2月14日。
日本においてこれは重要なイベントが起こる日。
日本で生まれてこのイベントを知らないものはいないはずだった。
…一人の少女の除いて。

「…何をみんな騒いでいるの?」





メイドなレイちゃん


バレンタインデー…それは聖戦なの





綾波レイの朝は早い。
自らを碇シンジのメイドというように一切の家事をこなしている。
当然朝食の用意も含まれており、そのためには早起きが必須だ。
しかし低血圧のレイにとってそれは至難の技。
無理やり起きたとしてもなかなか頭に血液が回らず、ぼ〜っとしてしまう。
それに加えて、窓から射しこむ日の光がよりいっそう眠気を深める。
今までの生活のサイクルから考えるとレイが早起きすることは難しかった。
―――尤もそれは昨日までの話だ。

プシュ

玄関のドアが開き、誰かが入ってくる。
このマンションにおいてレイの部屋に入ってくる人物には限りがある。
隣に住んでいる葛城家だ。
そして、その中から来る人物のことを考えるとこの時間に来る人物は一人しか考えられない。
ミサトは間違いなく爆睡中であり、アスカもそうだろう。
アスカはもともと規則正しい生活だったが、シンジが家事をすることによって生活にゆとりができ、ゆっくりと睡眠をとるようになった。
ミサトのズボラが伝染したということもありえるが。
このような状況から考えるとレイの部屋へ行く人物はシンジと限定される。

コンコン

部屋のドアがノックされ、まどろんでいた意識を覚醒させる声が聞こえてくる。
「綾波、入るよ」
ゆっくりとドアを開ける。
起こしに来たとはいえ、女性の部屋に入るので気を配っているようだ。
当の少女とはいうと、当然のように眠りについている。
(よく寝てるなぁ…でも起こさないと)
ベットへと近づき、大きすぎない声で呼びかける。
「綾波、朝だよ。起きて」
「ん…」
小さく反応をおこすとうっすらと目を開けだす。
「おはよう、綾波」
ぽ〜っとシンジの顔を見つめる。
まだ完全に覚醒していないようだ。
(…碇君?)
ようやく状況の確認ができると表情が一転して幸せそうになる。
朝起きてすぐに愛しい彼の顔があれば彼女にとっては充分な喜びだ。
「おはよう…碇君」
たっぷりと幸せをかみ締め愛しいその名を呼ぶ。
「うん、それじゃあ着替えてから来てね」
「分かったわ」
そう言い残すと、自分の部屋へと戻っていく。
シンジがいなくなるのを見計らうと、のろのろとベットから立ち上がりクローゼットへと向かう。
水色のパジャマに手をかけ丁寧に脱いでいく。
シンジから買ってもらった大切な服だから。
綺麗に折りたたむと制服を取り出し、袖を通す。
学校がある日にメイド服を着るほど分別がないわけではない。
シンジが着て欲しいと言えば間違いなく着てしまうだろうが。
鏡で容姿を確認すると次は鞄に向かって必要なものを詰め込む。
全ての準備が終わるとさっさと玄関に向かい、カードキーでロックをして隣の部屋へと行く。
レイにとってこの部屋は睡眠を取る場所でしかない。
自分の居場所は隣にあるはずだから、そう思っているから。






「綾波、食器を持ってきて」
「はい」
こんな調子で作業が進む。
レイは全て自分がやると言ったのだが、シンジは拒否した。
気持ちは嬉しいけれど、全て任せるには気が引ける。
それに家事は自分の生活の一部になっているからという理由で。
そこまで言われては引き下がるしかなく、しぶしぶ了承した。
だがレイにとって重要なのはシンジといるということなので、結果的にはいい効果を生み出した。
ともに作業することが嬉しくてたまらない、その様子が見ていても伝わってくる。
…ちょっとだけ雑念もはいっているが。
(頑張れば碇君に褒めてもらえる)
純粋培養な子だ。
二人の共同作業により朝食の準備はすぐに終わる。
となるとあとはそれを食べる人物を起こすだけだ。
「朝食の準備はもういいから、ミサトさんとアスカを起こしてきてくれるかな?」
「はい」
ぱたぱたとスリッパが床に当たる音を出しながら、駆け気味に二人の部屋へと向かう。
シンジがレイに二人を起こすように頼んだのには訳がある。
ミサトは下着のまま寝ることが多く、目のやり場に困ってしまう。
慣れたとはいえやっぱり恥ずかしい。
アスカのほうは起こしたら起こしたで、拳や蹴りがとんでくる。
起こしに来たのにその仕打ちはあまりにもひどい。
(大丈夫だよね…綾波なら。たぶん……)
そうは思うが、やっぱりちょっと心配だったりする。


