一緒に暮らそう
国語教師の退屈な声。何を話してるのか、全然わからない。どうせもうすぐテスト期間に入るんだし、そのときやればいいよね。
五時間目って、空腹の満たされた直後だからついついまどろんじゃう……。いいや、ちょっと寝ちゃおう。
……ってうわぁっ! いきなり胸元で振動するからびっくりした。
スマホか……。授業中はバイブに切り替えてるからな。
ちらりと教卓の気配をうかがった。二年前離婚した中年教師の目は教科書に注がれている。いまなら大丈夫だ。
メッセージ、だれからだろ……。あ、リョーマだ。
私は少し離れたところに座っている恋人を振り返った。向こうのほうでも視線に気づいて、目元をやわらげてくれる。手、振ったりしたらさすがにばれちゃうもんなあ。
さてと、メッセージにはなんて書いてあるんだろ。スマホをタッチ。
「今日、うちこない? カルピン見せてあげる」
カルピン……。ああ、リョーマの家の猫ね。この前見せてほしいって頼んだんだった。よし、お邪魔させてもらおう。リョーマの家……部屋も見てみたいし。
早速返事を送信。これでよし、と。
あれ。でも今日、部活はいいのかな。毎日のようにある部活を忘れてたりはしないだろうし、休みなのかも。あとで聞いてみよう。
……っていうか、わざわざ授業中にメッセージで送ってこなくてもいいのに。帰りがけや休憩時間でもいいじゃない。なに考えてんのかな、私の王子様は。
五時間目が終わったあと、早速リョーマのとこに行こうとしたら中年教師に呼び止められた。
「
さん、授業中に携帯電話を使用しないこと。それと、授業はきちんと聞くこと。マイナス点つけましたからね」
ば、ばれてたんだ。なにも言わずにマイナスつけるのやめてよ! せめてひとこと注意してよ! ……まあ、私が悪いんだけどさ。
すっかりしょぼくれて机に突っ伏す私のところへリョーマがやってきた。くそう、もとはといえばあんたが悪いんじゃない。
「どうかした?」
「……マイナス点つけられた」
リョーマは何も答えない。自分のせいだってことわかってるみたいだ。もう、そんな態度とられたらきつく言えなくなっちゃうよ!
「なんでメッセージ送ってきたの、授業中に。別に休憩時間でも、帰りでもいいでしょ」
「ごめん」
リョーマは素直に謝った。めずらしいな。
「できるだけ早く誘いたかったから。
がほかの約束入れる前に」
まあ、そういう事情だったんならいいかな。ああ、想われてるんだなあって感じもするし。
「これから気をつけてよ」
しかたない、許してやるか。
リョーマは安心したようで、ほっとした顔つきをしていた。これから少しは考えてくれるでしょ。
それより聞いておかなくちゃいけないことがあったんだ。部活のこと。
「そういえば、今日、部活は? 休みじゃないよね?」
「休み」
あれ? どうして?
「昼休みに伝達されたんだ。職員会議の関係で」
なるほど、そういうことか。だから誘うのが直後の五時間目になったってわけか。納得。
あ、チャイムの音だ。六時間目はじまる。
「じゃあね、ホームルーム後にね」
「うん」
リョーマは自分の席へ戻っていった。
えーっと、六時間目なんだったっけ? 黒板のそばの壁に貼ってある時間割表に目を凝らした。数学? はぁ、気が重い。戸を開けて、数学担当の教師が入ってきた。
えーっと、結婚三年目で倦怠期、だったっけ?
放課後の到来を待って、リョーマの家をおとずれた。お寺の裏手にあるってことは前から聞いてたから、別に驚かなかった。
おば様もおじ様もすてきな方で……リョーマくん、このご両親に育てられたのに、どうしてそんなひねくれた性格になっちゃったの。疑問だ。
「それで、カルピンちゃんは?」
「俺の部屋じゃないかな」
早速リョーマの部屋か。どんななんだろ。すっごく汚いか、きれいかのどっちかだろうな。
廊下を少し歩いた先にリョーマの部屋があった。
「入って」
戸を開けたリョーマの促がすままに部屋へ入る。
「おじゃましまーす」
……なんだ、普通だ。もっとこう、なんていうか、さびしいくらい整頓されてるか、足の踏み場もない部屋を想像してたのに。でも、男の子の部屋って感じはする。
そしてきちんとメイクされたベッドの上にはカルピンらしき猫が。
「きみがカルピン? はじめまして」
リョーマに目で抱っこしていい? ってたずねると承諾が返ってきたので遠慮なく。
カルピンはおとなしく私の腕に包まれている。……なんか、かわいいんだけど、ヒマラヤンっぽい。そもそも猫っぽくないな。いやかわいいんだけどね。
「かわいいね」
「うん」
リョーマは自信満々同意する。
カルピン、きみ、愛されてるんだね。リョーマの愛を一身に受けて……。……そう、歪んだ愛を。そう考えると怖いな。なんでこの猫こんなおとなしいんだろ。リョーマに似てないだけ?
「どうかした?」
リョーマがたずねてきた。
私がカルピンを顔から離してじろじろ見ているのを不思議に思ったみたい。ちょっと挙動不審だったかな。
「ううん、別に。かわいいなーと思って見てたの」
「ふうん」
「あー、私もこんな猫欲しいなあ」
私はカルピンをむぎゅっと抱きしめた。あったかーい。猫飼いたいなー。うちは無理だけど。
でももし将来リョーマと結婚して、ここに住むことになったらカルピンも一緒だ。特になんの考えもなく、リョーマにそう言ってみたんだけど……。
リョーマは嬉しそうに笑ったあと、すぐにいつもの調子に戻って答えた。
「別の猫になるかもしれないけどね」
「どうして? カルピン、どこか行っちゃうの?」
「ちがうよ。……猫の寿命って、知ってる?」
私は驚いてカルピンを見つめた。腕の中の猫は、あどけない顔をして私を見上げている。
視界が、ゆがんだ。
「……って、なに泣いてんの?」
私は泣いていた。カルピンを抱きしめて、声は出さずに涙をこぼしていた。だって、いまここにいるのに。カルピン、ちゃんと、いまここにいるのに。私の腕の中にいるのに。
リョーマがため息をつくのが聞こえた。
ふんだ、どうせあきれてるんでしょ。しかたないじゃない、昔から、死ぬってことには敏感なんだから。おばあちゃんに「私が死んだら、お盆にはお墓参りにきてね」って言われて、それだけで悲しくて泣いた経験がある。
そばにいた両親も、当のおばあちゃんも驚いていた。
こんな私だから、おばあちゃんが死んだときには泣きっぱなしだった。そのあとしばらくは仏壇の前にも立てなかった。仏壇のある部屋をわざと避けて通った。認めたくなかった。私のまわりから、私の大好きなひとがいなくなってしまったことを。
「……笑ってもいいよ、自分でも子どもだと思うから」
私の震える声に、リョーマは視線を優しくした。
「笑ってないよ」
……本当だ、笑ってない。優しいリョーマなんて、貴重だよ。プレミアもの。
「いっしょに暮らそう、きっと」
リョーマが力強く語りかけてきた。
私はもういちどカルピンを見つめた。見れば見るほど、猫らしくない猫。でも、かわいい。いつかいっしょに暮らそうね。私と、リョーマと、きみとで。