DISTANCE
※ティエリア→ロックオンの描写があります。
CALL ME, CALL MY NAMEの続き。1期終了後〜2期開始のあいだのイメージ。













「盗み聞きですか。随分とたちの悪い」
 ティエリアは嫌悪と侮蔑の念をもって冷ややかに彼を睨みつけた。ティエリアの自室を出てすぐ左手の廊下の壁に、ロックオンは身を凭せて立っている。
 突然部屋から出てきたティエリアに対して動揺を見せたり、言い逃れを試みることもしない様子をみると、どうやら単なる好奇心のみでこの場に留まっているわけではないらしい。彼には少なからず、自分と話す意思があるようだ。ミッションの件か、あるいは今しがた立ち聞きした内容にでも口を挟むつもりなのか。それならば、つい先ほど自分よりも前にこの部屋を出て行った彼女とも、何か言葉を交わしたのだろうか。いずれにせよティエリアは、先ほどから募った苛立ちも手伝って、一刻も早くこの場を立ち去りたかった。
「まあまあ、そう怒んなさんな」
 ロックオンは、自身に向けられた鋭い眼光にも臆することなく、肩をすくめて笑う。その様子もの仕草を彷彿とさせるようで、ティエリアにとっては不愉快に思えた。
「あんまりを責めるなよ。あいつだって、色々考えることもあるんだろうさ」
 そう言うロックオンは、壁に凭れかかったまま深くひとつ息を吐いた。その目はもうティエリアを捉えてはいない。伏せられた緑碧の瞳が何を思うのかはわからなかったが、そんな物憂さなどものともせず、ティエリアは憤然とした気持ちで食い下がった。
「それが何の理由になる?現に彼女はミスを犯しているんです。それを見逃せというのですか?」
「そういうことじゃねえよ。あのな、ティエリア」
 ティエリアの非難めいた声音につられるようにして、ロックオンの語調も少しだけ堅いものに変わる。彼は傾いでいた身体をティエリアのほうへまっすぐに向け直す。
「人間は弱いんだ。そんなことはお前だってよくわかってるだろう」
 口元を引き結ぶロックオンとは対照的に、ティエリアは嘲笑の色も隠さずに口元を歪めた。随分とナンセンスな言い訳だと、ティエリアは心の中で嗤う。
「だから、なんだというんです」
「人にはそれぞれ、拠り所ってもんが必要だってことだ」
 拠り所。ああ知っているとも。もっともそれは、彼にとっては甚だ理解に苦しむことではあるけれど。
 人間は誰しも何某かの拠り所に縋り生きている。例えば家族や恋人、あるいは神に。物や概念に縋る者だっているだろう。いつの時代もそうして生きてきた「人間」という存在を、ティエリアは愚かと蔑み、憤りすら覚えていた。
(ああ。やはり人間とはかくも脆く、矮小な生き物なのか)
 彼は、目の前に立つ「人間」に対し、ありったけの皮肉を紡ごうとしたが、思わず口を噤んでしまった。
 それは、見上げたロックオンの表情が、今まで見たことがないほど、あまりに心細げなものだったからだ。何故だかそれは、ティエリアまでをも寄る辺ない気持ちにさせた。
「貴方にも、」紡ぐ口元は震えた。

「貴方にもそんなものがあるというのか」


「……さあな」








「…―――!!」
 激しい動悸がティエリアの身体を支配した。息切れとともに、大きく胸が上下する。ほどなくして彼は、今しがた眠りから覚めたばかりであるという自分の状況を把握した。頬を伝う涙に気づいたのはその後だった。
 心臓の脈打つリズムが身体全体に、耳の先にまで伝わる。震えの止まらない左手首を、必死に右手で押さえつける。相当な量の汗をかいていたらしく、背中にべったりと張り付いたシャツのせいで上半身は少しだけ冷えた。
 乱れた布団をぞんざいに剥いでベッドから抜け出すと、彼はふらふらと縺れる足で小さな冷蔵庫の前に立ち、そして中身が半分だけ残ったミネラルウォーターのボトルを取り出して、そのまま一気に飲み干した。相変わらず脈は早い。
 頬と額に張り付いた髪を無造作にかきあげながら、暗闇にぼんやりと浮かぶデジタル数字を確かめた。午前3時20分。なんとも中途半端な時間に目覚めてしまったものだ。しかし、もう一度眠りにつこうなどという気分には到底なれなかった。胸に残る圧倒的な虚無感がそれを許さなかったのだ。目を覚ましてから多少時間は経過していたものの、夢現の境目で感じた、逆らえないほどの強い引力でもって現実に引き戻される感覚や、胸を打つ早鐘のような鼓動の音は、彼の身体の中に克明にこびりついていた。
 ティエリアは自身の左手をじっと見つめ、静かに握りしめる。そこには何もない。
――もう何度目になるだろう。彼は静かに、長く息を吐いた。
 すると突如、コンコン、と乾いた音が耳に飛び込んできて、ティエリアはただでさえ忙しい心臓が再び大きく音を立てるのを感じた。電気の消えた、あかりのひとつさえ灯らない暗闇のなか突如響いたその音を、誰かがドアをノックしたのだと理解するまでには数秒を要した。
「……誰だ?」
 動揺は意図せず声に滲む。いつもよりも硬く尖った声音が口をついて出た。

