何も変わらずいられれば良かった
昔のような日々に戻れればよかった
例えそれがぬるま湯のような世界だとしても
それは願い、それは望み
でも、
さようなら
かけがえのないあなたへ
拾参話 かけがえのないあなたたちへ ―後編―
夜が明け、朝日が昇り、次の日がやってくる。
当たり前の日常。
制服に着替え、いってきますと学校へ向かう。
いつもと変わらないはずなのにユミはひどく落ち着かなかった。
教壇の上で授業を教える教師の声も耳に入らず、退屈な内容は時間の流れを遅く感じさせる。
それもこれもシンジさんのせいだ、ユミは心の中で不満をもらす。
昨日の晩は答えを出されることなく、うやむやのままにされてしまった。
朝になってもそれは変わらず、ユミが学校へ行くのを躊躇わせたくらいだ。
学校へ行っている間に姿を消してしまうのではと言う問いかけに、それはしないと応えてくれたものの本当にそうしてくれているのか不安だった。
約束を破るような人物ではないと信じてはいるが、昨夜の言葉を思い出すたびに気持ちは揺らぐ。
「はぁ……」
定まらない憂鬱な気持ちを表すかのように溜息ばかりが漏れる。
そんな様子を彼女の親友たちは心配そうに見ていた。
授業が終わり休み時間になってもユミに落ち着きは見られない。
席を立ってはすぐに座り、悩んでいる様子を見せたかと思うと立ち上がりまた座る。
周りからは何をやっているんだろうと思わせるに充分過ぎた。
「な〜にやってんのよ、ユミ」
呆れた声を上げながらアキナとミカが近づく。
突然声をかけられたユミはびくっと体を揺らし二人のほうを向くが、すぐに興味を失い溜息をついた。
「な、なんかむかつくわね…」
「た、確かに…」
いつもと違う様子なのは分かっていたが、今の態度でそれが確信へと変わる。
態度は気に食わなかったが、気になることは変わりないのでアキナは再び声をかけた。
「なんだか分からないけど、悩み事ならこの私が聞いてあげようじゃないの」
再びユミの体がぴくっとして二人のほうを向く。
また同じ反応か…と思われたが、彼女は思いがけない行動を見せた。
つかつかと歩み寄ったかと思うと急に滝のように涙を零す。
「聞いてよ〜」
アキナの肩をがしっと掴み、勢いよく彼女の体を揺らす。
やめろ、こらなど静止の声をかけるが聞く耳ないかのように止まることはない。
(じょ、情緒不安定なのかしら…)
やや距離をおいて静観していたミカは親友の奇怪な行動にやや引き気味。
一行に先へと進んでいない展開だが、止めればいいのか迷っていた。
ここで話し掛ければ自分に同じ行動がきそうな気がしたからだ。
迂闊な行動がとれないために、彼女はただ傍観せざるえなかった。
「やめなさいっての!」
脳髄に響くほど揺らされ続け、悲鳴をあげる体と心がアキナを突き動かす。
普段からは考えられないような力を振るう目の前の少女の手を払いのけ、一歩下がると肩を上下に動かして呼吸をする。
呼吸を整えて再びユミへと目を向けると、純粋な瞳が自分を見据えていた。
涙に潤み、保護欲をかきたてられる表情は大抵の男子を魅了して止まない。
それは同性にも有効で、文句の一つでも言おうとしたアキナの口はぱくぱくと開き、言葉を紡げなかった。
すっかり毒気を抜かれてしまい、彼女は深い溜息をつくしかない。
奇行が止み、僅かに場が落ち着く。
その間を見を逃さず、ミカは慎重に話し掛けた。
「それで、何があったの?」
ぴくっとユミの体が言葉に反応し、首を動かしてミカへと視線を移す。
一瞬ミカの脳裏に先ほどの奇行が思い出され、本能的に何かを感じたのか足が半歩ほど後ずさりする。
しかし、それは思い過ごしで済むこととなった。
ユミは顔を俯かせると搾り出すようにして声を発しようとする。
「シンジさんが…シンジさんが…」
「シンジさんが?」
思いつめた雰囲気が感じ取れる程に伝わり、緊張が走る。
次に発せられる言葉に不安がよぎった。
「シンジさんが出て行くって言うの〜〜〜〜!」
ばっと顔を上げて、理性を解き放つかのような大音声が教室に響く。
窓に衝撃が伝わりびりびりと震わせ・・・はしなかったが、近くにいた生徒は耳を抑えて床にうずくまっていた。
衝撃が伝わったのは人間の鼓膜のほうだったようで、至近距離からくらった者は堪ったものじゃない。
当然、一番近くにいたアキナとミカも例外ではなかった。
「あれ?」
倒れこんでいる人たちを見てユミは首を傾げた。
しぐさは可愛いのだが、残念ながら今は誰もそれに魅力を感じ取れない。
本人がいたって真面目な分、誰もつっこむことができない。
うずくまる者には憐憫の視線が集まり、被害を受けなかった者は困惑と引きつった笑顔を浮かべていた。
「な、なんなのよ……」
うずくまったままのアキナの小さな声はささやかな抵抗にも文句にもならず、無情に静けさに混じって消えていった。
少しのインターバルをおいて教室はいつもの騒がしさを取り戻した。
自習と言うことも相成って静かになることはない。
それぞれの話題に興じ、先ほどのことを忘れたかのようだ。
が、実際はそうではない。
自分たちの話題をしながらも視線はユミたちのほうを捕らえてはなさない。
あれだけ大声を出すほどのこととなれば、つい興味も出て気になってしまうだろう。
アキナも視線が集中していることに気付いてはいたが、どうすることもできなので無視しておく。
それよりも今はユミのほうに集中しておきたかった。
「つまりシンジさんが出て行こうとしているから、どうにかして引き止めたいってこと?」
ようやく事情を理解したアキナが呆れたような声を出す。
ユミは凄い勢いで首を縦に振り、肯定の意を示した。
瞳を輝かせ、犬が餌を欲しがるがごとく期待した視線を向けてくる。
「そうは言われても…」
アキナとミカの視線が交錯し、何かある? とアイコンタクトするがミカは首を横に振った。
出て行くものを無理に引き止めることなどできないだろう。
他人に言われて出て行くことを決意したならばまだしも、本人の意思となってはどうしようともない。
引き止められるだけの何かがあるとなれば話は変わるが、残念ながら今のところはなかった。
その案を出すためにユミが相談してきたがそれに答えることはできない。
「まぁ、初恋は実らないってよく言うしねぇ…」
「追いつめてどうするんですか…」
半ば諦めたように頬杖をついているアキナにミカは冷静なツッコミをした。
実際、ユミは項垂れ、すっかり落ち込んでしまっている。
重苦しい空気が肌にまとまりついてより深く彼女を落ち込ませだす。
「…手段がないわけではないんだけどね」
何かを含んだような言い方をしてアキナはぼそっと呟く。
もはや藁にでもすがりたい状態のユミは、どんな些細なことも聞き逃さず、見を乗り出してそれに食いついた。
「何? 何? 何? 何!?」
顔をぐっと近づけてくる彼女にアキナは体を後ろに反らす。
椅子を一歩分引き、反らした体を元に戻すとアキナは続けた。
「凄く古典的な方法なのよ、これが」
「だから、何?」
「その…体…」
「体?」
いまいち要領を得ない答えにユミは眉を寄せた。
頬を膨らませて、全然分からないと子供のように不満を表す。
仕方ないと、言いにくそうにアキナは案を出した。
「…つまりあれよ、あれ。既成事実…責任とってねって言う方法」
「それってもしかして……」
言葉の羅列から連想されるのは一つの行為。
それを想像して彼女は顔を真っ赤に染めた。
「そんなの駄目です!」
どんっと手の平を机に叩きつけ、ユミと同じように顔を赤らめているミカがアキナを睨む。
「な、なんでミカがそれを言うのよ」
日頃控えめな彼女とは違う勢いにアキナは気圧される。
隣でユミも惚けたようにミカを見つめていた。
他にも生徒の奇異の視線が彼女一人に集中し、赤く染めた顔をさらに赤くする。
恥ずかしさに小さくなり、ミカはすごすごと椅子に座りなおした。
「そういうやり方はよくないと思います。……なんか卑怯だもの」
恥ずかしさに声は小さくなっているが、しっかりとした口調で異を唱える。
アキナもそう言われるのが分かっていたのか、苦笑いを浮かべた。
「だからあんまりお勧めにはしなかったんだよ。それにこの子にそんな度胸があるとは思ってないし」
ぽんぽんとユミの頭を軽く叩く。
