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 ヴァイオレット奇譚「Chapter6・"ロマン主義の選択肢[1]"」



 万莉亜がやっと寮の部屋に戻ったのは、お見舞いに行った翌日の夜九時過ぎだった。
 丸一日以上家を空け、おまけに学校までサボってしまった万莉亜は、怒り狂った蛍を誤魔化せずに 結局洗いざらい喋ってしまった。
 蛍はその話をまず笑い飛ばし、次に万莉亜の精神状態を心配し、その次に作り話ではないのかと怒り出し、 今やっと諦めにも似た境地に辿り着いたらしい。
 時刻は、深夜の三時を回っていた。

「そんで、……パスタがなんだってぇ」
 テーブルに肘を付き目の下に隈を作りながら投げやりに蛍が言う。
「マグナだよ蛍、マグナ」
「もう! 細かい事はどうでもいいよ」
「ハンリエットが言うには明日、あ、もう今日だ。今日中に答えを出さないといけないの」
「でもさぁ、肝心のマイクにはさよならって言われたんでしょう?」
「……クレアだよ、蛍」
 一応訂正しながらも、その言葉がグサリと胸に刺さった。
「そうそう、そのにーちゃんね。やめときな」
 あっさりと蛍は言い切り、今日はここまでと言わんばかりに部屋の電気を消した。
「ちょ、ちょっと……蛍?」
「百歩譲ってその与太話を信じるとしてね……」
 ベッドに足を突っ込みながら蛍が続ける。
「人間じゃない奴の子供なんて気持ち悪くて生めるわけ無いじゃない」
 びしっと言われて万莉亜は口ごもった。
「……クレアは気持ち悪くは無いよ? むしろかなり……」
「どんだけかっこよかったとしても、私は人間がいい。てゆうか、なんで万莉亜がそんなに そいつらをあっさり受け入れちゃったのか、全然理解できない」
 どこかふてくされたように蛍が言う。
 見ていないせいだと万莉亜は思った。目の前に事実を突きつけられれば、それはもう認めざるを得ない。 だから、その点見えない蛍に同調を得ようとは思わない。その設定という形で相談に乗ってくれるだけも十分に有難かった。
 大分つき合わせてしまったなと思いながら、万莉亜もベッドに入る。
――やめときな、かぁ。やっぱそうだよね……
「……そんなに迷うくらい、気になるもん?」
 テーブルを挟んだ先にある蛍のベッドからポツリと声が聞こえた。
「え?」
「迷ってるんでしょう?」
「……分からない。もうそれすら分からないって感じ」
 情けなくて布団を頭までかぶる。もうすぐ十七歳になるというのに、自分の気持ちが こんなにも分からないなんて。
 好きなのかと問われれば、それは違うのかもしれない。 でも、じゃあ二度と会えなくていいのかと問われればひどく胸が痛む。
 少し癖のあるブロンドから見え隠れするバイオレットの瞳が頭をちらついた。
――どんな風にあの人のことを思えば、好きって事になるの……?