「ティエリア」
 聞き違えるはずもない。それはの声だった。







 一緒に寝てほしい。は毅然としてそう言った。
 ティエリアは、その突拍子のない言葉の意図を掴みあぐね、至って真面目な彼女の表情に面食らったが、しかしそこに性的な意図などが一切存在しないということを瞬時に汲み取った。はまだ何も語らないが、その胸中には何らかのまっすぐで純粋な理由があり、彼女はそれに従ってこうして自分のもとを訪れたのだろう。だから不思議と何の躊躇いも、しばしの思案の隙さえなく、ティエリアはその要求をすんなりと受け入れることができた。

 ティエリアに背を向け、は既に眠ってしまっているようだった。決して広くはない硬質なベッドの上で、少し振り向けば他人がそこにいるという距離感は、彼を気恥ずかしくも、居心地悪くもさせた。秒針の音と、たまに発せられる布団の衣擦れの音のほかには静寂に包まれた空間のなか、彼はどこか落ち着かないむずがゆさを抱えながら目を瞑り、己の意識が霞んでいく兆しを静かに待っていた。
「……ティエリア、もう寝ちゃった?」
 すぐ側で発せられたのは、虫の鳴くような小さな声だった。聞こえぬふりをすることもできただろう。けれど、ティエリアはその声に静かに応えた。それは一種の使命のように思えた。
「君こそ、眠っていたんじゃないのか」
「良かった。起きてたのね」
 押し殺した声には、喜びが滲んでいる。
「…喜んでいるようだが?」
「うん。だって、せっかくあなたに会いに来たのに、先に寝られちゃうのは寂しいから」
「随分と勝手だな。一緒に寝たいと言ったのは自分だろう」
「勿論そうだけど…でも、もう少しだけは起きてて欲しいわ」
 ティエリアには、彼女が自分に求めているものがさっぱり検討もつかなかった。首を傾げるより先に、思わず苦笑してしまう。
「本当に、君は勝手だ」
「そうね、知ってる」
 が笑うと、ティエリアも己の口元が自然と緩むのを感じた。どうやら自分も、彼女のおかげで、先ほどまでの淀んだ気分が幾らか紛れているらしい。
 少しだけ、笑い混じりの息を漏らすと、それを感じ取ったのか、がティエリアのほうへ寝がえりを打った。先ほどまでの柔い笑みがまぼろしであったと錯覚しそうな程、唐突に表情が消えた顔が、彼のほうへと向けられる。ベッドのスプリングが軋み、鈍く音をたてる。
「ティエリア、なにかあった?最近、疲れてるように見える」
 その表情と同じくらい抑揚のない声で囁かれた言葉からは、心配というよりも、むしろ訊問の意志が感じ取れる。まるで、初めから何か心当たりがあるかのような。
 白々しいな、とティエリアは思った。理由など、むしろこの船に乗っている者ならば誰もがとうにわかり切っていることだろうに。
(僕はどうもしていない、君の思い違いだ)
 そう口を開きかけて、一旦噤み、思い直したように言葉を発す。