叩かれたほうは不満な顔をしていたが、事実なだけに反論することはできなかった。
それに、そんな形でシンジと結ばれたいなどと彼女は思っていない。
尤も、そこにいたるまでの過程にさえ辿り着いていないが。
アキナの案も不発に終わり、またもや暗礁に乗り上げてしまう。
すっかり諦めムードに包まれ溜息が漏れそうになる中、意を決してミカが口を開いた。
「決め手となる手段がない以上、ここは素直にいくしかないと思います」
「正攻法でってこと?」
「ええ。思いを言葉に乗せ、素直に気持ちを伝えればいいんです。例え引きとめられることができなくても、ユミなりに納得できると思うんです」
柔らかな笑みを浮かべてミカの瞳がユミを見つめる。
「素直に……」
曇りかけていたユミの心に一筋の光が差し込んだ。
引き止めることばかりを考えて、その先のことに関心いかなかったことが恥ずかしい。
しかし、親友の言葉は彼女に勇気を与えた。
引き止められずとも、自分が納得できるように―――確かにそうだ。
揺ぎ無い言葉が体を動かす。
「うん、そうだよね。二人ともありがと!」
机の横にかけてある鞄を掴むと、地を駈ける様にして廊下に向かう。
「ちょっと! どこ行く気!?」
「シンジさんのところ!」
「まだ授業中ですよ!」
「適当に合わせておいて〜」
突然の行動に驚き、引き止めるが彼女は止まらない。
二人が声を張り上げところで結果は同じ、すぐさまその姿は見えなくなった。
少しの間二人は呆然としていたが、やがて浮かしていた腰を落とし笑いを浮かべる。
「恋する乙女は止まらない〜。上手いことを言う人がいたもんよね」
「でも、そういうのって羨ましいです」
優しい笑みをユミが消えた方向へ羨望を交えながら向ける。
男子生徒はその表情に魅了され、目を奪われていた。
「あ〜あ、どっかにいい男はいないかな〜」
椅子の背もたれに体重をかけて椅子の前方を浮かしながら、アキナは愚痴交じりの言葉を漏らす。
ミカは探せばきっと見つかりますよと彼女に対して小さく心の中で呟いた。
なお、アキナのセリフに男子の数名が傷ついたのは余談である。
通勤・通学には遅く昼にはまだ早い空の下、ユミは駆けていた。
人の影はほとんどなく、彼女の行く先を妨げるものはない。
心に決めた思いは色褪せることなく漲る原動力として体を突き動かした。
(あそこの角を曲がれば…もうすぐ!)
毎朝通る駅までの道のりを間違えることなく進み、勢いをつけた速度を緩やかにしながら角へと侵入する。
と、どんと体に衝撃を受けてユミはしりもちをついて倒れた。
「いったぁ……」
骨盤からじ〜んと伝わる鈍い痛みに顔をしかめ、同時にふつふつと怒りが湧き出す。
少しでも早く戻りたい最中のトラブルは迷惑に他ならない。
立ち上がり、ぶつかったものに睨みを利かす――――がそれが人だと分かると慌てて頭を下げ出した。
トラブルは迷惑だが、引き起こした原因が自分ならば文句は言えない。
この場合は注意もせずに曲がり角へ侵入したユミが悪かった。
「ご、ごめんなさ……」
い…と続けようとするが、それよりも先に何かで口を覆われた。
目の前の人物は動いていない、ということは別の誰かが背後から行動を起こしたのだろう。
反射的に払いのけようとユミは指先に力を加えようとしたが、まるで魔法にでもかかったように力が入らない。
そればかりか次第に体から力が抜け始め、抵抗する力を奪っていった。
(な…に…?)
そう思ったのが最後、ユミの意識は深く沈んでいく。
全身の力が抜け、体がくの字に曲がるが彼女の目の前にいた男が崩れ落ちた体を受け止めた。
すると男は抱きかかえ、近くにある車へとユミを放り投げる。
シートが衝撃を吸収し、体は少しの間跳ねただけで済み、やがて何事もなかったかのように横たわった。
「乱暴に扱うな。大事な取引の材料ということを忘れるんじゃない」
もう一人の男が一瞥しながら注意を促す。
声から判断して20代後半だろう、すらっとした長躯をしていた。
ユミを抱えていた男が頷くのを確認すると懐から通信機を取り出し、どこかへと連絡をはじめる。
相変わらず周りに人が集まる気配はしない。
「目標は確保した。これから行動を開始する」
それだけを通信機に向かって語るとすぐに連絡を終え、二人は車へと乗り込んだ。
車は駆動音もなく動き出しやがて町並みへと消えていく。
後には陽炎が景色を歪める何も変わらない暑さだけが残った。
項垂れるような暑さも日が沈めば陰りをさす。
しかし、クーラーが効いている室内には多少の気温の変化は関係なかった。
温度が保たれる部屋の中でシンジはいつもどおり仕事に勤しんでいる。
一見何事もなくこなしているようだが、心中は複雑だった。
出て行くためにユミを説得しなければならないこともあるが、自分の心が揺らいでいることを感じる。
このままここにいてもいいのではないか、と。
だが、シンジはその甘い誘惑に惹かれるわけにはいかなかった。
自分の存在というものを彼はよく知っている。
”エヴァンゲリオンのパイロット”
それゆえに危険がつきまとう可能性も否定はできなかった。
記憶や痕跡を消したといっても、本当に全てが消えたかは分からない。
だからこそ、誰かを巻き込まないために長居はせず、傷つきたくないから傍にいない。
2年間、彼はそうしてきた。
悩んだところで結局は今回もそうするだろう。
はっきりとしない自分に溜息をつきながらシンジは時計へと目を向ける。
(遅いな…ユミちゃん)
時刻は午後7時を指している。
遊びたい盛りの年齢なら、これくらいの時間帯に帰ってこなくてもおかしなことではないだろう。
ユミも例外ではない。
しかし、遅くなるなら遅くなると彼女は連絡してくる。
今までなかったことだけにシンジは心配になってきてしまう。
杞憂で済めばいいけど…と思い始めた時、何かに弾き飛ばされたかのようにドアが開いた。
乱暴な開け方に注意の一つでもしようと客を見れば、そこには思いがけない人物がいた。
「ミサトさん…?」
肩を上下に動かして呼吸する様子は喫茶店にくつろぎに来た者には見えない。
明らかに何かがあったことを感じさせた。
シンジが驚いた表情で見つめる中、大きく息を吸い込み呼吸を整えたミサトが口を開く。
「シンジ君、大変なことがおこったの! お願い…ネルフに来て!」
あまりにも突然のことに普段なら無下に断ってしまうところだが、この時シンジは逆らってはいけない気がした。
自分に関わる何かがあったと直感し、彼は素直に頷くとミサトについていく。
シンジの胸騒ぎはますます高まっていくだけだった。
ミサトとシンジの間に会話はなく、ただ黙々とネルフの発令所へと向かっていた。
何かを感じ取ったとはいえ、理由を聞かずについていく自分にお人好しだなと、内心呟きながら。
二度と来ることはないだろうと思っていた場所にまた来ている。
結局見捨てられずにいる自分は甘いとしか思えなかった。
会話がないまま発令所のドアを抜けると、そこには主要スタッフの面々がそろっている。
シンジの知らない者はそこにはおらず、当時のスタッフだけがいた。
彼が入ってくるなり視線が集中する。
多数の視線に煩わしを感じながらも、同時に場の緊張感も感じていた。
「何があったんですか?」
連れてきた割にはなかなか話をしようとしない様子にシンジは冷たい声を放つ。
重苦しい雰囲気がさらに沈み、ミサトが言葉を選ぶように重い口を開いた。
「…あれを見て欲しいの」
促されるままにモニターへと目を向けると、マヤが手元のパネルを操作し、映像を映し出している。
シンジは驚きに目を見開いた。
暗い一室に明かりに照らされて浮かび上がるユミの姿。
眠らされているのか動く様子はまるでなかった。
映像はすぐに終わり、変わりに簡単な一文が流れ出す。
『檜山ユミは預かっている。無事に帰して欲しくば碇シンジとを変わりに差し出すこと。尚、要求に呑まない、不穏な動きを見せれば命の保障はないと思え』
明らかにシンジを手に入れるためのものだった。
愕然としてシンジは気が遠くなるの感じる。
足がふらふらと後ずさりをはじめ、どんと体が壁にぶつかった。
その様子を心配げに見るものがいるが、今の彼はそんなことに気付ける余裕はない。
ミサトは苦虫をつぶしたような顔をすると、シンジに淡々と状況を話し始めた。
