Spiral Of The Thought










16

 離れていた時間を埋めるかのように会話が弾む。
 シンジは自分から話題を振り撒くタイプではないが、この時ばかりは滑らかに口が動いていた。
 思い出話に花を咲かせ、お互いが知らない一年の間の出来事を話す。
 しかし、ミコトだけはその様子を複雑そうに見ていた。
 空になっているカップの中でスプーンを回して時間を持て余している。
 時折会話に交じるが自ら進んで参加することはない。
 話題を共有できないということもあるがそれ以上に三人の仲に入り込みにくかった。
 自分の知らないシンジを知っている存在。
 いや、自分以上にシンジを知っている存在なのだろう。
 それがなぜか悔しかった。
 出会って2ヶ月しか経っていないミコトがシンジの全てを知れるわけではない。
 彼女以上にシンジの存在を知るものがいるのは当たり前のことだ。
 分かってはいるが現実に目の当たりにして嫌な心が出てしまう。
 アスカだけなら問題なかったかもしれないが、レイの存在が彼女を揺さぶった。
 同じようにシンジに思いを寄せ、ミコト以上に彼を知っている人物。
 好みの物や趣味、そういったものに関してはミコトの方が知ってるだろうが、シンジという人物についてはレイのほうに分があった。
 そこに劣等感を抱いてしまう。
 レイには悪いが自然と見る目もきつくなってしまっていた。
(嫌な子だ……)
 レイではなく、自分がだ。
 疎ましく思ってしまう心が醜く思える。
 許容できない心の狭さに嫌気がさしそうだった。
 耐え切れなくなり、彼女はシンジの袖を引っ張り自分に視線を向けさせる。
 疑問符を掲げながらシンジが振り向くと、そこには頬を膨らませて不満そうにしているミコトがいた。
「えっと、ミコトさん?」
 なぜか敬語で話し掛け汗を滴らせた。
 じとっとした視線にさらされ暑くもないのに喉が渇く。
「…除け者って感じです」
 場の雰囲気がピシッと固まる。
 そんなことはないよと言いたいところだが、思い当たるだけに否定できない。
 デートが目的で来ているのに放って置かれれば怒るも当たり前だろう。
 雰囲気と一緒に固まっているシンジを見かね、アスカが助け舟を出す。
「悪かったわね、いつまでも引き止めて。レイが来るまでの時間だけにしとこうと思ったんだけど、話がはずんちゃったの」
「それだと私が碇君と話せないわ」
 レイが言うが余計なこと言わないとばかりにアスカは睨みを効かした。
 相手を刺激するようなことを言われてはたまったものじゃない。
 悪かったという気持ちがあるだけにミコトのほうへと僅かに傾いてしまう。
 こんな時のアスカに逆らってはいけないことを理解しているレイは渋々ながら引きさがった。
「ってことでこの辺りでお開きにしない? 私とレイは予定通りショッピングに行くから、あんたたちはデートの続き」
「そうだね」
 行こうとミコトを伴い席から立ち上がる。
「あ、ちょっと待ちなさい!」
 そのまま店の外へ向かおうとする二人をアスカは呼び止め、一枚の紙を手渡す。
「なにこれ?」
「あんたが全部奢ってくれるのよね」
「な、なんで僕が…」
「あら、相席にして助けてあげたのは誰だったかな」
「う……」
 そう言われてしまうと嫌だとは言えなくなる。
 大人しく紙を受け取ると、レジへと向かって精算をはじめた。
 大半がデザートのお品書きに支配されている領収書は、品数におおじて金額を増やしていく。
 最終的に述べられた金額に、食に関してろくなことがないなぁとシンジは愚痴をこぼした。
 先日の喫茶店の時といい、奢ってばかりだ。
 カードで支払いつつ再び彼は肩を落とすこととなる。
 またねと手を振り、アスカたちと別れる際も表情は暗い。
 店の中の数名が一部始終を見ていたら同情するかもしれないが、美少女の三人組に囲まれていたことを考えると可能性は薄かった。
 アスカはくすくすと声を出し過ぎない程度に笑い、レイはアスカを睨みつける。
「なによ〜なんでそんな目で見るわけ」
「…もう少しくらい碇君と話していたかったわ」
 先ほどまでのミコトと同じように不満たらたらといった感じだ。
 シンジの良く知っている氷原のような冷たさを放っている。
「彼女がいるまえでそういうことは控えるのが常識よ」
「…………」
 どんなに親しくしたとしてもそれは友達止まり。
 今の状況ではそれ以上の関係に持ち込むことは出来ない。
 強引な方法というならば出来るであろうが。
「あんたには酷だけど、遅かったのよ。店に来るのが遅かったじゃなくて、思いを伝えるのが遅かったってこと」
「…………」
「一年前に告白できていたら、シンジの隣りにいたのはあの子じゃなくてあんだったかもね」
「…私は分からなかったもの。碇君を好きだったって言うことも、思いを伝える方法も……」
 人としての感情に乏しかった昔、自分の気持ちを分かることが出来なかった。
 ようやく周りの助けやアスカの助けによって多少なりとも理解することが出来るようになったが、その頃には手遅れだった。
 シンジは離れてしまっていて、久々に会えたと思えばすでに恋人がいる。
 何もかもが遅い。
 エヴァだけを全てだと思い込んでいた人生を悪いとは思っていないが、損はしていたと今更思う。
 悲しげに俯くレイをアスカはただ慰めることしか出来なかった。




