終局からのはじまり



第壱部


第壱話 孤独との戦い








 目の前に広がる紅い海。
 そこに一人の少年がたたずんでいた。
 銀髪に紅い瞳、ややほっそりとした体つき。
 それは神々しくもあり、人にあらざる姿であるが人の目を惹かずにはいられないだろう。
 だが、この世界には彼以外の生物は存在しない。
 少年の前に広がる海へと溶け込んでしまった。
 赤い海は人が溶け込んだ証。
 かつて人の形を持っていたものの集まり。
 少年は海へ手を伸ばし手の平にそれをのせる。
(……お母さん! ご飯まだぁ?)
(もう少し待ってね。今日はミクちゃんの好きなハンバーグだから)
(やった〜お母さん大好き!)
 手の平の滴から記憶が伝わる。
 楽しかった時間。
 この子にはこれから先があったはずだ。
(僕が…それを失わせた)
 少年の心に陰が差し込む。
 少年―――碇シンジはそっと滴を海へと返す。
 あの子は生き続けるから。
 一つになった苦痛のない海で。






 僕の手は血にまみれている。
 記憶に残る罪の証。
 トウジの妹のアキナ…僕がエヴァをうまく操作できなかったから瓦礫に巻き込んでしまった。
 そして一生残る傷を負い……
 サードインパクトで得た知識が集まる。
 エヴァ参号機のコアにインストールされた。
 参号機にはすでにトウジの母親の魂がインストールされていたが、よりシンクロを高めるという名目のために一つの実験を行った。
 親近者二人の魂を一つのコアにつめるというハイブリットコアを。
 コアに足りる人物として必要な条件は肉親であること。
 もっともシンクロを出すためなら双子が最適だ。
 それについで母性がある母親。
 家族であり異性でもある姉妹や兄弟。
 そして父親。
 最後は肉親には劣るがパイロットに対して惜しみない愛情を与えていた人物。
 いずれにしても、相手を思う気持ちが不可欠となる。
 それが無意識のものだとしても。
 結果、アキナのインストールによりトウジはパイロットとして選ばれた。
 アキナがコアにインストールされなければ彼ではなかったかもしれない。
 シンジのクラスにはすでに、親近者の魂がインストールされているコアがある生徒が集められていたから。
 運悪くアキナは重症を負い、ハイブリットコアの犠牲となった。
 トウジ…使徒に侵食された参号機を殲滅する際に初号機によっていっしょに攻撃された。
 その戦闘により彼は永遠に左足を失うことに。
 ダミープラグによる容赦ない攻撃が生み出したものとはいえ、自分に非がないわけではない。
 トウジを傷つけることを恐れたため、攻撃をすることができなかった。
 使徒の動きを止めて、彼を救うという手段があったはずなのに。
 自分の不甲斐なさが生み出した結果だ。
 カヲル君…最後の使徒であり、僕の親友だった。
 すごした時間こそ短いけれど、とても安心することができた。
 まるで兄弟のように。
 僕に会うために生まれてきたとまで言ってくれたカヲル君。
 使徒を倒す―――そのために彼を握りつぶした。
 あの感触は一生忘れることはない。
 アスカ…同じパイロットで家族として過ごした人物。
 それなのに、彼女の心に気づいてやれなかった。
 エヴァに乗ることにすべてをかけていたアスカは、僕にシンクロ率で負けたことにより自暴自棄になってしまう。
 エヴァに対して僕が価値を持っていなかったことも気に触る原因となった。
 そして彼女は自らの精神を壊す。
 だけど、彼女は自分の力で立ち直った。
 衰えた体にもかかわらず量産型のエヴァに立ち向かい、圧倒的な力を見せつける。
 時間という制約さえなければ彼女は勝てたかもしれない。
 僕はただ怯えるだけ。
 ようやくエヴァに乗って向かったころには彼女は量産型によって食い散らかされた。
 シンクロしたまま彼女は体を引きちぎられたのだ。
 それがどれほどの苦痛であるかは想像できない。
 その後のことは覚えていない。
 気がついたらサードインパクトは起こり、浜辺に彼女と共にいた。
 僕は彼女の首に手をかけ……締めた。
 指が器官に食い込み酸素の行き来を止める。
 僅かにアスカが反応を見せると僕に言い放つ。
『気持ち悪い』
 それが最後の言葉となり、彼女はLCLへと変わった。
 みんながいる、きっとアスカが一番会いたい母親もいる紅い海へと。
 結局僕は他人が怖かったんだ。
 傷つけられることになっても戻ってきたのに……
 綾波…零号機のパイロットで僕が好きだった少女。
 母さんのクローンであり、リリスでもある使徒との融合体。
 仕組まれた存在。
 彼女は僕を守るために盾となってくれていた。
 16使徒戦で自らを犠牲にして閃光と共に消えてしまった。
 彼女は三人目として戻ってきたが僕のことは覚えていない。
 それがきっかけとなり、彼女を避けてしまう。
 だけど、最後には父さんを裏切ってまで僕のところへきてくれた。
 カヲル君と共に希望という存在として。
 他にも犠牲となった存在はたくさんいる。
 エヴァとネルフのために多額の資金を用意させられた国々。
 どれほどの人間が餓死させられた?
 僕がエヴァに乗って使徒を倒して喜んでいる間に。
 もしかしたら、気づいていないだけで逃げ遅れた人をエヴァで踏み潰したかもしれない。
 キリがない。
 でも、大人たちはきっとこう言うだろう。
『仕方ない』
 たったそれだけの言葉で済ます。
 多少の犠牲は仕方ない。
 確かに、犠牲をまったくなくすことは無理だ。
 だからといって割りきることはできない。
 まだ、精神が育っていない、幼い僕には。
 僕はその犠牲の上で生きている。
 これからもそうするだろう。
 最後に約束したから、カヲル君と綾波に。
 この銀髪と紅い瞳はその証、少年の髪と少女の瞳。
 二人のことを忘れないように心に刻み込むために。






