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 ヴァイオレット奇譚「Chapter18・"嵐の夜に[1]"」



「……切られた」
 一方的に切られた携帯電話を握り締めながら、眉をひそめて男が呟くと、 傍に居たニ、三人の男達が不安そうに顔を見合わせた。
「おい、大丈夫なのかよ」
「悪戯電話だと思われたんじゃねーのか?」
「別の奴にかけてみれば?」
 場はざわざわと騒ぎ出し、やがて一人の男が部屋の隅で両手を縛られたまま佇む少女に近寄る。
「おい、この蛍ってのは、クレアに面識があるのか?」
「……知りません」
 素っ気無く返事をすると、思い切り腹を蹴り上げられて、万莉亜はそのまま地面に倒れこむ。
「……ッ……」
「ったく、自分の立場分かってんのかよ」
 吐き捨てるように言われても、無意味な暴力を振るわれても、万莉亜は口を硬く閉ざし、知らぬ存ぜぬを突き通していた。 一体どの情報が自分に不利になるのかが分からなかったからだ。
 蹴られた腹の鈍い痛みに耐えながら、霞む視界に目を凝らす。
 町外れの港の倉庫に運ばれてから、何時間経ったのだろうか。無意識のうちに、自分を纏う菫の香りを確かめる。 それでも、ここは潮の香りが強すぎてよく分からない。
「ヒューゴは?」
「今こっちへ向かってる。あと一時間くらいだろう」
「船はもう用意できてます?」
「ああ。あとはヒューゴと合流するだけだ」
 先ほどから何度も会話に出てくる”ヒューゴ”という名前。 おそらく彼らのボスであることは察しがつく。そして、そのヒューゴなる人物が到着し次第、自分は行き先不明の船に 乗せられるであろう事も。
――……どうしよう……
 船なんかに乗せられてしまっては、見つけてもらうこともきっと叶わない。 そんな風に弱気になってしまうと、それに心は巣食われ、うっかり絶望してしまいそうだ。 それではダメだと首を振る。
 とにかく、助けてもらうためにも、船に乗るわけにはいかない。
 心を奮い立たせて辺りを見回す。
 木材の倉庫になっているその場所には、十数人の若い男性がたむろしていた。 暢気に漫画を読んでいるものもいれば、煙草を吸っていたり、食事をしているものまでいる。 少なくとも、彼らが自分に対して油断しきっているのは事実だった。
「おい!」
 その時、仲間の一人が慌てて倉庫へと飛び込んでくる。
「まずい、他の奴が警察に捕まって職質受けてる」
 男がうろたえながらそう知らせれば、その場にいた全員がどよめいた。
 夜中に港をうろつく若者のグループが十数名もいたら、警察だって職務質問をしないわけにはいかないだろう。
「すげー不審に思われてる」
 さらに皆の不安を煽るような発言を彼がすると、リーダー格だった別の男がすくっと立ち上がり、 一同を見回しながら口を開いた。
「……全員でやるぞ」
 その言葉に、誰もが驚愕してうろたえる。
「やめろよ……相手は警察だぜ?」
「そうだな、それに、銃を持ってるし」
「全員でかかればどうにかなる。今は、ヒューゴが来るまでここを守ることが先決だ」
 彼らは人間を操れないのだろうか。バイオレットの瞳を持っているくせに、まるでギャングまがいの発言する集団にそんなことを思いながら、 それでもこれはチャンスかもしれないと万莉亜は耳をそばだてる。
「お前はここで女を見張っておけ」
 暢気に煙草をふかしていた男にリーダー格の青年はそういい残し、全員を引き連れて倉庫から出て行く。
「え、お、俺……?」
 言いつけられた男は、まだ十四、五の少年にも見えた。彼は盛大に動揺しながら、 ちらりと万莉亜を見た後、すぐに気まずそうにして視線を逸らす。後ろめたさでもあるのだろうか。 集団で見張られているときには諦めていたが、個別にこうやって向き合うと、良心に訴えかけるのはそんなに難しいことでもないように思えた。
「……あの」
 思い切って声をかけてみる。
「お、俺に話しかけんなよ!」
 突然の事に体をびくつかせて少年が怒鳴る。
「……私……どうなるの……?」
 それでもめげずに訴えかけると、少年は苛立ったようにまだ吸い終わっていない煙草を消して、 新しい一本に火をつけた。
「お願い……教えて……」
「あんたは、これから船に乗せられるんだ。人のいない島に行く。 人がいる場所はまずいからな」
「……どうして?」
「クレアは人間を使うからだよ。そんなことも知らないのか?」
 呆れたようにして言う少年に、驚いたように目を見開く。
「……知らない、そんな人……私は知らない」
 一世一代の大芝居だった。
 ここで失敗したらきっともう後が無い。