「まさかあいつらがこんな手段をとってくるなんて…ごめんなさい、完全に私たちのミスよ…」
「…あいつら?」
呆然としながらも捻り出すように返事を返す。
「ゼーレの残党よ。動いているのは分かっていたからマークはしていたの。レイとアスカ、そしてシンジ君を狙っているだろうとガードを付けていたのにまさか他の人物を狙っていたなんて…」
悔しさとすまなさの両方が混じっているだろう、顔を歪める。
シンジは黙ったまま何も言わなかった。
この場合、ミサトを責めるのは筋違いだ。
シンジたちのような重要な人物ならまだしも、関わった人物にまで目を配っていてはきりがない。
それこそピンからキリまでいるだろう。
全員にガードをつけるわけにはいかず、例えできたとしても街からの不信の目を向けられる。
人質などという単純な方法を敵を取っては来たが、単純ゆえにそれは効果的だった。
ユミの存在自体はネルフにとって大した価値がない。
自分たちにとって不利益になることなら問答無用で見捨てるだろう。
しかし、そうすることはシンジが許さなかった。
もし見捨ててしまえば瞬時に彼はネルフの敵となるだろう。
世界を再構成するだけの力を持つ者を敵に回すものなど愚の骨頂だ。
力を知っている日本のネルフの面々だからこそ、それをよく分かっていた。
ならばシンジを差し出すという手段はどうだろう。
これも否だ。
安全にユミを救い出すためには一番いい方法だと言える。
シンジも彼女のためなら自ら進んでするはず。
が、これもネルフ側にとっては最良の手段とは言えなかった。
シンジが敵側の手に渡って自分たちに牙を向かないという保障もないのだ。
悪意を向けられる理由があるだけに不安を拭うことはできない。
スペシャリストによるユミの救出が妥当だとも言えるが、明確な場所が分からない今、動くことはできないだろう。
下手に刺激すれば元も子もない。
ミサトは私たちがなんとかするからとシンジに呼びかけてはいるが、無理だと彼は心の中で毒づく。
案を練るために誰かが意見を交わしているが、今のシンジとってそれは煩わしいものでしかなかった。
ふつふつと胸の内に暗き焔が宿り、内に眠る衝動を駆り立てる。
(……うるさい)
ミサトが案を出し、リツコが穴を指摘して否定する。
マコトと綿密に案を合わせるが効果的なものは生まれなかった。
頭の中が真っ白の状態のシンジにはただ声だけが頭の中に入ってくる。
レイとアスカの心配そうな顔も瞳に映ることはなかった。
「うるさい!」
ドン!
壁に叩きつけたシンジの拳が爆発音のような唸り衝撃が建物を揺らす。
無意識にATフィールドを纏った拳は大きく壁を変形させていた。
驚きと戸惑いを浮かべる者たちにシンジは容赦ない。
「あなたたちに何ができるっていうんです? エヴァと子供に頼らなければ何もできなかったあなたたちに! 危険に身をおいている者の気持ちなんて気付かない振りして、安全なところで指示を言うだけしかできないあなたたちに何ができるっていうんだ!」
感情だけで理性が伴わない残酷で冷たい言葉が反響し響き渡る。
苛立つ精神が理不尽なことを言っていると分かっていても止めることはない。
黒い衝動がシンジの冷酷な部分を動き出していた。
彼の言うことに思い当たる部分がありすぎるだけに誰も反論することなどできない。
何を言っても今は嘘になるだろうから。
「くそっ…」
悪態をついてシンジを項垂れる。
本当に許せないのは自分自身だという思いだけが支配していた。
ネルフが全て悪いわけではない、自分にもその責任はあるのだ。
チルドレンだったということを忘れさえ、もう何もないと鷹をくくっていた。
が、現実はどうだろう?檜山ユミと言う少女は自分のせいで巻き込まれる結果ではないか。
関わらなければ普通の生活を送れ、こんな危険とは程遠い安全なものだったはず。
苛立っているのはネルフに対してではなく、自分自身に対してだった。
静寂が広まっている中、シンジは思案に耽る。
どうすればユミを助けられるのだろうかと。
ふと、シンジの中に一つの案が浮かぶ。
わずらしいものを取り除き、これからについてもよくなるだろうものが。
それに必要なのは…
「父さん」
「…何だ」
久しぶりに呼ぶだろう呼称に違和感を感じながらも視線を向ける。
寡黙ながらゲンドウは応えた。
「空路を用意して欲しい」
「どうする気だ?」
「彼女を助けに行きます」
「……分かった」
何かを感じ取ったのかゲンドウはマヤたちに命令を下す。
それともせめてもの罪滅ぼしか。
その唐突さにミサトは当然のごとく噛み付いた。
「ち、ちょっとシンジ君! 下手なことをすれば彼女が…」
「あなたたちにはできない、僕にはできる…それだけです」
納得させるにはあまりにも説得力に欠けていたが、有無を言わせない迫力にミサトは怯んだ。
しかし、伊達に作戦部長をやっていたわけではなく不確かなものにはんこを押せるほど寛容ではない。
それを見越したのか、シンジは先手を打つことにした。
「ミサトさんと加持さんにも手伝って欲しいことがあります」
頭をめぐらす。名指しされた二人は僅かに驚きを表していた。
「手伝ってくれますよね?」
何をするかも言われないまま協力を求められ、ミサトと加持は視線を交わす。
どうするかを互いに視線で会話していたが、やがて二人は黙って頷いた。
シンジからの協力要請だったからというわけではなく、自分たちの非による失態の償いといったためだろう。
が、ミサトはそれだけではない。
今回の失態、それがシンジを苦しめている一因となってしまっているから動いた。
純粋にユミを助けたいと言う気持ちがある一方、シンジへの罪悪感をこれによって薄めることができるという思いもまたある。
彼はそこを見越した上で彼女たちを指名したのだ。もちろんそれだけと言うわけではない。
戦闘状態に陥る可能性がある中、学者あがりのネルフで戦力になり、シンジの知り合いなのはこの二人。
マコトや青葉あたりでもいいのだが先ほどの理由から外れることになった。
尤も、シンジは戦闘に巻き込むことなどは微塵も考えていない。
あくまでも表面上だけの理由だ。
肯定を確認するとシンジは冷たい壁に寄りかかり視線を落とす。
手配している空路は後数分もすれば用意できるだろう。それまではただ待つだけだ。
リツコが部屋から出ていったのが視界の隅に映ったが、気に止めることはなかった。
相変わらず苛つく心だがこれからの自分の行動を考えると溜飲が下がる。
決して他人に理解されることはないだろうが、彼にとってはそれで良かった。
小さく自虐の笑みを浮かべ、再び視線を戻す。
数分待つだけの時間が長く感じられ、その分だけシンジの心を冷静にしていく。
周りも彼を刺激しないためか水を打ったように静かになる。。
そこに先程出て行ったリツコが戻り、壁に寄りかかったままのシンジのもとへと足を向けた。
近づく足音と自分を覆う人影にシンジは顔を上げる。
「シンジ君、これを使ってちょうだい」
差し出された手に乗っているは鈍い光沢を放つ小さな機械。
用途が分からないものにシンジは訝しげな顔を浮かべた。
リツコは様子に気付き、突然すぎたと慌てて説明を始める。
「通信機…とはいってもそこら辺にあるようなものじゃないわ。MAGIをサポートにおいた広範囲のものよ。大概の妨害電波にも邪魔されることはないから役に立つと思うわ」
「別にいりませ…いえ、使わせてもらいます」
説明にもかかわらずシンジは一瞬いらないと応えかけたが、言い直すように言葉を直した。
決して断ろうとした瞬間リツコの頭に血管が浮き上がったのを見たからではない。
彼女の言うとおり役に立ちそうだと判断したからだ。
硬く握っていた拳を開き通信機を受け取る。
それをポケットに仕舞い込むと再び視線を落とした。
ぶっきらぼうな態度にリツコは苦笑したが、他の二人にも手渡すためにシンジから離れた。
同じようにして彼女はミサトと加持に説明と使い方を教え込む。
声だけが朗々と響き―――そしてマヤから準備ができたと報告が入った。
風。
ヘリが生み出す風の奔流が髪を揺らす。
着陸するその様を一同は無骨な機械が放つ音とは対照的に静かに見つめていた。
「で、どうする気なんだ?」
沈黙を保っていた加持がシンジに話し掛ける。