。君は何故そんなふうに振舞える?」
「そんなふうにって?」
「君は…とても気丈だ」

 その瞬間、たゆんでいた糸がぴんと張りつめられたかのように、自分たちを取り巻く空気が少しだけ変わったことを、二人は互いに感じ取った。それは棘のあるものではなく、水面に指を差し入れたときにできる緩やかな波紋のようにさりげなく、穏やかなものだ。
 は仰向けになって天井を仰ぐ。その口は閉ざされたままだったが、ティエリアは彼女の横顔を、息を詰めて黙って見つめていた。
「乗り越えたからよ」
 静謐な湖面を叩く雨粒のようにはっきりと、けれど静かに発せられた言葉は、平坦な声音でありながら、あまりにも多くの感情が乗っているのが痛いほど伝わってくる。
「…もし人間が、泣いて、泣き続けて水分をなくして死ねる生き物だったとしたら、私はとっくに死んでる」
 空気を震わす声音も、ひそやかな息遣いも、真冬の夜の海のように悲しみの潮に満ちているのに、その瞳だけはひどく乾いていて、ティエリアは背筋が凍るような心地を覚える。
「泣かないんじゃないの。ただ、もう涙が出ないだけで」
 自分でも、どうして涙が出ないのかわからない、といった様子だった。
「覚えてるかわからないけど、ティエリアは一度私に訊いたよね。どうしてそこまで眠りたがるのかって」
 返事こそしなかったが、彼は視線でそれに応えた。ああ、覚えている。
「夢を見ていたかったの」
 夢の中でなら、会えるから。
 誰に、などと問うまでもなく、彼はその答えを知っている。以前、ヴェーダのデータベースにアクセスした際、一度垣間見ただけではあるが、今でも脳裏に焼き付いている。目元は優しく垂れ下がり、すっと通った鼻筋や、そのたおやかさは彼女の持つものとよく似ている。
 それはの、たった一人の肉親である兄だった。
 彼女の兄は、ユニオンの技術士として働く身であった。ユニオン、それはソレスタルビーイングと対立する組織だ。は最後まで、自分がソレスタルビーイングに身を置いているという事実を兄の前で明かさなかったが、それでも彼を敬愛し、心から慕っていることに変わりはなかった。方向性は違えども、正義と世界平和にかける思いは等しく同じであると信じていた。それなのに。
 彼は、トリニティの武力介入に巻き込まれて殺された。
 彼女自身の口から兄の存在が語られることは一度としてなかったため、クルーはみなその人物の死を知り得なかったが、唯一ティエリアだけは、ヴェーダを通じてその事実を知っていたのだ。
 ティエリアは、のやつれた顔を思い出す。気だるげな笑み、どこかうつろな目、そして身体を壊してなお自分は幸せなのだと告げた彼女の姿を。
 当時、原因は分からずとも、誰もがの身と心を案じた。それでもあの時、彼女は確かに幸福だったのだろう。
 眠ることは逃避だ。それは現実から逃れるための術でもある。もう二度と触れ合うことは叶わない、かの人に相見えるただひとつの場所。誰に咎められることも諭されることもなく、愛する兄と対話することができる場所。他に縋るものがない彼女にとって、それは唯一無二のエデンであり、同時に逃げ道でもあったのだ。
 あの頃のティエリアは、いくら母なるヴェーダの知識の海に足を浸そうとも、その感情を解することは出来なかった。けれど、今なら理解することが出来る。ロックオンを失った今の彼になら。夢に逃げることで、兄に縋りつこうともがく少女の苦しみが。
「眠ったまま死ねたら、どんなにいいか。そんなことを何度も考えたよ。でも、もう大丈夫。私はあの頃とは違う。…あなたに叱られた時とは違うわ」
 表に出さないだけで、彼女は今も深い悲しみの底にひとり立っているのだろう。しかしもう、あの暗闇で息をひそめたような目をしなくなった。彼女はきっと、確実に前に進みつつあるのだ。
(それなら、僕は? )






