ヴァイオレット奇譚2

Chapter0◆「まごころのすべて―【3】」




 こんなに、厳しい顔つきの人だったろうかと記憶をめぐらせる。
 もっとずっと優しい印象の人だった。

「彼女は?」
 今日も今日とて花を届けに来た少年を、迎えるや否や牧師は問い詰めるような口調でそう訊ねてきた。 貼り付けた笑顔が逆に彼の不快感を顕著に表していて、鈍感な少年も驚きを禁じえない。
 牧師はクレアの隣に立つアンジェリアを頭の天辺からつま先まで見定めたあと、形式的な挨拶だけを交わし、 おのずと席を立った彼女の後姿になおもきつい視線を送る。
「……牧師様?」
 普段とは違う様子の相手におそるおそる声をかければ、牧師はしばらく押し黙った後に 妙に神妙な声色で口を開いた。
「……妙だとは思っていたんだが」
「はぁ……」
「例の事件だよ。家畜たちが次々と絶命していった感染症の話だ」
「……はい」
「何か悪いものがこの町に入ったのではないかと、ずっと考えていたんだ」
「…………」
 疎ましげな視線をアンジェリアが消えていった方向へ向ける牧師は、隣につっ立っていた少年の 手を引いて教会の裏手に連れて行く。
 それから頭にクエスチョンマークを乗せたままの少年に、声を忍ばせて伝えた。
「あの女性は悪魔憑きだよクレア」
「……あく、ま」
 話の切り口があらぬ方向から始まったことに驚いて、思わずオウム返しで答えると、 額に冷や汗を浮かべた牧師が深く頷いた。
「君には分からないのかもしれない。いや、分からなくていいんだ。だけど、今すぐに 離れたほうがいい。私には分かる。あれは、悪魔と契約した人間だ」
「…………」
 彼の言いたいことが大体つかめてきた。
 ようは、魔女だということだ。アンジェリアが、魔女だと訴えている。
 にわかには信じがたく、ぼうっと呆けている少年に、牧師は噛み付くようにして今すぐに 離れなさいと何度も忠告を繰り返す。
 握られたままの手にまたいっそう力が込められて、クレアが痛みに眉をひそめた。
「分かるんだ、私には……あの女が悪魔だと……」
「あ、あの……」
「惑わされてはいけない。魅せられてもいけない。道を、踏み外してしまうんだよ……っ」
 必死の形相で詰め寄ってくる牧師から逃れようにも、固く握られた手のせいで 顔をそらすことくらいしか手段が無い。
「私の言葉をよく聞きなさいクレア。家に帰ったら、お母さんに告げるんだ。今日からしばらく 教会で暮らすと……」
「あ、あの……手が……」
「いや、それだけでは足りないかもしれない。いっそ家族全員を連れて……とにかくあの女から逃げないと……っ」
 このままでは本当に指の骨を砕かれそうだ。
 そう感じた少年が、相手の足を踏みつけようとかかとを持ち上げたとき、二人に近づく足音が聞こえて 顔を上げる。
 表情の無いアンジェリアがそこに立っていて、何の色もない瞳をこちらへ向けていた。
 牧師が肩を震わせた一瞬の隙を狙って少年が握られた手の平を引き抜く。

「ち、近寄るな……っ、魔女め……」

 震える声でそう叫んだ牧師を、アンジェリアがせせら笑う。
 その声に驚いてクレアが目を凝らした。
――声が……
 いつもの、キンキンしたあどけない声ではない。少しかすれ気味の落ち着いた声。 色気をたっぷりと含んだ歳相応の声は、彼女の容姿に驚くほどしっくりと馴染んでいる。