 分からないまま目を閉じても、シクシクと痛む胸のせいで、結局寝付けぬまま朝を迎えてしまった。



******



 ルイスは部屋にあった壁掛け時計を見上げた。 そして視線を戻し、もう一度目の前の主人を眺める。 それから右腕にはめた腕時計に目を落とし、もう一度主人に視線を投げる。
 白いYシャツのボタンをきちんと首元で留めて、紺のストライプスーツに袖を通そうとしている主人は、 そんな視線を煩わしそうに一瞥してから、もう一度姿見に向き直った。
「言いたい事があるなら言ってごらん」
 後ろで固まっている従者に対して背中を向けたままクレアが言うと、ルイスは再度壁掛け時計に目をやり、それから腕時計を確認し、 やっと口を開く。
「……朝の六時ですよ、クレア」
「知ってるよ」
 午前中のうちはてこでもベッドから出ようとしない主人が、早朝から活動している事が信じられなくて ルイスはしつこいと自覚しながらも、もう一度だけ腕時計に目を落とす。
「用事があるんだ」
 ネクタイを手に取り、まだ事態についていけないルイスの肩を軽く叩く。 面倒な事になるから置手紙でも書いてこっそり抜け出すつもりが、まんまと見つかってしまいクレアはこの場をどう 切り抜けようか笑顔のまま思案した。生真面目で心配性のルイスだ。ついていくと言い出すに違いない。
 そんな主人の心中を察したのか、ルイスは瞳を細めて支度を続けるクレアの背中を眺める。
「どこへ行かれるんですか」
「お前は留守番をしていればいい」
 案の定すぐさまそう返されて、ルイスは眉根を寄せる。
 背中に鋭い視線を感じたのか、観念したようにクレアが振り返った。
「香港へ行く。お前は留守番だ」
「クレア!」
 慌てて一歩踏み出すが、クレアは彼の前に手をかざしそれを制止した。
「ダメだ。どんなにごねても連れて行かない」
「……なにを言われてもついて行きますよ。私はあなたを守るための枝です」
 断固とした口調で言ってみるが、相手は首を横に振るだけだった。
 いざとなれば、自分の枝を眠らせることくらい容易いだろう。それをしないのは、クレアがこの関係をただの家族ごっこで終わらせたくないからだ。 尊重してくれているからだ。
 それを分かっていても、ルイスは素直に頷く事が出来ず、不満そうに顔をしかめる。 それを見て、何だか胸が痛んだクレアが優しい口調で語りかける。
「昔の友人に会いに行くだけだ。お前が心配するような事は何もないよ」
「……香港というと、リン・タイエイの本国ですか? 彼は今香港に?」
「さあな。聞いてないけど、そんな気がするよ」
「なぜ……急に」
「顔が見たくなったんだ。唯一の兄弟だからね」
 そう言って彼は寂しげに微笑んだ。その意図がつかめずにルイスは戸惑う。
 リン・タイエイは、現在二人しか生存していない第三世代の片割れだ。クレアとは旧知の仲であるが、 その一方で一族との関わりを何よりも嫌う。いくら兄弟といえども、突然の訪問を彼が歓迎するはずがない。 クレアだって、そのことは十分に承知しているはずなのに。
「留守の間のこと、頼んだよ。僕を守りたいのなら、まずはこの城を守ってくれ」
「……分かりました」
 しぶしぶ相手が返事をすると、クレアは満足そうに頷いて黒いコートを手に取った。
「……あのっ」
 呼び止められてドアノブに手をかけたまま振り返る。
「万莉亜さんのことは、どうなさるおつもりで……?」
「彼女をマグナにするつもりは無いよ」
「ですが、彼女はすでにハンリエットから説明を受けています。彼女は、迷っているのでは?」
 食い下がると、主人は呆れたように息をつく。
「あのね、昨日今日出会った男のために子供生む女なんてそうそう居ないよ」
「ですが……」
「たとえ彼女がどんな決断をしても、僕には関係ない。マグナを選んじゃいけないって決まりはないだろ」
「……選ぶほど数がいないのも確かです」
「そのうちまた現れるさ。それに、梨佳がハズレだって決め付けるのもまだ早い」
 そう言って不敵に微笑むと主人はそっと部屋を後にした。
 決め付けるのはまだ早いだなんて馬鹿げている。
 心の中でそっと愚痴ると、ルイスは額に手を当ててまぶたを閉じた。