今まで何も聞かずにいたが、準備が整った以上行動を開始しなくてはならない。
そのためにも彼が考えていることを聞く必要があった。
「助けに行くにしても彼女の居場所はわかっていない。…それとも君にはもう分かっているのか?」
含みがある言葉にもシンジは表情を変えることはない。
ヘリがゆっくりと着陸すると彼はようやく口を開いた。
「人の姿や性格が違うように、人の形を保つもの―――すなわちATフィールドも人それぞれです」
「……」
「同じ波長を持つものはいませんから、ユミちゃんを探し出すことは僕にとって容易です」
「つまり彼女のATフィールドを辿れば彼女のもとへ行けるということか」
「はい」
普通ならばそんなことは無理だと考え、否定の声を上げるところだがそれがシンジとなると話は別だ。
以前発令所の扉を切り刻んだように、彼がATフィールドを扱えることは加持も知っている。
それならばできるかもしれないと加持は静かに納得した。
「加持さんはヘリの操縦できましたよね?」
「ん、ああ」
「それじゃあ、あの人と操縦を代わってください」
半ば強引にシンジは操縦席へと彼を引っ張って行った。
手短に操縦していた男にことの旨を伝えると彼はヘリから降り、手早く加持と交代する。
おいおいと小さく戸惑いの言葉を発しながらも、加持は手元の計器をチェックすることを忘れない。
その様子を見て、次はとばかりにシンジはミサトを呼ぶ。
「ミサトさんも乗り込んでください」
促されるがままに彼女もヘリへと駆け寄り、搭乗口から中へと入っていった。
シンジはミサトが乗ったことを確認すると搭乗口に手をかけ勢いよく閉める。
彼が乗り込まない様子にミサトは疑問を表した。
しかし、シンジの口から説明が出ることはない。
他の人たちに背を向けるようにして彼は機体へと手を伸ばす。
その背中に何か言い知れぬもの感じ、傍観していたレイが我知らずに声をかけていた。
「碇君…」
呟きにも似た声にシンジは反応した。
レイのほうへ振り向き寂しい笑いを浮かべる。
ひどく頼りない、安心感を与えるものとは程遠い笑みを。
が、一瞬の幻想のように無表情に戻り再び機体へと視線を戻すと、二人を乗せたヘリとともに姿を消した。
驚きを隠せない一同の中、レイは不安を拭いきることができない。
声をかけられずにいたアスカもそうだろう。
そして、リツコもまたシンジの行動に疑問を感じていた。
景色が歪む、一瞬感じた違和感に気をとられ再び外を見た時にはまったく違う風景が映っていた。
「着きましたよ」
シンジの言葉に突き動かされたようにして二人は我を取り戻す。
周りには荒野が広がり、それに相応しくない建物が立っていた。
ガラクタのように置き去りにされた建物は放置されて長いのか風化しているようだ。
こんなところに本当に人がいるのだろうか、ミサトは疑問の声を上げずにはいられない。
「一見貧相でも中までそうとは限りませんよ」
冷静にシンジが指摘する。
尤もな意見にミサトもそうねと余裕のなさを実感していた。
人が容易に考えないからこそ、こんな場所でも役に立つ時がある。
まして残党とはいえゼーレである以上、見た目以上のものがあるだろう。
「僕がユミちゃんを連れてきますからそれまでここで待っていてください」
「えっ? ち、ちょっと…」
どうやって救出しようかと作戦部長らしく考えようとした矢先、シンジはすぐに行動すると言い放つ。
何の策もなしに行くなど愚の骨頂だ。
ミサトは慌てて止めようと手を伸ばすが、ドアは閉まったままでシンジをつかめるはずがない。
彼の姿はすぐに消え、伸ばした手が空しく空中をさ迷う。
一分ほど待っただろうか、何かを抱えるかのようにしてシンジが姿をあらわした。
抱きかかえられているのは映像にいた少女―――ユミだ。
どうやって救出したのかと言う思いよりもあまりのあっけなさにミサトの緊張感が緩んだ。
「いったいどうなってるわけ?」
わからないといった顔をしてシンジに近寄る。
彼はシートへとユミを下ろしながら疑問に応えた。
「原理だとかそんなのは分からないけど、行きたいと思った場所に行けるんです。尤も、正確なイメージが必要みたいなんですが…」
本人もあまり分かっていないのだろう、言葉を捜すようにしてまとめる。
それを察し、まぁいいわ、とミサトも拘らない。
「じゃあ、後は帰るだけね」
「とは行ってもここがどこだか分からなければ帰りようがないぞ」
「そんなのまたシンジ君に頼めばいいじゃない」
操縦席から身を乗り出すようにして言う加持に余裕な表情でミサトは振り向く。
確かにそれならば手間はかからないなと彼も失念していたことを思い出す。
「申し訳ありませんが、自力で戻ってください」
しかし、水を差すようにシンジは断った。
なんで? と聞かれる前に続ける。
「ユミちゃんを助けたことに彼らももうすぐ気付き始めます。その前に遠くへ行ってほしいんです」
「だからさっきみたいにすれば…」
「残念ですけどあまり連続で実行することは出来ないんですよ」
すまなそうに返すシンジにミサトも文句をいってばかりいられない。
なんでもかんでも都合のいい力に頼ってばかりではないのだから。
そうと分かると彼女も切り替えが早い。
すぐにヘリへと乗り込むと加持に離陸するように促す。
「シンジ君も早く乗って!」
先ほどのように手を伸ばすが、シンジが手を差し出すことはなかった。
「シンジ君!」
「先に行ってください。僕にはやることがありますから。」
そういって渦巻く風から逃れるように離れる。
だが、ミサトが諦めるまで待っているのか加持は飛び立とうとしない。
業を煮やしたかミサトの説得は諦め、シンジは加持を見る。
「加持さん、今回はユミちゃんの救出が最優先です。無事彼女を送り届けなければ…僕はあなたたちを許しませんよ」
無機質な赤い瞳が加持の瞳と心を射る。
仕方ないなと強引に彼はヘリを浮上させ始めた。
「ちょっと!」
「シンジ君なら大丈夫だろ。それよりもしっかり掴まっていろ!」
声が遠ざかり急浮上していくヘリをシンジは見上げる。
視界に映らないほど機影が小さくなった時、再び彼は姿を消した。
加持はこの時の選択をのちに後悔することなる。
外見が貧相ならば中も貧相。
所々が崩れ落ちている場所は歩きづらいことこの上なかった。
本来の建物としては機能してないだろう。
朽ちた機械が置いてある様子を見ると元は何かの工場だったようだが見る影はなかった。
尤もそれは見た限りのこと。地下のほうを見れば一変する。
崩れ落ちている上とは違い、綺麗にまとめられた空間が続く。
さしずめ地上の建物はダミーといったところか。
ゼーレは密かにこんな場所をいくつか持っていた。
もちろん人に堂々と言えないようなことをするためだろう。
ユミが監禁されいたのもこの場所だった。
静けさが漂い人気を感じさせなかった場所だが、今は慌しくなっている。
「何をやっていた!」
怒号が場を支配し、失態を犯した者を萎縮させる。
彼でなくとも怒鳴りたくなるだろう―――人質が気付かないうちにいなくなってしまえば。
ロックしていたドアを開けたわけでもなく、かといって部屋から出れる場所などない。
どんな手品を使ってもその場所から出られるはずはなかった。
不可解さに苛立ちもしてしまう。
「あ、あの…」
そんな彼に一人の女性が遠慮がちに話し掛ける。
向けられる視線に一瞬怯むが、彼女はおずおずと事を伝えた。
「映像を見てください」
何を今更…とモニターに目を向けるが、映ったものを視界に入れると目の色が変わる。
怒りから欲望へと。
「碇シンジ…どうやったかは知らんがわざわざ来てくれるとは都合がいい」
くくっと小さく笑い口元をまがまがしく歪める。
シンジは知っているのかモニターへと移す小さなカメラをまっすぐ見据えていた。
足音を隠そうともせず、素人丸だしで通路を歩く。
やがて指示をだされたのか二人の男が彼の前に遮るようにして姿を見せる。
「命が惜しかったら黙って着いて来るんだ」
銃を携え、逆らわないように威圧する。
安っぽい脅しだな、シンジは滑稽さに笑った。
それが気に食わなかったのか男たちの眉が僅かに動く。
「来てもらおうか」
「嫌です」
「先程言った事が分かっていないようだな」
銃を取り出し、銃口を突きつける。
しかし、シンジはまったく表情を変えず恐れる素振りさえ見せない。
