立海バレンタイン戦線

 華やぐ街角。ピンクやら赤やらの飾りで彩られた店頭に、派手な包装のチョコレートが並ぶ。
 そういえば明日はバレンタインデーだ。
 幸村くんにあげたいけど、付き合ってるわけでもないし、勇気が出ないから、私には関係ないイベントかな。
 ふと、昨年の友人の声を思い出した。
「恥ずかしいから、本命に義理チョコの振りして渡しちゃった」
 それはありかもしれない、と考えを巡らせる。
 買うかどうかは別にして、近くの店へ足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」と活気に満ちた歓迎の声が響く。
 安くもなく高くもない、ちょうどよい価格帯のチョコを三つ選らんだ。幸村くんにだけ渡すと勘ぐられるかもしれない。私にそんな興味持ってくれないのはわかってるけど。それを考えると少し憂鬱になった。
 買ったチョコを紙袋へ詰めてもらい、手に提げて歩く。あとの二つは同じクラスの仁王くん、丸井くんに渡そう。普段からよく話すし。
 途中、立海の学生服を着た集団を見かけた。
 まずい……。幸村くんがいる。丸井くんと仁王くんも。
 渡す当日まで知られたくない。かといって避けるのも変だ。悩むうちに向こうに声をかけられてしまった。
「よっ、
 丸井くんだ。
 私はいま気づいたふりをして、自然に彼らに近づいた。
「何しとるんじゃ?」
 今度は仁王くん。あいかわらず束ねた銀髪がワイルドだなぁ。同い年に見えない。
「ちょっと、ね」
 義理チョコなんてご挨拶なんだから、秘密にしておく必要はない。
 けれど、なるべくなら渡すタイミングまで知られたくない。気持ちの問題だ。もっとも、紙袋でチョコと気づかれるかもしれないけど。洋菓子店の袋だし。
「あれ、、それ、チョコレート?」
 真っ先に気づいたのは、意外にも幸村くんだった。こういうことには疎そうなのに。
 私は小さく微笑んで、うなずいてみせた。少し嬉しくなる。幸村くんが私に関心を持ってくれるなんて、まるで思わなかった。
「バレンタインのチョコレートかな。俺の分もあったら嬉しいけど」
 がっつり用意してます。お世辞だとわかっていても、つい舞い上がってしまう。幸村くんなら文字通り、腐るほどもらえるにちがいない。
「幸村くんなら、食べきれないくらいチョコレート貰えるじゃない」
「そうそう」と横から、丸井くんが口を挟んだ。
「丸井くんだってたくさん貰うくせに」
 私が突っ込んだ。
「いや、俺は食いきれるから」
 たくさん貰えることは否定しないんだね。仕方ないか、モテるし。
、当然俺の分もあるんじゃろうな?」
 いや、まだほかのふたりにもあげるなんて言ってないから。私は笑ってごまかしながら、発言者の仁王くんに向き直った。
「だが、見たところ全部同じサイズのようじゃ。本命はなさそうやの。全部義理チョコか?」
 私は表情を苦笑いへ移した。三人の顔を順番に見る。
「実は、そうなの。日ごろお世話になっているみんなにお礼がしたくて。恥ずかしながらバレンタイン初参加。……でもよく考えれば、みんな邪魔になるくらいチョコもらってるよね」
 暗に三人に渡すために買ったことを認めた。ほかのものにすればよかった、気が利かないなあ、私。少し暗い気分になって、紙袋の中のチョコを見落とした。
 私が気を落としたのを察したのか、三人は「そんなことない」と声を重ねた。
「俺はからもらえるなら、ほかの人からのは断ったって構わない」
「幸村、抜け駆けは許さんぜよ」
「俺はくれるもんは全部貰うぜ。でものは一番味わって食うから」
 そんなに必死でなぐさめてくれなくたって。チョコなんて、いつでも食べれるのにね。
 でも、厚意は受け取っておくことにしよう。
「ありがとう」
 そう微笑みかけたあと「でもちょっと、励ましかたがオーバーかな」と指摘して、その場を離れた。まったく、揃いも揃ってお人好しなんだから。
 途中、雑貨屋の前を通りかかる。幸村くんにだけ、ほかに何かつけようかな。私だけが知ってる本命アピール。気づかれなくたっていい。度胸のない私にお似合いの自己満足だ。
 店頭で見かけたキラキラ光るチャームを購入した。チョコのリボンにつける。見栄えがよくなった気がする。これくらいでちょうどいい。