――梨佳ではダメだと、気付いているくせに……あなたは、投げやりになっている……
 もし梨佳が真のマグナであるのなら、とっくに子供が出来ている。 ニ年もベッドを共にして出来ないのなら、それはもう、出来ないのだ。梨佳の瞳は、異端を見分けるけれども、 その体はそれを見分ける事が出来ない。だから、何も反応を起こさない。中途半端に相性が悪いだけでは、 妊娠までには辿り着けない。だからこそ、彼の術中に全く惑わされないほど相性の悪い万莉亜に、ルイスやハンリエットは 並々ならぬ期待を寄せていた。それなのに。
――愚かな人だ。そうやってまた、最後まで生き残ってしまうおつもりですか……
 あの時、ムキになって父を責め立てたハンリエットの気持ちは、誰よりもルイスが一番理解していた。 もういい加減、割り切って楽になったらどうですかと叱り付けたくなるほどのジレンマをどの枝たちも抱えている。 けれどそんなことは口が裂けても言えない。
自分の養分を吸わせて生かしている下僕に対して、「僕達は家族だから」と微笑む彼のその中途半端な甘さを、苛立たしく思うのと同時に、 多分愛しているから。



******



 午前中の授業の間、万莉亜はひどく緊張していた。
 周りには見えていないと知りつつも、イスに座った自分に覆いかぶさるようにして教科書を覗き込むシリルが 喋ったり笑ったりする度に辺りを見回し、気付かれていないかと肝を冷やす。
「これなんて読むの? 万莉亜」
「なつめそうせき」
 出来る限り小声で囁くと、隣の席の摩央がこちらへ振り向いた。 ヘラヘラとした笑顔を浮かべる万莉亜を怪訝そうに眺めてから、視線を自分の教科書へ戻す。
「このおじさん誰?」
「お札になった偉い人よ」
 万莉亜の肩越しに教科書を見下ろし、シリルは不思議そうに首を傾げる。
「じゃあどうして本の中にいるの?」
「……偉い人だから」
「どうして偉いの?」
「え、……お、面白い文章をたくさん書いたからかなぁ」
「へー」
 やっと納得したのか、シリルは気が晴れたようにそう呟くと万莉亜から離れ、教室内を歩き出した。 そこでほっと一息ついたのも束の間、はたと気付けば摩央を筆頭に自分の席の周りから冷たい視線を向けられている事に気付く。
「……保健室行けば?」
 摩央の冷ややかな一言に笑顔を引きつらせながら、午後の授業をさぼることを万莉亜は決意した。

 旧校舎内で人気がない場所といえばたった一つ。女子更衣室だ。
 そもそも女子高なのだから、更衣室など必要ない。最早皆から忘れ去られているその場所を万莉亜は思い出し、 二人分の昼食を買ってそっと忍び込んだ。
「はー、やっと堂々と会話できる!」
 そう言って持っていたパンを床に並べると、万莉亜は鬱憤を晴らすようにして大きく伸びをした。その動作を隣にいたシリルも真似る。
「シリル、みんながいるところであんまり話しかけないでね。変な人だと思われちゃうじゃない」
 もう遅いが、言わずにはいられなかったので注意すると、シリルはいたずらが成功した子供のようにクスクスと笑い始めた。
「だって万莉亜が返事するんだもん」
「……そりゃ、そうだけど」
 自分より年下の少女に、いいようにからかわれている気がする。
 授業の間ずっと一人でブツブツと呟く自分を、摩央や他のクラスメイトが一体どんな風に思ったのか、考えるだけで 気が滅入る。
 なんだか釈然としないまま不服そうに唇を尖らせると、シリルはいっそう喜んで笑った。 それが憎らしくて、どうにか復讐できないものかと万莉亜は辺りを見回す。床に散らばった二人分のパンが目にはいった。
「あ、いーものみっけ! 罰としてこのカツサンドは私のものね」
 そう言って購買でもピカイチに美味しいカツサンドに手を伸ばす。子供だから、肉が好きだろうという浅はかな思い込みで 意地悪をしたつもりだったが、肝心のシリルは全く堪えた様子もなく、「いいよ」と素直に頷いた。
「……え? い、いいの?」
「うん。万莉亜が食べたいやつ食べて」
 あっさりと大人の対応をされて、一目散に彼女が欲しがりそうなパンに手を出したことが何だか恥ずかしくなった。
「あ、あの……食べていいのよ? カツサンド……」