「分かってないのはあなたたちのほうですよ。ここで僕を殺しても何の意味もないんです。苦労も水の泡、むしろ状況はかえって悪くなるだけなのに…」
小ばかにされ銃口が震える。
「撃ちますか? できるものならやってみてくださいよ。…その前に僕があなたたちを殺しますけど」
にぃっと口を歪めるシンジに男は狂っているのかと疑問符を掲げた。
と、同時に隣から水が大量に零れたような音がする。
視線を下へと向ければそこには確かに水たまりがあった。
透き通るような透明ではなく淀んだ色と、そして服が覆うように落ちている。
先ほどまで隣にいた男の姿はなく、それがよりいっそう男を戸惑わせた。
「だから言ったでしょう? 死ぬのはあなたたちが先だって」
ドン
刹那、理解した男が引き金を引く。恐怖が思うよりも先に彼の体を突き動かしていた。
命令されたことを守るよりも今は自分の命を守るほうが先決、直感が告げる。
人を死に至らしめる弾は少年などものともせず、その体を突き抜ける―――はずだった。
キィン
甲高い音を立てながら弾丸が狙った方向とまるで違うところへ弾き返される。
ダン ダン ダン
幾度と引き金を引くがそれは変わらない。
無慈悲にカートリッジから弾を奪い取り、全てが徒労に終わる。
弾がなくなり引き金と撃鉄の渇いた音が響く。
シンジは冷たい目を向け、男に触れそうなくらいの距離に手を伸ばすと一言つぶやいた。
「さよなら」
パシャ
そして男は水滴へと姿を変えた。
暗い夜に紛れ込む様に一台のヘリが空を飛び続ける。
乗員が少ない中は静かでプロペラの音だけが大きく聞こえた。
「さてと、これくらいの距離でいいか」
独り言のように言うと加持は懐からリツコに渡された通信機を取り出した。
自分がどこいるか分からないまま飛び続けても意味はない。
追っ手が来ていないと判断し、ようやく連絡をとる気になったのだろう。
教わったとおりに操作をはじるとすぐに連絡をとることができた。
「リッちゃん、聞こえてるかい?」
「聞こえているわよ。で、どうなったの?」
「無事救出に成功。今そっちに戻っているところさ」
自分が何かしたわけではないが、無事に事が済んだことに雰囲気は軽い。
後はただ戻るだけでいいのだから。
「現在位置が分からないから、サポートを頼む」
「分かったわ。…シンジ君はどうしたの?」
ふと軽い疑問が浮かぶ。行ったときと同じ手段を使えばこんなことをする必要がないのではと。
やや返答に困るかのように加持は言葉を詰まらせる。
「彼はやることがあるから残ったよ」
「……どういうこと?」
「俺に聞かないでくれ。シンジ君がそう言ったんだ」
「なんで止めなかったのよ!」
「そんなこと言われてもなぁ…無事に檜山ユミを届けないと許さないって言われれば仕方ないだろ。リッちゃんこそどうしたんだ? 何をそんなに慌てている」
無精ひげをなでながら疑問を投げかける。
黙って聞いていたミサトも雰囲気の変化に身を乗り出した。
深い溜息をつきながら、リツコは淡々と思うことを口に出す。
「私たちには檜山ユミを救出する効果的な手段がなかった。だからシンジ君に任せることにした」
「そうだな」
「シンジ君のとった手段は非科学的だけどテレポートみたいなもの。それによって無事救出に成功、そうよね」
「ああ」
「ならどうしてシンジ君はすぐに戻ってこないの? 用があるそうだけど、後回しにしてもいいんじゃないかしら」
「テレポート…みたいなものだけど制限があるって言っていたわよ」
ひょっこりミサトが会話に加わる。
退屈だったのか、黙って聞いているのに飽きたのかそれは分からない。
彼女の発言にリツコは考えるように黙り込んだ。そしてすぐにまた口を開く。
「制限…ってどんな?」
「えっと…あまり連続で実行することができないだったわ」
「連続って何回くらい?」
「そんなの分からないわよ! ぽんぽんぽんぽんと質問ばっかりしないで」
「悪かったわね。で、何回?」
まったくミサトの意見を無視したように同じ質問をする。
親友の態度にふらつきながらも彼女は推測をはじめた。
「私たちを移動させるのに一回、檜山ユミの元へ行くのに一回、そこから戻ってくるのに一回。最低でも三回は使っているはずよ。それがどうかしたの?」
そしてまた額にしわを寄せてリツコは考える。
さっきからどうしてそんなことを聞いてくるのかミサトは分からない。
加持のほうへも向くが分からないと頭をふられた。
「リツコ…いったいなんなのよ?」
「…話を戻すわ。私たちに救出手段がないからシンジ君に救出を任せることにした。けど、もし私たちがシンジ君の能力を知っていていたならどう指示する?」
「檜山ユミを救出後、すぐに戻ってこさせるわ」
「そうよね。使った回数は2回で済むわ。それなのにどうして彼はわざわざあなたたちを連れていくようなマネをしたのかしら」
シンジの役に立てる、ということに浮かれていてミサトは深く考えていなかった。
が、もしもの場合のために自分たちを連れて行ったのではという考えもすぐにでてきた。
それならば一人でいかなかった理由にもなる。
その旨をリツコに伝えるがすぐに反論されてしまった。
「忘れていない? シンジ君は何人足りにも犯されない絶対の領域を持っているの。余計な戦力よりも彼一人のほうがよっぽど安全よ」
「それじゃあ、どうして…」
「利用されたのかもね、私たちは」
「利用…シンジ君が?」
「悪い意味ではなく、いい意味でよ。加持君はともかくあなたは特にね」
どういう意味よとミサトは食って掛かった。
通信機の向こうでリツコは分かりやすいほど苦笑を見せる。
「前にきた時にシンジ君はこういっていたわ、あなたたちは自分に対して罪悪感を持ちすぎるって。今回の件でもまた彼を苦しめることになって罪悪感が出てきたでしょう?」
「……」
「シンジ君はそれに対する苛立ちも見せていたけど、あなたのことも考えてそうやって手伝わせたわ。考えすぎかもしれないけど、私がサポートしようと思っていたのも見透かされていたのかもね……」
互いに情けないとつくづく思う。
助けたい思いは空回りで逆に心配され手を差し伸べられている。
うすうす感じていたとはいえ、何も分かっていなかったのは自分たち大人のほうだった。
いや、気付かない振りをしていたのだったのかもしれない。
思い沈黙が続く。
そしてまだリツコには腑に落ちない点があった。
「何がしたいのかしら…彼は」
現在とっている行動が理解できない。
荒んだ荒野のように荒れているわけでもないだろう、何かをやろうとしているとしか思えなかった。
「リツコ…シンジ君と通信できないの?」
「彼が回線を開いてくれていればできるだろうけど…」
試しに呼びかけてみるが反応はない。触れる気もないのだろう。
「…だめね、まったく応答しないわ」
「強制的に繋げることはできないのか?」
「加持君…何を言っているのか分かっているの!?」
「重々承知の上さ、嫌われ役は俺が受けるよ」
ヘリを操縦したまま男臭い笑みを浮かべる。
「本当に強引ね、どうなっても知らないわよ。…まぁ、その時は一緒に悪役になってあげるわ」
「私も同罪よ。保護者失格だし、もう充分にシンジ君には嫌われているもの」
自分で言っておいて情けなさで笑ってしまう。
謝っても謝りきれないものがそこにはあった。
そういった思いがシンジを困らせる一因となっているのは分かっていたが、思わずにいられないのもまた事実だ。
「開くわよ」
パネルの上をリツコの指が滑らかに滑させる。
MAGIを介して強制的に回線をこじ開け、シンジの通信機に繋げる。
そこから聞こえてくるものは嵐のような銃声と恐怖に引きつった悲鳴だった。
かつては人の形を保っていたであろうもの。
今はただの水のようになって地面に水溜りを作っている。
正確には生命のスープ、LCLだが。
(本当に…何やってるんだろう僕は)
笑ってしまう。
これからの行動を考えてしまうと自然に笑みが浮かぶ。
歓喜に震える笑みではなく、自分の馬鹿さ加減に対する笑みだ。
準備は終わっている、後はその時間を迎えるだけ。
それですべては終わりだ―――なにもかも。
認められるわけもなく、認められたいとも思わない、一人よがりの結末。
湿った空気が体にまとわりついた。
ドン!
