大河原家の庭先で、頬杖をつきながら空を眺めていた。

 これからのことを色々と計画しなければならないのに、緩やかに流れる雲の速度を見ていると、ついつい呆けてしまう。何かを考えることに少し疲れているのかもしれない。
 そんな風に思った矢先、随分と威勢よく伸びた足元の雑草が気になって、指を伸ばし音を立ててちぎる。
 
 しかしよく見れば庭は生い茂った雑草だらけで、随分長く手入れしていないんだろうなと思った。
 ポーチの両脇にあるガーデニング用の花壇には転がったバケツと苔の生えたシャベルが捨ててあり、薄汚れたそのさまは放置されていた年月を物語っている。

 きっと大河原の奥さんはガーデニングが趣味だったのだろう。
 いつのものか分からない肥料の袋がポーチの隅に積み上げられているのを見て、そう思った。

 華絵はほんの思いつきで立ち上がると、捨ててあったシャベルを拾い上げ、庭の隅から雑草を少しずつ駆除していく。
 大河原に少しでも恩返しがしたかったのか、ただ体を動かしたかっただけか。
 よくわからないまま衝動に突き動かされてセーターの袖をまくり上げ、リビングに居たレンを呼び寄せる。

「レン、お庭を綺麗にしたいんだけど、手伝ってくれない?」

 そんな彼女の申し出に青年は素直に頷いてくれたけど、そうする前に何か言葉を飲み込んだのはすぐに分かった。聞かなくても分かる。そんなことをしている場合なのかと言いたいのだろう。自分でもそう思うのだけど、じっとしていた所で名案など浮かんで来ない。

 それなら、夢中になって庭をいじる方がまだやりがいもあるというものだ。

「随分荒れてるけど、二人でやればすぐ終わるわ」
 
 言いながらプチプチと雑草をちぎる彼女を見て、レンはわずかに眉をひそめ、丁寧に断って彼女の手からシャベルを引き抜く。

「これは土を掘る道具で、草を千切るもんじゃないですよ」
「…………」
「雑草を取り除きたいなら根から掘り返さないと、あんまり意味無いです」

 伸びた草の表面だけを千切っていた華絵が、しょんぼりと顔を俯かせてたった今摘んだ草の葉を眺める。

「全部掘るの……? それって、すごく大変だと思うけど……」

 自分から言い出したくせに尻込みし始めた彼女に、青年が呆れたようにため息をつく。

「全部千切って捨てるよりはマシです。根絶やしにも出来ます」
「……そ、そうね」
「俺がやるので、休んでいてください」
「そういうわけには行かないわ」
「じゃあなんか別のことしててください」

 邪魔なので。
 ともすればそう続きそうな声色で言い放ち、華絵はすごすごと彼にその場を譲る。
 辺りを見回して、何か自分でも出来そうなことは無いかと考えた結果、リビングからハサミを持ちだし、くたびれた生け垣の前に立った。

「ねぇレン、こういう植木は剪定ってものをするんでしょ? どうやるの?」

 チラリと顔を上げた青年が、文房具用のハサミを広げて植木の前に立つ少女を見て再び眉をひそめた。

「……それも俺がやりますから、ハサミを置いて別のことをしててください」
「切り揃えるくらい出来るけど……縦に切ればいい? 横?」
「ハサミを置いて別のことをしててください」
「…………」