 翌朝、男子テニス部のテニスコートへ顔をだした。幸村くんの姿はない。部室にいるのかな。部員でもないのに、中へ入る勇気はなかった。
 練習中の丸井くんが私に気づいて、わざわざフェンスの外まで出てきてくれた。
、どうした?」
 問いかけながら、期待にあふれた眼差しを向けてくる。いま渡しても荷物になるし、丸井くんのは教室で渡すつもりだった。
「幸村くんにチョコ渡したかったんだけど……また後にするよ」
 途端、丸井くんは不機嫌そうに口元をゆがめた。
「俺にはねえのかよ」
「あとで教室で渡すつもり」
 そう明かすと、「そっか」と大きくうなずく。風船ガムを膨らませる。常に自信に満ちた目が、青春そのもののように輝いていて、確かに格好いい。今日はチョコを持参した女子が殺到するんだろうな。
 あまり話し込んで邪魔になっても申し訳ない。早々に立ち去ろうとした私の耳に、レギュラーでない部員らの話し声が入ってきた。下級生のようだ。
「あれ先輩じゃね?」
 学年ちがうのに、よく私の名前、知ってるなあ。
「もしかして丸井先輩にチョコ持ってきたのか?」
「手ぶらだし、違うんじゃ」
「もし先輩参戦となれば、今年のバレンタイン戦線は荒れるな」
 なんだか話の種にされている……。私は気まずくなってすぐ立ち去った。

 やっぱり朝のうちに、全員探して渡すべきだったかも。後悔を覚えても遅い。休憩時間に入るなり、ほかのクラスの女子まで現れて、引っきりなしに仁王くんと丸井くんのもとをたずねてくる。
 ふたりとも、私もチョコを用意したのを知ってるので、ときおり気遣ってこちらを見てくれたけど、割って入る勇気なんかない。この分なら幸村くんも同じ感じだろうな。

 昼休みに入る。ここが勝負だ。放課後になったらみんな部活に行っちゃうし。
 早速、仁王くんの机へ向かった。
 ……チョコを渡す列が出来ている! 完全に出遅れた。並ぶのもなんだか気恥ずかしくて、うろうろと机のまわりをまわった。何してるんだろう、私……。
 諦めかけたそのとき「!」と呼ばれた。私を名前で呼ぶ男子なんかいない。
 驚いて振り返ると、丸井くんが包囲網を突破して、近づいてくるところだった。手を突き出される。
「チョコ、くれよ」
 私は戸惑いながら、丸井くんの分を手渡した。丸井くんの机に取り残された女子たちの視線が痛い……。まるで順番抜かしたみたいになってる。
 丸井くんは紙袋から包みを取り出し、ひとしきりながめた。
「サンキュ」と微笑んだあと、自信たっぷりに「もちろん、本命だよな?」と問いかけられた。なんでこのタイミングでそんなジョーク言うかな。視線がさらに棘を帯びた。
「どうだろ、想像に任せるよ」
 私は笑ってごまかした。そこへ、ようやく列を捌き終えた仁王くんが割り込んでくる。
「丸井、往生際が悪いぜよ。はお前さんより先に俺の席へきた……。この意味がわからんお前さんじゃないじゃろ?」
 丸井くんが目を細くして、仁王くんをにらみつけた。一気に空気が緊迫化する。
「あん? がお前みたいなペテン師選ぶわけねえだろぃ」
「いきなり名前で呼び出して、なれなれしいのぉ。もう少し余裕を見せたらどうじゃ? 見苦しいぞ」
 私にはまるで意味のわからない会話が展開される。気まずさだけは十分伝わった。
 固まる私に仁王くんは「すまん」と謝罪しながら振り返った。
 私は気を取り直して、チョコを手渡す。仁王くんは早速チョコを観察し、丸井くんのと見比べた。まったく同じものだ。
「残念だが、お前さんと俺のチョコは同じのようじゃ。お互い選ばれんかったようやの」
 何に? と聞ける雰囲気ではない。どうしよう、私は席を外したほうがいいのかな。でも私のチョコが原因でこうなってるっぽいし。
 立ち去るタイミングを見つけられない私をよそに、丸井くんはいっそう機嫌を傾けた。
「中身がちがうかもしれねえだろぃ! それに、仮にどっちも義理だとしたら、立場はイーブンだ。そっから俺の天才的妙技で決めてやるぜ」
「ほぉ、言うのぉ」
 仁王くんはわざと大げさに感心した様子を見せた。挑発だ。
 ふたりのことは気がかりだけど、私は幸村くんにチョコを渡さないといけない。ふたりが火花を散らす隙を突いて、こっそり教室を離れた。薄情なことしてごめん、後で謝るから!