17

(怒ってる…絶対怒ってるよ)
 街の地形を知リ尽くしているわけでもないミコトが先行して歩き、その後を子犬のようにシンジがついていく。
 決して広くはない歩幅ながらもどんどんと先へと向かい、振り向くことも会話もなかった。
 なんとなくとはいえその行動を取る理由がわかっているためシンジから話し掛けづらい。
 それはミコトも同じだった。
 切っ掛けがないと話し出しにくい、特にミコトのほうは。
(あ〜〜〜もうだめだ!)
 緊迫した雰囲気に痺れを切らして、シンジはミコトの前に回りこむと手を合わせて頭を下げる。
「ごめん」
 上手い言葉が出ずに簡単な謝罪だけ。
 全面的に悪かったことを認めて肩を落としている姿は、昔のシンジをしている者にとってはお馴染みのものだろう。
 上目遣いでミコトの態度を窺う様は情けなくもある。
「…どうしてシンジさんが謝るの?」
 いつもより冷たい瞳でシンジに思いがけない返答を返す。
 てっきり責められるものだと思っていただけに僅かに反応が遅れてしまい、間が空いてしまう。
「え…いや、怒ってるんだよね?」
「怒ってるよ」
「だから謝ったんだけど」
 とりあえず謝っておくという態度は悪くはないがいいことでもない。
 曖昧なままに自分が悪いということを認めてしまっていることになるのだ。
 この場合においてシンジが悪くないというわけでもないのだが、ミコトにも悪い点はある。
 単に一方的な理由で怒っているのだから、謝られても困ってしまう。
 とはいえ、いつまでも黙っているのは気持ちのいいものでなく、どちらかがこうなるのは必然だった。
「シンジさん、どうして私が怒ってるのかわかってるの?」
「ミコトを放っておいて話し込んでいたから」
 さも当然とばかりにシンジは答えた。
 ミコトは彼の言うことが分かっていたのか落胆した表情を見せる。
 確かにシンジの言うとおりの部分もあるが、肝心なところが抜けていた。
「分かってないよぉ…」
「えっ!? 違うの?」
 驚くシンジの様子にミコトの怒りも冷め、跡形もなく消えうせてしまう。
 このままだと後々のことを考えても同じことを繰り返されそうだと頭を悩ませる。
「私が怒ってるのは、私を放っておいて他の女性と楽しそうにしていたから!」
 怒りは消えうせたものの僅かに残る苛立ちが言葉を強める。
 シンジは怯むが、同時に納得いかないような顔をした。
「それってさっき僕が言ってたことだよね」
「違うってばぁ」
 全く分かっていない様子にがっくりとミコトは肩を落とした。
 普段何かと鋭いシンジだが、恋愛沙汰やそれに近いことでは全くといっていいほど鈍る。
 彼が思っている怒っている理由とはミコトを放っておいたこと。
 女性―――この場合はアスカとレイのことだが、二人と仲良く話していたことについては悪いと思っていなかった。
 肝心なところが抜けていて鈍い様は彼らしいといえば彼らしいが、女性からしてみれば迷惑な話だ。
「私は妬いたんだよ、シンジさんがあの二人と親しく話していたから」
「あ…そうだったんだ」
「そうだったんだって…ふぅ……」
 ここまで鈍い様子を見せ付けられると溜息しか出なくなる。
「もう少し私の気持ちも考えてよ…」
「うん、ごめん」
 言葉は簡単だが反省の色は充分に見られるがために、追い討ちをかけるようなマネはしない。
 恋愛ごとに鋭くなりなさいと言ったところでそれには無理があるだろう。
 鍛えようと思って鍛えられるものではないし、鍛えるならば経験を積むということだ。
 そのためには自分以外の女性ともいろいろと経験を育んでもらうのが手っ取り場合だろうが、勿論そんなことを許すわけがない。
 自分だけとなれば、常に苦労しなくてはならないのこれまた自分だけとなる。
 惚れたものの弱みとはいえ、改めて大変かもしれないと思う。
「…帰ったらいっぱい言うことがあるから覚悟してね」
 ぼそっと呟くように言われた一言にシンジの顔が引きつる。
 今の件についてもいろいろ言われるだろうが、先ほどのことも言われるのだろう。
 そう、アスカと一緒に住んでいたということだ。
 どう考えても納得できないことを言った自分が悪いのだが、他に言えなかったのもまた事実。
 情けなさに涙を流しつつ、これからのことを考え、さらに涙を流すのだった。