腹部に強い衝撃が走り何かが抉るように突き刺さってくる。
そう感じた瞬間それは貫通し、壁へと突き刺さった。
内臓が傷つき大量の血が傷口と口から流れる。
自らの血の匂いが通路に立ち込め、LCLと混ざり合う。
前のめりに崩れ落ちる体を左足で支えるが、さらに傷口を開くことになり苦痛に顔を歪めた。
震える足を動かし弾丸が飛んできたほうへ振り向く。
と同時に、相手はLCLへと変わった。
シンジを撃ったであろう銃が渇いた音を立てて床に落ちる。
「ごほっ……」
喉をせりあがってくる血を吐き出す。
血の匂いが混じった息が鼻腔を刺激した。
(戦場で余計なことを考えるな…か。…本当にそうだね)
かつてミサトに教えられたこと。
エヴァではなく、本当の戦闘でその意味を実感した。
所詮素人程度のシンジに気配を読めだとか感じろなんてことには無理がある。
できるのは集中力を散漫させないことくらいだろう。
それも怠ってしまえば生き残るなどできない。
(僕に…相応しいよ)
痛覚が麻痺したかのようにシンジは歩き出した。
流れ落ちる血が服を染め上げ、それでも足りなのか床に転々と跡を残す。
壁に寄りかかりながら歩くさまは傷の深さを物語っていた。
静寂とは限りなく程遠い室内に伝わる情報は不甲斐ないものばかり。
自分の計画が崩れていくことを男は感じていた。
このままここにいても先は見えている、彼はすぐにここを出る準備をはじめた。
(今回は失敗したが…まだ次がある!)
命あっての次、部下の存在など目もくれなかった。
諦めるなどと言うことに程遠いのか、大またで男は扉に向かう。
しかし、男が近づいたわけでもなく扉は開いた。
まだ誰か生きていたのかと、僅かに安堵を浮かべたが表情はすぐに凍った。
「碇…シンジ!」
叫んだ刹那、胸倉を掴まれ少年とは思えないような力で壁に向かって投げつけられた。
背中から伝わる衝撃に一瞬呼吸が止まり、体を圧迫する。
投げた当人は荒い呼吸を繰り返して、ふらつく体を立て直すのに必死だった。
「逃がさないよ…レイド・アクター」
苦しいのか搾り出すようにして相手を睨みつける。
レイドと呼ばれた男も負けずに剣呑な視線を向けてきた。
シンジは唯一の脱出口をふさぐかのように扉の前に立ちふさがり、背を任せる。
扉はIDカードを認識して開閉するものなので、体を近づけても自動的に開く事はない。
シンジもそれを知ってか知らずか、LCLに変えた男たちから拝借していた。
レイドにそれは不幸だったと言える。
単に扉を抜けることならば容易にできる、相手は素人に毛がはえた程度だから。
しかしカードスロットにIDカードを差し込み、それから扉を抜けていくのには無理があった。
動作が一つ加わっただけで作業とは困難なものに変わる。
レイドは犬歯が食い込むほど唇を噛んだ。
「ずいぶんと…くだらないことをしてくれましたね」
「だが、くだらない割には成功しそうだった…お前が素直に従ってくれたならな!」
ホルスターにねじ込んであった銃を目にもとまらぬ動作で取り出す。
銃口はまっすぐ目標に定め、同時に引き金を引く。
普通ならば反応する間もなく絶命するところだが、無情にも不可視の壁がそれを許さない。
明後日の方向に弾かれていく弾丸を彼は憎憎しげに見つめていた。
「くっ…化け物め!」
「そんな化け物を飼いならそうとしていたのはあなたなんですよ?」
弱い笑みとともに相手を見据える。
レイドも無駄だと言うことを実感したのか再び発砲することはなかった。
銃から手を放していないのには注意が必要だが、シンジはさほど気にした様子はない。
笑みをやわらかくしたまま瞳を覗き込む。
「別に僕はあなたを殺しにきたわけではありません、少しばかり話をしようと思ったんですよ」
「話? 今更何を……」
「この計画が本当に成功するとでも思っていたんですか」
「ふん、そう思っていなければこんなことするか」
尤もな意見にシンジは苦笑する。
「おまえがただのチルドレンならばこんなことにはならなかった」
「そうかもしれませんね」
「次がある…そう思っていたがお前のその能力の前では何もかも無駄らしいな」
項垂れる、諦めにも似た気持ちが彼を支配していた。
なぜか自然と愚痴も漏れてしまう。
ユミと言う存在はレイドにとって所詮、人質の一人にしか過ぎない。
とりわけ傍にいたということで彼女を利用したのだ。
単に人質と言うならばそれこそシンジにとって他人の存在でもかまわない。
自分が読んだことがある彼の資料には正確の分析も記載されていた。
簡単に言えば他人を傷つけるのが嫌ならば、傷つくのもまた嫌。
ただの繊細な少年だ。
「あなたは…僕のことを買いかぶりすぎてますよ」
黙って聞いていたシンジが頭を振った。
痛みを我慢しているのか顔色は冴えない。
「…僕が嫌なのは誰かが傷つくことではなくて、僕のせいで誰かが傷つくことです。そしてその責任が自分に来ることが恐いだけなんですよ……」
「…………」
「自分に悪意が来るのが嫌だから…自分のためにやっていることです」
目の前で話しているシンジがレイドにとってやけに小さく見えた。
絶大な力をふるい、計画を破綻させて存在なはずなのに。
それとも傷と流れ落ちている血がそう見させているのか。
「もう一つ、気になっていたことがあります。よく僕のことを覚えていましたね?」
消したはずなのに、聞こえないほど小さく呟く。
それこそ資料から映像までありとあらゆるものを失わせた。
人の記憶さえも。
それでも自分の周りにいた人たちの記憶があったのは、シンジの僅かな願望だったのかもしれない。
忘れさせる――――けど忘れて欲しくない。
言葉に出せない気持ちが。
「俺も理由など分かっていない。だが、これは使えると思ったよ。最強のエヴァンゲンリオンを操る存在―――碇シンジを誰も覚えていないということがな。再びエヴァを作り出せば、お前の力でゼーレの威光を取り戻すことができる。それにお前は全てを壊してやりたいと思っていだろう? 自分を助けてはくれない都合のいい大人たちを」
「…そうですね、僕は憎んでいましたよ。でもそれは一時的に、です」
「ほぉ…」