 廊下に出たところで、始まった騒動のせいで、チョコを渡す機会を逸した女子生徒とすれちがった。見たところ下級生のようだ。教室が遠い分、ここまで来るのに時間がかかったのだろう。悲鳴に似た声が聞こえてくる。
先輩の本命、どっちなの!?」
「あたしじゃ勝ち目ないよぉ」
 どっちも本命じゃないんだけど……。勝ち目とか、なんの話だろう。そもそも参戦してない。
 しかし、と私は途中で足を止めた。このままいくと、三人に本命チョコを用意した気の多い女だと噂されかねない。
 かといって、幸村くんにチョコを渡さない選択肢はなかった。せっかく用意したんだから。
 それに、私にとってははじめてのバレンタイン参加だ。本命である幸村くんに渡せないなんて、むなしすぎる。
 ただこれ以上、変な憶測を呼ばないように、キラキラのチャームは外した。義理チョコだと勘違いされても仕方ない。もともと覚悟の上だ。
 道中、何人かの男子生徒とすれちがった。彼らは一様に私の提げた紙袋を注視していった。みんなバレンタイン意識してるんだなぁ。
 幸村くんの教室へきた。……甘かった。行列が出来ている。
 私は眩暈を覚えた。並ぶべきか、並ばないべきか。
 列の先頭では「ちょっと、あんたいつまで話してんのよ!」と諍いまで起きている。スタッフに引き剥がされる、某アイドルの握手会のようだ……。
 私はくるりと反転した。これ以上の負担を幸村くんにかけるのは忍びない。お昼ご飯食べる時間を奪ってしまっても申し訳ないし。
 そのとき、背中にだれかの視線を感じた。新しいライバルの登場を警戒されたのかな。
 教室へもまだ戻る気にはなれない。学食へ避難しようとして「!」と呼び止められた。さっきもあったな、こんな展開、と感じながらおそるおそる振り返る。幸村くんがすぐ背後に立っていた。
「俺に会いにきてくれたのかな?」
 視線が私の手元をとらえた。わざわざ気にして出てきてくれるなんて、と私は感激した。
 幸村くんにとっては他の数多くのチョコと大差ないはずだ。ほかの女子たちより、私を優先してくれたのだと自惚れたい気持ちがこみ上げる。でも、それをすぐに押し殺した。
 期待しても傷つくだけだ。私は皮膚に突き刺さる視線の群れを避けようと、いったん廊下へ出た。幸村くんもついてきてくれる。
「これ、バレンタインのチョコレート。受け取ってくれる?」
 おそるおそる差し出す。幸村くんはいつもより少し笑みを深くした。
「もちろんだ。大事に食べるよ」
 幸村くんの手元に届いた途端、廊下から駆けつけてきた女子のひとりに、さっと紙袋を取り上げられてしまう。中をのぞかれた。
 彼女は胸を撫で下ろしながら、幸村くんに紙袋を返す。
「よかったー。さんの本命、もしかしたら幸村くんなのかなってビビっちゃった。でも、さっき見た丸井くんや仁王くんのと同じ包みだから、義理みたいね」
 幸村くんが視線を冷たくした。それは私に向けられたものではなかったけど、思わず心臓が跳ねるくらい、凍りついた眼差しだった。
 幸村くんは私の渡したチョコを改めて受け取ると、女子に向かって吐き捨てる。
「君には関係ない話だ」
 強い拒絶の意思に、女子はびくりと震え上がった。
「あ……えっと、ごめん。あたし……その、幸村くんのこと好きで……これを」
 そこで話は遮られた。幸村くんが手を上げて、全部言わせようとしなかった。
 彼はもう、女子を見つめていなかった。
「悪いけど」とそっけなく言い切る。
「勝手に人のプレゼントを見るような子と話すようなことはないよ」
 女子の手には、ピンクの紙袋が提げられていた。テレビで取り上げられた、有名な洋菓子店のものだった。私も街で見かけたけど、かなりの行列だった。一時間、もしかしたら二時間くらい並んだかもしれない。幸村くんのために寒さに耐えたのだろう。彼女が心を弾ませながら、チョコを選ぶさまが目の前に浮かび上がる。
 私は思わず割って入った。
「受け取ってあげてよ」
 女子が目を丸くして、私を振り返った。恋敵かもと警戒した相手から庇われて、驚いたのだろう。でも、私は恋敵という認識より、同じ戦線をくぐりぬける戦友のつもりで口を開いた。