「私が、魔女?」
「そうだ。お前は、汚らわしい悪魔と通じた魔女だ。即刻この町から立ち去れ。 さすれば今回ばかりは見逃してやろう。今すぐに出て行け」
「嫌よ」
 言いながらアンジェリアがクレアへ腕を伸ばすと、牧師が遮るようにして 間に割って入る。
「穢らわしい手でこの子に触れるな」
「…………」
 途端に、堪えきれないといった様子でアンジェリアが吹きだす。彼女は突然 腹を抱えて笑い出し、とうとう地面に膝をついた。
「あーあ。おっかしい。ねぇクレア、おかしいと思わない?」
「クレア、耳を貸してはいけない」
 両者から言われ、少年は困り果てたまま足元に視線を落とす。
 耳を貸すなと言われても、どうしたって声は届いてしまう。 両方の耳を塞げばいいのだろうか。けれどそうすることによって、アンジェリアを傷つけることには ならないだろうか。
 どうしたらいいのだろうと低い視点で視線をあっちこっちに向けていると、 どうにも見覚えのあるものが視界に入ってきて少年が目を凝らす。
――……え……
 どうしてあれがここに。
――「あの花はリネア。リネアと言うのよ」
 アンジェリアの声が脳裏によみがえった。
 咲き誇るリネアの花。教会の裏手に、一面に咲き誇っているあの貧相な花。
――どうして……
 見間違いかもしれない。これといって特徴の無い貧相な花だから、 似たようなものはごまんとあるのだろう。そう思って、もう一度目を凝らす。
 間違えるわけもない。
 あれは、自分が毎日せっせとここへ運んでいた花と同じリネアの花だ。

 黙りこくってしまった少年に振り返り、牧師がその視線の先を追う。
 目の前の背中が、一瞬凍りついた気配がして、クレアが牧師を見上げた。

「穢らわしいのは、一体どっちかしら」
 クスクスと笑いながらアンジェリアが立ち上がる。
「リネアの花ならここに、いいえ、町中どこにだって腐るほどあるっていうのに」
「……」
「稀な花だと偽り、全く無意味な仕事をその子に与えた。どうしてかしら。町中のリネアを一人占めしたかったの?  それとも他に、何か理由があったの?」
「……黙れ。魔女め」
「一体全体、何をどうしたかったの? あなた一体、何に銅貨を支払っていたの?」
「黙れっ」
「魔女容疑がかかっているこの私と、、 醜い嫉妬をしているあなた。歪んだ欲望を抱えたまま、虎視眈々とチャンスを伺っていたあなた。果たして穢らわしいのは どちらかしら」
「黙れ黙れ黙れっ……!!」
「ねーえクレア、どっちだと思う?」

 突然話を振られて、頭が真っ白になっていた少年が二人の大人に視線を向ける。
「クレア、魔女の言葉に、耳を傾けてはいけない」
「そういうのって、まだ流行っていたのね。たちの悪いウィルスみたい」
「黙れと言っているっ!」
「さっきから黙れ黙れって……あ、ちょっと、クレア!」
 突然脱兎のごとく逃げ出した少年は、二人の前からあっという間に消えていった。
 あーあと呟いて、アンジェリアが牧師に振り返る。彼は、気の毒なほどに青ざめていた。

「……私のせいにしないでね」
 そう念を押すアンジェリアの声などはもうどこか遠く、牧師はがっくりと地面に膝をつく。
「あの子の事を思うのなら、あなたは死に物狂いでここにあるリネアを隠し通すべきだったのよ。 それなのに、くだらない嫉妬に我を忘れてここへ連れ込むなんて」
「黙れ」
「どんなにもがいても、あの美しい子に引く手はあまた。いずれあなたから飛び立つ」
「勝手に話を作るなよ魔女が。私は、あの子を導いてやりたかっただけだ。 あの子があのまま真っ直ぐに育つように、俗世間に汚されぬように……」
「自分だけの天使でいて欲しかったのよね?」
 言い終えるや否や甲高い声で笑い出したアンジェリアに、牧師が飛び掛る。 いつの間にか手に握られていた細い棒切れが、見た目以上の頑丈さでもって女の腹に突き刺さった。
 赤い血が、辺り一面に吹きだす。

