終わる世界、始まる物語 03



 高耶は今年のセンター試験を5科目受験した。第1志望は3科目でいいのだが、滑り止めで他の大学を志望するにあたって必須受験科目が異なっている。法学部志望の高耶は基本的にセンター試験の1日目の科目で足りるが、数学と理科を受験するために2日目も試験会場へと赴いた。
 会場は意外とざわめいている。こういった試験の時には回りは皆静かで、わき目も振らず参考書にかじりついているという印象しか持っていなかった高耶は昨日ここへ来て妙に感心してしまった。必死になっていたって直前であがいてもどうにもならない。皆それが分かっているのか、友人らと話す受験生は比較的明るかった。
 不意に、廊下を歩いているとポン、と肩を叩かれて高耶は振り返った。すると、思いもよらない人物が居て目を丸くする。

「あんた…」
「やっぱり、また会った」

 にっこりと微笑むのは昨日大学の正門で声を掛けてきた男だった。

「絶対君だと思った。他の人とはオーラが違うし」
「…はぁ…?」

 なんとも良く分からない男だった。表情から感情が正確に読めない。それに、なぜ自分にこうも声を掛けるのかも高耶には分からなかった。
 男は良く見れば整っている顔立ちで、どちらかと言えばホストみたいな甘い容姿をしていた。明るめの茶色の髪がそう思わせるのだろう。直江とはまた違ったタイプの美形だった。

「今日試験?」
「…じゃなきゃ来ねーよ」
「ま、そうだよな。これから?」
「ああ」

 他愛のない話に高耶は少しばかり困惑した。高耶は人見知りをするタイプだ。初対面の人間になぜか親しく話されて正直どう対応していいのか分からない。けれど隣に立つ男はそんな高耶を気にした様子もなく、時々様子を伺うようにはしていたが、ニコリと笑って話を続けた。

「俺は今日朝からだった。別に全教科受ける必要ないんだけど、力試しに受けてんだ。肩凝るよ」
「…そうか。大変だな」

 高耶だったら取る必要のないものに手はつけない。けれどこの男は受験すること事態は指して問題ではないような口ぶりだった。
 ひどく感心してしまった。見た目からして明らかに高耶より年下だろう男は、試験を無理やり受けさせられているという感じではない。だから自分から進んで全教科受けるのだろう。二十歳前後は多分一番遊びたい年頃だ。それなのに、男の瞳に勉強することが苦痛でたまらないという色合いは見て取れない。だから、高耶は素直にすごい、と思うのだ。そう思うと顔が緩む。高耶は無意識のうちに優しい表情を浮かべていた。
 不意に、それを見た男はとても嬉しそうに笑って高耶を見つめてきた。直江の笑顔とは確実に種類の違うものだが、どこか記憶にある笑顔に似ていてドキリとした。

「…もう時間だな。じゃあ、俺は行くから。また、会えるといいな」

 男は結局それだけを言った。自分の名前も言わず、人の名前も聞かず、再度「また」と言って手を振った。その不思議な感覚に、高耶はつられるように手を挙げて返した。
 高耶はしばらく、自分の行動が半ば信じられなくて、挙げた手を眺めていた。





 試験が終わって、教室を退室する。試験と言うこともあってひどく緊張した身体は、二時間座っていただけで疲れを感じた。コキコキ首を回して、最後に伸びをする。
 一先ず、試験は終わった。あとは滑り止めで受けた大学の二次試験と第一志望の大学の合格発表を待つだけだ。まだ二次試験がある上に合格発表もまだだと分かっているはずなのに、すこしばかり安堵で力が抜けた。
 高耶は軽く息を吐き出して校舎を後にする。出来ることなら、この大学にもう一度足を踏み入れたい。そんな想いを抱きながら、正門を潜り抜ける。
 ふとそこで、小さく声が掛けられる。聞き覚えのある声にハッと顔をあげれば、正門の近くに車を横付けし、車外に出て立っている直江がいた。

「直江」

 目尻が下がる。名を呼ばれて優しい目をする直江に、高耶は走り寄った。
 なんだか無性にホッとした。温かい目で見守られて、今日までやってこれたのは決して一人ではなかったからだと改めて実感する。このまま走り寄ってぎゅっと抱きついてしまいたい衝動に駆られる。

「お疲れ様でした、高耶さん」
「…来てくれたのか?」
「はい、終わる時間を伺っていたので。…少しドライブした後、食事を済ませて帰りませんか?」
「うん」
「では乗ってください」