 ロックオン―ニール・ディランディが亡くなってからしばらくして、ティエリアは毎晩のように彼の夢を見るようになった。
 夢の中でロックオンが立つ場所は様々だ。トレミーの廊下、ミーティングルーム、地上の街角。ティエリアの記憶の海に残る欠片が見せる光景。実際に過去にあった出来事がそのまま再演されることもあれば、そうでないこともある。いずれにせよどんな場面であれ、ロックオンはいつも変わらない笑顔を浮かべ、そして最後には必ず消えてしまう。
 どんなに触れたいと、側にいたいと願っても、夢から醒めればロックオンが居ない現実だけが彼の上に残酷にのしかかった。その重圧に耐えきれず、ティエリアは幾度となく苦しさに喘ぎ、時には泣き叫びながら、力任せに点滴の針を引き抜くこともあった。そんな彼の変わり果てた姿は、あまりに見るに堪えないものであった。
 クルーは表に出す・出さないに関わらず、病室の寝台の上で憔悴するティエリアを絶えず労わった。確かに、自分がいつまでも彼を手放さずにいる限り、こうしてずっと夢にうなされ続けるであろうことは、彼自身よくわかっていた。
 しかしティエリアはそれでよかった。彼は痛みを手放せなかったのではなく、おのずから手放そうとしなかったのだ。

 ロックオンの死、それは紛れもない事実である。彼はもう、記憶という誰かの一部としてでしか、この世に存在し得ない。
 そう、今は、この胸の中に生きるロックオンだけがすべてであり、それは何があろうと失ってはならないのだ。それが、失われた人間をこの世に繋ぎとめておくためのただ一つの方法だ。
 けれどいつか、それらも全て思い出せなくなってしまったら?
 自分の中に残る彼の面影さえすべて失われてしまったら?
 そう考えて、ティエリアは途方もない恐ろしさを覚える。彼の姿、仕草や声も、彼を構成するピースは、いつでも、どこでだってすぐに思い描けるのに。それらも全て、いずれは雪に埋もれるように、音もなく霞んでゆくのだろうか――
(絶対に嫌だ)
 ロックオンがいないという事実と同等に、その恐怖は日々彼を苦しめた。彼を、忘れてしまうという恐怖。
 痛みを失うことが怖かった。この痛みを失うことが、彼を思い出に変えてしまうことだというのなら、自分は永遠にこのままでいいとさえ思っていた。
 ロックオンを過去にしてしまうくらいなら、繰り返す苦しさに耐える日々のほうがずっとましだった。
 彼を想う痛み、それがロックオンと自分を繋ぐ絆だった。





「…僕は、弱くなってしまった」

「いつだってこんなにも不安で、――ロックオン、僕は、」
「ティエリア、」
 は咄嗟に彼の肩に手を置いてその顔を覗き込んだが、ティエリアの視線はその時にはもう彼女のことを捉えていなかった。焦点の定まらない双眸を見つめ、彼女はそれを瞬時に痛感する。いつもの張りつめた弦のような声も、今は上ずり掠れたものと化している。凛とした強さは涙に埋もれ、その鱗片さえも見当たらない。
「今でも、夢を見る。彼を…ロックオン・ストラトスを」
「正直、耐えがたいが、彼を忘れてしまうよりはずっとましだと思っていた。でも、やはり駄目なようだ。たとえ会えても、僕は……彼に触れることができない。それが、こんなにも辛い」
 夢の中、ティエリアのすぐ手の届くところで、ロックオンは笑っている。あの頃と変わらぬ衣服に身を包み、どこか冷めた色をその目に湛えて。
(ロックオン、どうして。どうして貴方は――)
 浮かぶ疑問符を喉元に詰まらせたまま、ティエリアは考えるよりも先に手を伸ばす。けれど、その手を掴みたいと願い、そして目を覚ましたティエリアの掌にあるのは、それが決して叶うことがないという現実と絶望だけだった。
「夢から醒めるたび、彼がここにいない現実を嫌というほど思い知らされる。どうしたらいいのかは自分でもわからないんだ。……僕は、ただ、彼に…ロックオンに会いたい……っ」
 苦しいんだ。ひどく弱々しい声で吐かれたその言葉を聞き、は弾かれたように彼の背中に両腕を回す。一見すると華奢な身体は、それでも直接触れればれっきとした男性のものだった。が背中を何度もさすっている間、彼はずっと「苦しい」とうわ言のようにそれだけを繰り返した。