「俺にしらばっくれたって無駄だよ。あんたが羽沢梨佳だってことはもうみんな知ってる」
「……こっちに、来て」
「嫌だ」
「じゃないと、舌を噛んで死んでやる……」
 その言葉に、少年の瞳が揺れる。
「……本気よ。どうせ殺されるなら、自分で死んだほうがましだもの」
「…………」
 その言葉を信じたのかは分からないが、少年がおずおずとこちらへ近寄ってくる。
 すぐ傍までやってきて膝を付いた少年を、万莉亜は真っ直ぐに見つめた。
 本音を言えば、迷っている。
 足は自由だから、今立ち上がって自分と同じかそれより小さい彼を蹴り上げることは容易い。 成功するかは分からないが、少なくとも可能性が無いわけではない。
――……でも……
 少年のバイオレットの瞳が見つめられて気恥ずかしそうに揺れる。
「……私の胸ポケット見て」
「え?」
 彼の良心に賭けてみようか。
「いいから……見てよ。生徒手帳が入ってるから」
「……それが何だよ」
 いいながら彼がそっと手を伸ばす。
 一瞬、女性の胸に触れることを躊躇したのか、出した手を引っ込めて、それから 随分気を使って生徒手帳を取り出す彼を見て万莉亜は確信した。
――……いい子だわ……きっと
 信じるに値する。
「なん、だよ……これ」
 生徒手帳の一ページ目には、しっかりと記載された名塚万莉亜の名前とその顔写真がある。 それを、言葉を失ったまま少年が釘付けになっているのを見て、万莉亜はゆっくりと頷いた。
「私……羽沢先輩じゃないの。間違えられて連れて来られたの」
「……そんな。な、何でもっと早く言わないんだよ!」
「言ったらすぐに殺されちゃうと思って……」
「…………」
 奇妙な沈黙が訪れた。
 彼が混乱しているのは手に取るように分かる。
「お願い……助けて……」
「…………無理だ」
「お願い!」
「無理だよ! あんたを逃がしたら、仲間に何をされるか……!」
「だって人違いなのに!」
「……そんなっ……」
 困り果てた少年がそう答えようとしたとき、入り口から仲間が戻ってきた。
 彼は素早く万莉亜から離れ、何てことない様子で彼らを迎える。
「変わりはないか?」
 シャツを血で汚したリーダー格の男に問われ、少年は肩をすくめて見せた。
「ならいい。先に女を連れて船に移動するぞ。ここにいたら、また警察が見回りに来るかもしれないからな」
 ぎくりと心臓が跳ねる。
――……嘘でしょ……
 激しくなっていく鼓動を感じながら、万莉亜は少年に視線を投げるが、 彼女に背中を向けている彼の表情は分からない。
――……助けてっ……
 心の中で祈る万莉亜を、数人の男が立たせようとその腕を掴む。
「嫌っ……! 放してよ!!」
 叫びながら思いっきり抵抗を始めると、男達は舌打ちしながら 暴れる万莉亜を取り押さえようと躍起になる。
「嫌、嫌ぁっ!!」
 思いっきり叫んだ瞬間、強い力で頬を叩かれて地面に倒れこんだ。
「うるせーんだよ!」
 その若い声に驚いて、殴った人物を見上げる。
「俺が黙らせてやる」
 先ほどの少年が冷たくそう言い放ち、ズボンのポケットからサバイバルナイフを引き抜くと、 周りの仲間が慌てて口を挟んだ。
「おい! マグナを殺してどうすんだ馬鹿」
「ちょっと黙らせるだけですよ」
「ダメだ。いいから女を運べ」
「……分かりました」
 不服そうに呟き、彼は倒れこんだ万莉亜の腕を乱暴に掴むけれど、それを引き上げようとはしない。
「おい、早く立てよ!」
 グイグイと彼女の腕を引っ張る素振りをしながらそう怒鳴っても、その手には 何の力も入っていない。
「急げよ」
 そんな二人を横目で眺めながら、ぽつぽつと仲間が移動を始める。
「分かってますよ」
 そう答える彼の額は、汗でびっしょりと濡れていた。
 
「……あの……」
 やがて誰もいなくなった倉庫で、万莉亜が声をかける。
「自分で逃げろ」
 少年は小さく呟くと、持っていたサバイバルナイフで彼女の両手の縄を切る。それから、 その刃を自分に向けて、太ももに二回、深く突き刺した。
「……ッ!」
 思わず万莉亜が息を呑む。
 彼もまた、痛みに顔を歪ませながら、床に崩れ落ちた。
「な、なんで……!?」
 解放された両手を彼の体に伸ばそうとすると、勢いよく振り払われる。
「いいから行けよ!」
「でも……」
「すぐに治るから、早くっ!」
「……ッ……ありがとうっ……」
 苦渋の表情でそう告げると、万莉亜は倉庫の出口へと駆け出した。 ちくちくと胸が痛む。自分は彼を利用したのだ。梨佳ではないにしろ、マグナであることには 変わりが無いのに、それを隠して彼の良心を利用した。
――ごめんなさい……ごめんなさい!
