ヴァイオレット奇譚2

Chapter14◆「ヴァイオレット奇譚【2──epilogue】」




 まったく朝から、てんやわんやだった。

 出発の段取りについて、結局一言も指示を貰えなかったルイスはぶつくさと 文句を言いながら荷物を運び出し、ハンリエットは素知らぬ顔でメイクに集中するためバスルームを占拠し、 瑛士は朝食の準備に追われ、シリルはそれを妨害する事に夢中だった。

 結局三人が三人忙しなく動いていたわけだが、肝心の主人がいつまで経っても部屋から現れないので、 一体何時に出発をするのか見当も付かない。
 起こしに行くと無邪気に特攻しかけるシリルと、青い顔して止める瑛士との攻防戦は結局 午前中一杯続き、そのうちしびれを切らしたハンリエットがそのドアノブに手をかけた時、ちょうど内側から現れたクレアが、 目を丸くして部屋に雪崩れ込んできた三人を見下ろした。

「おはよう」

 無様に重なり合った三人を嘲るように笑ってクレアが通り過ぎる。大きなあくびをしながら 部屋を出たクレアを確認して、そっと瑛士がベッドを確認するが、不思議な事に万莉亜の姿は見当たらなかった。
「あら。万莉亜は?」
 さきに疑問の声を上げたのは、自分の上にのしかかったままポカンとしているハンリエットだった。

「今から迎えに行ってくるよ」

 ルイスが入れたコーヒーを片手に上着を羽織りながらクレアが言う。

「え、い、いないのかよ」

 重なり合ったハンリエットとシリルを押しのけて立ち上がった瑛士が問う。万莉亜がいないのなら、 一体何に気を遣って何時間もタイミングを見計らっていたのだろう。非常にバカバカしい思い違いが、長く待機していた 四人の従者を脱力させた。

「今朝方早くに家に戻ったんだ。あちらの方に挨拶もあるだろうし」
「それならそうって言えよ!」
「お前は寝てただろう」
「俺以外は起きてただろうがっ!」
 力一杯にがなる少年に、煩わしそうにそっぽを向いてクレアがカップを置いた。
「お前達全員、部屋にこもってたじゃないか」

 そうだろ? と目線で訴える主人に全員が目を逸らして床を見つめる。
 気を遣っていたんだと目一杯自己主張するのも無粋な気がして、妙にもじもじし始めた瑛士を、面白そうにクレアが眺めている。 分かっていてからかっているなら、何て悪趣味なやつなんだと、少年が顔を赤らめながら睨み付けていると、 玄関のドアがカチャリと開いた。

「あのー……」

 申し訳なさそうに割り込んできた声と共に顔を半分覗かせた万莉亜の姿を見て、クレアが驚いたように駆け寄る。

「万莉亜!」
「ごめんなさい。待ってようと思ったんだけど、飛行機の時間が心配で……帰って来ちゃいました」

 そういって申し訳なさそうに微笑んだ万莉亜が、顔を真っ赤に染めている瑛士に気付く。彼は 万莉亜と目が合うと、ぱっと視線を逸らして、再び床と睨めっこし始めた。

「……?」
「気にしなくて良いよ」
 ニッコリと微笑むクレアを見上げて、首を傾げながら万莉亜は目をぱちくりさせる。

「さぁさ。朝食にしましょう。万莉亜さんもどうぞ席に」
 両手を打ち鳴らして仕切り始めたルイスに従い、歩を進めた万莉亜の肩をクレアが引き寄せる。 ほんの少し目尻が赤く染まった彼女を、彼は不安げに覗き込んだ。結果的に、たくさんの別れを万莉亜に強いる事になった。 クレアはそれを、いたく気にしている。

「大丈夫です」
「うん」
「本当に、大丈夫。私には、みんながいるから」

 先ほど、半分だけ開いたドアの隙間から見えた温かい光景に万莉亜は胸が熱くなった。クレアがいて、ルイスとハンリエットと、シリルがいて、 そして新しく仲間になった瑛士がいる。みな、これから先の長い人生を共に歩んでくれる新しい家族だ。その目眩を覚えるような 幸せな光景に、はやる気持ちを抑えて万莉亜は飛び込んだ。幸せだと思った。

 そばに寄り添ったクレアの手を握り返し、万莉亜はそのバイオレットの瞳を見上げる。

「いつか私が、クレアさんの願いを叶えてあげられるかな」

 透明に揺らぐ紫の色を見ていると、どうしてもそう言いたくなってしまう。彼が、 かつての青い瞳を取り戻したいと今も願うのなら、それを叶えてあげても良い。昨夜、唐突にわき上がったそんな思いを 口にしたら、クレアは困ったように笑っていた。今も、端正な顔に苦笑を浮かべている。

「分かってないな」
「え?」
「いいよ。いつか分かって貰えるように、努力するから」
「……」
「時間はたっぷりあるからね」
「……はい」

 唇の端にふいに降りてきた短いキスを受け止めて、万莉亜が微笑む。繋いだ指先は、出会った頃よりもこうしていることが ずっとしっくりくるように馴染んでいた。
 いつか、二人寄り添っている事こそが正しい形になるまで。今際の際に、愛しいその名を呼ぶまで。
 長い道を振り返った時に、曲がりくねったその軌跡こそが、他でもない答えになるその時まで、この手を離さず歩めたのなら。

──大丈夫

 一人そっと微笑んで、窓の外をたゆたう白い花びらに語りかけた。
 紫の瞳をした名前のない化け物は、かけがえのない恋人。彼の、名前を呼ぶと約束した。この魂の限り、忘れない。 握った手の平に少しだけ力を込めれば、花びらは風に舞うようにして万莉亜の視界から消えた。それに満足して、隣のクレアを見上げる。 彼もまた、同じようにして、窓の外をじっと見つめていた。ふいに目があった二人は、どこまでも心配性な『彼』を見て、 クスクスと笑い合う。

「行こうか、万莉亜」
「はい」

──大丈夫。見守っていて



 見えない明日を探り、重たい過去を背負って、やがて死が二人を分かつ時
 きっと、愛しい人の名前を呼ぶ。

 その声が、いつかあなたにも届く。



(完)



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