ミサトの部屋

「葛城三佐、起きてください」
「う〜、もう少しだけ…」
なかなか起きようとしない。
寝返りをうつと、また眠りにつこうとする。
(せっかく作った碇君の朝食が冷めてしまう…)
ミサトのことよりそこが重要らしい。
「それでは、朝食はなしでいいんですね」

ピクッ

ミサトの体が反応を見せる。
寝そべっていた体を日頃のズボラからは想像できない速さで起こす。
「な〜に言ってるのかなぁ、私がシンちゃんの料理を食べないわけないじゃない」
「そうですか、なら早く起きてください」
用件だけを伝えるとアスカの部屋へと向かいだす。
が、途中で足を止めミサトのほうへ振り返る。
「…その格好で碇君の前に来ないでください」
レイの絶対零度の視線がミサトを貫く。
「は、はひ」
作戦部長の威厳はどこにいったのかその視線に硬直して体が動かなくなっている。
(リ、リツコより怖い…これからは気をつけないと)
固まった表情で心に決めていた。


アスカの部屋

(サルを起こす必要はない…でも碇君の頼みを断るわけにはいかないわ)
しぶしぶというかかなり嫌だったがシンジのためと割り切る。
幸せそうに枕を抱いて眠っているアスカの元へ近づき、体を覆っているシーツを引き剥がす。
「起きなさい、弐号機パイロット」
なぜか命令口調。
それに答えるかのようにアスカの蹴りが眠りを妨げるものを反射的に攻撃する。

ブォン

音が聞こえるような蹴りを軽い動作でかわすと、かなりムッとした様子でアスカを睨む。
「そう、そういうことするのね」
「…………」
アスカは眠ったままだ。
「サルはしつこい、サルは用済み、碇君が言っていたわ…」
再びアスカに近づくと耳元に囁くように語る。
レイの言うようなことはもちろんシンジが言うわけがない。
彼女自身が思っていることだ。
「だ〜れが用済みですって〜〜〜〜!」
自分に対する暴言に一気に眠りから覚醒する。
びしっと指先をレイに向け、一気にまくし立てはじめた。
「誰がしつこいって? 誰が用済みだって? そもそもなんであんたが起こしに来るのよ!」
「碇君に頼まれたもの。そうでなければ貴方なんか起こしに来ないわ」
「私だってあんたに起こしてもらいたくないわよ、私を起こすのはシンジの役目なの!」
「碇君は忙しいの。あなたなんかに構っている暇はないわ」
互いの主張がぶつかり合う。
アスカはどうしても譲るわけにはいかないのだ。
自分の寝顔を見てもいいのはシンジだけで、起こしに来ていいのもシンジだけ。
レイと同じようにシンジに起こされるのは至福なのだ。
それをみすみすなくすわけにはいかない。
ただでさえレイがシンジといる時間増えている中、これ以上自分とシンジの時間を削られてはたまったものではない。
「どうやら、あんたとは決着をつけないといけないようね」
「そうね、私も思っていたわ…」
「意外と気が合うわね」
「ええ」
引きつった笑顔で笑いあう二人。当然友好的なものではない。
マングースとハブ、サルとイヌ、ア○ロとシ○ア、ト○ーズと五○…etcそんな感じだ。
ぶつかりあう、そう思われたとき一つの光明が現れた。
「何やってんだよ、ご飯が冷めちゃうだろ!」
シンジだ。
「い、碇君…」
「シ、シンジ…」
普段の温和な雰囲気とは別格のものを放っている。
日頃はあまり怒らないが、家事となると別だ。
特に料理に対しては並々ならぬ意欲を持っており、せっかく作ったものを冷めさせてしまうなんてもってのほかだ。
「綾波もアスカも何やってるんだよ! ケンカするなら出て行ってもらうよ!」
シンジの剣幕に気圧される。
先ほどまでのけんかが嘘のようになくなり、二人が小さく縮こまる。
「ごめんなさい…」
「悪かったわよ」
「だったら二人とも早く来てよね! まったく…」
かなりお冠だったようでその場で愚痴を言いながら去っていく。
台所を制するものは家庭を制す…よくできた言葉だ。
二人は身を持って体験することとなった。
「ファースト、一時休戦よ」
「ええ、碇君に怒られたくないもの」
その言葉に偽りはない。シンジのことでけんかになってシンジに嫌われては元も子もないのだ。
互いに頷くと、急いでダイニングルームへと駆け出した。