 僕は浜辺から離れると、住む場所を求めた。
 インパクトの影響により崩れた場所ではなく、雨風が届かない場所を。
 その条件を満たすもっとも最適な場所はジオフロント、ネルフの本部。
 戦時から攻撃を受けたとはいえ、その機能はまだ生きつづけている。
 なにより、MAGIがある。
 すべての管理はこれ一つで済む。
 瓦礫の山をかき分けるようにしてジオフロントを目指した。
 本部へとつながるエレベーターとリニアは動いている。
 ということは、まだ電力が生きている証拠だ。
 素早くパネルを操作してリニアを動かす。
 軽い音とともに扉が開き、空気を吐き出した。
 慎重に中へと乗り込むとパネルを押して自動運行に切り替える。
 僅かな振動が動いていることを示し、ネルフ本部へと近づく。
 到着と同時に扉が開き、通路へと歩みだした。
「う……」
 嫌な匂いがする。
 壁にこびりつく血、肉が焼けたような匂い、人の血の匂い。
 紛れもなくここで殺し合いがあったことを実感させる。
 胃の中が逆流しそうになるのを必死に抑えながらMAGIのもとへ向かう。
 慣れ親しんだ通路はすぐにMAGIのもとへと運んでくれる。
 MAGI。
 赤木ナオコが生み出した究極の生体コンピュータ。
 ネルフが活躍できたのはこのスーパーコンピュータのおかげとしか言えない。
 キーボードに手を置き、つたない動きながら操作していく。

 ピ

 PASSWORD:___________
 知識からリツコさんの記憶だけを取り込む。
「う…あぁ……」
 膨大な知識が頭に入り込んでくる。
 頭が処理におわれ、苦痛をもたらす。
 頭を抱えて痛みを抑え、キーボードに指を滑らせる。

『Only one love to me.』

 PASSWORD:Only one love to me.