18

 本来落ち着けるはずの我が家はすでにない。
 現在はさしずめ拷問部屋といったほうがあっている。
 それに当たっての道具など見当たりはしないが、雰囲気だけはまちがいなくそうだと言わざるえない。
 ミコトはクッションの上に座り黙っている。
 じっとしたまま向かいにあるクッションを叩き、ここに座りなさいとシンジを促す。
 これからお叱りをうける子供のような感じだが、実際そうなのかもしれない。
 反抗する様子を見せず大人しくシンジは従った。
 お説教ではなくただいろいろと聞かれるのだけなのだが、なぜか緊張してしまう。
「シンジさん…私は別に全てを知りたいと思っているわけじゃないんです」
「うん……」
「少しだけ、ほんの少しだけでいいんです。昔のこと…聞かせてください」
 いつもより5割増でシリアス調な感じのミコトに気圧される。
 実際のところ肉体的にシンジを超えているわけではないのだが、精神的なものでは現在勝っていた。
「一緒に住んでいたってどういうことですか!」
 切実な感じを思わせていた言葉ががらりと変わり、まるで浮気を問い詰めらるかのようになる。
 日頃の鬱憤がたまっていたのか剣幕も五割増。
 飛び退いてそのまま逃げ出したいところだがあえてシンジはそうしなかった。
 逃げたところで先延ばしになるだけだ。
 根本的な解決にはならない。
 しかし、潔さはいいのだが結局回答に困ってしまう。
「どういうことかと言われても、おおまかなことは喫茶店で言ったとおりなんだけど…」
「あんなめちゃくちゃな説明で納得できません!」
「う……そ、そうだね」
 ついつい視線をそらせる。
 アスカが思い、今ミコトが言ったとおり納得できそうもない。
 エヴァンゲリオンのパイロットだったことを言わずに説明すればいいのだが、上手くまとめられるようなことはシンジには出来ないでした。
「ネルフ…」
「えっ?」
「僕の父さんはネルフの司令だったんだ」
 突然ずれたことを切り出されミコトは戸惑うが、同時にネルフの知識を引き出す。
 昔と違って今は世界の情報の全てを扱っている。
 国連直属の非公開組織などと言うことは、関係者だけしか知らない。
 前者の方が一般的なネルフ像というものだ。
「僕もね、昔はネルフに所属していたんだよ。その時に組織の都合って奴で一緒に住むことになったんだ」
「所属って…その時はまだ子供だったんだよね」
「まぁ、いろいろと理由があって」
「…納得できるような納得できないような……」
 口とは違い、顔は納得できないと明確に語っている。
 困ったなとシンジも悩んでしまう。
「どんな理由があれ、組織が子供を使うなんてことは世間には厳しい。従って僕らのことは機密扱いになってる。これが今までミコトにはっきりと言えなった理由だよ」
「知られてはいけないってこと?」
「そうなるね。…僅かとはいえミコトは知ってしまったからどうなるか分からないよ?」
「お、脅かさないで…」
 笑っているシンジからは茶化しているとしか感じられないが、何かが起こらないわけでもなかった。
 口封じなんていう大袈裟なことはされないだろうが忠告くらいはされるかもしれない。
 余計なことに巻き込まないためにもシンジは避けていたのだが、いつまでもそうしているわけにもいかなかった。
(だからと言って話さないと場を納められない)
 内心溜息をついていた。
「……結局は肝心なことは話せないんですね」
「…ごめん」
 普通ならシンジの言ったことなど信じないだろうが、ミコトは素直に認めた。
 2ヶ月とはいえ彼と付き合い、どんな人物かくらいは理解できる。
 嘘をついてはぐらかすようなまねはしない。
 それだけは信じられた。
「分かりました。今はそれで納得します」
 喫茶店の時と同じセリフを言う。
「けど、いつか話せる時がきたらその時に話してください」
「…ありがとう」
 余計な詮索をしないミコトに感謝しつつ、複雑な思いに胸を痛ませる。
 いつか話せる時―――それがくる時はあるのだろうか。
 切っ掛けがあればネルフは変わるだろうが、今は現状の形で精一杯。
 その時を迎えるようなことはないような気がする。
 向けられる笑顔とは対照的に、シンジの心は暗かった。
 そして心の中だけで小さく、ごめんと呟いた。