朝から一波乱あったが、二人が謝ることにより事態は解決した。
ミサトは意外なシンジの一面に驚きはしたが「さすがおっとこのこ〜」とからかっていた。
学校へつく頃にはシンジの機嫌も直り、いつもどおりの調子を取り戻した。
「なんや? 綾波と惣流のやつ随分とおとしゅうなっとるな」
「そうかな、いつもあんなものじゃない?」
原因を作った本人はさほど気にしていないようだ。
トウジのほうも細かいことにはこだわらないのでその話題から離れる。
「シンジがそう言うならそうなんやろな。それにしても女子が騒がしいのぉ」
「そうだね、ときどきこっちをちらちらと見てるし…何なのかな?」
「…本気で言ってるのか二人とも?」
じと目でこちらを見るケンスケ。
殺気がこもっているのは気のせいだろうか。
「どうしたんや、なんかあるんか?」
「…ふぅ、鈍いよな二人とも…もうすぐ2月14日だぜ?」
「…………?」
「…………?」
まったく分かっていない。
心底分からないといった顔でケンスケを見る。
深いため息をつきながら鈍感な二人のために眼鏡の少年は話し始めた。
「あのなぁ、バレンタインだよ。バ・レ・ン・タ・イ・ン」
「…そういえばそうやな」
「…そういうのがあったね」
二人の友人の淡白な反応に顔をしかめる。
この二人にチョコをあげる人物に心当たりがあるのでなおさら、その様子に疑問を抱く。
「なんでそんなに反応が薄いんだ?」
「なんでって…僕にはそういうの無縁だったし…」
「わしもや。くれるのなんか妹くらいやで? いまさら気にしたってどうにもならへんわ」
「はぁ、この二人は…けどな、今年は事情が違うんだ」
「どういうこと?」
「今年の2月14日は日曜日なんだよ。だから女子は学校で渡すことができないで困ってるんだ」
ケンスケの言うとおり、2016年の2月14日は日曜日。
学校で渡すというものが使えないのは女性にとってはいたい。
直接家まで届けるのには勇気がいるからだ。
「そないなこと気にしてどうするんや。細かいことは気にしないで当たって砕けろや」
「それじゃ、だめじゃないか…」
「みんながそういう行動に出れたら誰も困らないよ」
うむ、名言だ。
そんな3バカの会話と同じくして、アスカのほうもバレンタインの話題にのっていた。
「みんな何を騒いでいるの、たかがバレンタインじゃない?」
「何って…アスカ、バレンタインなのよ?」
こちらもシンジと同じように分からないようだ。
首を傾げる仕草はかわいいが、ヒカリはそれどころではない。
「バレンタインなのよ! 女性にとって一大決心の日じゃない」
「はぁ?」
「好きな人にチョコと一緒に告白する日なのよ」
「ええっ!!」
ガタンと椅子を倒して立ち上がる。
突然声を上げたアスカに周りの注目が集まる。
さすがのアスカもそれには声をひそめて話し出す。
「どういうことよ、ヒカリ。バレンタインは親しい人や恋人とプレゼント交換をしたりするものでしょ?」
「え、そ、そうなの? 日本ではチョコと告白があたりまえなんだけど…」
「なんなのよ、それは。日本は相変わらず訳分かんないことするはね…」
そうはいうものの内心は焦っていた。
親しいものに対する簡単なものは用意していたが、まさかチョコまでは考えていなかった。
それにこういうものは手作りが一番いい。
しかし、そのためにはあまりに時間がなかった。
明日はシンクロテストに、明後日にはバレンタイン当日。
いまさら作れるような知識も器用さもない自分には難しい話だ。
ならば買えばいいのでは? と思うが、今行ったところで大量生産のものしか購入できないだろう。
どうせ本命として上げるなら、他人とは違う立派なものにしたいものだ。
まさしく八方塞がりとなってしまった。
残された手段は…
(…ヒカリに頼るしかないわね)
ゲンドウなみの不気味な笑みを浮かべヒカリの肩をつかむ。
「ひっ!」
「ヒカリは協力してくれるわよねぇ、親友だもの」
「も、もちろんよ! 親友の頼みなら断るわけないじゃない。いえ、ぜひやらせてもらうわ!」
(…まだ、死にたくないもの〜)
本当に八方塞がりなのはヒカリなのかもしれない。