「確かに都合よく扱って都合が悪くなると何もしてくれなかった、それは事実です。でも僕がエヴァに乗っていた時に全力でサポートしてくれたのもまた事実なんですよ。例えそれが自分たちのためだとしてもね。僕の同居人だった人達も段々余裕を無くしていって、仲は険悪になってしまったけど、家族としての楽しさを教えてくれました。それに気付いたから…一方的に憎しみをぶつけることをやめたんです」
「…思っていたよりも冷静だったようだな。見抜けなかったのが俺の敗因か」
肩を落として低い声で笑う。
失敗に対するものか、自分に対する情けなさか、それとも両方か。
鋭さを秘めていた瞳は見る影もない。全てを終えた男がそこにいた。
「これから俺をどうする気だ。殺しはしないし逃がしもしない、そう言っていたな。裁判にでもかけて罪を償わせるつもりか?」
くぐもった笑いを浮かべながら思ってもいないことを口にする。
そんなことはありえないだろう。弁解の余地もなく消されるのは目に見えていた。
ゼーレに関わっているものは今の世界にとって迷惑に他ならない。
さまざまな太いパイプは権力者へと繋がっている。
関わりを知られて困る者たちが多い―――それが現実だ。表に出されることはない。
「ここの施設に何があるか知ってます?」
答えになっていない返答にレイドは不満そうな表情をするが、頭を振った。
「S2機関…その失敗作です」
「それがどうした?」
「失敗作とはいえS2機関ですからね、内にあるエネルギーの奔流は凄いですよ。もし何かの拍子にそれが活動し始めたら…どうなると思います?」
レイドの頭の中に、かつて資料で読んだネルフアメリカ第2支部に於けるS2機関搭載実験中の事故がよぎる。
結果は消滅、そのすさまじさを語っていた。
「まさか…!」
「もう少しで臨界点に達する頃ですかね。爆発か消滅かはわかりませんけど、少なくても半径何十キロかは被害にあいます。ここがそれを想定したかは分かりませんが周りに何もないところでよかった」
逃げられませんよ、と最後に付け加える。
シンジの言うことが本当なら今更何をしても無駄だろう。
もう少しと言うのがどれくらいの長さかは分からないが、逃げられる程余裕がある時間ではない事ぐらい分かる。
クレイジーとレイドの口から零れた。
「で、お前はどうやったか知らんがここに来た様にさっさと逃げるんだろうな」
「いいえ、僕もここに残りますよ」
「…?」
「僕もあなたもこの世界にとっては邪魔なんです。だから共に消えましょう」
自殺願望者としか思えない言葉に絶句する。
今、自分はどんな顔をしているのだろうとレイドは思った。
相手は少しも慌てた様子を見せず、笑みさえ浮かべている。
死を悟ったもの、それ特有の雰囲気が漂っていた。
「殺しもしない、逃げられもしない…なるほどな。だが、俺にも小さいなりにプライドがある」
手にもったままの銃を持ち上げると、シンジへ―――は向けず、自分のこめかみへと銃口を当てた。
「思い通りにいかれるのは癪だな。俺なりのささやかな抵抗だ」
自分の行動にバカらしさを感じるが、瞳は穏やかに落ち着いていた。
狂気に酔いしれた狂人とは違う目つきをしている。
「覚えておけ。お前たちがなんと言おうと俺はゼーレを誇りに思っている。虚偽の情報を流され、衰退した今もそれは変わらない」
「…………」
「先に地獄で待っている」
指は震えることなく、引き金を引いた。
大口径の銃は障害などものともせずに頭を貫通し、ピンク色の脳髄と赤い血を撒き散らす。
笑みを浮かべたまま絶命した男は倒れるその瞬間までシンジから目を離さない。
そしてシンジもまたレイドを悲しみと羨望の眼差しで見つめていた。
床に当たる肉の音と硬い拳銃が床に当たる音を最後に、静寂が再び空間を支配する。
「僕も…あなたのようにできたら、こんな…大げさなことを…しなくて…済んだんでしょうね」
背中を扉に擦り付ける様に体が重力に引かれて沈んでいく。
後を追うかのように扉には赤い後が残っていた。
耐えていた傷の痛みが限界を迎え、口調もたどたどしくなってしまう。
意識が朦朧とし、視界もぶれてくる。
それでも気絶しないのはまだ彼にやることがあったから、伝えなければならないことがあるからだ。
血に濡れた手で音を聞きやすいように懐から通信機を取り出す。
「…加持さん…聞いてるんでしょう?」
「……ああ、気付いていたのか」
「ミサトさんの…甲高い声が…聞こえていましたから」
小さく笑ってはいるが先ほどまでの覇気のある声はない。
「どうしてこんなことをした?」
今の行動も、そしてすべての行動に対する疑問。
自らの破滅を望んでいるとしか思えない。
しかし、シンジの答えは簡単だった。
「どうして…でしょう…ね。そう僕が…思ったらから…かな」
「すまん、もう話さなくていい」
息も絶え絶えに話す様子から、シンジの状態がいかに危ないか悟ったのだろう。
無駄に体を動かせば余計に体力を消耗する。
一言話すのもつらかったはずだ。
「加持…さん…」
「もうしゃべるな」
「僕の…ところに…戻って…こないでください」
僅かに加持の体が揺れる。実際、彼はシンジの元へと向かっていた。
もちろんシンジを連れて行くためだ。
状況が変わった今、より速度を上げて彼の元へと進んでいる。
「そこから…なら…まだ…余波を受けない…範囲まで…戻れます」
「なに言ってるのよシンジ君!」
後部席で喚いていたミサトが通信に割り込む。
が、シンジは変わらない。
「加持さん…は、約束を…破るような…人なんですか?」
「だが…」
「約束は…守ってください」
「くっ…!」
ヘリを急旋回させ、シンジのいる方向と逆へ向かう。
その動きに振り回されながらもミサトはユミの体を支える。
しかしヘリが安定すると操縦している加持へと突っかかった。
「ふざけんじゃないわよ! シンジ君を見捨てる気!?」
「行った所でどうなる…全員死ぬのが落ちだ」
「だからって…!」
「お前の自己満足でその子を殺す気か?」
掴みかかろうとするミサトがはっとする。
隣を見れば未だ眠ったままのユミが横たわっていた。
もしこのままシンジの元へ向かえば、爆発に巻き込まれることになるだろう。
自己満足…その意味の通りの自分はいい、だが彼女はどうなる?
ここで終わってしまえば、シンジのとった行動そのものが意味のなかったことになってしまう。
だからと言ってミサトは納得いかなかった。
ガン!