「お前のようなものには分からないだろう。血肉でしかものを語れぬお前ら魔性のものには、 私があの子に伝えたかった心など永遠に理解できない」
 引き抜いた棒切れを地面に投げ捨てて牧師がそう笑えば、アンジェリアも口の端を持ち上げる。
「……では聞くけれど、魔女の定義とは何?」
「魔女の、定義だと?」
「人知を超えた理解不能の力を持つ者、魔薬を用いて呪法を行う者……それとも、 悪魔と通じた者?」
「……そうだ。それら全てが魔女であり異端者だ。悪魔に心を売り渡した者は まとう空気が違う。私には分かる……」
「……つまらない答え」
 腹を突き刺されても、ぐらつくことすらせず二本の足で立ち、さらにはしっかりとした口調で ものを喋る相手に牧師が若干困惑し始め、それを見た女がくすくすを笑う。
「悪魔など、所詮は人が作り出した幻想。神もそう。聡いあなたはそれを十分に理解している。 それなのに、魔女にいたっては愚かな集団ヒステリーに乗っかってしまう。それはなぜ?」
「……」
「分かっているくせに」
「…………」
「あなたには、きっと魔女たる存在が多いのでしょうね。……お気の毒だわ」
 眉尻を下げ、相手を哀れむような表情を作る彼女に最早牧師は答えを返さなかった。
 そんな事よりも、腹から血を流しながらいつまでもぴんぴんしているその女の異常さに、腹の底から 込み上げる恐怖を感じていたからだ。



******



 ただいま、と小さく呟いて家の戸をくぐると、笑顔の母が少年を迎えた。
 それから、届けに行ったはずの花をカゴごと持って帰ってきてしまった彼に首を傾げる。 牧師がいなかったと告げると、彼女はがっくりと肩を落とし、それでもひねり出した笑顔で「ごくろうさま」と 彼の頭を撫でた。複雑な思いが渦巻いているのは、おそらく仕事を成し遂げられなかった後ろめたさのせいだろう。 無理やりそう思い込んで少年が奥歯を噛み締める。

 逃げるように教会から去った後、彼は町中を徘徊し、たっぷりと遠回りしてから帰路に着いた。
 リネアの花は、本当にそこらじゅうに咲いていた。
 その意味も、教会の裏に咲き並ぶあの花たちも、アンジェリアの言葉も、よく分からない。 だけどたった一つ、凍りついた背中に驚いてつい見上げてしまったあの時の牧師の表情。 何かいけないものを見てしまったのだということは、すぐに分かった。何かとてもひどいことを 彼にしてしまったような、そんな気がする。それが一体何なのか、よく分からないけれど。

「クレア、戸締りをお願いね」
 夜、妹たちを寝かしつけている母が寝室から声をかけると、 キッチンでぼんやりとしていた少年が立ち上がる。考えすぎてぼーっとした頭を振りながら 扉の鍵を施錠していると、扉越しに小さな咳払いが聞こえて、少年が眉をひそめた。
「……誰」
 声をかけると、扉の向こうの人物がくぐもった声で答える。
「クレア」
「……牧師様?」
 驚き、おそるおそるドアを開ければ、声の主はいつもの微笑みでクレアの前に現れた。 昼間の一件で見せた厳しい雰囲気などは、もうカケラも見当たらない。
「少し、話があるんだ」
「……」
「"彼女"について、聞いておいて欲しいことがある」
 アンジェリアのことだ。
 クレアは困惑した後、一瞬部屋の中へチラリと振り返り、頷く。 心配をかけるといけないと思い、アンジェリアのことは母や妹たちには教えていないから、 悩んだ末彼は納屋の掃除をすると偽って家を出た。