一方もう一人の少女――綾波レイも困っていた。
(バレンタイン…重要なことなの?)
首を傾げて思考の海に沈みこむ。
街に食事の材料を購入に出たときにそのような広告はたくさんあった。
だが、それを気にしたことはない。
商品の宣伝くらいにしか思っていなかったからだ。
それがどうだろう、教室内の女子を見た限りそれだけとは思えないものがある。
それゆえに今彼女は困っていた。
誰に聞けば…
(女子の反応を見た限り、男子に聞くのは適切ではない。サルには聞く気はないし、洞木さんはサルに脅されている。赤木博士はマッドだし葛城三佐はビア樽、伊吹2尉はレズらしいし……)
頼りになる人物がいない。
また思考の海に沈み込もうとしたとき、一つの助け舟が思い出された。
(カズハさん……)
彼女なら教えてくれる。
なぜかそう確信できた。
(学校が終わり次第聞きに行こう)
シンジと一緒に帰るのを放棄してまで聞きに行く価値があるのかと思ったが、頭の中で警鐘がなっている。
そうしなければ後悔してしまうような気がしたから。






「いらっしゃいませ…ってレイちゃん?」
カズハの目に飛び込んできたのは息を切らしているレイの姿だった。
どうやらここまで駆けてきたらしい。
(何か急ぎの用事みたいね)
服を取りに来た日…あの日を思い出す。
この子は目の前のことに夢中になるとほかに目が行かなくなる。
そんなところがまた可愛いと思ってしまう。
「どうしたの、何か聞きたいことがあるみたいだけど?」
赤い瞳をこちらに向け、じっと凝視してくる。
レイがこういう表情をするときは何か聞きたい場合だ。
「…バレンタインとはどういうものなのですか?」
「ふぇ?」
いつもながら突然だ。
前回のときといい突拍子もない話題を出してくる。
「え〜と、どういう意味なのかしら?」
「最近バレンタインという言葉をよく耳にします。それが何をするのか私は知りません」
「…そういうことね」
何かと常識が抜けている…もう慣れてしまったが。
説明といわれればどこから話せばいいか迷ってしまう。
チョコを渡す日と簡潔に言ってしまえば、なぜこの日になんですか? と言われそうだからだ。
少しの間考えたが、結局全部話すことにした。
「レイちゃん、ちょっと長くなるけどいい?」
「はい」
分かったわといい、入り口のドアへ向かいかかっている札をCLOSEの札にひっくり返す。
「それじゃあ、まずは由来から話さないとね」
傍にある椅子に腰掛けて自分の中にある知識を思い起こす。
カズハが言うにはこういうことらしい。
バレンタイン・デーは英語では「Saint Valentine’s Day」と言い、訳せば「聖バレンタインの日」という意味になる。
つまりバレンタインというのは人の名前のこと。どんな人だったかというと……

