終わる世界、始まる物語 02



 高耶が試験1日目を終え帰宅したのは7時を過ぎていた。その頃には完全に日も落ち辺りは真っ暗だ。1月も中旬、東京もかなり冷え込んで高耶は首に巻いたマフラーに口元を埋めて、直江の待つ温かな部屋へと急ぎ足で歩いた。

「ただいま」

 玄関を開けて少し声を張り上げるように帰宅を告げれば、直江がバタバタと中から出てきた。無事に帰宅したことに安心したのかホッとした顔をしている。そんな直江を見て、高耶も肩の力を抜いた。

「おかえりなさい、高耶さん。疲れたでしょう?」
「うん、まぁ少しな」

 頬を大きな手で撫でられて、高耶は目を閉じた。冷えた頬は直江の体温で暖められ心地が良かった。そのまま優しく引き寄せられてぽすんと直江の腕の中に落ちる。冷たい身体を温めるように、直江の手が背を滑った。

「先に夕食にしてしまいましょう」
「わかった。着替えてくる」

 高耶は頷いて自室へと入っていった。
 直江と高耶が今住んでいる部屋は直江が随分前に、不動産屋を営む自身の宿体の兄から格安で買ったものだった。仕事や怨霊調伏で東京を訪れるときによく使用していたが、ここ何年かは当たり前だが放置したままだった。それを綺麗に掃除をし、新しい家具家電を入れて二人で住めるように整えたのだ。
 高耶の部屋は、参考書や問題集、プリント類でごっちゃりとしていた。ぎりぎりまで勉強していたこともあって部屋をそのままに出かけてしまった。最も、今日も少し勉強するつもりなのだから特に問題は無い。寝られる場所さえあれば。
 寝室は、いつも直江と一緒だった。二人で眠るのだと、嬉々としてダブルベッドを購入した直江の顔は今でも忘れられない。けれどここ3ヶ月ばかり別々に眠っていた。それは高耶が遅くまで、それこそ空が白むまで机に齧り付いていたからだ。元々高耶は勉強などできる方ではなかった。というよりも勉強など真面目にやってこなかったせいで、勉強の仕方が分からなかったというのもある。だから必死だった。何としても試験に受からなくてはという思いがいつも胸にあった。
 直江はそれを応援しながらどこか寂しそうだった。高耶は直江に時々勉強を教えてもらっていたが、一度として不安も愚痴も吐露しなかったのだ。夜だって一番苦しい時に甘えてしまわないように別々に眠っていたのだから。
 だがそれも明日で終わって欲しいと強く願う。高耶が志望する大学はセンター試験だけで合否を判断する入学枠があった。だからセンター試験の結果で合格してしまえれば入学が決まるのだ。滑り止めはいくつかあるが、やはり第一志望に入りたい。
 高耶はコートをクローゼットの前に掛け、ジャージに着替えてからダイニングに向かった。そこには既に綺麗に食事が並べられていた。温かな部屋に、高耶は再度安堵の息を漏らす。
 久しぶりに堪能する直江の料理に高耶は始終笑顔だった。他愛の無い話をして、笑顔の絶えない食卓。昔だったら想像もできないような幸せが、ここにはあった。

「…はぁー…」

 食事を終え食後のお茶を両手で包み込んで、高耶は満足した顔でソファーに沈んだ。

「今日はお疲れ様でした、高耶さん。どうでしたか?試験の方は」
「んー…まぁ、短期間で頭に詰め込んだ割にはできたと思うんだ。特に英語。けどセンターだしなぁ…手ごたえあってもホントに合ってるかはわかんねぇし…」
「でも高耶さん。自分の頑張りを信じてみるのも大事ですよ。明日もまだ1教科残っていますしね。試験は自信を持つことが何よりの強みですから」
「そっか、そうだよな…。ん、明日もがんばる」
「俺には応援することしか出来ないですけど、精一杯やってきてください」
「うん」
「それから自己採点は忘れないで下さいね」
「あーそうだった。…あれってさ、結果によっては結構ヘコむよなぁ…」

 心底嫌そうにしながらココアを飲む高耶に直江は笑った。表情の変化が激しい高耶を久しぶりに見た気がする。笑ったり顔を顰めてみたりと、まだ試験は残っているが高耶には思いつめた様子もなかったし、どちらかと言えばリラックスしているようだった。それに直江もホッとした。

「あ。」

 ホッとしたのも束の間、高耶が抜けたような声を出したので直江は首を傾げた。

「どうしたんですか?」
「…いや、別にたいしたこと無いんだけど…。今日試験会場行ったら変な奴に声掛けられた」
「!?」
「んー、あいつなんだったんだろう…」

 一人もんもんと考え出した高耶を凝視した直江は、高耶からマグカップを奪い取って机に置くとがしっと腕を掴んで高耶に詰め寄った。その必死な形相に、高耶は思わず目を瞬かせた。

「何もされませんでしたか!?」
「は?」
「手を握られたりだとか、他を触られたりだとか…!とにかく何もされていませんね!?」
「ば、バカッ落ち着け!」

 何を言い出すのかと、高耶は最初こそ唖然として聞いていたが、はっとして直江の大きな図体を引き剥がした。

「おまえっ!いーかげん、その変な勘繰りやめろ!」
「ですが高耶さん…!」
「うっさい!…なんもされてねーよ。ただ、俺の顔に覚えがあるようだった」
「…なんですって?」

 それを聞いて直江の身体がピタリと止まった。
 人の記憶とはおかしなもので、たとえ何かの事件でテレビや新聞で顔や名前が載っても、当事者で無い限り鮮明にそれを覚えているということはあまりない。確かに当時嫌な意味で全国的に名の知れた高耶だったが、今は変な目で見てくる奴もいなかった。だから少しヒヤリとしたのかもしれない。

「でも、あの男から変な気は感じられなかったし、結局俺だとは気づかなかったみたいだから大丈夫だとは思うけどな」
「…なら…いいんですが…」

 直江は眉を寄せて高耶を引き寄せた。背を撫でて、それでも力強く高耶を抱きしめる。

「何かあってからでは遅いんです。本当に、不安を感じたらすぐに俺に知らせてください…」
「…心配性だな」
「貴方のことに関してだけです。貴方のことだけ…」
「直江…」

 直江の心情を察して、高耶も眉を下げると直江の背を撫でた。優しい抱擁にお互い身を任せ、一抹の不安をやり過ごす。

「大丈夫だ。俺は、大丈夫。…それに、あの男なんか千秋みたいなやつだった」
「…それは…」

 高耶の言葉を聞いて、高耶を胸に抱いたまま直江は複雑な顔をした。けれど少し安心したのだろうか、身体の強張りは解けた。それに気づいた高耶もホッと息をつく。直江に、昔のような思いはさせたくなかった。
 とにかくこの話は終わりとばかりに、高耶は直江の背をポンポンと撫でた。

「じゃ、俺少しだけ勉強するわ」
「あまり無理しないで下さいね。適度にやって、休んでください」
「うん」

 ゆっくりと身体を離して高耶はそう言った。直江も頷くと、ちゅう、と唇にキスを落として微笑んだ。

「おやすみ、直江」
「はい、おやすみなさい」

 高耶が笑って頷くと、もう一度、唇が寄せられた。今度は少しだけ、長いキスだった。



>> 03


2009.9.11
…直高の会話で、おかしな部分があったので修正しました(9.19)



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