繋がる恋心

 は最近、メッセージ交換のアプリに夢中になっていた。
 インターネットを介して、面識のない人物とコミュニケーションできるツールだ。
 文字だけの希薄な繋がりだが、利点もある。
 身近な人には話しづらいことでも、自分に関する情報を持たない、しかもこれから会う可能性もない友人になら、打ち明けることができる。
 学校でも、授業が終わるなり、スマートフォンを取り出してメッセージを送る。
「最近、アプリに熱中してるね。彼氏でも出来たの?」
 隣の席に座る幸村精市が、面白くなさそうにたずねてきた。
 には、なぜ彼がこんな顔をするのか、そして嫌味みたいなことを言うのか、理解できない。
「そんなんじゃ……ないよ」
 彼女は、幸村のことが好きだった。だから少しだけ悲しそうな目をする。
 クラスメートがおどけた調子で突っ込んでくる。
「ひょっとして他校の男子?」
「変なことに巻き込まれないように気を付けるんだよ」
 なぜか不満げにそう言って、幸村はどこかへ歩き去っていった。
 は残りの休憩時間を使って、メッセージを書き上げた。

 自宅にいる彼女のもとへ、ある日一通のメッセージが届いた。
 これまで連絡し合ったことのないアカウントからだ。
 文面から察する限り、どうやら相手を間違えて送られてきたメッセージのようだった。
 放っておけば、間違っているのに気づかないまま、また送信してくるかもしれない。
「教えてあげたほうがいいよね」
 宛名の人物は自分ではないことを丁寧に説明したメッセージを作成し、送信する。
 これで終わりかと思われたが、まもなく返信があった。
「ごめん、間違って送っちゃったみたいだね。わざわざ教えてくれてありがとう。嬉しかった。突然だけど、俺、いま暇なんだ。忙しくなかったら、このまま少し話さない?」
 本人が突然だけど、と前置きしている通り、いきなりの申し出だ。
 しかし、は彼の希望に添うことにした。
 また面識のない友人が一人増えるのかと思うと楽しかった。
 返信をもらえたのに気分をよくしたらしく、すぐに返信があった。
「ありがとう。返事もらえてうれしいよ。メッセージ上の会話とはいえ、相手のこと少しも知らないんじゃ、少し味気ないから、自己紹介するよ。俺は十五、中学三年生だよ。趣味はガーデニングと絵画鑑賞。よかったら、きみのことも教えてくれ」
 は彼に興味を覚える。ずいぶん大人びた趣味の持ち主だったが、同じ年ということもあり、親しく話を出来るかもしれない。
「偶然だね。私も中学三年! 趣味はこれといったものはないけど……」
 それから何回かメッセージを交換したあと、ちょうど夜がきたので「おやすみ」と言い合って、寝床に入った。
 新たな友人の登場によって、ますますアプリが楽しくなりそうだ。わくわくした気持ちで眠りについた。

「へえ、じゃ、そいつのことが好きなんだ?」
 メッセージ交換をはじめて、一週間が過ぎたころ。
 は、新しい友人に恋愛相談を持ちかけていた。
 相手は幸村と同じ十五歳の男子、それでいて絶対に会うことのない人物、これ以上のない最適の相談相手だ。
「隣りの席なら、チャンスは多いし、きっと上手くいくよ」
「そうかな……だといいんだけど。この前も嫌味言われちゃったし、だめな気がする」
「そんなことない。きみみたいな素直でいい子、嫌いになる男はいないよ」
 否定されても、すんなり納得できなかったが、励まそうとしてくれているのは伝わってきたので、その気持ちはうれしかった。

 休憩時間に入るなり、は早速スマートフォンを取り出した。アプリに新しいメッセージが届いていた。早速、返事を書き始める。
 幸村は幸村で、自分のスマートフォンをいじっていた。ときおりこちらを見て、わずかにくちびるを上げてみせる以外、なんの干渉もしてこない。
 のほうから話しかけようにも、いい口実が思い浮かばず、会話のない日々が続いた。