西暦3世紀のローマ、皇帝クラウディウス二世(在位268−270)は若者たちがなかなか戦争に出たがらないので手を焼いていた。
その理由は彼らが自分の家族や愛する者たちを去りたくないからだと確信するようになったクラウディウスは、ついに結婚を禁止してしまった。
ところがインテラムナ(イタリア中部にある町で、現在のテラモ)のキリスト教司祭であるバレンチノ(英語読みではバレンタイン)は、かわいそうな兵士たちをみかねて内緒で結婚をさせていた。
しかしそれが皇帝の知るところとなってしまった。
しかも当時のローマでは、キリスト教が迫害されていた。
皇帝はバレンチノに罪を認めさせてローマの宗教に改宗させようとしたが、バレンチノはそれを拒否した。
そこで投獄され、ついには西暦270年2月14日に処刑されてしまったのだ。(269年という説もある)
イタリアのテルニ市にも、バレンタイン司教によるもうひとつの「愛の伝説」が残されている。
こちらも紀元3世紀、ローマでキリスト教が弾圧されていた時代のこと。
あるローマ軍兵士がキリスト教徒の娘と恋に落ちた。
2人は結婚をしようと思ったが、当時のローマではローマ軍兵士がキリスト教徒と結婚することは許されていなかった。
しかし、兵士は愛する娘との結婚を選んだ。
この時、2人のために洗礼を行なったのが、テルニの司教・バレンタイン。
そのためにバレンタインはローマ帝国からの迫害をうけることになり、キリスト教の愛の殉教者として2月14日にその生涯を終えた。
ローマ皇帝に迫害され投獄されたバレンタインは、獄中でも恐れずに看守たちに引き続き神の愛を語り続ける。
その結果、獄中で多くの若者達の支持を得た。
看守の娘のひとりもバレンタインに同情し父親の許しを得て、獄中のバレンタインの元を訪れ彼を勇気づけ励ましました。
彼女は目が不自由だったがバレンチノが彼女のために祈ると、奇跡的に目が見えるようになった。
2人は時には何時間も語り合い、深い信頼と友愛でむすばれた。
しかし、皮肉にもこのできごとによりバレンチノは処刑されてしまう。、
処刑の前日、バレンタインは友人を通して娘に1通の手紙を贈る。
手紙には娘に対する感謝の言葉がしるされていた。
そして最後にこう書いてあった。
「…あなたのバレンタインより愛を込めて」

ここでカズハは一息をつく。
「悲しい話…どうしてこの人は処刑されなければいけないのですか? 彼は何も悪いことはしていません」
「…時代が許さないこともあるのよ。今でこそは平和だからいえるけれど、あの時代ではそうではなかったの。それが理不尽な理由だとしても」
レイには納得がいかないようだ。
確かに今の考え方ではこんなことはおこらない。
それゆえに理解することができないのだろう。
「話を続けるわね」



ローマではルペルクスという豊穣(ほうじょう)の神のためにルペルカーリアという祭が何百年ものあいだ行われていた。
毎年2月14日の夕方になると若い未婚女性たちの名前が書かれた紙が入れ物に入れられ、祭が始まる翌15日には男性たちがその紙を引いて、あたった娘と祭の間、時には1年間も付き合いをするというものだ。
翌年になると、また同じようにくじ引きをする。
496年になって、若者たちの風紀の乱れを憂えた当時の教皇ゲラシウス一世はルペルカーリア祭を禁じた。
その代わりに違った方法のくじ引きを始めた。
それは女性の代わりに聖人の名前を引かせ、1年間のあいだその聖人の人生にならった生き方をするように励ますもの。
そして、200年ほど前のちょうどこのお祭りの頃に殉教していた聖バレンチノを新しい行事の守護聖人とした。
次第に、この日に恋人たちが贈り物やカードを交換するようになっていったのだ。
そのうち、若い男性が自分の好きな女性に愛の気持ちをつづった手紙を2月14日に出すようになり、これが次第に広まって行った。
現存する最古のものは、1400年代初頭にロンドン塔に幽閉されていたフランスの詩人が妻に書いたもので大英博物館に保存されている。
しばらくたつとカードがよく使われるようになり、現在では男女ともお互いにバレンタイン・カードを出すようになった。
バレンチノがしたように「あなたのバレンタインより」(From Your Valentine)と書いたり、「わたしのバレンタインになって」(Be My Valentine)と書いたりすることもある。
恋人たちが交換するといったが、一概にはそうでもない。
欧米では親しいものに対してもプレゼント交換をしていたりしている。