 あの時、自分を叱咤した彼のしなやかな強さを、はいつだって思い出すことが出来る。そして、長い夢から引き戻されるように一瞬で、唐突に視界が抜ける感覚を。

 兄が死んだとき、自分は生きる意味を失ったのだと思った。
 が目指し望んだものは、兄の優しい笑顔が守られる未来だった。兄が幸せに生きることができる世界、未来を。そのためにこそ、ソレスタルビーイングに身を置き、世間から身を隠すように生きる覚悟も持つことができた。そんな自分が、誰よりも守りたい人が失われた世界で勝ち得た平和を、どうして享受することができる。
 かつて焦がれた平和への想い、そしてソレスタルビーイングが掲げる理想は次第に、霞み色褪せたものにしか思えなくなっていった。半ば自暴自棄になりつつあった彼女の胸を、ただ茫漠な虚無だけが占めていた。その喪失感の大きさは、ミッション中のミスという形でしばしば表れた。常に客観性と冷静さを問われるソレスタルビーイングの一員とはいえど、公私を弁えるだけの強靭な精神力を、彼女は持ち合わせてはいなかった。
(この戦いで死んでも構わない)
 眠りにつく寸前、彼女は決まってそればかりを考えた。むしろ、生き急ぐべきであるという切迫した使命感すら覚えていた。兄がいない世界で自分だけが生きているという事実は、罪悪感の形をとって、絶え間なく彼女を縛り苦しめ続けた。
 ソレスタルビーイングの仲間のために死ねるならそれも本望だ。けれど出来ることならば、眠りにつき、そのまま兄の元へ行きたかった。永遠に覚めない眠りを、ずっと誰にも邪魔されないまま。はそんな絵空事を幾度も脳裏に描いていた。
 彼女の生きる意味は、すなわち兄の存在であったのだ。ならばいっそ、己の死すらも兄のために捧げたい。それはどんなに美しく、なんと素敵なことだろう。

――君は最低だ。
 脳裏に鮮明に蘇る、凛と張りつめた声。
 人間を蔑み、人間の感情を理解しないが故の、彼にしか口にできない言葉であっただろう。少なくとも、人の感情の機微に少しでも注意を払う者なら、そんな言葉を容易に口にすることはできない。 しかし、だからこそ、それこそが彼の強みであり、ダイヤの原石の如く鋭利な美しさであるようにには思えた。彼は全知に限りなく近い存在でありながら、無知で、愚かで、そしてどこまでも美しかった。

 生に執着がなくとも、 どうしようもなく辛い時や、孤独感に苛まれる時は少なからずあった。だから、その重みに耐えられなくなったあの日、不安と衝動に身を任せ、はティエリアの部屋を訪ねたのだった。本人は不在だったが、それでも構わない。とにかく、自分以外の誰か、あるいはその気配に触れ続けることで、外界との繋がりを感じていたかった。そうすることで、生きている実感を得たかったのだ。
 そしては、彼の部屋に勝手に入り込んだ。それくらい強引な行動にでなければ、きっと彼は自分と少しの時間さえも関わることを許してくれないと思ったから。
 彼女は、取り立ててティエリアと親交が深いわけでも、特別な慕情を抱いているわけでもなかったし、恐らく、感情の受け皿に適任なクルーは彼の他に多くいただろう。けれど、それらのどの人間でも駄目だった。アレルヤの受容と優しさでも、スメラギの客観と母性でもなく、はティエリアを欲したのだ。
――甘えも大概にしたらどうだ。
 その物言いに対し、少しの憤りも湧かなかったといえば嘘になる。けれどあの瞬間、ティエリアの言葉は、不思議との胸にすとんと落ちていった。
 のちに、の兄に対する依存は徐々に和らいでいき、それと比例するように、彼女はティエリアの脆くも不完全な強さに惹かれていった。あの頃は少しばかり疎ましくも思っていた頑固さは、眩しいとさえ思うようになっていた。

 だからこそ、今、しなやかな美しさを持つ彼の、あのまっすぐな眼差しが悲しみに歪み、揺らいでいることに、は途方もない悲しみを覚えた。






――ロックオン。
 それは彼女が聴いたことのない響き。その声に、彼の心のすべてはあらわれていた。
 閉じられた双眸が見つめる先は、決して自分ではないのだと思い知る。


 先ほどまでの取り乱した姿が嘘だったかのように、ティエリアはの隣で穏やかに眠っている。その頬に残る涙の跡を見、彼女は唇を噛みしめた。
 瞼に覆われた赤い瞳を思い、自身も静かに目を閉じる。

 そして彼らは、握り合った手のぬくもりを確かめ合いながら眠るのだ。永遠に交わらない夢を抱きながら。




DISTANCE
(120222)

電波とか言っちゃいけないよ