 車内では試験の話やこれからのこと、色々話をした。まだ合格さえしていないのに必要なものは何だとかそういう他愛のない話が異常なまでに楽しくて、高耶は受験の疲れを忘れられた。
 試験の結果は2月上旬だ。それまで高耶は滑り止め大学の二次試験を受けたり、今ままで頭に詰め込んだ勉強を忘れないように少しずつ勉強をしたりする。その間、そわそわとしてしまうかもしれない。今はこうして落ち着いているが、間際になって落ちているかもしれないと落ち込んでいくのかもしれない。けれどそういう不安も、たぶん直江は受け止めてくれるのだろうと思う。優しく微笑んで、大丈夫ですよ、と。

「高耶さん」
「ん?」
「今日から、一緒に寝てくださいね」

 言われて、そういえばと思い出す。深夜遅くまで勉強をする高耶は色んな感情を押し込めて、それでいて朝仕事に出かける直江の負担にはならないようにとずっと別々に眠っていた。
 それも、今日は終わりだ。直江は待っていてくれた。もっと近くで励まして、落ち込んで不安を感じたら抱きしめて。そういう風に慰めたかったのに、高耶の言い分を聞いてくれていた。
 高耶は目を細めた。それから、ふと笑って頷いた。

「いいよ」
「一人は、寂しかったですよ」
「……俺も」

 信号で車が停止したのを見計らって、高耶は直江の頬に唇を押し付けた。普段なら決して人前ではしない高耶からのキスに、直江は少しだけ驚きを見せた。けれどずぐに笑って「足りない」と言った。

「足りません。もっと、して下さい」

 車の中で、静かに唇を合わせる。幸い周りにそれほど人が居る訳ではない。だから高耶も、少しだけ直江のお強請りを聞いた。
 直江を引き寄せて、あわせるだけの唇。けれど次第に、舌も絡めた。少しだけ、そう思いながら高耶は直江が嬉しそうに目で笑ってくれるのを見ていた。
 唇に乗せるのは感謝の気持ちと、寂しくさせてゴメン、という謝罪。それから、これからも宜しくという意味合いも込める。直江は、キスに応えることで高耶の想いを受け取った。




 2月某日。
 緊張で止まりそうになる足を叱咤して、正門から掲示板までを歩いた。掲示板の前には既に人だかりが出来ていた。時刻にして9時25分。もうすぐ合格者一覧が張り出される。
 高耶も他の学生と共に掲示を待った。待つこと数分。ようやく大きな紙を持った男が数人やってきて掲示板に張り出した。ざわっとざわめきが一層大きくなる。
 どきどき、と心臓の鼓動の音が煩かった。その鼓動を聞くと、自分の受験番号を探すだけで緊張した高校受験のときを思い出す。あの時は隣に譲が、いた。
 数分その場に立ち尽くした高耶は、歓喜で溢れる人だかりから離れていった。正門から入る人間は多くとも、出て行く人間は高耶だけだった。
 正門前に、見慣れた姿を発見する。こちらに背を向けて、タバコを吸っている。彼も、同じように緊張していたのかもしれない。そう思うと笑いが込み上げた。
 高耶は駆け出した。そして、試験の時は出来なかったことを、今は大胆にしてみせる。どんっとぶつかるようにして大きな背に抱きついた。ぎゅううっと、力いっぱい抱きしめる。

「直江、なおえ…!」
「た、高耶さん…?」
「やった!」
「え…」
「受験番号、あった!」

 その言葉を聞いて目を見開いた直江は、すぐさま理解したのか、蕩けるような笑顔を浮かべた。目尻を下げて、愛しむ笑顔。それは唯一高耶だけに向けられる。

「おめでとうございます、高耶さん」

 嬉しくて、どうにかなりそうだ。本当はすでに存在していないはずなのに、こうして今を生きて、夢を叶えようとしている。きっとそれは、高耶だけの力ではない。高耶を取り巻く多くの人たちの想いが高耶自身を生かし、見守ってくれた。だからこうして今、新しく一歩を踏み出せる。
 高耶は泣きたくなった。一年前のあの時は、こんなにも幸福な時を迎えられるなんて思っていなかった。生かされていることが嬉しくて、堪らない。一体何に感謝したらいいのだろう。感謝しても仕切れないくらい、高耶は色んなものを貰った。
 高耶は直江の肩に涙の滲んだ目を押し付けた。

「ありがとう…。本当に、ありがと…」

 高耶はこの日を、決して忘れないだろう。




E N D


一先ず終わりです。この先は高耶さんの大学生活での出来事などがメインの予定。オリキャラも出ます。
ここまでお付き合い下さり有難うございました。
2009.10.04

(オフで加筆修正し発行済・2012.2)



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