「あれは……魔女だ」
 深夜、月明かりもない暗い道を歩きながら牧師が呟いた言葉に クレアが頷いた。それは肯定ではなく、「すでに聞きました」という意味合いだったのだが、 牧師は驚いたような瞳を少年に向ける。
「……知っていたのか?」
「…………?」
「彼女は、何者なんだ、クレア」
 それも昼間に聞かれた。あの時も答えられなかったし、今だって答えられない。 アンジェリアはある日唐突に納屋に現れた流れ者らしき女性。それが、彼女に関する全ての情報だ。
「関わってはいけない。あれは、おぞましい悪魔の化身なんだ」
 怒りか恐怖か、そのどちらかか、とにかく牧師の声は震えていてクレアはますます混乱する。 どうしたって彼女がそんな大それた女性には思えないからだ。あの人は多少風変わりだけれど、 害のない無邪気な人だ。いくら牧師様といえど、今日会ったばかりの彼女の何が分かるというのだろう。 もっと話してみたらいいのに。そうしたら、彼女がどんなに無害かを知ることが出来るのに。
 そんな風に考えていると、隣からするどい相手の視線を感じてクレアはとっさに顔を背けた。
「……どうしたんだいクレア」
「いえ……」
「君は、それなりに彼女を気に入っているらしいけれど」
「いえ、そんなことは」
「あの女はだめだよクレア。君にはまだ分からないんだ。あれは……本物だ」
「…………」
「あんなものと関わってはいけない」
 暗がりの中、ふいに気付けば両方の肩を強く掴まれていた。
 訴えかける牧師の声は真剣なものだったけれど、それが真剣であればあるほどに、 クレアは逃げ出したい衝動に駆られる。
「牧師様……どうして、アンジェリアを嫌うのですか……」
 思わず口から零れた少年の言葉に牧師も驚いたがクレアも驚いた。
 これでは、彼の説などはなから信じていないと宣言するのと同じだ。彼が、 私怨でアンジェリアを恨んでいると、断言したも同然だ。
――……けど……
 そうとしか思えない。
 アンジェリアを語る彼の言葉には棘がある。それは、彼らしからぬもので、もうずっと違和感を感じていた。 たとえこの世に悪魔というものが存在していたとして、しかし果たしてクレアの知る牧師は顔をゆがめて無差別にそれらを忌み嫌うだろうか。 果たしてそうだろうか。
 少年の知る彼は、底抜けな人格者であり、万物に公平な男であり、どんな屈強にも救いを見出す偉大な人であったはずだ。
「……なぜそんなことを聞く。魔女は災いをもたらす。君だって知っているだろう? あの女は悪魔と通じ……」
「アンジェリアは、魔女なんかじゃないと思います」
「…………」
「たとえ魔女だったとして、それが何なのですか。災いとは……、一体何なのですか」
「……クレア、残念だが、君はすでに彼女の術中に落ちたようだ……」
「いえ。俺は正気です」
「落ちているんだよ、クレア。狂人は、例外なくその自覚を持たない」
「聞いてください牧師様」
「清めなければならない……一刻も早く……」
 ふいに背中にひやりとした手のひらの感触を覚え少年がそのつぶらな瞳を見開く。
 咄嗟に家を飛び出したため、薄手のシャツ一枚を引っ掛けただけの少年の、その衣服の中に忍び込んだ手は、 あてもなく小さな背中をまさぐり続ける。
 少年が、悲鳴も忘れて目の前の体を突き飛ばした。
「…………」
 呆然としたまま、地面に尻餅をついた目の前の男を見下ろす。
 禿げた頭とくぼんだ瞳。そして大きな鼻が特徴の中年の男が、そんな少年を見上げてにやりと笑った。 それを見ていると、恐怖すると同時に、なぜかとても凶暴な気持ちになる。
「……ずっと、考えていたんだ、クレア」
「…………」
「君は奇跡の子供だよ。初めて会ったときから、私には分かっていた」
 どこか夢見るような表情と、焦点の定まらぬ視線でもって牧師が口を開く。
「正直に言おう。私はもう……ずっと長いこと絶望していた。この国にも、この世界にもだ。 人は野蛮だ。そんな己を誰一人省みようとはしない。この国は蛆虫だ。 国王も蛆虫だ。人はみな蛆虫なんだよ。どんなに着飾っても、所詮は地面をはいずって蠢く気持ちの悪い蛆虫なんだよ」
「……」
「でも君は違う……一目見て分かる。神に祝福され生まれてきた子供だ。君を形作る一つ一つの要素全てが、 神の手作りなんだよ。……しかし、君が素晴らしければ素晴らしいほど、美しければ美しいほどに、 蛆虫たちはそれを欲するだろう。いつかは君も、彼らの食いものにされるかもしれない。私はそれが、我慢ならない。 とくに女だ。女は良くない。女は不浄の生き物だ。あれは汚い。すごく汚いんだよクレア。 君にはそれが、まだ分からないんだ」
「…………」
「私と一緒に来なさい。私が君を、ありのままの美しさで生きていけるように導こう。 私にはそれが出来る。私には知恵がある。君にはない知恵がある」

