめぐらせた。の頬に意地悪さが滲み出ている。からかわれているのは明らかだ。小さく息を吸い込むと、意を決して服を脱ぎはじめた。薄い筋肉をまとった胸板や手足が、外気にさらされる。
 上下ともに勢いよく脱ぎ捨てたが「あ、忘れてた。これもね」とボクサーパンツを差し出された瞬間、ブン太は色を失った。いくらなんでも全裸にはなれない。急いでパジャマと下着を掴み取り、脱衣所へ駆け込む。
 残されたは、にぎやかな笑い声をたてた。

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