 自分より幼い少女に遠慮をさせるわけにはいかない。そもそも意地悪したくて言ってみただけなのだ。 しかし少女は突然及び腰になった相手に目をぱちくりさせて、首を振る。
「だってシリルはお腹が空いたりしないもん。食べても食べなくてもいいんだ」
 そう言って目の前にあったメロンパンを手に取ると、慣れない手つきで袋を破った。 菓子パンは、食べなれていないのだろうか。手に取ったパンをまじまじと眺めてから、ほんの少しだけかじってはいつまでの口の中でそれを転がしている。
「……そうなんだ」
 何と言っていいのか分からずに、それだけ呟いて万莉亜も更衣室の床に腰を下ろした。
 目の前に座っている褐色の肌をした少女は、自分とは違う生き物なのだと分かっていたはずなのに、いざ違いを突きつけられると やっぱり動揺してしまう。
――柔軟な発想って……結構大変……
「やっぱり、クレアさんもご飯は食べないの?」
 ふと思いついて尋ねてみる。するとシリルはとんでもないと首を振った。
「クレアがご飯食べなかったら、シリルたち死んじゃう」
「そ、そうなんだ」
 やはり親玉ともなると勝手が違うのだろうか。
 万莉亜にとってみれば、クレアもシリルも同じ”人間ではない生き物”として括れてしまうが、 彼らには彼らなりの違いがあるのかもしれない。
 けれどそれは、万莉亜にとって大きな問題ではなかった。
 もしかすれば今日にでも、彼らとの縁が切れるかもしれない。つきつけられたニ枚のカードを引くのは自分だ。 どちらにせよまだ実感は湧かないが、リミットが本日限りだということは知っている。
「万莉亜は、マグナになりたくないの?」
 そんな万莉亜の心中を察したのか、単なる好奇心か、シリルが顔を覗きこむ。 一齧りで飽きたメロンパンを床に置いてまじまじと見つめてくる彼女を、万莉亜は難しい顔をして見つめ返した。 実を言えば自分だって、カツサンドどころではないのだ。
「……私は、マグナにはなれない」
 戸惑いながらそう言えば、シリルが落胆を顔に浮かべる。 事実上、目の前で絶縁を言い渡したようなものだ。申し訳なくて万莉亜も目を伏せた。
「だって私まだ十六歳だもの。妊娠なんてしたら、おばあちゃんが卒倒しちゃう。 それに……やっぱりそういうのって恋人や夫婦がすることだと思う」
 自分でもどうしてこんな台詞が出てくるのか分からなかった。
 蛍の言うとおり、相手は正体不明の異端だ。
 子供を生むなんて気持ち悪いといったルームメイトの気持ちも分かる。 関わりたくないと思うのが普通なのに、こんな疑問は真っ当すぎやしないだろうか。
 化け物だからと、彼らを一蹴出来たらどんなに簡単か。 それが出来ずに、悶々と頭を悩ませている自分が、万莉亜自身よく分からなかった。
「……クレアが嫌いなの?」
 泣き出しそうな声でシリルが呟く。「違う」と咄嗟に喉まで出かかった言葉を飲み込んで 万莉亜はただ持っているカツサンドを握り締めた。
「分からない。あんまりつかみ所のない人よね……」
 皆に慕われていて、この学園の理事長でもあるのに、彼にそれらしき威厳は感じられなかった。
 偉ぶるでもなく威張るでもなく、人柄らしい人柄を見せるでもなくただ静かに宙を眺めている。 その心中はどんな千里眼を持ってしても覗けそうにない。なのに、助けてくれた。一度目は梨佳から。二度目は痴漢から。 頬にキスをしてみたり、ベッドで抱きついてみたり、突然さよならを言ったり。行動には一貫性がなくて、万莉亜は混乱するばかりだ。
 そんな時、覗きこむシリルもそっちのけで考え込んでしまった万莉亜は、突然聞こえた背後の物音にぎょっとして振り返る。
 女子更衣室の入り口には、顔を青くした体操着姿の逢坂千歳が唖然と立ち尽くしていた。
「ち、ちーちゃん!?」
 ただ事ではない相手の様子に、思わず万莉亜も焦る。見えていないと知りつつも、シリルを隠すようにして身をずらす。 しかしその万莉亜の動作で確信したのか、千歳はしっかりと万莉亜の背後を見据えてそっと一歩踏み出した。
「……誰か、いるのね?」
 迷いのない口調で千歳が呟く。その言葉に驚いた後、万莉亜が神妙に頷くと、千歳はドアを閉めておそるおそる近寄る。
「大丈夫だよちーちゃん。前に話したシリルを覚えてる?」
「……外国の……女の子?」