 エンターボタンを押す。
 画面にすべてのシステムが開放されたことが表示される。
「たった一つの愛を私に…か。リツコさんは父さんにそれを求めていたんですね……」
 痛む頭を振り、呟く。
 悲しい人。
 決して実らない思いだけのために人類補完計画へと協力した人。
 だが、許せないのは自分の父親だ。
 母親への愛情は認めるが、それだけのために人類を犠牲にするという気持ちは分からない。
 父さんは閉鎖された世界でしか生きれない存在だったんだ。
 けど、今は感傷に浸っている場合じゃない。
 キーボードを操作して、室内の換気を強めて血の匂いを消す。
「住居の確認はできた…後は食料か」
 探せば一生生きていくらいの食料は見つかる。
 今はひとりしかいないのだから。
 だが、肉や生ものは難しい。
 生物が存在していないのだから、手に入れる方法はクローンしか存在しない。
 野菜でも同じだろう。
 自分で作るしかないのだ。
 幸い、固形食料があるので飢えで苦しむことはない。
「生き抜くことはできるね…これからどうしようかな……」
 生きるとは言ったもののこれから先のことは考えていなかった。
 目的なく生きていては先生のところにいたのと同じだ。
 違うのは生かされている立場だということと自ら生きていくということ。
 後者を選んだからには生きる目的を見つけなくてはいけない。
 約束したからというものでは足りない。
「今、自分にできることをする……」
 手を軽く握りこみ静かに目を閉じて深呼吸をする。
 短い儀式。
 それはこれから生きていく決意を固めるため……
 覚悟を決めるために。






 すっかり疲れきった体を休めるために僕は宿舎へと向かう。
 多少散らかってはいるが休む分には問題なかった。
 ベットに横たわると心を落ち着ける。
 それだけで深い眠りへと落ちていった。


 どれくらい時間がたったのだろう?
 今まで安らいでいた寝顔が急に歪みだす。
「う…あ……」
 うめき声をあげ、体が小刻みに反応しはじめた。
 頭の中に他人の記憶が侵入してくる。
 自分が知らない出来事がとめどなく流れ込む。
 平和に暮らす家族、奴隷のように扱われる人、楽しみながら人を殺す人……
 中でも殺人を犯すのはひどい。
 その一部始終がまるで自分がやっているかのように感じる。
 指を一本一本切り裂きそれに興奮を感じ、泣き叫ぶ声がたまらない快感を呼び起こす。
 その一方で殺されようとする人物の苦痛まで感じてしまう。
 なぜ自分が殺されなければいけないのかという声と苦痛にのたまわる感覚。
 ありとあらゆる情報が伝わる。
 しだいに脳が処理する速度を超え、激痛が走り出した。
 記憶容量に決まった容量以上のものを保存できないのと同じだ。
 機械は取り替えればいくらでも替えがきくが人間はそうはいかない。
 ただでさえ未知の領域である脳はどうすることもできないのだ。
「うわああああああぁぁぁぁぁ!」
 洗面所へ駆け込む。
「げほ……うげぇぇぇ」
 胃の中のものが一気に逆流する。
 吐き出せるものをすべて吐き出すと、蛇口へと手を伸ばして水を出すと口をゆすぐ。
 口をゆすぎ終わると力なくその場へと座り込んだ。
「同じ…人間なのに……どう、してあんなことが……できるの?」
 途切れ途切れになりながら呟くと、光景が一気によみがえる。
 思い出すだけでもまた吐きそうだ。
 普通に育ってきた自分には分からない世界を体験した気分だ。
 すべてと一度溶け合ったシンジには無造作に情報が流れ込む。
 本人の意思とは関係なくだ。
 普段は意識をしているから押さえ込むことができるが、睡眠をとってしまうと意識レベルが下がり歯止めが利かなくなる。
 防ぐためには無意識でも情報を遮断できるようになるか、体を酷使して意識しないまま気絶するかだ。
 慣れるという手段もあるが、これはそう簡単にできることではない。
 価値観というものは合えば同調して心地よく感じるが、合わなければ不快に思い拒絶する。
 歓喜や快楽は普通ならよい方向に受け取れる。
 好き好んで苦痛を得たいのはごく一部の人間だけだ。
 同じように殺人という行為に対してシンジは嫌悪する。
 そのために同調が得られず、苦痛をもたらす。
 自分には眠ることも許されないのか?
 頭にそんな考えがよぎる。
 でも傷つけられることを承知で戻ってきたのは自分だから、世界をこんな風にしてしまったのは自分なのだからと受け入れた。
 せめてもの罪滅ぼしなのかもしれない。
 人にではなく世界に対しての。






 このときはまだ知らなかった。
 苦しみがまだ軽いほうだったということを。
 そして、本当の苦痛を知ることになる。







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