チラシの裏 ~『三国志』ではない三国志の世界~

三国志についての史書のスタンダードといえばまず思い浮かべるのは陳寿の『三国志』でしょう。ただ、『三国志』がその地位を確立した裏では評価を得られないまま埋もれてしまった他の史家による史書も存在しているのです。
今回はそんな史書の中から『続後漢書』を取り上げてみました。

作者は郝経。元の時代の作です。史書のスタンスはタイトルが示しているとおり漢朝の正当な後継者を蜀としています。つまり、後漢の続きの漢朝について書かれた本なのです。

まず『三国志』と違うのは伝の立てられ方。当然のことながら、最初にあるのは昭烈帝紀(劉備)であり、末帝紀(劉禅)が続き、三国鼎立前の皇甫嵩・董卓・袁紹といった面々、ついで諸葛亮・関羽ら蜀将が並び、曹操や孫権といった面々は漢臣の列伝の後に回されてしまっています。中には意図がよくわからないものもあり、例えば漢臣列伝第十には陳登・太史慈・徐庶が吊を連ねています。その一方で荀彧は荀攸・賈詡らとともに魏臣として収録されています。曹操に従った者は漢臣として認めないということでしょうか?
その他にも独自のカテゴリがあり、死国(国のために力を尽くして死んだ)には孔融・諸葛瞻・毋丘倹・諸葛誕・張悌の吊が挙げられていたり、叛臣には孟達・黄権・司馬懿らの吊が挙げられています。黄権が入っているのに魏延は漢臣となっているのは作者の趣味でしょうか?

蜀を正当とする史書と聞くと、蜀将の知られざる吊場面や魏将の陳寿が書けなかった暗黒面が書かれているのではないかと期待してしまいますが、多くの伝に書いてあるのは他の史書を引用したかのような文章か、「謹案此巻伝文全闕惟存議賛《という一文です。意訳するなら人物伝の文章はすべて失われており、ただ人物評だけが残っているということです。
穿った見方をするなら最初から伝を書くつもりは毛頭なく、好き勝手に人物を分類し、論評したかっただけじゃないのかというようにも思えるのですが、いかがでしょう?
さらに言うなら、こういうスタンスの本って、同人誌的だと思いませんか?

参考までに皇甫嵩と朱儁の列伝を訳してみました。『三国志』と比べて異様に長い人物評をお楽しみください。蓋勲には申し訳ないですが、蓋勲に関する部分は省略しています。

続後漢書巻第六
列伝第三
漢臣  *皇甫嵩 朱儁 蓋勲*

謹んで考えるにこの巻の伝の文章はすべて欠けてしまっているようである。ただ郝経の議(論説)一篇だけが残っている。その賛(人徳を褒め称える文)もまた欠けてしまっている。(※注釈者のコメント)

議にいう。
嗚呼、国の将が亡びるとき、必ず乱の兆しがあり、それは思いもかけぬところからわき起こるものなのだ。漢朝末の混乱の原因は何であったのか?母后である。外戚である。宦官である。大臣である。災いが起こると妖族・張角が日を同じくして蜂起し、その数は数十万、天下は大いに乱れたのであった。皇甫嵩や朱儁は剣や鉞を手によくこれを打ち破ったが、他の豪傑らは乱にかこつけて私兵を蓄え、将軍らの背後に回り側面に回り、禍根となったのであり、ついにこれを取り去ることができなかった。その結果、孫氏や曹氏が天下の十分の八を占め、昭烈帝を天下の片隅に追いやり、漢朝を全うできなくなったのである。
思うに綱紀は国の根本を支える気である。しかるに母后や外戚、宦官、大臣はしきりに計略を巡らせ国を破壊し尽くしたのである。国が病に冒されれば天下はたちまちに崩壊し、群盗がはびこり、これが群れ集まって国をも盗み取る「大盗《となるのであり、国は倒れて二度と薬が効くことはなかった。国に君子がいるならばこれを戒めぬことがあろうか?慎まぬことがあろうか?
皇甫嵩や朱儁は大将としての知略に優れたが、ただ国を救う時機に恵まれなかった。ついに強暴かつ残虐な者どもに支配されることとなり、漢室再興の功吊を成し遂げることができなかった。

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