だからふたりは寄り添い続ける

 ニアはモニタ越しにひとりの女性と会話していた。
 レスターから手渡された資料に目を落として、彼女の名前を確認する。。採用はほぼ決まっており、こうして話すのは通過儀礼に過ぎない。
 パイプ椅子一脚のほかは何も置かれていない、ただ白いばかりの部屋で、は表情を引き締めた。彼女のほうからニアの顔を見ることはできない。室内のモニタには、ただNと、それだけが浮かんでいた。
「……さんですね」
「はい」
「ずいぶんお若いんですね」
「そうですか?」
 ニアは彼女の経歴を目で追った。
「外務省欧州局局長を経ているにしては、ということです」
「ああ」
 モニタの中のは、軽くかぶりを振った。
「私の父は特命全権大使を務めていました」
「なるほど。でも余光だけでのぼりつめられるほど、官僚も甘くはないでしょう」
「自惚れかもしれませんが、努力を怠ったことはありませんでした。それが外務省で評価されたのだとすれば、私はそれを誇りに思います」
「そうですね、同感です。何か得意な分野や、秀でていると主張できる能力はありますか」
 たずねながら、ニアは手にした玩具を持ち上げた。ブリキでできた、レトロなつくりの飛行機だ。
 それが青空を疾走する風景を思い描きながら、ときおりモニタに視線を向ける。
「代表として対欧州国実務レベル協議に出席していますので、交渉には慣れています」
「何か護身術の類はできますか?」
 の顔がはじめて自信を失った。眉を垂らして、無力そうに首を振る。
「いえ。一応の経験はありますが、初心者同然ですし、相手が凶器を持っていたら、手も足も出ないと思います」
「それで構いません。我々は兵士ではありません。白兵戦など想定外です。襲われたとき逃げ切れればそれでいいんです。……ところで、外務省を退官した理由を聞いて構いませんか」
 が再びモニタを見据えた。
 振り上げた顔に電灯が触れ、淡く化粧した頬をいっそう白く見せた。
「キラを捕まえたかったからです。命を賭してでも。私は、私の命と引き換えにしてでも、何か手がかりの一つ、それには満たない糸口であっても構わない。キラ逮捕のための何かを残したい。そうすれば、いつかだれかがあの忌むべき犯罪者を白日の下に引きずり出してくれると信じています」
「それでSPKに?」
「はい」
「……で、そこまでキラを逮捕したい理由は?」
 がくちびるを強く引き締めたのがわかった。
 いままでの質疑応答はここへ至るまでの掛け橋に過ぎなかった。強いていえばいかに早く、的確に答えられるかを試すだけだ。
 しばらく沈黙を挟むかと考えたニアの予想は外れた。
 は間をおかず、即座に答えた。ためらいも迷いも打ち捨てた、毅然たる口調で言い放つ。
「復讐です。私は、だれより愛した人をキラに殺されました」
 感情を押し殺した女の声を聞きながら、ニアはひとしれず笑みを浮かべた。正義感に命じられるがままに集った人間たちより、よほど信用できる。
 恨みの衝動とはそれほど強く、ひたすら仇敵の打倒を渇望する。悲願を叶えた果てに彼女が生きる気力を失ったとしても、それをニアが気にかける必要はなかった。
「念のためお伺いしますが、殺された恋人は犯罪者ではありませんね?」
「逆です。彼はキラを追う側でした」
「失礼。確認のためお伺いしただけです。……それともうひとつ。死ぬ覚悟はできていますか?」
 それ自体が死の宣告であるかのような問いかけだった。
 しかしは顔色を少しも変えず、淡々と答える。
「命を捨てる決意がなければ、ここを訪れません」
「了解しました。追って採用の可否をご連絡差し上げます。お疲れ様でした」
 モニタに一礼し、は部屋を立ち去った。パイプ椅子が一脚、寂しげに取り残される。
 ニアはすぐかたわらで会話を耳にしていた、レスターを振りかえった。
、採用決定です。一週間彼女を監視し、我々との接触を吹聴、あるいは密告した形跡がなければ、採用の旨連絡してください」
「了解した」