19

 緩やかに流れていく時間。
 時間も日付も急激に変わるはずがなく、変わるとすればそれは人の心の方だ。
 休日を終えた次の日には平日が待ち構え、学校と言うものも待ち構えている。
 そして当たり前にいつも通りの登校風景があるはずだった。
(いつもにまして…人の視線が痛いなぁ)
 心地よく温かい目で見守ってくれる視線ではなく、突き刺さる嫉妬の念のようなものを感じてシンジは誰とも視線を合わせない。
 原因が分かっているため現状を抑えることが出来るだろうが、隣りにいる少女からただならぬものを勝手に感じ取り、何もすることが出来なかった。
 腕を組む、恋人同士ではさして珍しくない行為だ。
 だがそれをミコトが行うとなると話は別になる。
 周囲の認識では、彼女は控えめで大人しく恥ずかしがりやとなっていた。
 間違ってはいないだろう。
 家に帰ればだらしなくなり、粗暴になるような二面性は持ち合わせてはない。
 そんな彼女が人目を気にすることなく、堂々とシンジと腕を組むなど誰が想像しただろうか。
 一昨日までは手を組むだけでも恥ずかしがっていたというのに、この変貌には周囲も目を剥いた。
 中でも特に驚いたのはフブキだろう。
 いつも通りおはようと声をかけようとするなり硬直してしまっていた。
 が、すぐさまに立ち直ると、シンジに掴みかかる。
「ちょっと、碇の旦那……どういうことかな」
「説明すると非常に長〜くなるようなならないような…う〜ん」
「はっきりしないねぇ」
「僕が言うとややこしくなるからミコトに聞いてみてよ」
「……聞き難いから旦那に聞いてるんじゃない」
 ちらっと視線を向ける。
 そこには猫のように甘えたしぐさで腕に抱きついている少女がいた…訳ではなく、何かに対して牽制している少女がいた。
 周囲への視線はどことなく厳しい。
 やがてフブキのほうへと変わらぬ視線を見せる。
「…ひそひそ話は禁止」
「はいぃ」
 萎縮しすごすごと引き下がる。
 ミコトに気付かれたいようにと声を小さくはしてみたが、すぐ隣りにいられてはそれも無駄となった。
 一方シンジのほうは心中複雑なところだ。
 進んで腕を組むようになるのは嬉しいところだが、思い描いていたものとは違った。
 昨日のように傍から見ても恋人と分かるものならいいが、今の状況はそれと違う。
 さしずめ、シンジを手放したくない、または守っているといった観が強かった。
 腕を組むということ自体は分かるがなぜそういう態度をとるかは理解できない。
 ただただ圧倒され、その場に流されている。
 尻に敷かれているといってもいいかもしれない。
 日頃はシンジのほうが上手なのだが、一度スイッチが入ってしまうとミコトには逆らえなかった。
 強いものに従うわけではないけれど、無意識に体が逆らうことを拒否する。
 もしかしたらアスカとの生活でそうなったのかもしれない。
 結局原因が不明のまま学校に到着し、生徒たちは授業中頭を悩ましていた。