 機械のように繰り返され、仕方なく諦めた華絵がポーチに落ちた枯れ葉を拾う。
 恨めしげに振り返れば、青年が手早く雑草を処理する姿が見えて、劣等感がこみ上げてきた。

「私の事……何も出来ないと思っているでしょう……」

 煩わしげ彼の口調を聞いて、そんなふうにぼやく。

「思っていませんよ」

 顔も上げずにあっさりと答える態度は、いかにも義務感丸出しだ。
 くやしくて、手近な場所にあったホウキを手に取り、辺りの枯れ葉をかき集める。

「藤代の里でもここでも、あなたが庭いじりに精を出す機会はなかったでしょうから、当然のことです」
「……それでも私、もう17よ。世間知らずもいいとこだわ」

 俯いたままの青年が小さく笑う声が聞こえた。

「尊いご身分の方です。シャベルの使い方を知らないくらいで、落ち込むことは無いと思いますが」
「シャベルの使い方は知っています!」
「そうですか」

 ムキになった華絵の言葉を聞いて、また吐息だけの笑いを零す。

「バカにしないで……私だって、少しずつ成長はしているのよ。……人よりは遅くても」
「はい。先ほどの姫様の手料理は、とても美味しかったです」
「……」
「堂々たる様子で台所に立たれるお姿は、中々に感慨深いものがありました」
「そ、そうなの?」
「はい」
「……それなら、良かったわ」

 もっと手のこんだものを作ってあげればよかった。
 あんな質素な朝食を美味しいと褒めてくれた彼を見て、そんな風に思う。



 庭の手入れが全て終わった時、すでに日は暮れかけ、辺りはオレンジ色の夕焼けに包まれていた。
 レンのシャツは土に汚れていたし、掃き掃除や玄関の拭き掃除をしていた華絵は埃にまみれていたけれど、それと引き換えにして大河原家の庭は息を吹き返した。

 好き勝手伸びていた雑草だらけの地面は綺麗に除草され、掘り返された土は平らになじませてある。
 花壇から余計なものは取り除かれていたし、生け垣は丁寧に剪定まで施された。
 ポーチや庭から続く玄関まわりには、塵一つ無い。

「後はこの花壇に花の種を植えるの。きっと綺麗な花がたくさん咲くわ」

 満足気に庭を眺め、花壇の側でそう呟いた華絵を見て、ポーチに腰掛けていた青年が頷く。

「昔と同じようにはいかないかも知れないけど、枯れた雑草よりは花が咲いていたほうがきっと嬉しいはずよ」
「……大河原さんが花を気にするタイプとは思えませんが」
「奥さんは気にするわ」
「…………」

 今更荒れた庭を整えた所で、理不尽な死を遂げた彼女の魂の慰めにはならないかもしれない。
 それでも、枯れているよりは咲いている方がいいだろう。
 彼女のために咲く花が、いつかこの庭で色づく。それは、とても美しいに違いない。

「手伝ってくれてありがとう、レン」

 手伝うというよりは、ほぼ八割型の作業を一人でこなしてくれた彼に礼を言う。
 青年は座ったまま微かに口元で微笑んで、それからどこか影のある表情で少女を見上げる。

「……どうしたの?」
「いえ。ただ……大河原さんの奥様の死について、あなたが責(せめ)を負うことはありませんよ」
「…………」
「例えそれが彼の言うとおり一族の手による犯行だったとしても、あなたには何の関係もないことです」
「……そうは、思えないわ。私は、藤代の一員だもの」
「でもあなたは何も知らない」
「じゃあレンは何を知っているというの」

 赤い夕陽を背負いながら、少女は青年を見下ろす。
 宝石のように煌めく青い瞳は、夕焼けの赤にも、暗闇の黒にも染まらないのだろう。
 およそ感情らしきものが見当たらない硬質な瞳を覗きこんで、それでも華絵はレンの真意を探る。

「姫様。藤代の全てを知ろうとしてはいけません」
「……なぜ」
「藤代の伝承に触れてはいけません。過去にも、触れてはいけません」
「…………」
「あなたが思うよりも、もっとずっと薄暗いものなのです」
「……それでも……私は知らなければいけないわ」
「いいえ」

 青年は立ち上がり、こちらを見つめていた少女の前に立つと、怯える黒い瞳を見下ろす。

「必ず守るとお約束しました。あなただけは何があっても」
「…………」
「全てはその約束のために」


――――生きているのです。

 そう言って少女の左耳に囁かれた声はとても小さく、ともすれば消えてしまいそうなほどに儚かった。

 届けるつもりのない囁き声。
 それは彼の意思とは裏腹に華絵の鼓膜を通り抜け、胸の奥に流れて落ちた。