「……俺? 横浜だけど。そっちは?」
 どこに住んでいるのかとたずねたときの答えだ。
 彼も同じ神奈川に住んでいる。そう離れていない場所で、いま自分と同じように携帯を握りしめている。
 は、インターネットの向こう側にいる、リアルの彼に興味を持ち始めた。
 会ってみたいとも思った。
 しかし、実際にオフ会を提案する気にはなれない。
 警戒の必要がないと決まったわけではない。
 それに何より、真実に触れてしまえば、自分の中の理想がくずれてしまいそうで、怖かった。

 あれからというもの、幸村は急にスマートフォンの楽しさに目覚めたのか、しきりに画面をタッチしていた。相変わらずには声をかけてこない。
 彼の動向をうかがううち、妙なことに気づく。
 幸村は休み時間のたびに携帯をのぞきこむわけではなかった。一回置きだ。
 しかも、がアプリの友人にメッセージを送信した休み時間と、いつもずれている。
 つまり、がメッセージを送った、その次の休み時間に、決まって幸村は携帯を手にするのだ。偶然だろうと気にしないでいたが、同じことが連日続くと、さすがに疑問に思えてくる。
 ふいに、幸村と目が合った。いつのまにか、彼をじっと見つめていたらしい。
 とっさに、のほうから目を逸らした。
 彼が「ふっ」と笑いを漏らすのが聞こえた。
 は、自分の予想が正しいのか、そうでないのか、確かめてみたいと思った。

 その晩、のほうから通話を申し出た。
「一度、声を聞いてみたいな。通話しない?」
「俺も話したい。いまなら大丈夫だよ」
 はあまりに簡単に希望が聞き入れられたことに、いささか拍子抜けする。ただの思い過ごしだったのかと安心する一方、残念に思うのもまた事実だった。
 アプリの相手は、やはり正体不明の人物だったわけだ。だからといっていまさら通話をやめるとは言い出せない。
 は一抹の不安を感じながらも、通話開始ボタンをタッチした。
 コールは一度で終わった。
 微弱なノイズの流れを破って、彼の声が聞こえてくる。
「もしもし」
 そこで、通話は途切れた。が切断したせいだ。
 スマートフォンを持つ指に、力が上手く入らない。
 彼女はしばらく呆然として、薄く発光する液晶画面をながめていた。

 朝のおとずれがゆっくりなのをもどかしく思ったは、いつもよりかなり早めに家を出た。通学路をひた走り、廊下を突っ切って教室へ駆け込む。
 無人の教室。
 乱れた呼吸を直しながら、こんどはゆっくりと歩き出す。立ち止まったのは、幸村の机の前だった。
 そっとてのひらを机上に合わせる。ひんやりと冷たい感触が、心地よく感じられた。
 そのとき、がらりと戸の開く音が響き渡った。
 主人のいない座席ばかりが並ぶ教室内では、ちょっとした音でもやけに大きく反響する。

 名前を呼ぶ声が、昨夜受話器から聞こえたのと同じであるのを確認して、振り返った。
 彼が近寄ってくる。歩くたび光を浴びる位置が変わり、黒髪を彩るつやの形も変化した。
 の前まで歩いてきて、しかし口はきかないまま、黙ってスマートフォンを手に取った。メール送信のボタンを押す。
 ややあって、の携帯がメッセージの新着を告げた。
 そこに書かれていたのは、たった一言だけ。飾りけのない短い言葉。
「会いたい」
 はゆっくりと視線を上げていった。
 その中央に彼女の姿を映しこんだ、黒い瞳が微笑んでいる。
「ごめん。からかうとか、そんなつもりじゃなかった。ただ、こうやって出会いたかったんだ」
 そう言って、手を伸ばす。
、メッセージで話してくれたよね。隣りの席の人が好きだって。嬉しかったよ。俺はこんな性格だからね。回り道しないと、素直になれないんだ」
 のほうからも、同様に手を差し出した。握手が交わされる。
「はじめまして」
 ふざけるでもなく、真剣に、彼はそう挨拶した。
「……いちばん伝えたいことが、あるんだけど。それはやっぱり、あんまり照れくさいから、メッセージで言うよ」
 はうなずいた。

 一時間目の授業が終わり、休憩時間になった。
 彼女のスマートフォンには、新しいメッセージが到着している。
「好きだよ」
 まもなく隣席の幸村が、ほぼ同じ内容のメッセージを受け取ることになる。
「私も、大好き」

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