20

 先にも述べたが、ミコトは大人しく控えめな少女だ。
 物静かで目立たないタイプとなるところだが校内でも誇れる美少女のため人気は高い。
 となれば当然異性から好意を抱かれて、告白されることも珍しくはなかった。
 しかし、彼女が返す言葉は常にNO。
 他に好きな人がいるからとかそういう返しはなく、ただNOだった。
 彼女にしてみれば返事を返すことさえ勇気を要したのだろうが、断られた方は納得がいかない。
 そう思いつつ、どうにもできないのだからすごすごと引き下がるしかなかった。
 それはミコトが2年生になるまで続き、校内において理由は謎となっていた。
 しかし、彼女が2年生を迎えてほんの数日において彼氏が登場する。
 男にしてはやや線が細く、女性的な顔立ち。
 碇シンジだった。
 校内全体…とはいかないが教室は騒がしくなる。
 あれほど男性の影が見受けられなかったミコトに突然の恋人。
 親友であるフブキでさえ事前に知ることはできなかった。
 しかも一昨日に分かったことだが、シンジからではなくミコトの告白により関係が始まったというのだから、これまた驚く。
 注目の人物であるシンジは驚かれる理由など知りはしなかったが。
 現在二人が出会ってから2ヶ月経った。
 そしてやけにシンジにべったり引っ付いているミコトがいた。
(……別にいいんだけどね)
 昼になるなりシンジの横を陣取るミコト。
 変化に戸惑いつつ、同時にそこに嬉しさも感じていた。
 多少なりとも自分から行動してくれるのはいい。
「ミコト、他人の目を気にしなくなったのね」
「そんなことないけど…」
 ついて離れない様子にげんなりしながらフブキは言うが、返ってくる言葉は歯切れが悪い。
 あまり本人は意識していないのかよく分かっていないようだった。
 他人の目から見れば現在の光景は目の毒だ。
 羨ましいという視線も僅かにあるが、いいかげんにしてくれというというほうが多いだろう。
 恋人がいないものにとっては痛い光景でしかない。
「けどさぁ、そんなにべったりしてるのは変よ? どういう心境の変化があったわけ?」
「…シンジさんって綺麗な女性の知り合いがいっぱいいるの」
「なにそれ?」
 答えらしくない答えに首を捻る。
 事情を知るためにさらに深くつっこむしかない。
「…シンジさんはもてるんだもん」
「…ああ、なるほど」
 傍で傍観しているシンジにはさっぱり分からない。
 綺麗な女性の知り合いがいっぱいいるという時点でさっぱりだろう。
 一方尋ねていたフブキは分かったようで、ぽんと手を叩いた。
「ミコトなりに独占欲が出てきたって訳ね」
 二人に分かるように言いつつ、納得したと一人頷いた。
 が、シンジはまだ首を捻っている。
「全然分からないんだけど」
「旦那、昨日のデートかなにかで綺麗な女性の知り合いと出会わなかった?」
「う〜ん…昔の知り合いにはあったけど」
「私の予想だけど、その人たちにあったことでミコトは危機感を感じたのよ」
「危機感? どうして」
 自分が思っていた理由とかけ離れていき、シンジはますます分からなくなる。
「自分を基準にして綺麗だったかどうかは知らないけどさ、ミコトの目から見てその人は綺麗だったわけ。しかもその相手は旦那に好意を抱いているときたもんだ。ここでミコトは焦る。そりゃそうよね、今は恋人とはいえ、ライバルになりうる存在がでてきたんだから」
「それで周りに対してなんか警戒していた」
「そういうことだろうね、鈍い旦那にしてはよくできました」
 鈍いは余計だと思いつつ、ミコトを見る。
 さすがにそれは意識しすぎだろうと。
 シンジは自分ことをもてるほうだとは思ってもいない。
 今まで誰かに告白されたことはないし、そういう噂すらたったことがなかった。
 単にシンジが鈍感で気付かなかったというだけだが。
 が、昔はともかくとして、今のシンジはどちらかといえばもてるほうだ。
 容姿はいいほうだし、運動能力も頭脳も悪くはない。
 性格が歪んでもいなのだから、評判が悪いことはなかった。
 それだけにシンジは知ることはないが、陰で思いを募らせているものは多い。
 ともあれ、分かっていないシンジはいまいち理解できず、フブキのことを想像力が豊かだなぁと思うだけだった。