「そう。シリルがいるの。色々あって、今日はシリルに護衛して貰ってるの」
 簡素な説明は、千歳の納得させるには不十分だったが、警戒を解かせるには十分だったらしく、 彼女はおずおずと万莉亜の横まで移動すると、姿の見えない少女を間違って踏んづけてしまわないように、手探りで スペースの安全を確認しながら、そっと腰を下ろす。
「はじめまして」
 万莉亜の横から、シリルが顔だけ覗かせて千歳に挨拶をする。が、もちろん千歳には聞こえない。
「あの、シリルがはじめましてって言ってるみたい」
 そう言って通訳を買って出ると、千歳はどぎまぎしながらも挨拶を返した。
「ちーちゃん、どうしてここに?」
「あ、私は……結構ここ使うの。さっき体育だったんだけど、みんなと着替えるのって苦手で」
 言いながら彼女は控えめな胸元を両手で包みながら照れたように笑う。 けれど相手が不思議そうな顔で首を傾げているのを見て、千歳は観念したように小さく呟いた。
「高校生にもなって、スポーツブラなんて……恥ずかしいし」
 確かに体の小さな千歳は、体格で言えば小学生でも通用しそうなほどだ。 けれど彼女がそれをコンプレックスに感じていただなんて。以前着物を着たら七五三だなんて頭の中で 考えてしまった万莉亜はいたたまれない気持ちになってブンブンと首を振る。
「気にしちゃだめだよ! 成長の時期は個人差があるっておばあちゃんも言ってたし、 黙ってたってすぐ大きくなるんだから、恥ずかしい事何にもないよ!」
 両手で拳を握り熱くフォローすれば、千歳は少し安心したように口元をほころばせる。 その様子にほっと息をつき、床に散らばったパンの一つを彼女に手渡した。
「お昼一緒に食べない? シリルの分も買ったんだけど、彼女はご飯食べないらしいの」
「……いいの?」
「うん。一人じゃ食べきれないし……私もあんまり食欲ないから」
 勢いあまって買ってしまった大量の菓子パンをうんざりと眺めれば、千歳が心配そうな眼差しを向ける。
「何かあったの? さっきも、護衛とか言ってたけど……」
「……ちーちゃん」
「私でよかったら、その、迷惑でなければ……聞くよ」
 真剣な声色に、張り詰めていた緊張が一気に解けていくような気がして、万莉亜は思わず彼女の腕を 強く握る。千歳は、誰もが鼻で笑い飛ばすようなオカルト話を疑う事無く聞いてくれる貴重な存在だ。 我慢できなくて全てを吐き出すように説明し始めると、彼女は若干興奮気味の万莉亜の言葉を 一言一句聞き逃さないよう真剣に耳をかたむけた。
「……そうなんだ」
 話を大方聞き終えると、千歳はそう呟いて気遣うように相手を眺める。
「それでもう、私どうしたらいいのか……」
「私も……駒井さんと同意見だよ。危険すぎる」
 きっぱりと蛍に同意する千歳を、驚いたような表情で万莉亜が見つめ返す。
「……どうして?」
「そういうものに、深く関わってはいけないと思うの。存在は認めるべきだと思う。 でも、違う道を歩いているんだってこと、忘れちゃいけないわ。深く関わっていけば、 いつかは自分の道を踏み外すことになる」
「……そうなの?」
「だから、例え見えても、見えないふりをするの。彼らに同情しない事。情けをかけない事。 人間もそうでない者も、弱みにつけ入るのは一緒だから……」
「シリルそんなことしない」
 千歳の助言に我慢できなくなったシリルが口を挟む。けれど、相手には届かない。 万莉亜は、プライドが傷つけられたシリルの肩を千歳には見えないようにそっとさすった。
「だから、もう会わないほうがいいと思う……大きなお世話かもしれないけど」
 そっと付け加えられた言葉に微笑んで首を振る。けれど、欲しかった答えはそれではない。 抱えている疑問も、それとは違う。けれど、おそらく百人に尋ねたところで、百人が「一考の余地もなし」と 言い切るであろうこの選択肢では、頭を悩ませること自体が間違いなのかもしれない。
「……ううん、いいの。やっぱそうだよね……私、危機感が足りないのかも」
「それが、万莉亜のいい所だと思うんだけどね」
 少し呆れたように、千歳が微笑んだ。
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