 何度も心でそう繰り返しながら、彼らに見つからないように倉庫を後にすると、一旦港内にあるコンテナの裏に回って身を潜める。 船に乗り込もうとざわつく彼らの声に注意しながら、どちらの方向に進めば一般道にたどり着くのかを考えている矢先、 先ほどの倉庫から少年の大きな声が上がった。それからガヤガヤと途端に辺りが騒がしくなる。
「女が逃げたぞ!」
「マグナが逃げた!」
 そのざわめきに耳を澄ませながら、彼らの声の方向とは逆の方向へと進む。
 コンテナからコンテナを渡り歩くようにして少しずつ移動し、やがて見えてきた一般道に向かって万莉亜は駆け出した。
――……たす、かったの?
 一般の道路へと戻ってきた万莉亜は、先ほどまで自分がいた港を見下ろして目を凝らす。
 あそこではまだ十数人の男達が自分の捜索に躍起になっているはずだ。
「……やったぁ……」
 逃げ出せた実感がじわじわと湧いてきて、安堵のあまり腰が抜ける。本当に殺されるのかと思った。 もうだめだと、何度も思った。
 でも、海沿いの道路であるこの場所には、見上げればファミリーレストランもあるし、 ちらほらと人影も見える。車もいっぱい通っている。あの恐ろしい場所とは違う。
 そんな風にして歩道で腰を抜かしたまま平和を噛み締めていると、通行人が奇異な瞳で 彼女を一瞥していくけれど、そんなことは全く気にならなかった。
――早く帰らないと……
 また蛍が心配してしまう。
 きっとクレアたちも自分を探している。
 だから早くみんなの元へ。
――……だめだ……
 どうしても足に力が入らない。

「大丈夫ですか?」
 
 見かねた通行人が彼女にそう声をかける。
 ぐったりとしたまま万莉亜は顔を上げる。そして、それと同時に全身に鳥肌が立つ。
「大丈夫ですか?」
 男が再度繰り返す。
 何か答えなければならないのに、喉が萎縮してしまって声が出ない。
 若い青年は、バイオレットの瞳でニ、三度瞬きをしてから、きょとんと首を傾げた。
「川井! 何をしている」
 その青年を、後ろから現れた長身の男が怒鳴りつける。
「あ、すみません、ヒューゴ。女が倒れてて」
 その言葉に、万莉亜の心臓は凍りついた。
――ヒューゴ……
 先ほどの倉庫の連中が繰り返していた名前だ。それに、川井と言う苗字にも聞き覚えがある。
――……確か
 梨佳の容姿を知っている男。
「女?」
 引っかかったのか、そう呟きながらヒューゴが二人に近寄り、サングラスの向こうの瞳で万莉亜を見下ろす。
「まさか……」
「いえ。全然違いますよ。羽沢梨佳は茶髪のショートカットですから」
 ヒューゴの疑問に川井という男が先回りして答える。
「そうか。なら放っておけ」
「あ、はい」
 言われたとおり、川井は万莉亜から離れ去っていくヒューゴに駆け寄る。 遠ざかっていく二人を呆然と眺めながら、万莉亜はこのままではどうにかなってしまいそうな心臓を必死でなだめた。
――大丈夫……気付かれて、ない……
 なまじ梨佳の情報を持っていることが仇となって彼らは自分を取り逃がしたのだ。
――早く、逃げないと……
 逸る気持ちのままに顔を上げる。
 その瞬間、目の前の光景が全て黒いコートで遮られていることに気づき、万莉亜はさらに視線を上げる。
 確かに過ぎ去ったはずのサングラスの男が、物言わぬ表情で彼女を見下ろしていた。
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