21

「だからと言って、気にしすぎじゃないかな」
 常々思っていたことをシンジはミコトにぶつけた。
 誰もが自分のことを好きでいてくれる、それは自惚れでしかない。
 フブキも彼の言葉を肯定し、ぽんとミコトの肩を叩いた。
「旦那がもてるのは事実だけど、あくまでも多少。万民に好かれてる訳じゃないんだからさ」
 軽い微笑を浮かべてる少女に分かってるとミコトは返した。
 言われていることはわかる、そう思うのが普通は当たり前なのだから。
 ならばなぜそこまで過剰に反応してしまうかといえば、自分に対して自信が持てないためだ。
 周りが自分のことをどんなに良く言ってくれても、素直に受け取れない。
 結局のところ自分がどうにかしなければならないのだろう。
 他人より秀でている何かを見つけられれば少しは自信がつくかもしれない。
 容姿というものではなく、他の何かを。
 単に容姿を引き合いに出してしまえば、アスカや綾波といった少女も秀でた部類に入る。
 となれば他の点において好かれる部分が欲しくなってしまう。
 人柄や性格、そういったものや過ごした事間、これでもいい。
 ミコトはそんな部分がレイに負けているような気がしてならなかった。
 暗い表情を浮かべたまま重い溜息を吐く。
 アスカとレイとの出会いは彼女にとっていい方向へは向かっていなかった。
 沈痛な様子にはシンジも堪えてしまっている。
 食べていた弁当を机に置くと、ミコトの顔を覗き込むようにして近づけた。
「僕はミコトのこと好きだよ」
 柄にもないなと思いつつ、恥ずかしい気持ちを押さえつけた。
 陳腐な言葉ながらも真剣に自分を見つめてくる瞳にミコトは俯く。
 人前で言われる恥ずかしさがあったがそれ以上に嬉しさがあった。
 先ほどまでの表情は嘘のように消え、いつものような愛らしさを出した恥ずかしそうな表情を見せる。
「…頼むから、二人ともそういうのは他でやってくれないかな〜」
 いいムードを見せる二人とは違い、フブキは苛立ちを抑えながら口を開く。
 周囲には同じように勘弁してくれといった生徒たちが顔を引きつらせていた。
 目の毒を通り過ぎて猛毒になってしまっているのだろう。
 重い雰囲気は嫌だが、二人だけの世界に入り込まれるも困る。
 殺気混じりの視線に今度はシンジたちが顔を引きつらせる番だった。