 はなんの問題もなくSPKへの入所が認められ、捜査本部の門をくぐった。
 念入りな身体検査、何重にも張り巡らされたセキュリティを通過して、ようやく発令室にたどり着く。
 モニタの数多く立ち並ぶ室内を進んでゆくと、体格のいい男性が彼女を出迎えた。
だな」
「はい」
 は機械的な動作で一礼した。軍人のようにかしこまって口を開く。
「貴官がニアですね」
「いや、私はレスターだ。名目上は指揮官だが、実務としては指揮官補佐をおこなう」
「はじめまして」
 ふいに物憂い声がした。の振りかえった先には、床に寝そべるひとりの少年がいる。
 彼は左右の手を忙しなく動かし、玩具を構っていた。のほうを見返すわけでもなく、メインモニターの前で遊戯にふけり続ける。
「私がニアです」
 が怪訝そうに眉をひそめたのは、ほんの一瞬だった。
 すぐに足を揃えなおし、ニアに一礼をおくる。
です。面接ではお世話になりました。今後、よろしくお願いします」
「はい、どうぞよろしく」
 ここでニアははじめての姿を確認した。
 欧米人とはかけ離れた、特徴のない顔立ちだが、それゆえかいつ消えてしまうかわからない、儚げで優しい風貌をしていた。日本人女性と直接対面するのははじめてだった。
 ニアは興味深そうに彼女の容姿を観察する。
「ニア」
 レスターの呼びかけに、しかしニアは応じない。
「ニア?」
「え? はい、レスター指揮官」
 ようやく返事をするとともに、休めていた手を再び動かしはじめた。
「慣れるまで、彼女にはジェバンニのサポートにまわってもらう。それでいいか?」
「リドナーが適任でしょう。同性ですから、そのほうがやりやすいと思います」
 ニアがこういった配慮を示したことは、いままでになかった。
 レスターは若干不思議に思いながら承知する。
「……わかった」
「リドナーを呼んでください」
 室内にリドナーの姿は見えない。
「今リドナーは外に出ているはずだ」
 ニアは小さくうなずきかえした。右手を耳の後ろへやり、髪を指に絡めるしぐさをする。
「仕方ありませんね、ではこちらへ」
 言われたとおり進み出ながら、は床の上のニアを見下ろした。
「……はい」
。ここの機器の扱いかたについて、ひと通り教えておきます」
 玩具を残し、ニアは床を離れて立ち上がった。けだるげな足取りで、一度も座ったことのない自分の席に向かう。しかし腰掛けはせず、代わりにを促がした。
「どうぞ」
「失礼します」
「レスター指揮官、何かあったらしらせてください」
「……わかった」
 妙な気配りを見せたかと思えば、今度は新人研修を買って出る。
 はじめて遭遇する行動だが、どうせ気まぐれか奇行のひとつに過ぎないのだろう。
 レスターはそう解釈し、自分の仕事に戻った。
「あの」
 説明の半ばで、がためらいがちに声をあげた。
「なんです、
「いえ、その、申し上げづらいのですが」
「どうぞ?」
「その、呼び方は……できれば、名字で」
「嫌ですか?」
 答えはすぐに返らなかった。
 は三十秒ほど視線を泳がせたあと、意気消沈した様子でニアを見上げた。
「あなたに名前を呼ばれるとつらいんです」
 ニアは不思議そうに首をかしげる。彼が予測した反応とは異なる。女性が名前で呼ばれるのを拒むのは、警戒心あるいは生理的嫌悪のどちらかが理由だと考えていた。
 ニアが釈然としない面持ちで髪をいじるのを見て、は小さくため息をついた。画面に目を据え、簡潔に理由を述べる。
「似てるんです、あなたは」
「だれに?」
「私の好きだった人にです」
「……それは、キラに」
「はい。面接でお話しした、キラに殺された恋人です。婚約者でした」
 モニタをながめる凛とした彼女の横顔。その中の瞳が潤んで見えるのは、錯覚などではない気がした。
 ニアは床に腰を下ろし、放っていた玩具のひとつを拾い上げた。
「つらいことを思い出させましたね」
「いえ、気にしないでください」
 そう言う彼女の態度は平然としていたものの、傷口に塩を塗る真似をしてしまったのだと思うと、ニアは罪悪感を覚えずにはいられなかった。眉間に皺を寄せ、睫毛を伏せる。
 パジャマのボタンに飛行機があたり、かすかな音をたてた。ブリキの塊を凝視しながら、なぜだか踏みつけたいと感じた。
 苦しげなニアに気づいて、はあわてて笑みをつくった。
「そんな顔をしないでください。私は大丈夫ですから」
 その後、半時足らずで説明を終え、ニアは定位置に戻った。冷たい床に抱きとめられながら、たあいのない遊びをくりかえす。
 レスターの指揮監督を受け、作業を進めるの声を聞きながら、ブリキの飛行機を掲げた。
 電灯を浴びて、輪郭が白くかがやく。なぜこれを壊したい衝動に駆られたのか、自己分析したが掴めなかった。

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