「バレンタインは恋人たちのイベント…」
「まぁ、そういうことね。日本の場合は好きな男性にチョコをあげて思いを告白をするのが一般的なの」
「? なぜチョコなのですか。カズハさんの話には一言もチョコのことが出てきていません」
「う〜んと、それは……」
今までの真面目にしていた表情がくずれる。
「女性が男性にあげるという習慣も日本独自のものなのだけど、チョコにした理由も独特の理由があるの。
それは……」
「それは?」
「1958年に東京都内のデパートで開かれたバレンタイン・セールで、チョコレート業者が行ったキャンペーンが始まりらしいの。そして今ではチョコレートといえばバレンタイン・デーの象徴のようになってしまったのよ」
「…………」
今までの感動的な話とのギャップに何も言えなくなる。
苦笑いをしながらカズハはさらに追いうちをかける。
「クリスマスもそうだけど、キリスト教になじみの薄い日本では本来の意味が忘れられて、セールスに利用されがちなのよ」
そして、目線を少し落とす。
「自分の命を犠牲にしてまで神の愛を伝え、実践したバレンチノ。……そんな話があるのにね」
場の雰囲気が少ししんみりする。
その感じを読み取ってカズハは明るくしようとする。
「結果的にはいいイベントになったのだから問題はないけど。レイちゃんも頑張らないとだめよ」
「何を…ですか?」
「さっき話したことを忘れたの? 『好きな男性にチョコを渡して思いを告白する』のよ。碇君にあげるのでしょう?」
「あ……」
一気に顔が赤くなる。
そんな反応に気をよくし、早速行動へと移そうとする。
「ふふ…じゃあレイちゃんのためにお姉さんが一肌脱がないと」
椅子から立ち上がり、顔を赤くしたままのレイを引っ張って店の奥へと向かう。
そこにはキッチンがあり、ちょっとした広さがあった。
ここでチョコを作る気なのだろうか?
「レイちゃん、早速だけどチョコの作り方を教えるわ。昔から人間というものは手作りに弱いの。レイちゃんの手作りなら碇君も喜んでくれるわ」
レイの弱点を攻める。
シンジの名前を出されてしまうとどうしても興味がいってしまう。
素直にカズハの言うことを聞く。
「普通のチョコでもいいけどそれだけじゃつまらないわね…ん〜ショコラトルテがいいかな。ハート型にすればよりいいわね。材料は…と」
 無塩バター  …  50 g
 砂糖  …  25 g
 バニラオイル  …  少々
 レモン(皮すりおろし)  …  1/4 個分
 卵黄  …  4 個分
 チョコレート  …  40 g
 小麦粉/薄力粉  …  45 g
[メレンゲ]    
 卵白  …  2 個分
 砂糖  …  35 g
[仕上げ]    
 チョコレート(洋生)  …  150 g
 アプリコット  …  適量
 ラム酒  …  少々
 マジパン  …  適量
 食用着色料  …  少々
 粉糖  …  少々


「こんなところかしら。一人分より少し多めだけど男の子なら大丈夫ね。レイちゃんしっかり覚えるのよ」
いつのまにやら片手にメモを持ちしっかりと書き込んでいる。
その目はいつになく真剣だ。
「よろしい。それでは一緒に作って覚えましょう」
「はい」
なんだか師匠と弟子のような関係が出来上がっている。
恋する乙女はもはや止まることを知らないようだ。
「まずは材料の計量。用意してしてしまったけどこれは重要よ」
「はい」
「下準備に薄力粉はふるっておいて、バターは室温に戻す。
型の底にオーブンペーパーを敷き、側面にバターを塗り、強力粉をはたく。
そして、コーティング用の洋生チョコレートを細かく刻み、40〜50℃の湯せんで溶かす」
流れるような動作ですべての作業をこなす。
「ここまでが下準備よ。さっそくとりかかるわね」
室温にもどした無塩バターをボールに入れて泡立て器でクリーム状にし、砂糖を加えて混ぜる。
湯せんで溶かしてからさましたチョコレートを加えて混ぜ合わせる。
卵を割ると卵黄と卵白を分け、卵黄を1個ずつ混ぜながら加えていく。
バニラオイル、レモン皮すりおろしを混ぜる。
卵白を泡立て、砂糖を加えてさらに泡立ててメレンゲを作り1/3量を加えて混ぜる。
薄力粉を1/2量加えてゴムべらで混ぜ、1/3量のメレンゲ、薄力粉の残り、メレンゲの残りを順に加えて混ぜていく。
下準備した型に流し入れてゴムべらでていねいにのばす。
160〜165℃のオーブンで約30分焼く。
アプリコットジャムをラム酒で溶いて煮つめる。
焼き上がって荒熱をとったケーキの上面と側面に、はけで先ほど煮詰めたものを塗る。
湯せんで溶いたチョコレートを表面に回しかける。
ケーキを網にのせ、傾けるようにして、側面にも均一にかける。
チョコレートはどろどろに溶かしておかないと、流す途中で固まってしまう。
台の上に粉砂糖をふり、その上でマジパンを練る。
食用着色料を入れて包み込んで、さらに練る。
マジパン全体に色が均一に混ざったら、平らにのばして型で抜き上に飾る。
ここまでの時間は準備20分、生地20分、焼く30分、仕上げ30分とベストな時間で終わらせている。
レイのほうはやや遅れてはいたが、初めてにしてはよくできているほうだ。
それを見たカズハが驚きながらも関心する。
「初めてなのにすごいわね…味のほうは……」
一口サイズにナイフでカットして口へと運ぶ。
「ん…合格点ね、これなら大丈夫」
「…本当ですか」
「もちろんよ、碇君も喜んでくれるわ。後は自分なりに工夫すればよりいいわね」
「工夫?」
「文字で『好き』と書くとか」
それはちょっとできないような気がする。
もし断られてしまったら自分の居場所がなくなるから。
「レイちゃんに判断は任せるけれど。でも、頑張ってね」
レイの気持ちを察してそれでも応援する。
「…はい」
「細かいところも直さないとね。今日は徹底的に教えるつもりだから覚悟していてね」
そんなカズハの優しさがとてもうれしい。
後押しがあれば私は頑張れる。
カズハさんのためにも、碇君のためにも。