22


 なにはともあれあれから一週間、変わったことはない。
 ミコトも一時的にああいう行動をとっただけで、落ち着いてみれば恥ずかしいことをしたと顔を赤く染めていた。
 相も変わらず腕は組んだままだが、刺々しく警戒することもなくなっている。
 そもそもミコトが自信を持てなかったのは、両親がいないせいかもしれないとシンジは思っていた。
 愛情に餓えている部分が何らかの欠損を与えている、小さいか大きいかは別としてだ。
 そういった意味ではシンジとミコトは似通っている境遇であり、考え方も似ている。
 自分が好かれるだけの自信がなく、何かしらの理由を欲していた。
 そして嫌われたくないからどこか遠慮をし、相手に縋ろうともしている。
 一歩間違えれば依存傾向にもなりかねない。
 自分を変えようとしたシンジの場合は脱却できるだろうが、ミコトにはまだ危うさが残っていた。
(確かなものが欲しいんだよね)
 目に見える、形に残る何かを。
 言葉に出されない見えない思いなんてものはいらない、欲しいのは言葉に乗せて届く思い。
 それだけでよかった。
「う〜ん…………結婚?」
「血痕?」
 いつの間にやら声を出していた呟きをミコトが勘違いして捉える。
 抑揚がなかったのでニュアンスが伝わらなかったのだろう。
 地面の辺りを恐がりながらきょろきょろと見渡すミコト。
 違うとシンジは手を振った。
「男女が正式に夫婦になることのほうだって」
「あ、そうなんだ。あはは、勘違いしちゃった」
 普通間違えるかなと思いつつ声に出すことはない。
 が、あきれた顔は隠すことが出来ずにミコトは気まずそうに顔を反らして話題に乗る。
「どうして急に結婚なんて言い出したの?」
「なんとなくね。形に残るものを考えていたら結婚が思い浮かんだんだよ」
「結婚かぁ…いいなぁ」
 夢見るように結婚と言う言葉に思いをはせる。
 女性なら一度は思い浮かべるだろう。
 ウエディングドレス…洋式なのが日本からしてみればなんとなく悲しいことだが。
「じゃあ、結婚しようか」
「いいよね、結婚……ってええ!」
 にこやかな笑みとは対照的にミコトは驚いて目を白黒させた。
 唐突に言われれば誰でもそうはなるが、少しもそんな未来を思い描いていなかったということも輪をかけている。
「だって結婚だよ!? そんな大切なこと…」
「僕とじゃ嫌?」
「そ、そんなことないけど、私たちまだ学生だし…」
 と言うものの、表情はすっかりにやけていた。
 まだとは言いつつ、すでに思い描いてしまっているのだろう。
「結婚っていったらいってきますのキスとか裸でエプロンとか……でもでも裸にエプロンだとお客様が来たら困るし…」
「お〜い」
「恥ずかしいけどシンジさんがして欲しいって言うなら…」
 彼女が結婚と言うものをどう思い描いているのか理解しつつ、一人妄想に耽っている様子を離れたところからシンジは見ている。
 近くに人がいたらたまったものではなかっただろう。
 声をかけても振り返らないミコトにシンジは渇いた笑いを漏らすことしか出来なかった。