「女の子が、勇気を出して持ってきたんだよ? 受け取ってあげてよ」
 私は自分でも気づかぬうちに涙を流した。私が泣いたのは、彼女への同情のせいではなかった。
 私は、私を哀れんだ。この涙は、ほかでもない、私の伝えられないまま終わる、恋心へのはなむけだった。
 彼女は私なんかよりずっと正々堂々としていて、勇敢だった。人目を気にして、こそこそと逃げ回るような真似をせず、正面からぶちあたろうとした。その気持ちを踏みにじられることは、私の気持ちを踏みにじられるのと同じだ。
 そんな錯覚に取り付かれて、私は幸村くんに食って掛かったのだ。幸村くんは目を伏せた。言い過ぎたのだろうか、ひどく切なそうに瞳を揺らす。
 彼は長いあいだ沈黙してから、絞り出すようにつぶやいた。
「……からだけは、そんなこと、言われたくなかった」
 幸村くんは無言で女子から紙袋を受け取り、立ち去っていった。教室へ戻りはしなかった。チョコ渡し待ちのみんなは唖然とし、追いかけるのを忘れてしまう。私も残された言葉の意味をはかりかねて、立ち尽くした。
「ありがとう」と突然、女子が礼を述べた。
 私は幸村くんの背中から、彼女へ視線を移した。
「私こそ余計な口を挟んでごめんなさい」
 私の謝罪に、女子は小さく首を振った。力ない動作だった。
「ううん。振られるのはわかってたから。……さんには敵わないよ」
 いきなり名前を出されて、思わず苦笑いした。
「幸村くんは私のことなんて、眼中にないよ」
 悲しいけど。その言葉は自分の胸に閉じ込めた。
 女子は不思議そうに首を傾げた。遠慮がちに問いかけてくる。
「もしかして……気づいてないの?」
「何を?」
「幸村くんが好きなひと」
 好きなひとがいたんだ……。
 私は打ちのめされた気がした。かろうじて平静を保つ。必死で動揺を抑えながら「そんなひと、いるんだ」と漏らした。
「どうしよう、私から言っていいのかな」と女子は言いよどんだ。幸村くんがいなくなったので、みんな蜘蛛の子を散らすように立ち去ってゆく。私のそばを通り過ぎた、下級生の女子のつぶやきが、ふっと耳に飛び込んできた。
先輩が出てきた以上、終わったも同然だよね」
 彼女の友人らしき、もう一人の下級生が落胆した様子で相槌を打つ。
「当たり前だよ。幸村先輩が好きなひとなんだから」
 時が止まった。いま、なんて? と聞き返したかったけど、そんなわけにもいかない。
 私は迷路の奥に迷い込んでしまった。私を好き? だれが? いまのやりとりの文脈を純粋に解釈すれば、答えはひとつしかない。
 幸村くんにチョコを渡した女子が「何人かは、気づいてるよ」と告げた。
「幸村くんのこと、いつも見てたから。ときどきさん、テニス部の練習のぞきにきてたでしょ? 幸村くん、いつもさんのこと見てた」
 確かに、こっそり練習を見に行ったことはある。何度か目が合うな、気に掛けてくれてるのかな、と舞い上がったこともある。でも、まさか、それだけで私を好きだなんて。
 とても信じられない気持ちで、私は女子を見返した。
 彼女は曖昧に微笑んだ。
「でも、こんなのほかの人から聞かされたくなかったよね」
 そう言い残して、立ち去ってゆく。確かめたいことはまだある。でも彼女を呼び止めても何にもならないこともわかっている。幸村くん本人に聞くしかなかった。
 私はブレザーのポケットに手をあてた。そこには外したチャームがある。

 私は学食へ向かい、遅めの昼食を摂った。
 妙なことになってしまった。あたりから、ひそひそとした話し声が聞こえてくる。話に尾ひれがついてしまい、とんでもない噂が流れている。私が幸村くんに告白して、玉砕したことになっていた。同時に仁王くんや丸井くんにまで告白したらしいとも噂されている。
 ちょっとした思いつきでチョコを買ったのが、そもそもの間違いだったのか。
 私はすっかり食欲が湧かず、ご飯を半分残してしまった。
 幸村くんはもちろんのこと、仁王くんや丸井くんに合わす顔がなく、早退して帰ってしまおうかと考える。