 一気にまくし立てる彼を、どんな表情で見下ろしていたのかは分からないが、 徐々に曇っていく相手の表情で何となく察することは出来た。
 狂人に自覚はないと彼が言った。おそらく、本当なのだろう。
「……さよなら牧師様」
 目を伏せて告げると、座り込む相手に背中を向けて走り出した。 その途中に涙が溢れ出し、彼は真っ直ぐに納屋に飛び込んでは膝を抱えて泣き出した。
 理由はよく分からない。
 あの優しい笑顔も、貧相な花に隠された大いなる価値も、一晩で影も形も無く 消し飛んでしまった。それがとても悲しい。
「……クレア?」
 暗い納屋の奥で、声と共に誰かが身じろぐ音がした。
「クレアなの?」
 少年が涙を拭い目を凝らすと、また無断で納屋に忍び込んでいたのか、 あくびをしながら起き上がるアンジェリアの姿が見えた。彼女はクレアの頬に残る涙の跡を見て、 悲しそうな表情を見せる。
「かわいそうに……」
 四つんばいになりながらのろのろとこちらへ近づくと、アンジェリアは 扉にもたれかかっている彼の隣に並んで同じように膝を抱えた。
「裏切りは……つらいわね」
 そっとささやかれた言葉に、少年が横目で彼女に視線をやる。
「裏切り……?」
「そうよ。裏切られたんでしょう? あの牧師に」
「……」
「立派で、尊敬に値する牧師様で居て欲しかったんでしょう?」
「…………」
「彼の心の闇なんて、知りたくなかったのよね」

 そうだ。
 だから悲しい。

「……俺も、あの人と一緒なんだ……」
「そうよ。あの人が、あなたに自分だけの清い天使で居て欲しいと願うように、 あなたもまた、彼に大して絶対な理想像があった。あなたたちは、幻想の上に成り立っていた悲しい関係なの」
「……人間は、自分勝手だ……」
「そうよ。人はみんな強欲なの。あらゆる真実は大抵それを手繰ると見えてくるわ」
「……でも」
「…………」
「……そうじゃない人だっているんだ……絶対いる……」
「……」
「……いるんだろ?」
 不安そうにこちらを向いた少年に、アンジェリアが困惑しながら視線を彷徨わせた。
 それから肩を落としてため息をつく。
「分からないわ。出会ったことがないもの」
「……」
「……ごめんね」
「いいよ……別に」
 抱えた膝の真ん中に顔を埋めてクレアが静かに目を閉じた。
 今日は色々とあった。疲れ果てて、今すぐにでも眠ってしまいそうだ。
「……アンジェリア……」
 意識を手放す間際、ほとんど無意識にそう囁くと、隣で同じように膝に顔を埋めていた アンジェリアが、くぐもった声で小さく返事をした。
「……魔女なの?」
「そうよ」
「……」
「あの牧師から見た私は確かに魔女だった。愛しいあなたを奪う、憎い魔女でなければならなかった」
「……」
「でも、私自身という意味での質問なら、答えはノーよ。私は、魔女じゃない」
「……」
「……それでも、人間とはやっぱり少し違うわ」
「……」
 夢うつつの中聞こえた言葉に、心のどこかで納得していた。
 彼女と話すときはいつも妖精を相手にしているような気分になる。 今だって、狭い納屋に二人で居るというのに、すぐ隣の彼女の気配はとてもおぼろげで、リアリティに欠ける。
 神出鬼没で、流れ者で、人間ではないアンジェリア。
 とても瑣末な事だ。
 世界も人間もみな蛆虫だと言うのなら、その背中に浮かんだ模様が少し違ったくらいで、 変わる事実も無いだろう。大事なのは、今ここに居る彼女が、自分に優しい嘘をつかなかった彼女が、 とても愛おしいく、得がたい存在だということだけ。



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