23

 今の時代、セカンド・インパクト前より結婚というものへの制限が変わっている。
 結婚年齢自体は変わっていないが、親の承諾と言う部分が失われていた。
 20歳未満で結婚するには最低男性18歳、女性16歳、そして加えて親の承諾、これが必要だった。
 しかしセカンド・インパクトにより孤児が増えたりとさまざまな事が起きたために、法律も僅かに緩んだ。
 現在のシンジは17歳、ミコトは16歳だが今年で17歳を迎える。
 来年になれば18歳となるのだから、あながち結婚という選択が早すぎるわけでもなかった。
 尤も先ほどのシンジの発言は本気半分冗談半分といったところだ。
 安易に結婚を選んだところで、それはままごとでしかない。
 意外と古風な考えをもつ彼は、家庭を支えられるようになってから結婚というふうに思っている。
 本当の意味で結婚するならば高校を卒業して就職、または大学を卒業して就職してからだろう。
 とはいえ、隣りで浮かれているミコトを見ると冗談でしたなどと言えなくなってしまう。
 どこまで妄想が広がっているかは分からないが、嬉しそうにしていることには変わらなかった。
 空を見上げれば心地いいくらいに広がる青空。
 きっと同じくらいにミコトの心の中も晴れ晴れとしているだろう。
 気持ちは分からなくもない。
 結婚を境に何かが変わりそうな気がした。
 それに家族になれるということが大きな部分を占めている。
 恋人ではまだ家族の域に達しているとは思えない、気持ち的なものとはいえ結婚により家族となることは嬉しい。
 温かい家族から離れている二人にとっては他の人と感じる度合いが違うのだから。
「ミコト、僕のこと好き?」
 足に羽が生えたように軽やかなステップを刻む少女に唐突に尋ねる。
 くるっと振り向くとミコトは小さいながら確かに頷いた。
「じゃあ、愛してる?」
 これにはさすがに驚きを見せ、返す刀で返事できない。
 足を止めるとその場で黙って考え込んでしまった。
 しばしお互いの中に悪くない静けさが現れるが、シンジの顔を真っ直ぐ見据えた。
「シンジさんのことは好きだけど…愛しているって聞かれると分からない。そう言われてもピンとこないの、ごめんね」
 影を落としながら、本当に済まなそうに謝る。
 そんなミコトの頭を軽く叩くと、シンジは合格と言い歩み始めた。
 角を曲がり、長い真っ直ぐな街並みを抜けていこうとする様子をぽかんと見ていた彼女は慌てて後を追う。
「合格って何?」
「ミコトが愛してるよなんて返してこなかったから、そう言ってきたら不合格だったよ」
「……?」
 不思議そうに見つめてくる瞳に苦笑しつつ、頭をくしゃっと撫でる。
 猫のように目を細めるが、どういうことと疑問の視線は変わらない。
「まださ、そういう段階なんだよね僕たちは。好きだけど愛していない。いや、愛しているっていうことがはっきり分からないかな。言葉の意味としては分かるんだけど、いざ使おうと思ったらまだしっくりこないものがあるんだ」
「…分かるような気がする。好きって言われると嬉しいけど、愛してるって言われても違和感しかないもん。嘘みたいにすごく薄っぺらな感じがして、気持ちが伝ってこない」
「そうだよね。となれば…」
 意味深に言葉を閉ざす。
「結婚はまだまだ先のことだね。そういうことなんでさっきの発言は撤回」
「ええ〜〜〜」
 頬を膨らまして不満の声を上げる様は妻というものになろうとするにはまだ幼い。
 やっぱりやめておいてよかったとシンジは一人納得する。
「シンジさんが言い出したんだよ!」
「そ、そうだけどね」
「本当だと思ってたのに……」
 抗議したかと思うと肩を落として落ち込みだす。
 ころころと様子が変わって忙しい。
 ミコトとてシンジの言葉を本気だとは受け取っていなかったが、淡い期待をもっていた。
 あっさりと撤回されてしまうと悲しいものがある。
 沸々と僅かな怒りと文句が出てきても仕方ない。
 シンジも苦笑いを浮かべていたがすぐに真剣な顔に戻す。
「好きだけだと結婚できないって気がするんだ」
「どうして? お互いの事が好きだから結婚するのに…」
「確かに結婚までの過程には好きは必要だよ。でも、それだと足りない気がする。きっと、好きから愛してるに変わったときに結婚できるんじゃないかなって思う」
 妙に哲学的なことを言うシンジの横顔を見上げながら、ミコトはなるほどと新鮮な感銘を受けた。
 好き、でも結婚しない。
 愛してる、だから結婚する。
 自分の口で繰り返しながら吟味する。
 結婚なんて深くは考えたことはなかったけどそういうものなんだろうと。
 好きだけでは何かが足りない、確かにそうなんだろう。
 具体的に表せるわけではないが素直に共感することができる。
 しかし、ふとそんなことを思っていると笑いがこみ上げてきた。
「…変なこと言ったかな?」
 真面目に言ったことを笑われて僅かにムッとする。
 その様子にミコトは慌てて手を振って否定した。
「ううん、可笑しなことはいってないけど…やっぱり言ってるかな? こんなことを往来で話しているのをよく考えてみたら、変だなぁって思って」
 言われてみればそうかもしれない。
 世間話をするならまだしも、街中で結婚だ愛してるだと会話しているのは違和感がある。
 しかもそれが制服を身に纏っている少年少女ならばなおさらだ。
 ミコトに指摘され、シンジは渇いた笑いを浮かべながら頬を掻いた。
 往来で妄想に耽っているミコトも変だったけどねと思うが、心の中で思うだけで済ます。
 頬を掻いていた手を下ろすと街並みへと再び視線を戻した。
「確かに変だね」
「でしょ?」
 ミコトに視線を移さないまま答えた。
 そして話題を変える。
 いつまでもこんなことばかり話していては若者らしくないと思ったからだ。
 他愛のないことに話題を変えながらしばらく歩いているとマンションが見えてくる。
 ありふれた建物、自分たちのすむ場所。
 高く聳え立つそこが広い陰を作っていた。
「あのね」
 シンジの横顔を見ながら鞄を持っていた片方の手を放して、シンジの手に重ねる。
 少年はそっと手を握リ返した。
「私、シンジさんのことが好きです」
 幾度も繰り返し言っていた言葉を唐突に告げる。
 今更なにを言うのだろうとシンジはミコトを見ると、優しげな瞳がじっと見つめ返してきた。
「僕も好きだよ」
 考えるよりも思うよりも早く、言葉が先に出た。
 まるでそう言うのが当たり前だとばかりに。
 言葉に乗せたれた思いにミコトの表情が緩み温和な笑顔が作られる。
(まだ愛してるなんて分からないけど、いつか言えるようになるから)
 手にシンジの体温を感じながらミコトは心に誓った。





BACK INDEX NEXT