土曜日

アスカが言うとおりシンクロテストがある。
細かいデータを取るために午前中から始まっていた。
この事態がアスカとレイの二人の心をを焦らせる。
(早く終わりなさいよ〜)
(……まだなの?)
恋する乙女の前では世界の安全よりバレンタインが優先されるのだ。
微妙な心の変化はシンクロ率にも影響が出る。
モニター越しに変化を見ているリツコはそれを見逃さない。
「何やってるの二人とも? 集中しなさい」
「すみません」
「…はい」
素直に謝ってはいるが内心はぐっと堪えている。
(30の女には明日の重要性が分かっていないのよ!)
(赤木博士は髭の相手でもしてればいいのに…)
聞かれていたら改造でもされてしまうような内容だ。
そして、何より二人の心を焦らせるのはシンジの様子。
ネルフにくるなり女性職員からチョコをかなりの数で貰っていた。
シンジに日頃負担をかけているためという恩があるからだろう。
それくらいのことはしないと悪い気がする。
かといって、そればかりでもない。
中にはシンジのために本当に作ってきているショタな人もいる。
鈍いシンジに気づかれないで玉砕しているが。
そこまでは何とか許せる。
二人が許せないのはそのときのシンジのうれしそうな顔だ。
自分以外の女性に貰って嬉しそうにしているのは気に食わない。
それが自分の我侭だとしても。
(明日見てなさいよ、シンジ!)
(碇君…)
明日は本番。
彼女たちは明日にすべてをかけることにした。