 でも、そうすれば明日もっと気まずくなる。学校を休み続けるわけにはいかない。
 私はなんとはなしにチャームを取り出した。これを渡す勇気があれば、違った結果になったのだろうか。
 私はいままで振られることばかり考えていた。嫌なことから逃げてばかりいた。
 みんなそうやって傷つきながら、それでも好きな人に思いを打ち明けているんだ。
 チャームがキラキラときらめく。渡されなかった輝き。これは、私の気持ちだ。空っぽのチョコレートだけを渡してしまった。
 これでいいの? そう自問する。
 行き場をなくしたチャームを捨てて、今日のことを忘れてしまえるの? 自問は重なる。
 このチャームを捨てることは、自分の気持ちを捨てることだ。私はようやく自答した。
 遅ればせながら、、前線に飛び出します。
 腹が減っては戦は出来ぬ。残したご飯を無理に平らげ、空になった食器を返却口へ置いた。
 決戦は放課後だ。

 放課後を迎えて、私はすぐに幸村くんのもとへ向かおうとした。部活へ行ってしまう前に捕まえないといけない。
 しかし、寸でのところで呼び止められた。仁王くんと丸井くんだ。
、ちょっといいか?」と丸井くんに切り出された。
 仁王くんも「俺も話があるぜよ」と肩に手をあててくる。声に気迫がこもっていて、とても断れる雰囲気じゃない。それでも、私にも引けない事情がある。
「ごめん、急いでて、明日じゃだめ?」と提案する。
 しかし、ふたりは納得しなかった。
「時間は取らせんよ、すぐに済む」
「あぁ、別にここでいいし」
 私は抱えていた鞄を腕に垂らした。話を聞く姿勢を見せる。もし幸村くんが部活に行ってしまったら、終わるのを待つ覚悟をする。どうしても今日のうちに伝えたい。なぜなら、今日はバレンタインデーだから。
 仁王くんに促されて、丸井くんから口を切った。あらかじめどちらが先に話すか決めておいたらしい。
、好きだ。俺と付き合ってくれ」
「右に同じじゃ。俺と付き合わんか? もちろん、好いとるよ」
 私は思わず、鞄を取り落とした。まだ教室に他の生徒もいる。彼らの視線が集中した。
 私はフリーズして動けない。
 え、私……いま告白されたの? ふたりの真剣な面差しが、私に事態を呑み込ませた。
 だめだ、冷静になんかなれない。うろたえて、視線を泳がせる。
 告白しに行くつもりが、告白されてしまった。振られる覚悟はしたけど、告白を断る覚悟はしていなかった。
 衆人環視の中、私は言葉を選びながら、気持ちを示した。
「ありがとう。……でも、私、好きな人が」
 思いが、あふれる。言わなくていいことまで、言葉になってしまう。
 私は額を手で覆った。視界が閉ざされる。卑怯だけど、この先は彼らの顔を直視しながら、伝えることはできなかった。
「幸村くんが、好きなの。だから、ごめん。仁王くんとも、丸井くんとも、付き合えない。ごめんなさい」
 静寂が広がる。いつまでも目を背けてばかりもいられず、私はおそるおそる手を下げた。
 仁王くんと丸井くんは、どこか清々した表情を浮かべた。互いに肩を叩いて笑いあう。
「だっせえ、仁王、振られてやんの」
「それはお前さんもじゃろ」
 ふたりの表情と声色が深刻そうでないことが、ひどくありがたかった。
 私は礼を述べようとして、またフリーズした。ふたりの背後に、もうひとり人影がある。 ……幸村くんだ。
 私は絶句した。こんなのって、ない。幸村くんに気持ちを直接伝えることもできないまま、終わってしまうなんて、あまりにも惨めだった。私の視線の動きで、ふたりも幸村くんの存在に気づいた。
「おっ、邪魔者は退散するぜよ」
を泣かせたら承知しねえぞ」
 ふたりは口々に軽口を叩きながら、歩き去ろうとする。
「丸井」と幸村くんは呼び止めた。ふっと冷笑を浮かべて、とっくにすれちがい、背後にいる丸井くんに告げる。
「俺の彼女を気安く名前で呼ばないでもらえるかな?」
 有無を言わさぬ、強い口調だった。
 私は衝撃を受ける。幸村くん、彼女いたんだ。知らなかった。このままじゃ恥の上塗りだ。