持て余す気持ちを込めて拳を壁に叩きつける。
しびれるような痛みも今の彼女にとっては何の意味も示さない。
ただ悔しさを余計に感じるだけだった。
「また…! 私は何もしてあげられないじゃない!」
悔しさで涙がこぼれる。
無意味な自分が、無力な自分がどこまでも悔しい。
「どうして、肝心な時に私は何もできないのよぉ……」
作戦部長が、使徒戦で勝利に導いた力が今はなんの役に立つ?何も役に立っていないではないか。
本当に必要な時に発揮できないものにどれほどの意味があるのだろう、自分を苦しめる。
「ミサトさん…」
通信機から小さく自分を呼びかける声。
その人物を抱きしめるようにミサトは胸に抱きとめた。
「ミサトさん…ごめん……」
「なんで…! シンジ君が謝るのよぉ……」
謝りたいのは自分の方だ。謝っても謝っても謝りきれない。
薄れていた―――忘れていたシンジの優しさに心が締め付けられる。
こんな時にでも自分を気遣えるその思いに。
「ミサトさんの…悪い…ところだよ。そう…やって、一人で…背負い込むところ…」
「私は……」
「…ミサトさん…は…なにも悪くないんだから…ね…
子供を包み込む母親のように優しくシンジはミサトに語りかけた。
だから、余計に涙を誘う。
伝わってくる呼吸の感覚が長くなり、静寂が付き纏いだす。
「…リツコさん……この声は…そこにいる人たちに…聞こえてますか?」
「ええ、聞こえているわよ…」
「そう…ですか…」
呼吸を整えているのか、空気の音が聞こえてくる。
シンジは腹部を押さえると、意識をもっていかれないように体に力を入れた。
思ったほど苦痛はない、いや、もう麻痺し始めているのだろう。
すべての感覚が自分のものではなく、他人のもののように感じた。
それでも振絞るように声を吐き出す。
「綾波…アスカ…」
急に呼ばれたことに驚きはしたが、慌てて二人は返事を返した。
「シンジ…」
「碇君…」
二人の声がシンジに届き、僅かだが苦痛を和らげる。
それでも出血は止まらず容赦なくシンジの命を奪っていった。
「二人とも…ごめん…」
「えっ……?」
「ずっと…謝りたかったんだ…」
「あんたが謝る必要ないじゃない…」
「謝りたいのは私たち…」
ミサトの時のようにシンジが謝る意味がわからない。
迷惑をかけて、傷つけたのは自分たちのほうだ。
「公園で言ったことも…二人にそういう態度を取らせていることも…謝りたかった…」
「そういう態度?」
また意味が分からない。
公園で言ったこと…それが嘘を言ってたということなら謝る意味が分かる。
しかし、態度…それは何を指しているのだろう。
シンジの言葉に耳を傾ける。
「二人ともさ、僕と話す時の…様子がらしくないんだよ」
「らしくない…? 何を言っているのか分かんないわよ」
「本当のアスカはもっと強気で物怖じしない、言いたいことはすぐに言ってくれる。それなのに僕と話す時は、何かに怯えるように言葉を選びすぎて、はっきり言ってくれなかったよね。綾波も言葉は少ないけど自分の意見はきちんと言う子なのに、アスカと同じように怯えていた。それに、縋るような目つきをする子じゃなかったよ…」
シンジの言葉がはっきりとしてくる。
それは本来いいことのはずだろう。傷の痛みが和らいで来たとも考えられる。
しかし、この時の様子からはそんなことを誰も感じはしない。
まったく逆で、最後の力を振絞って会話しているとしか思えなかった。
途切れ途切れに淡々と話していた時とは違う熱のこもった声がそう確信させる。
「二人の…態度が変なのは僕のせいなんだよ。僕に悪いって言う心を…持ちすぎている。嫌われないように、傷つけないようにって思って本当の事を言い出せなかっただろ?」
「…………」
沈黙が肯定を表し、シンジは続ける。
「それは…他のみんなにも…言えることだよ。だけど、そうさせている原因が…僕なんだよね。僕が頼りなかったから、そうやってみんなを苦しめる」
小さく息を吐き、見えはしないが悲しい笑みを浮かべた。
はっきり出る言葉とは裏腹に意識が朦朧としてしまう。
「アスカと…綾波に好きって言われた時も本当は嬉しかったんだ。けど、その気持ちをそこで受け入れられることができなかった。もし気持ちを受け入れてしまえば…二人は僕にとって都合のいい二人になってしまうから。嫌われないように、傷つけないように、遠慮がある不自然な関係になるのは目に見えていたから…」
「…………」
「本当は二人のこと……」
「うっさい!」
ドンとたぶん機器を叩いたのだろう音と、アスカの怒声がシンジの聴覚を刺激する。
周りが驚きにシンと静まり返った。
「その先は…帰ってきてから言いなさいよ!」
「碇君、私はそこで言った言葉は…信じない。面と向かって、直接言ってくれないと信じない…だから…帰ってきて…」
便乗するようにレイはシンジに懇願した。
どちらもそれは無理だと分かってはいるが、心のどこかでそれを認めようとはしない。
涙が零れて頬を濡らしてもこれから起こってしまうことを信じたくはなかった。
「あはははっ…その方が二人らしいよ…」
傷をおして笑っているのが痛いほど伝わる。
それでも、どこか昔のシンジがそこにいたような気がした。
「母さん…頼みがあるんだ」
「何?」
言いたいことを言ったのかターゲットを代える。
久しぶりに話しかけられたことにユイの気持ちは揺らいだ。
「助けた子…ユミちゃんのこと頼めるかな。きっと彼女は自分のせいでって思い込んでしまうから。ユミちゃんのお父さんが慰めると思うけど、男では駄目なこともきっと出てくるからさ。そのときユミちゃんを助けてあげてほしいんだ…」
「…分かったわ、期待に応えられるようにして見せるから」
一瞬、無理だと言う言葉が喉から出かかった。
ろくに母親もできず、夫のことも分かってやれなかった自分にそれができるとは思えない。
しかし、断ることなどできない。
「母さんに頼み事するのって…これが初めてなんだよね」
「そうね」
最初で最後のお願い。
もう二度と自分の息子と言葉を重ねることはないのだろう。
あまりにもそれは残酷すぎた。
耐えられない嗚咽が口元から漏れ、足を支えるだけの力を伝えない。
その場にユイは泣き崩れてしまった。
「本当は…もっと…いろいろ…話したいこと…が…あったんだけど…無理…みたいだね」
視界が動き、頭のあたりに衝撃を感じる。
何が起こったのかシンジにはわからなかった。
目の前のものが横に移ってるのが再び視界に移った時、ようやく自分の状態を理解する。
(倒れたんだ……)
重心が体の右側へと移ったのだろう。
支えることができず、バランスをくずした体が右側へと倒れこんでいる。
頭への衝撃は受身も取らず床にぶつかったものだ。
不思議ともう痛みはなかった。
どうしてと考えるのも面倒になる。
通信機から声が聞こえてくるが、何を言っているのか理解することはできなかった。
もうすぐ自分は死ぬのだろう。
だが、それよりも先に爆発が自分の体を消し飛ばしている―――冷静に判断していた。
(先に地獄で待っている…か…)
レイドの言葉が思い浮かぶ。
本当にそこで会えそうな気がした―――根拠があるわけではないが。
そして自分にはそれが相応しいと思う。
ぼやける視界でなぜか涙が零れる。
シンジが最後に見たのは自分の涙だった。
ガリッっという音と共に通信機からノイズだけが聞こえてくる。
それはすなわち、通信機が壊れていることを示していた。
「ちょっと…シンジ?」
「碇君…」
「シンジ君!」
呼んでも言葉は返らず、空しく砂嵐の音だけが響いてくる。
幾度呼んでもそれは変わらない……それでも諦めることなく名前を呼び続けた。
無駄だと分かっていても止めるものはいない。
痛いほどに気持ちは分かるのだ。
夜には眩しい閃光が闇を照らし、大地を照らす。
遠い場所に光る灼熱の明かりがヘリから見えていた。
大切な人が消えたその場所は…何も残さないだろう。
「シンジさん…」
眠ったままの…何も知らないはずのユミの瞳から涙が零れ―――シートに吸い込まれていった。
あとがきというなの戯言
O:140000HIT(今更)ってことで・・・さらば!
S:あ…逃げた。
O:ズボッ ぬぁ…急に地面に穴が…ぬ、抜け出せない!
まさか…地球空洞説!?
……ってそんな冗談を言っている場合ではない。これはまさしく罠だ!
おにょれ、あいつらめ!
A:ほほぅ…あいつら?
R:まさか…
Y:私たちのことじゃないですよね〜
O:びくぅ…なにをおっしゃっているのですか。そんなこと思っていませんよ。
A:へぇ〜
O:まったく性悪どもめ…おちおち後書きもできないじゃないか。
(あなたさまがたにそんなことをいうやつは僕自ら成敗してやりますよ!)
R:本音と建前が逆…
O:な、なにぃ! しまった!
Y:成敗。
ゴス! ボコ! グシャ! メキッ!・・・・etc
A:ふん、自業自得よ!
R:主役を殺すなんて最低ね…
Y:作者失格。
スタスタスタ(足音が遠ざかる)
O:ふふふふ・…き、今日はただでは終わらんぞぉ〜
死ぬなんて生易しい終わり方をしてやるものか。もがけ苦しめ、哀れみを乞え〜〜〜ガクッ
S:この作者…断罪シンジより性質悪いや。
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