バレンタイン当日。
シンクロテストが終わるなり二人は準備にとりかかっていた。
アスカはヒカリの家で泊り込み、レイは自分の部屋で。
その甲斐があったのが会心の出来となっていた。
後は渡すだけ…
が、そのきっかけがつかめない。
二人とも素直に渡せないのだ。
自分の性格がこんな時に邪魔をする。
(どうすればいいのよ〜)
(…碇君)
気持ちをよそに時間は刻々と過ぎていく。
気づけば辺りは暗闇のベールに包まれ日が届かない時間となっていた。
「…………」
いつになく静かな夕食が進む。
テレビから聞こえてくる音とミサトのビールを飲む音がやたらと大きく聞こえる。
ミサトが話題を振ってもアスカは相槌しかうたない。
静けさが似合わない彼女はこの雰囲気に耐えられないでいた。
もちろんシンジも同じだ。
(ミサトさん、なにかあったんですか?)
(知らないわよ〜シンちゃんのほうこそ心当たりがあるんじゃない?)
レイたちに聞こえないように小さな声で会話をする。
(ああ〜もう!)
いつまでも静かな様子にミサトの神経が切れようとしたその時。
「…碇君」
「な、何?」
沈黙を保っていたレイがシンジの名を呼ぶ。
目がいつになく真剣だ。
「碇君に渡したいものがあるの」
「僕に?」
椅子から立ち上がり、部屋から出て行く。
わずかな時間で戻ってくるとその手にはひとつの箱が乗っていた。
少し戸惑いながらも神事に向けて差し出す。
「…これ」
「開けてみてもいい?」
レイの手から受け取り、ラッピングされた箱を丁寧に開けていく。
静かに箱を開けたその先にはきれいにハートの形をしたショコラトルテが。
「綾波が作ったの?」
「うん、今日はバレンタインだから……」
恥ずかしそうにもじもじとする。
レイにとっては一大決心なのだ。
その様子が可愛くシンジの心にヒットする。
まさか貰えるとは思っていなかっただけに素直に喜んでしまう。
「……うれしいよ、綾波に貰えるなんて思ってなかったから」
「…碇君」
甘い雰囲気が漂う。
レイにとってシンジからの言葉は至福以外のなにものではない。
(そういうことね〜)
横から見ているミサトにはようやく二人が静かだった訳が分かった。
そうなると気になるのはもう一人の少女。
すっかり渡すタイミングをなくして呆然としている。
(助け舟を出してあげますか)
家族と称するこの少女にもがんばってもらいたいのだ。
「あら〜アスカはあげないの? ドイツでもお世話になっている人にはあげるんでしょ」
あえて好きな人ではなく、お世話になっている人と言う。
こういえばアスカも渡しやすくなるというものだ。
その意図を掴み、ようやくアスカも行動に移す。
「あ、当たり前じゃない! 日ごろ家事をやってもらっているお礼よ。義理よ義理!」
いそいでバックの中から取り出す様子はとてもそうは見えない。
きれいにラッピングされた箱を取り出す。
「はい!」
シンジのほうは見ずに片手で箱を渡す。
アスカらしいな〜と思ってしまう。
レイのときと同じように丁寧に開けていく。
そこには形が多少崩れているがチョコレートケーキがあった。
形から見て手作りであることがわかる。
それがまた嬉しい。
「ありがとうアスカ、義理でもうれしいよ」
額面どおりの言葉を受け取る。
鈍感ここに極めたりといった感じだ。
(ちがうのよ〜シンジ〜)
かっていながらもここまでだと思っていなかったアスカはもろくも崩れ去る。
得をしたのは素直に渡したレイだ。
アスカは真っ白に燃え尽きて何かをぶつぶつと言っている。
その隣ではシンジの言葉に爆笑して腹を抱えて笑っているミサト。
リツコがいたならこういうだろう。
『無様ね……』と。
そんな人物を無視してレイは話をすすめる。
「碇君、食べてみて」
レイの手によってカットされ、皿の上に置く。
シンジがフォークを持ち小さく取るとそれを口に運ぶ。
固唾を飲みそれを見つめる。
「うん、おいしいよ」
食べ終えたシンジが一言いう。
その一言が彼女を救う。
その言葉を聞きたいために頑張ったのだから。
文字に「好き」という言葉を乗せられなかったかわりに。
シンジは気づいていないだろう。
ショコラトルテの裏に
『大切なあなたに』
とかかれていたことを。
すべてを食べ終えてもそれは知られることはない。
伝えられない大切な思いを…
いつか自分の口から言うために―――あなたへ。








あとがきというなの戯言

O:長! 長いよ。今までで一番長い。
R:だから遅れたのね…
O:ギクッ! そ、そんなことはないさ〜あははははは
R:じ〜〜〜〜
O:・・・はい、おっしゃるとおりです。
  実はバレンタインの由来を思い出すのに時間がかかったもので。
R:長々と書いているものね。それにしてもよく知っていたの…
O:我ながらよく覚えていたものだ。
  昔は戦後貧しいときにアメリカ兵がチョコを渡したのが始まりといものを信じていた。
  嘘だったんだね。やはり自分で調べることが一番だ。
R:まぁいいの。碇君に喜んでもらえたから…
K:ほんとうに良かったわね、レイちゃん。
O:出たよ…
K:でも、素直に表に書けばよかったのでは?
R:…恥ずかしいの
O:その通り、大胆で明朗活発なのはリナレイのほうで十分だ。
k:(無視)恥ずかしがっていてはだめよ。
  私が夫に渡すときはきちんと書いているもの。
  そうすると、きゅっと抱きしめてくれるの…(トリップ中)
O:ああ〜あっちの世界へ行ってしまった。
R:きゅっと抱きしめてもらう…碇君に…(同じくトリップ中)
O:だめだ、こりゃ。
  お次は7000か8000で。
R:碇君に…
K:あの人に…



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