 私は怯み、逃げ出そうとして、やめた。ポケットのチャームが私を鼓舞する。討ち死にしていった戦友に顔向けできない。
 私は近づく幸村くんを、正面から見据えた。意を決して、口を開く。
「幸村くん、私……」
 しかし、言わせてもらえなかった。手をあげて、制止される。伝えることも許されないなんて、残酷すぎるよ。傷つけないための配慮なのかもしれないけど……。
 私はうつむいた。ややあって、幸村くんが優しく言った。
「こういうのは男に言わせてよ」と前置きしてから「好きだ」と告げる。
 ……好き? 予想とは反対の言葉が聞こえて、私は呆気にとられた。身動きができず、反応を示せずにいる理由を、幸村くんは勘違いした。くすっと苦笑いする。
「平然とされて、なんだか悔しいな。とっくに気づいてたよね。俺、ずっとのこと見てたから」
 幸村くんが近づいてくる。
 そんなの、気づくわけない。私が抗弁しようとするのを、幸村くんは許さなかった。
「ここはギャラリーが多いな」と手を引かれる。化学実験室へ通じる階段の踊り場へきた。幸村くんは私に向かって一歩踏み出す。
は俺と違って役者だね。俺に気持ちがあっただなんて、まったく気づかなかった。……仁王や丸井と同じチョコを渡されたって聞かされて、俺のことはなんとも思ってないって、思い知らされた気がしたよ」
「そ、それは違うの」
 私はあわてて訂正する。ここはちゃんと伝えておかないといけないところだ。ポケットからチャームを取り出して広げた。窓から差し込む日の光が反射して、ストーンのひとつひとつが白く瞬く。
「私は、卑怯だから。幸村くんにだけチョコレートを渡す勇気がなかった。だから、仁王くんと丸井くんにも渡して、幸村くんのチョコにだけ、このチャームをつけて渡すつもりだったの。でも、直前で怖くなっちゃって」
 幸村くんが手を伸ばした。チャームを受け取ろうとしてくれたのだと考えて、差し出す。でもそれはちがった。
 幸村くんはそのまま私の手首をつかみ、引き寄せると、くちびるを重ねた。心臓が止まるかと思った。息をするのを忘れて、くちびるの感触にすべての意識が集まる。
 キスの拍子にチャームが落ちた。
「ごめん」とくちびるを離した幸村くんはチャームを拾い上げた。大事そうに鞄へしまう。
「ありがとう。の気持ち、受け取ったよ」とお礼を言ってくれた。
 感謝しないといけないのは私のほうなのに。飛び上がりたいくらい嬉しい。舞い上がる私に、幸村くんは再び接近してきた。畳み掛けるように次々と確認される。
「事後承諾だけど、名前で呼んでいいよね? 俺のこともこれからは精市って呼んでほしい。そうしないと、いつまで経っても他の男がきみを諦めないから。あと、もちろん今日から付き合ってくれるってことでいいんだよね?」
 私の答えを必要としないのは明らかだった。またキスをされる。
 今度はついばむように、数回に渡って、くちびるを優しく食まれた。そっと頬を撫でられる。
「きみと行きたいところがあるんだ。待たせて悪いけど、放課後デートをしたいから、今日は練習が終わるまでいてほしい。できれば、練習を見ていてほしいな」
 すべて言い終えると「さあ」と促され、一緒に歩き出した。階段の手前で、再び手を取られ、一階へ向かう。だれに見られても、だれに騒がれても、幸村……精市くんは少しも意に介することなく、私の手をけして放さなかった。
 余談だが、精市くんは私といたせいで、部活に遅刻してしまった。飄々と「部長でありながら、時間を守れなかったことは遺憾に思うよ」と反省の弁を述べ、真田くんに処罰を下すよう命じた。
 真田くんは戸惑うことなく「うむ、いい心構えだ」とうなずき、続けて「グラウンド二十周!」と指示した。
 もちろん精市くんは逆らわずに走り込みへ向かう。フェンスの外から見守る私に、ジャージのポケットから何かを取り出して、揺らして見せた。きらきらと輝く、小さなチャームだった。

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